第9話 鳥の巣頭処理事件の裏側で

 ……ここは、ミネルヴァ王国内のとある建物の一室。灯りが外に漏れるのを警戒するように、昼間にも関わらず部屋の窓もカーテンも完全に締め切られ、中の灯りはたった一つのランプだけ。2人の人影が、そのランプの光を覆うように立ち、声を潜めながら話をしていた。



「ふうむ。にわかには信じられんが……呪が失敗して、しかもジンが死んだというのか。あやつめ、あの小娘は交渉の道具だから殺すなとあれほど言っておいたのに。目立つような大それた禁術まで使いおって……!」



 苛立ちながらも、大声で怒鳴りたいのを耐えるかのように、身体をブルブルと震わせながら一人の男が吐き捨てる。一方、その報告をした少年の方は、まるで他人事のように冷静で、怒り狂う男を窘める。



「それは、おそらく何らかの理由で呪が露見したのでは。奴隷である僕たちは、『手を下すときに万が一バレるようなことになれば、絶対に足が付かない方法で彼女を殺せ』というあなたの命令に縛られています。ジンが死んだ呪は、本来は完全犯罪に最も適したものなのでしょう? 彼はあなたの命令に従っただけですよ」



「ふんっ、俺にわかったような口を利くな! くそっ、もう少し、あともう少しだったのに……呪術師が使えなくなったは痛い……。……おお、そうだ。生意気にも俺に意見するんだ、次はお前を使ってやろう。ありがたく思え! 『お目覚めになったお嬢様へのお見舞いを』とか理由をつけて、俺がお前をあの小娘に引き合わせてやる。そこからはキリアス、お前ならわかるな?」



 男は両手で、キリアスと呼んだ少年の肩をぐっとつかむと、ニタリと嫌な笑顔を浮かべながら言った。そして、自分の言いたいことだけ言い終わると、話は終わったとばかりに無言で、出て行けと手で合図をする。



「……はい……父上。」



 少年は、感情の読めない表情のまま、小さく返事をした。そして、ランプに照らされてできた自分の影の中に吸い込まれるように消えていった。



「さあ、これからが楽しみだ……くくくっ」



 男の口から漏れ出る笑い声を隠すようにランプの灯りが消え、辺りは暗闇と静寂に包まれた。












 丁度同じ頃、ヘンストリッジ家の屋敷の前に、燃えるような赤毛にボサボサの髭を生やした、アランにそっくりな壮年の男性が仁王立ちしていた。その男性は、屋敷の門をあっさり通り抜け、玄関に入って立ち止まると、深く息を吸って……



「アーーーーーラーーーーーンーーーーー! 儂の孫がー、目覚めたというのはー、本当なのかあああ?!」



 吠えた。屋敷の壁に声による振動がビリビリと伝わる。近くにいた使用人たちは、慣れた様子でさっと耳を塞いでいる。そこへ、アランが貴族らしからぬ慌てた様子で、屋敷の廊下を走ってきた。



「父上っ! 玄関で大声を出して私を呼ぶのはお止めくださいと、何度言えばわかっていただけるのですかっ!」



 今しがた、黒の正装から着替えたばかりのアランは、これは一生直らないだろうな、というあきれた表情を浮かべつつ、いつものように文句を言う。もうこんなやり取りも何度目だろうか。しかし、少しでも彼を待たせればまた大声で喚きだすので、父上を速やかに自分の執務室に案内する。



 彼の名は、レイモンド・ヘンストリッジ。この豪快で、貴族らしさの欠片もない男は私こと、アラン・ヘンストリッジの父親であり、この地に安寧を齎した伝説の騎士、オスカー・ヘンストリッジの息子でもある。



「がははは、そのように細かいことで目くじらを立てておっては、貴族としてやっていけんぞ! 儂のように、もっと大らかになるのだ!」



「面倒な領主や貴族の仕事をさっさと私に押し付けて、嬉々として領の騎士団長をなさっている父上に言われたくありませんよ」



 そう、父上は私が結婚した途端、領主を私に押し付けて自分だけ騎士に戻ってしまったのだ。あの時、しばらくは騎士として勤めながら、領主の仕事を少しづつ引き継ぐと思っていた私もエリアーデも、本当に驚かされたものだ。我がヘンストリッジ家は、私も含めて強さを求めるばかりで政治や貴族にめっぽう疎い、いわゆる脳筋ばかりで困ったものだ。



「……ほう、言うようになったではないか、我が息子よ。あとは、その弱腰な言葉遣いを何とかすればのう。儂のように、常に堂々と、威厳のある話し方を心掛けねばな! がははは!」



 紫色の目を細めて能天気に宣う父上に、私は内心ため息を吐く。気持ちを切り替えようと、侍女の用意したお茶を一口啜り、ソフィーを心配して駆けつけた父上にこちらから報告すべきことを話し始める。



「父上、話は変わりますが、ソフィーのことでいらしたのでしょう? 今わかっている範囲で報告させてください」



「うむ、そのために来たのだからな。できるだけ詳しく聞かせてくれ」



 父上が椅子から身を乗り出して、先を促す。私は、今日のジンとのやり取り、死の鎖がソフィーにかけられたこと、理由はわからないが呪いは失敗し、痕は残ったがソフィーは無事に目を覚ましたことを話した。



「ほう、我が孫娘に手をかけるとは……よほど死にたいやつと見える。アラン、当然その呪術師の見当はついておろうな? 儂が直々に叩き切ってやろうぞ!」



 父上のあまりの殺気に一旦話を区切ると、悍ましい笑顔で父上が私に尋ねてきた。これで皆目見当もつかない状態であれば、私がどうにかなっていたことだろう。我が父ながら敵には回したくないものだ。恐ろしい。



「呪術師は、ソフィーの主治医であったジンでした。死の鎖の呪い返しを受けたようで、屋敷の一室で肉塊となって事切れておりました」



 それを聞いた父上は、盛大に舌打ちをしたながら本当に悔しそうにしていた。もちろん私だって悔しい。復讐ができなかったこともそうだが、私やエリアーデだけでなく、頻繁に見舞いに来てくれた父上もジンと面識があった。間抜けなことに、我々は呪をかけた本人に、半年以上もの間目の前でずっと欺かれていたのだ。腹立たしいことこの上ない。



 そして、彼がその呪術師であったのなら、ソフィーの起きるタイミングを掴めたのもうなずける。掴めたというより、身体だけ起きるように、呪の強度を自分で調整していただけだろう。



「……しかし、それでは疑問が残るのう。なぜ1年もの間ソフィーを敢えて生かしたのじゃ? そして、1年間呪を調整してまでソフィーを生かしておいたとすると、なぜ今日『死の鎖』を使ってまで殺そうとしたのじゃ? それに、ソフィーはもちろん、お主ら夫婦も儂も、元々ジンとは面識がなかったはずじゃ。ジンがここに来たのは、ソフィーが呪にかかってから半年ほど経ったころであったし……一体何が目的なのか……不可解な点が多いのう」



「ええ、彼が単独犯で、これで問題が解決、とはならないでしょう。既に王宮にも禁術の報告と併せて話をしています。陛下からは、初めて禁術から生き残ったソフィーから直接話を聞くのと、呪いの痕を目視で確認したいとのお話が来ていますが……とりあえず1か月ほど、療養のために猶予をいただいている状態です」



 それから、と私は執務室の机の中から、表面が滑らかで、丸みのある漆黒の輪っかを取り出して父上に渡した。



「それは、肉塊になったジンの身体を焼却処分した際に残ったものです。少なくとも、私が見たことがあるものとは違いますが……『隷属の首輪』に似ていませんか?」



 父上は漆黒の輪っかをしげしげと眺めたあと、



「ううむ、儂は魔導具は専門外じゃから何とも言えぬが……上級の魔法使いの中には独自に魔導具を開発し、造ることができるも者もいると聞く。これは、大きさとしては首には付けられんだろう。隷属に使うものに、首輪以外は思い当たらんが……。これも王宮に報告して、然るべき機関に調査を依頼すべきであろう」



 それから私たちは、まず自分たちにできることとして、領内と王都で騎士団を使って情報収集をすること、当時ジンを紹介した者に話を聞くこと、ソフィーに今回の件と陛下からの招集がかかっていることを伝えることを確認しあった。



「実は、ソフィーからはまだ詳しい話を聞いていないんです。エリアーデが、まずは食事と入浴、そして休養が先だと言っておりまして。明日にでも彼女と話をしようと思っているんです。父上も一緒にいかかですか?」



「無論だ。そうか、あの子もまだ起きたばかりだ、儂が今押し掛けるは疲れさせてしまうだけじゃな。うむ、また明日出直して来ようぞ」



 そう言うや否や、父上は席を立ち、さっさと帰ろうとする。そして、執務室の扉の前で急に足を止めると、こちらを振り返った。



「アラン、明日ソフィーに話をするときは、何も隠し立てしてはならんぞ。子どもだからと言って、侮ったり、下手に守ろうとしてはならん。彼女は当事者じゃ。今ある限りのすべての真実を知る権利がある」



 父上は、そこまで言って真剣な表情をふっと緩めると、



「それに、この魔素の地をどうにかするために、願いを込めて『ソフィア』などど大層な名前を付けたのであろう? あの子が聞けば、『神の叡智』に相応しく儂らには無い考えが浮かぶかもしれぬしのう! がははは!」



 と最後は豪快な笑い方を残して帰って行った。



 私の可愛いソフィーは、まだ5歳になったばかり。今日が誕生日だったが、それどころではなく、お祝いすらしていない。あんなに幼い我が子が、自分が殺されそうになっていて、実行犯は死んだけど、黒幕がいるかもしれない、まだすっきり解決していないかもしれないと知ったら……



 親としては、苦しい思いをさせた分、安全なところで手厚く守ってやりたい。しかし、貴族として、何より強きヘンストリッジ家の者としては、父上が言う通りなのだろう。



 事実は伝えるとして、ものは言いようだ。この後私はソフィーの顔を見に行くのも忘れて、一日中明日どんなふうに伝えれば彼女の不安を少しでも和らげられるかを考えていた。









 まさか、明日ソフィーから聞く話の衝撃が大きすぎて、せっかく考えた言い回しをすべて忘れてしまうことになるなんて思いもせずに。

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