第13話 希死念慮

 最近、俺こと内山修二は調子が悪い。どういう症状かというと希死念慮(死にたくなる気持ち)が強い。以前にもあったことだ。なんとか気分をまぎらわせようと、本を読んだり小説を書いたりしているが、集中できない。小説家志望という気持ちも弱くなってきた。こんなんでいいのか? 心理療法士の久保奈津美先生も褒めてくれたというのに。僕が小説を書く理由、それは、もちろん小説を書いて生計を建てたいというのは第一だが、子どももいないし奥さんもいない。だから僕がこの世にいた証をのこしたくて書いている。書いていておもしろいというのはあるけれど。最近では、そのおもしろいという気持ちもすくなくなってきた。俺の夢だったはずなのに。それと、ひそかにうまくいけば彼女もほしいと思っていた。あいてはデイケアの女性だと思う。その気持ちもあっけなく消えた。仕事もやる気がなくなった。給料がはいってこなくなるけれど、障害年金がある。それでも経済的にきついけれど。父親に育てられてきた俺は母親の愛情を知らないで生きてきた。それ故、女性の気持ちがあまりわからない。察すれないというべきか。これは、障がいとは関係なく、生活環境でそうなったこと。しかたないとしかいえない。父親にこの気持ちを打ち明けてみようかな。でも、きっとおこられそうだ。気持ちのもちようだ! とか言われそう。むかしかたぎ、というわけではないと思うけれど、根性論、をよく言う。気合いとか、がまんとか、おまえのこころひとつで決まる。など。とりあえず、いっぷくする。気持ちを落ち着けるために。最近では、以前よりきつい煙草を吸っている。前は三ミリだったけれど、いまは九ミリにした。ちなみに父親も喫煙者。

彼は俺よりきついのを吸っているから、なにも言えないはず。俺は一日で十本くらい。でも、父親は一日に二箱吸っているらしい。ヘビースモーカーってやつ。俺もひとのことは言えないけれど、父親も肺は真っ黒だろう。肺ガンか肺気腫になればいい。

 父親に育ててもらったとはいえ、あまりかまってくれなかった。仕事からかえってきたらシャワーを浴び、すぐに晩酌していたから。だから、俺はさびしい思いをして過ごした。機嫌がわるいうえに、お酒を飲むと俺をたたいた。なんど警察に通報しようかと思ったことか。

 いまでは、俺のほうがちからもあるかもしれないから、むかしのように暴力を振るわれることはなくなった。


 デイケアでは病院の準備が始まったようだ。でも、俺は具合が悪くてそれどころじゃない。希死念慮も強い。俺はやばいかもしれない。具合が悪いとはいえ、この日常が崩壊するかもしれない。どういうことかと言うと、僕がこの世からいなくなるという意味。父親はきっと驚くだろう。でも、今の俺は周りのことを考えている余裕はない。死神に憑りつかれているのかな。それに憑りつかれたら生きることは考えなくなると聞いたことがある。どこで見たかな、雑誌? それともネット? よく覚えていない。二階にいる俺がなにもやる気がなくふとんによこになっていると、階段をのぼってくる父親の足音が聞こえてきた。俺を呼ぶ声が聞こえる。

「修治!」

 強い口調で叫んでいる。

「なに?」

 俺は出来る限りの大きな声で返事をした。俺の部屋のドアをガラッと開けるなり、

「なんだ! また寝てるのか」

 俺は精神科に通い始めてから八年になるというのに、父親は俺は、怠けている、と未だに思っているようだ。いい加減、理解して欲しい。

「なに? 俺、具合い悪いんだ」

 そう言うと、

「お前、本当に具合い悪いのか?」

 なんていうことを言うんだ、この父親は。親らしくないと思う。

「本当だよ、今も希死念慮が酷いんだ」

「きし……なに?」

「きしねんりょ! いいよ、わからなくて。どうせ、父さんは俺が怠けていると思っているんだろ?」

 父親は睨んでいる。俺は窓側に体勢を変え、

「どうしたの?」

「散歩しに行くぞ!」

 は? 論外だ。なので、

「嫌だよ」

「なんで」

「動きたくない!」

「全く……。それが駄目なんだ。おれがその腐った根性をたたき直してやる!」

 また、余計なことを……。

「いいってば、俺は寝るんだ」

 父親は俺の布団を無理矢理剥がした。

「父さん! なにするんだ!」

 布団を後ろに父親は投げた。

「早く! 行くぞ!」

「嫌だってば」

「頑固な奴だな、お前も」

「父さんこそ、何でこの時間、家にいるのさ」

「今日は中止だ! おれのダンプが故障してしまってな」

「え! そうなの? じゃあ、仕事できないの?」

「それは大丈夫だ、心配するな」

 俺は隙を見て布団を取り戻した。そして、それをがっちり掴んで離さなかった。父親は、

「こらっ! 布団を放せ! おれと一緒に散歩するぞ」

 親となんかと一緒に歩きたくない。それは言わないけれど。言ったらきっと激怒するだろう。そうなったら面倒なので言わないが。

「お前は太陽の光に当たらないと駄目だ!」

「なにを根拠にそんなこと言うの?」

「うるさい! 早く着替えろ!」

 仕方なく俺は着替えることにした。あー、めんどうくさい。でも、実際、病院で体重測定したら増えていた。八十三キロだった、先月は。精神科医だけれど、成人病にならないように気をつけるように言われている。体重増加・血圧・寝る前に食べない、など定期的に測定している。

 上下、ブラックのジャージに着替えて、外に出た。父親もジャージ姿に着替えていた。なんと、全身赤だ。これは目立つ。

「父さん、別のジャージなかったの? 全身赤って俺も恥ずかしいよ、一緒にいて」

「いいんだ! 悪いことをしているわけじゃない」

 それはそうだけど。しかも父親も太っているからピチピチ。思わず吹き出しそうになる。そして耐え切れなくなって笑い出してしまった。

「なにをそんなに笑っているんだ」

 俺は指を差しながら、

「それのことだよ、ジャージ。赤って」

「そんなに可笑しいか?」

 俺は笑い続けた。まるで病気ではない時のように。

 でも、笑った後、また何事もなかったかのように真顔に戻った。こういう感情の動きが鈍いのは、統合失調症の症状の一部だ。俺は主治医に言われている。幻聴に関することで、これ以上薬を増やしても治まる見込みがない、上手く付き合っていって欲しいと言われた。今まで様々なことを考えてきた。自殺・他殺など。自殺に関しては、自分はこの世に必要とされていない、だから俺がいなくても誰も困らないだろうし、悲しまないだろうという思い。他殺に関しては、凶悪な犯罪にならないよう制御することができる。そういう罪を犯すような心理状態になることはごく稀だが。でも、俺は一度だけ女性を襲ったことがある。確かあれは俺が高校生の頃だったかな。真っ赤なミニスカートで歩いていたその女性は俺より年上だっただろう。ムラムラしてきたから、我慢できずに犯してしまった。でも、女性のほうもまんざらではなかったように感じた。俺はそのあと、逃げた。意外なことに、追っても来なかった。もしかしたら、襲われたかったのかもしれない。でも、俺はそれまで女性に性欲があるとは知らなかった。ないと思っていたから。俺が高校生の頃、付き合っていた女子は性欲は全くなく、ただ、ひたすら喋っているだけだった。正直、物足りなかった。自慰行為だけでは足りなかった。それなのに、今の俺ときたら、性欲はほとんどない。病気のせいだろう。


貝沢梨絵かいざわりえとは最近会っていないが、元気にしているだろうか? 俺が書いた小説も読んでもらいたい。なので、散歩が終わったら少し書こうと考えている。調子が上がればの話だが。


 父親と嫌々散歩にでかけた、家の鍵をからずに。というか、家の鍵をかるのを忘れていた。父親は意外に歩くのが早い。付いていくのがやっとだ。

 帰ったころには汗でベチャベチャになった。あつくてたまらなかったので、まずは扇風機の風にあたった。すずしい。そのうち汗がひいた。めんどうだからそのままで居間のじゅうたんのうえに横になった。父親は、

「おい! 汗かいたままねたらじゅうたん汚れるだろ! シャワー浴びてこい」

「いやだよ、面倒くさい」

「また始まった。好きにしろ! お前には呆れた」 

 父親は下着を用意している。そして、勢いよくシャワーを浴びに行った。

 はぁーっ、疲れた。俺はそのまま寝入った。俺は夢をみた。それは俺が貝沢梨絵とセックスをしているところ。だが、なんの反応もない。彼女には興味がないということか。あくまでも小説を読んでもらうことしか、どうやら俺は考えていないようだ。自分で自分のことがわかっていない部分もたくさんある。

 約一時間後、俺は目覚めた。父親が怒鳴り散らす声で。

「おい! 修治! ここで寝るな! 汗臭くなるだろ、じゅうたんが」

「う、う……ん」

 俺は寝ぼけていた。

「小説、書くんじゃなかったのか?」

「書くよ。もう少ししたら。時間を決めて書くんだ」

 俺は起き上がり、スマホを見た。14:32と表示されていた。

「三時になったら書くよ。とりあえず一時間」

「歩く前にお前が言っていた、死にたい、気持ちは消えたか?」

「さっきよりは消えた」

 父親は満足そうに頷いている。

「だろ? 運動は大事なんだ。これからも歩くからな」

「えー! 嫌だ」

「えーって言うな! 無理矢理でも連れて行くからな」

 相変わらず強引だなと思った。言ってはいないけれど。言ったら更に怒られるから。

「小説、がんばって書くんだぞ! お前のとりえだから」

 そういうところは応援してくれる良き父親だ。結果はどうであれ三時になったら書き始めよう。

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