第2話 我こそは辺境伯爵令嬢である!
「おまえはだれなのだ?」
あちこち絡まって鳥の巣のようになった、ぼさぼさの銀髪。ガリガリに痩せて青白い肌に、しわだらけの寝間着。そして、アメジストのように透き通った深い紫色の眼で私を覗き込みながら、小さな子どもが高慢な口調で話しかけてきた。幼稚園の年長から小学1年生くらいだろうか。
「くろいかみ。くろいめ。へんなふく。はじめてみるのだ。おまえはしらないひとなのだ。おまえはだれなのだ?」
その子は、返事をしない私にもう一歩近づいて、鳥の巣頭を揺らして頭を傾げながら、もう一度同じことを聞く。
「……人に名前を聞くなら、まず自分が名乗るべきなんじゃないの?」
相手は幼い子ども。しかもなんだがぼろぼろで具合でも悪いんじゃないかと思うような酷い状態だ。だが、その見た目に反して、尊大な態度で話しかけてくる子どもについムッとしてしまった。我ながら大人げない、と棘のある口調で言い返したことを少し後悔していると、
「ここはソフィーのゆめのなかなのだ! せっかくたのしいゆめをみていたのに、おまえがかってにはいってきたのだ! さきになのるのはあたりまえなのだっ!」
自分に言い返すなんて信じられない、とでも言わんばかりに目を見開いたソフィーと名乗る子どもから、聞き捨てならない言葉を聞いた。
ん? ソフィーの夢の中? どういうこと?
周りをぐるりと見回すが、自分とこの子以外誰もいない。それどころか、どこまでも真っ白で、床も壁も天井も一切境目のない、本当に何もない空間に、自分たち二人だけが異物のように存在していることに気づいた。
嫌な予感がした。
こんな場所、日本に、地球にあるだろうか?
いや、無いだろう。賭けてもいい。お金ないけど。
他人の夢に、なぜ自分がいるのか? 私の夢は? 私の身体はどこに行ったのか?
……そういえば、さっきまで仕事から帰るところだったはず。その途中で、スマホを見ながら信号待ちをしていたんだった。そして、ふと顔を上げたら目の前に車のヘッドライトがあって、それが自分に突っ込んできた車だって気づいた時にはもう避けられなくて……
……思い出した。
車に撥ね飛ばされたんだ。私は即死じゃなかった。今までに経験したことのないような、燃えるような全身の痛み。目の前の地面に広がっていく自分の血だまり。眠るのとは違う、意識が真っ黒な何かに呑み込まれていくように消えていく感覚。
ああ、そうか。
私は死んだのか。
「――――――――――!」
あまりにも突然だ。受け入れられない。だって、まだ26だ。残念ながら、結婚どころか彼氏だっていたことない。それに、私はクラオタだ。まだ行きたいコンサートだって、吹きたい、弾きたい曲だって山のようにあって……
何より、家族は、妹は、どうなるのか。妹なんて、せっかく音楽以外の楽しみができたところだったのに……
だめだ、未練が多すぎる。くっ、軽く100歳は超える予定だったのに、一体どうしてくれるんだ!
私は声にならない叫び声を上げ、頭を抱えて蹲ってしまう。目の前の尊大なガキのことなんか完全に忘れていた。
「そ、ソフィーのゆめにかってにはいってきて、ソフィーのことをむしするなんて、しつれいなのだっ! ………お、おまえ、だいじょうぶなのだ?」
相変わらずなぜか偉そうにしているが、一応心配しているのか、蹲った私の肩をちょんちょんと指でつつきながらこちらを伺っている。目の前に人がいる以上、いつまでもこうしてはいられないだろう。色々考えたいが後回しだ。とりあえず顔を上げて落ち着こう、自分。
私は一つ深呼吸をした後、ソフィーと言った少女に向き直って、できるだけ笑顔で話しかけた。
「ええ、大丈夫。私は山川結衣。なぜかあなたの夢にお邪魔してしまったみたいなんだけれど……どうやら、私は死んでしまったみたいでね。びっくりしてちょっと取り乱しちゃったの、驚かせてごめんね。」
「やまかわ ゆい? はじめてきくなまえなのだ! みょうじがあるのだ! ゆいはどこのくにのきぞくなのだ?」
どうやら、この子の常識の中では、苗字があることは貴族の証らしい。とてもとても遠い国だと話すと、聞いたことの無い名前の響きに納得してくれた。貴族であることは否定したが、苗字持ちだと知って、この子の態度が少し柔らかくなった。
「ゆいがなのったのだ。ソフィーもなのるのだ。
“聞いて驚け、我こそはヘンストリッジ辺境伯爵家が長女、ソフィア・ヘンストリッジである!”
なのだ。ゆいはとくべつにソフィーとよぶことをゆるすのだ! かんしゃするのだ!」
ガリガリでボサボサでボロボロの少女は、きっとこのセリフを何度も一生懸命練習したのだろう、ドヤ顔で、どうだ!と言わんばかりに言い切る。が、これを私はどうすればいいのか。突っ込んだ方がいいの? だめなの? 誰か助けて!
……やばい、さっきから何となく感じていたけれど、もしかしてソフィーはかなり頭が残念、いや、アホな子ではなかろうか。
死んだばかりだというのに、なぜか今ここで、ものすごく面倒なことに巻き込まれそうな気がするのは私だけ?
ブラックで社畜として、ずっとこき使われてきたんだよ? 死んじゃったんだったら、次の人生の前にちょっとはゆっくりしたいなあ、なんて……
しかし、ここは彼女の夢の中らしい。帰る
仕方なく、私はもう少しだけソフィーと話してみることにした。
この『もう少し』が、『この先ずっと』になるなんて思いもせずに。
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