第10話 嘘つき令嬢 前編

 居候転生した翌日、お母様の言っていた通り、近所に住むお爺様を迎えて4人で話をすることになった。私は、おかゆのような朝食を食べ終えた後、リタに身支度と移動を手伝ってもらう。病的に痩せているとはいえ、私は一応5歳児。それなのに、私を軽々と抱えて1階から4階の父上の執務室まで苦も無く移動するなんて、彼女も侮れない存在だと思う。もちろん、ヘンストリッジ家的な基準で。



 リタに抱えられて執務室に入ると、そこには私以外の3人が既に待ち構えていた。お爺様なんて、私を見るや否や目に大粒の涙を浮かべ、嗚咽を上げながら私に突進して来たのを、お父様から物理的に止められていた。お爺様は、190センチはあろうかという長身に、お父様よりもさらにゴリマッチョなのだ。今あの体当たりを受けたら、文字通り私は枯れ葉のように飛ぶだろう。お父様がいい仕事してくれて命拾いしたわ、ほんとヘンストリッジ家怖い。



 私を抱きしめようと、なおも激しく抵抗するお爺様を、初日に私を抱き殺しかけたお母様が必死に説得し、時間はかかったが何とか全員が落ち着いて席に着いた。みんなが一息つき、父上がおもむろに口を開こうとするのを感じたが、ここは私が先手を打つことにする。



「おとうさま、おかあさま、おじいさま。とつぜんですが、おはなししなければいけないことがあります。」



 まさか、私から先に話し出すとは思っていなかったのだろう。3人は何事か、と黙って聞いてくれている。



「……ソフィーは、“このままだと約10年後、自分の無知と愚かさのために犯した間違いで学校と王国から追放され、隣国の修道院に送られる途中で盗賊の襲撃に遭い、散々嬲られた挙句殺される運命”だといわれました……」



 そう、私の作戦に一つは、この予定された運命を敢て伝えることだ。



 お父様とお母様はもちろん、お爺様まで先ほどまでの大騒ぎはどこへやら。息をのむ音がした後は、誰も身じろぎもせず、固唾を飲んでこちらを見つめている。3人の注意を上手く引き付けた私は、再度子どもらしい口調に戻し、3人にぎこちない動きで頭を下げながら続ける。



「……でも、いまならまだまにあうそうです。ソフィー、これからはまじめにがんばります! だから……どうか、どうかソフィーをたすけてください!」



 私は下を向いていて、3人の顔は見えない。でも困惑した様子は伝わってくる。ここまでは予定通り。私はそっと目を閉じ、昨晩のソフィーとの作戦会議を思い出していた。













「ゆいー! なんてことしてくれたのだー! おしおきなのだー!」



 リタの寝物語で気持ちよく眠ったと思ったら、夢の世界に入ってすぐにソフィーが助走をつけて飛び蹴りしてきた。動きが見えているのに、当たってあげる義理もないので当然避けたが、今日は大事な話があって時間もない。放っておいてもいいが、そのままべちゃりと床に落ちたソフィーを一応拾い上げる。



「ううっ、ソフィーのおしおきをかわすなんてしんじられないのだ……かみのけだって……ぐすん」



 そう言ってぐすぐすしているソフィーをよく見たら、あの鳥の巣頭が無い! ソフィーの頭は、現実の身体と同様に、すっきりとしたショートヘアーになっていた。うーん、今はちょっとガリガリすぎだけど、ちゃんと食べて健康体に戻ればそこそこイケメンになりそうな顔だ。女の子だけどね!



 私がしげしげとソフィーの頭を眺めながら満足げにそんなことを考えていると、ソフィーは責めるような目で私を睨みつけて、



「そのからだはすきにつかっていいっていったのだ。ゆいがなんでかみをきったのかもわかっているのだ。でも、きるまえにいってほしかったのだ。『報連相』はしゃかいじんのきほんって、ゆいのきおくにあるのだ。ソフィーもそれをきぼうする、なのだ」



 どうやらソフィーが楽しく夢の世界に浸っているときに、突然髪が勝手にバラバラと落ちて始めて、何事かと怖かったらしい。それに、別に私が起きているときでも呼び掛けてくれれば多分反応できるとのこと。なるほど、それは悪いことした。勝手に髪が切り落とされるとかただのホラーだもんね。事前に連絡できそうなら、これからは気を付けよう。



 ソフィーに謝って、何かあれば起きているときもソフィーに報連相することを約束し、ソフィー渾身のチョップ(全然痛くない)をおとなしく食らってあげた。そうしてようやくソフィーの気が済んだのか、こちらの話を聞く気になってくれた。



「それで、なんだか“あしたがだいじ”、とかゆいはいってたけど、なにがあるのだ?」



「その話をするには、まずソフィーに話しておかないといけないことがあるの。ソフィーは私の妹の記憶は見たことある?」



「あるのだ! ゆいにそっくりなひとなのだ! たのしそうにはなしをしてるのをなんかいもみかけたのだ!」



「そう、その妹との話の中にあったんだけどね……」



 私は、思い出した限りの妹との話をソフィーに伝えた。乙女ゲームの“シンデレラ”の中で、ソフィーは悪役令嬢(モブ)であり、近い将来、追放死亡ルートからの惨殺される話だ。そして、その世界とこの世界が恐らく同じ世界であることも伝えた。楽しそうだったソフィーの表情はみるみる青ざめ、何かを思い出すように目を閉じた。



「……そのきおく、ちゃんとあるのだ。ゆいがいってることはほんとうなのだ。ソフィーはがっこうをついほう……ひどいことされてしぬ……がっこうにいくのは7さいからなのだ。あんまりじかんがないのだ……」



 茫然としながら、ソフィーはぶつぶつとつぶやく。7歳から学校に行くのか。つまり、それまでにある程度ゲームのシナリオのソフィー、つまり非常識・怠惰・高慢+アホなソフィーを脱却しておかないと、私はもう一回、今度はソフィーも巻き込んで死ぬことになるのね。くっ、そんなのごめんだわっ!



 私は、もう自分の人生は終わったとばかりに遠い目をしながら、完全に呆けているソフィーの両肩を掴み、こちらに注意を向けさせる。



「諦めるのはまだ早いわよ、ソフィー。あなたは死んでここから別のところに行くのは嫌だって言ってたじゃない。私だって、痛い思いをして死ぬのはもう絶対に嫌。私たちは、お互い死にたくないのよ。全力で抗わなくてどうするの?」



 だから、と私はソフィーの困惑した目をじっと見つめながら続ける。



「付き合ってもらうわよ。題して、『ソフィーを更生させよう大作戦』よ!」



 心の底から嫌そうな顔をするソフィーの腕をしっかりとつかみながら、私は笑顔で作戦会議を始めた。









 作戦は名前の通りでとても単純だ。とにかくアホで非常識で怠惰なまま育ってしまうソフィーのために、ここからは私が代わりに、必死で教養やマナーなど貴族に必要なことを身に付ける。また、高慢さはわがままソフィーが肥大した結果なので、これは内面のソフィーをコントロールしつつ、私もうまくやるしかない。あとは、盗賊を返り打ちにするために、身体を鍛えて、武術でも体術でもなんでもいいから護身術になりそうなものを身に付ける。たったこれだけなのだが、それでもソフィーはかなりの困ったような、申し訳なさそうな顔をした。



「うーん、それがだいじなのはソフィーもわかったのだ。でも、その……ゆいにとてもいいにくいのだ……ソフィーは3さいからのおべんきょうも、まなーも、だんすも、たんれんもいちどもやっていないのだ。やりたくないからぜんぶにげたのだ。それと、しつこいきょうしは、ソフィーがうそをついてやしきからおいだしたのだ……いまさらソフィーにおしえるきょうしはいないかもしれないのだ……」



 まさかそのせいで死ぬなんて思わなかったのだ、とソフィーは私に謝りながら伝えてくる。確かにソフィーの記憶には、勉強から逃げ回る姿があったけど、教師を嘘でクビにするほどだったとは……当時3歳のおこちゃまとはいえ、まさに未来のアホな悪役令嬢にぴったりな幼少期と言えるかもしれない。



「はあ……何てことしてるのよ、ソフィー。自分が人にしたことは、いつか回りまわって自分に返ってくるのよ? クビにされた教師から恨まれていても不思議じゃないし、そんな振る舞いを見た周りは、ソフィーのことをとんでもないわがまま娘だと思っているでしょうね……まずは、教師を追い出す前科持ちを教えてくれるような酔狂な先生がいるかどうか、っていう問題なのね……頭が痛いわ」



 今話したい部分の前に、違う問題が出てきてしまった。むしろそこからなのかよ、と文句を言いたいところである。だが、今はその時間もない。教師の件は、あとでソフィーの記憶をチェックして私がどう尻拭いをするか考えるしかない。



「ご、ごめんなさいなのだ……ゆい、ソフィーにおこるのだ……?」



 ソフィーが心配そうな顔で私の顔を覗き込む。私はソフィーの頭をわしゃわしゃとなでて、



「呆れてはいるけれど、別に怒ってないわよ。もう過ぎたことは仕方ないわ。それよりも、これからどうするかなんだけど……」



 そこで私は一度言葉を切って、ソフィーに笑いかける。



「……私ね、明日『嘘つき令嬢』になろうと思うの。ソフィー、当然これも付き合ってくれるでしょう?」



さあ、作戦は続行だ。ソフィーももちろん、巻き込んであげるんだからね!

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