第8話 鳥の巣頭処理事件

「……ふう、とりあえず一通り切り終わったかな。多分、鳥の巣はもう残ってないよね。鏡見えないからわかんないけど」



 私は、ぎこちない動きで左手を動かし、髪をわしゃわしゃと触る。手探りで触っている限り、もう髪のほつれやちぢれ毛は残っていないようだ。切り方が適当なので、あとで誰かに整えてもらわないといけないが、頭も気分も一新、私の好きなショートヘアへと早変わりだ。



 ん? 鏡の前に座っていたはずなのに、なんで鏡が見えないのかって?

 


 ……椅子から落ちちゃったのよ。私としては予想の範囲内だったんだけどさ。だって、自分の身体を動かせないだけじゃなくて支えることもできないんだもん。そんな状態で頭傾けて髪を切るとか、どうなるか覚悟の上だよね。すっきりしたし、いいのよ、それで。あ、けがなら大丈夫。床には、古びてるけど絨毯が敷きつめてあるから、頭から落ちてもそんなに痛くなかったし。結局、横になったまま手探りで鳥の巣除去を続けて、ようやく自力でできる分は終わったところだ。



 銀色の髪や毛玉が散らばる紺色の絨毯の上で、右手にハサミ、左手は頭につっこんだまま横たわる少女の画。うーん、さすがにシュールだな。せめて体勢を変えたいけど、一人じゃまだ起き上がったりすることもできない。そろそろ本格的にお腹空いてきたし、早くさっきの侍女が戻ってこないかな、なんて考えていると部屋の扉がノックと同時に開いた。



「おまたせ! ソフィー、入るわよー。 軽食は取れたかしら? お風呂はもう準備……って、きゃあああああ! ソフィー! どうしてそんなところに……いやああああ、ソフィーの髪がああああ!」



 侍女より早く、お母様が戻ってきた。床に転がる私に気付いたお母様は、目を見開き、屋敷中に響き渡らんばかりの叫び声を上げながらこちらに駆け寄ってきた。真っ青な顔をして私を抱き上げ、一体誰にやられたのか、私のソフィーに酷いこと! と殺気を隠そうともせずにまくしたてるお母様を、私は自分でやったことだ、と必死に訴えてなんとか落ち着かせるので精一杯だった。お母様怖い、ほんと怖い。










 鳥の巣頭処理事件の犯人は私ですと自供したあとは、お母様に本当にしこたま怒られた。その後すぐ、お母様は私がぐちゃぐちゃに切った髪を手早くハサミで整え、怒りの冷めやらぬまま私をベッドに連行した。そのタイミングで侍女が食事を持って入ってきた。お母様の剣幕に驚いた侍女にも話が行き、彼女からもものすごく怒られた。ぐすん。



 そして、今はお母様が手ずから私に軽食、もといマッシュポテトをお湯か何かで緩めたようなものを食べさせてくれている。多分、日本で言うところのおかゆにあたる食事なのだろう。黒い木製のスプーンで少しずつ食べさせてくれる。味は薩摩芋、食感は少しとろみがあって里芋に近い。お腹が空いていたこともあり、全部ぺろりと完食した。






「それで、ソフィーはどうして髪をこんなにしてしまったの? お風呂でほどいてあげようと思っていたのに……貴族の女性にとって長い髪は命と同じくらい大事なものなのに……」



 食後、お母様にお姫様抱っこされてお風呂に連行され、お母様が私の短くなった髪を洗いながら聞いてきた。



 私だって、貴族の女性に、いや全ての女性にとって髪が大切なのは知っている。これでも死ぬ前は26歳のれっきとした女性だったのだ。美容にも人並みに興味があったし、手入れもしていた。高校の生物の授業で習ったが、髪の毛の細胞は死細胞だから、一度傷んだら元に戻らないことも知っている。トリートメントなどのケア用品を駆使すれば、見かけや手触りを取り繕ったり、痛みを防ぐことはできるが、根本的に治ったりしないものだそうだ。



 だからこそ、鳥の巣のままにするくらいなら、一度傷んだところは全部切って伸ばした方が絶対綺麗に伸ばせる。私はそんな自信から髪を切り落としたのだが、お母様の心配は少し違った。



「いくら絡まっていても傷んでいても、せっかくあれだけ伸びたのに……ソフィー、長い髪は貴族女性の必須条件だけれど、そもそも髪を長く伸ばすのはとても難しいことなのよ。髪を切らなければいいと思われがちだけれど、髪は伸びきる前にすぐに細くなったり切れたりするのよ。ああ、こんなに短くなってしまったら、2年後のお披露目式にはとても間に合わないわ……どうしましょう……」



「……おかあさま、かってなことをしてごめんなさい。ソフィーは、はやくおかあさまみたいなきれいなかみになりたかったの。ぐるぐるのところをたくさんきったら、たくさんはえてくるとおもったの。ごめんなさい」



 お母様が言っているのは、おそらく枝毛やら切れ毛やらのことだろう。文明の利器に頼りまくった生活をしていた私に、トリートメント類を一から作るなんてとてもできない。でも、傷まないようにするくらいならなんとかできそうなんだけれど……



 でも、できるかどうかわからないことは言えないし、私は今身体は5歳、精神年齢4歳の子どもだ。それらしく振舞わねば。



「……そうね、そんなことソフィーが知るわけないもの。まさか、突然髪を切るなんてと驚いたけれど、生きているだけでいいじゃない。そうだ、今のソフィーならドレスもいいけれど、子供用の騎士服とかも似合いそう! うふふっ」



 何かしらのハーブが微かに香る石鹸で私の髪と身体を何度も洗いながら、元女性騎士のお母様は幾分前向きに、楽しそうに話す。おお、私へのハードルがすっごく下がった。お母様を怒らせたら物理的に身の危険を感じるし、これは素直にありがたい。



 髪の毛の件が落ち着くと、お母様は「明日、お父様やおじい様がソフィーと話すって言っていたんだけどね」と前置きした上で、



 私が実は呪いにかかっていたこと



 この1年間の不調はすべて呪いのせいだということ



 呪いをかけた本人は既に亡くなったこと



 みんなが心配していたこと



 それらを、私を抱きかかえるようにして湯船に浸かりながら、ぽつりぽつりと話してくれた。



「実はね、ソフィーが目覚める直前に、あなたはもう助からないから、お別れをしなさいって医者に言われてね……今でもこうしてソフィーといられるのが信じられないくらいなのよ」



「おかあさま……」



「ふふ、ソフィーはいつの間にか“ママ”って呼ばなくなったのね。お父様の貴族仕様の話し方をまねするようになったころかしら……母上とかお母様とか、慣れないのに一生懸命使おうとしてたのがまたかわいかったのよね……」



 お母様は、子どもの成長が嬉しいような寂しいような、そんな微笑みを浮かべながら私の頭をなでていた。








 湯あみを終えた私を自室へ抱えて戻ったお母様は、お父様との晩餐をとるために、侍女に私を任せて部屋をあとにした。夕方、食事の準備をしてくれた侍女だ。今日は早く休んだ方がいい、と私が寝られるように準備をしてくれている。



「……あの、さっきはごめんなさい。かみのけ、ちょっとだけっていうやくそくやぶった。あと、いすからおちないやくそくもやぶった。しんぱいかけてごめんなさい」



 お風呂に行く前に、お母様とダブルパンチで怒られたばかりだ。その時も謝ったけれど、やっぱり気まずい。改めて謝罪すべきだと思ってもう一度謝ると、彼女はきれいなコバルトブルーの目を大きく見開いて、一瞬とても驚いた表情をしたが、



「本当に心配したんですよ。私はお嬢様がお眠りになられてからこちらに来たので、噂でしか知りませんでしたが……お転婆なのはお変わりないようですね。お元気になられた証拠でしょう」



 すぐに表裏などなさそうな笑顔を浮かべ、物怖じせずにあっけらかんと言いながら、手に何冊も絵本を抱えて私のベッドのそばまでやってきた。え、噂ってどこの噂なの?! お転婆とか柔らかく言ってるけど、要は我儘娘ってことだよね? おい、ソフィー! ……あれ、今日私がやったことも、理由があったとは言え相当我儘じゃない? や、やばい、追放死亡ルートに自ら向かってるじゃないかっ……!



 そこまで考えて、私は内心頭を抱えた。すると、そんな私の様子を知ってか知らずか、



「お嬢様、よければ寝物語などいかがですか? 旦那様が、お嬢様のために王宮図書館からたくさんの絵本を借りてきてくださったんですよ」



 と抱えてきた本を私の目の前に何冊も広げながら、楽しそうに話しかけてきた。そう。お父様が私のためにわざわざ……あ、もしかして……



「ねえ、あなたはもしかして、ソフィーがねむってるときにえほんよんでくれたの? ソフィーはゆめのなかで、いろんなおはなしをきいてたきがするの。だから、ねむってるときも、ソフィーはたのしかったの」



 ソフィーの記憶の中にある彼女の愛する『夢の世界』は、ドラゴンを倒す英雄のお話や、苦難の末に愛する王子様と結ばれるお姫様のお話、この世界を作った神様のお話など、たくさんのお話でできていた。それは一体どこからきたのかと思っていたが、なるほど。おそらく彼女が。



「はい。眠っているお嬢様に私の声が届くかどうかわかりませんでしたが……たとえ眠っていても、少しでもお嬢様が楽しい気持ちになってくださればと思い、毎日読んでおりました。お役に立てたようで、私も嬉しく存じます」



 彼女は、薄いそばかすのある頬をほんの少し赤くし、ぱあっと顔を輝かせて笑った。見たところ、彼女の年齢は二十歳前後くらいだろうか。若くてもこういうちょっとした思いやりや気遣いができて、しかもそれを毎日継続できる。それも1年間もの間毎日だ。ぜひ彼女の名前を知りたい。



「えほんをよんでくれてありがとう。これからもできればよんでほしい。ソフィーはあなたがよむおはなしがすきなの。ねえ、あなたのなまえをおしえて?」



 なるべく自然に聞こえるように聞いてみた。ソフィーの記憶には、使用人の名前が一つもない。しかし、今後領地をどうにかするのであれば、時に使用人の力だって必要になるかもしれない。自分の名前すら知らないような小娘のために、快く動いてくれる人がどれほどいるだろうか。よし、明日から使用人全員に名前を聞いて、人間関係ノートでも作ろう。そうしよう。



「もちろんですよ、お嬢様。私のことはリタと呼んでくださいませ。では、今日はまだ読んだことのないこの本にしましょう」



 リタは一冊の本を手に取ると、ベッドの横のランプに手を触れ、中の石を淡く光らせた。魔法のベッドライトのようなものだろうか。リタは、部屋のほかの明かりを落として、ランプの温かなオレンジ色の光を頼りに絵本を読んでいく。私は、初めこそこれは文字の勉強だと思って、目をしっかり開けて真剣に耳を傾けていた。しかし、耳に心地よいリタの声に誘われる眠気には逆らえず、あっけなく激動の異世界初日を終えた。





 当然、ゆいの一日はこれで終わりではない。夢の中でソフィーを叩き起こし、作戦会議をするからだ。





 明日私は、追放死亡フラグを折るための最初で、最重要な一手を打つ。失敗は許されない。

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