第二節十款 多事多端

『米相場は四割高、小麦相場は五割五分高、大豆相場は三割五分高……』

 本館が大忙しになっている頃、五島は自身の作成した懸念のレポートの裏付けをするべく、朝から影山や桶口を連れ出し市場や素材屋を巡っていた。

『やっぱり撥ね上がってるなー』と五島は感じていた。


 値上りの原因をNPCの商人に訊ねてみれば荷車への襲撃が相次いでいるらしく、物が入ってこないらしい。

 市場や商店を回ってみれば、武器や装備品の値上がりは緩い事が分かった。しかし米や小麦は大幅な値上がりだ。小麦の値上がりに合わせて加工食品も上がって行くだろう。

 そして治安悪化のせいなのか、茶屋や商店ものれんが出ていない。

『これは想像以上にマズイかもしれない』五島はそんな事を考えながら街を歩いていた。


 不幸の中にも幸いな事もある。昨日の混乱はある程度落ち付きを取戻しつつあった。

 路上で途方に暮れている者がちらほらいるものの暴徒化している者も、喚き散らかしている者もいない。江戸中心地は兵士が多く巡回している、多くは検挙されたか郊外へ逃げたのだろう。

 逆に言えば無秩序な連中も郊外へ行ったと言う事だ。


「俺はあんまり学がねーからわっかんねーんだけど、この状況が続くとどうなんだ」影山がのれんの出ていない食事処を覗きながら五島に尋ねた。

「うーん、たぶん江戸内の食糧事情が悪くなるだろうね。荷馬車の襲撃も江戸内では無くて郊外でやられてるって話しだし。つまり物が江戸の中に入ってこなくなる。NPCはもちろん、郊外に拠点を持っていないギルドの人達とか、そもそもギルドに入っていない人なんかも食事にありつけなくなるんじゃないかな。お金があってもご飯が買えないから」


 日の出財団や銀剣騎士団、蜃気楼旅団みたいな中堅、大手のギルドは郊外にも拠点や狩場を持ってる。蜃気楼旅団に至っては大規模農場を多数経営している。

 そこまで苦労する事もないだろう。


 問題は孤立したプレイヤや大手と繋がりのない小規模ギルドだ。

 郊外に買い付けに行けば襲撃に遭うリスクもある。しかし江戸内にとどまり続ければ食料品が入ってこない。もちろん、政府が対応に乗り出すだろう。しかし対応が遅れれば……


「ふーん、つまり飢饉みたいになるって事か?」

「んな他人事みたいに……」影山の発言に桶口が心底呆れたように答えた。

「だって、財団は大丈夫なんだべ?」

 影山の言うように財団は大丈夫だろう。

 郊外に拠点を持っている。農場主も居るし、今は収穫の秋だ。他所の農場へ直接買い付けにも行ける。

 ただ『財団は大丈夫だから知らんふりする』と言うのも気がひけるが……

「何か、互助組織みたいな物を設立出来れば良いんですけどね」周囲を眺めながら桶口がボヤいていた。

 互助組織、ギルドの枠組みに囚われず助け合う仕組み。

 そういった組織が設立出来れば、この状況も少しはマシになるのでは…… しかし、大手ギルドと中小ギルドが共に組織を作ったとして、それは結局中小ギルドが大手ギルドに凭れ掛かる形になり何れ崩壊する。

 どだい無理な話しだ。大手ギルド間、名を出せば〈日の出財団〉と〈銀剣騎士団〉が既に燻っている。生産商業系大手の〈大亜商会だいあしょうかい〉に関しては、中小の生産系ギルドを集めている動きがあるらしい。

 それにPKやPKKが多かったゲームだ。中堅ギルド間でもいざこざはあるだろう。

『大亜商会と日の出財団が協力すればどうにか……』と思ったが……いや、無理だ。

〈日の出財団〉と〈大亜商会〉は財団設立直後は友好団体であった。素材売却や武具調達を大亜商会に頼っていた。しかし後に伸びて来た〈一号商会〉がより良い条件を持ち込んできたため、メイン取引先を大亜商会から移した経緯があった。

 財団と銀剣程不仲と言う事は無いが繋がりも無い。この情勢下で協力し合えるか微妙な所である。

「無理だろうな、大手ギルドと中小ギルドの利害不一致で崩壊する」

 やってみない事には分からないが恐らく無理だ、と五島は思っていた。


「値段の上がり方があの時を思い出すなー」五島がボンヤリ考え事をしていると、不意に桶口が呟いた。

〈あの時〉とは、ゲーム時代に物価が急上昇した時の話しだろう。


 このゲームには〈物価〉が存在した。

 多く出没し安易に倒せ、大量に市場に供給されるドロップアイテムは値下がりして行くし、貴重な素材アイテムは値上がりして行く。

 普段は高価なアイテムもイベントなどで大量に供給されれば売買価格は急落する。

 基本的な市場システムが導入されていた。


 ある時、街道を行く荷馬車や荷物を運ぶ人力車を襲撃するとレアアイテムがドロップするという噂が流れた。

 NPCの襲撃行為は当然領兵による取締り行為になるが、領兵の少ない領地でやればそうそうバレる物ではなかった。

 少ないリスクで、なおかつ安易な方法でレアアイテムが手に入る。

 初心者ベテラン問わず襲撃が増えた。

 その際、特に領地内の交通量に眼を見張るステイツのプレイヤはすぐ気がつけた事だが、街道の使用量が激減した時期があった。

 と同時期に食料品、武具素材品を中心に売価が異常に高騰し始めた。

 初心者プレイヤを中心に物資購入が困難になるレベルで物価が急騰し、運営の対応が後手後手になった事も合わさって収集がつかなくなった。

 結果として運営会社が慌ててレアアイテムドロップを完全否定をした上、一定レベル以下のプレイヤにゲーム内資金を無償配布したり、NPCを一時的に攻撃不可対象にする事態に陥った。

 つまりデマで起こった大混乱だった。

 恐らく、その時ほど物価上昇には繋がらない。と五島は考えていた。

 モニタの向こうのNPCを襲うのでは無く、目の前に存在している人間を襲っているのだ。世界で最も安全な国の一つに住んでいた人間達が、大勢が犯罪者になる事は考え難い。

 そもそも、そこまで行く前に政府が対応するはずである。


 むしろ懸念すべきは探検家同士が派閥を作り、それらが対立する事かもしれない。行き過ぎた対立に進めば状況をさらに悪化させかねない。


「あっ、五島さん! 五島さんじゃないですか!」NPCと殆ど身なりの変わらないおじさんとおばさんが話しかけて来た。

「誉田さんじゃないっすか! 何でこんなところに!」

誉田英夫ほんだひでお〉五島が商工会で知り合った友人だ。そして英夫の奥さんもいた。

 商工会の会食中にスマホを覗かれ、ネクストテラをプレイしているのがバレてしまった。

 バレてしまってからと言う物、興味を持っていた誉田氏にゲームの攻略を教えてくれとせがまれる状況になってしまった。

「何でこんなところにじゃないっすよ。財テクやってた嫁さん諸共起きたら江戸時代よー。こいつの服を買おうにもどこの店も閉まってるしよ……」誉田は周りを見渡しながらボヤいていた。

 話を聞いてみれば奥さんは暇な時間に資産運用をしていたらしい、ネクストテラで。

 元々起こっていた仮想通貨ブームでネクストテラは登録者数を伸ばしていたが、災厄とも言える今回の騒動の一週間前、隣国の経済危機を発端とした第二次アジア通貨危機と南沙諸島動乱が発生した。

 その影響で円高が急激に進み『今、外貨を買えば儲かる』と言う流行言葉で、為替取引や仮想通貨に興味のなかった層も、気軽に手を出せるゲームで投資ツールとしても使える〈ネクストテラ〉が流行ったのだった。

「ちなみに、財テク目的だけの人って結構いる感じですか?」五島は恐る恐る誉田の奥さんに訪ねてみた。

「皆んな我先にと外貨を買い求めてたからねー。私なんかまだ恵まれてる。旦那と一緒なんだもの。友達とも連絡取ってるけどどこも旦那と離れ離れよ。お互い内緒で登録してたのがバレたって人も居ましたけど」


 誉田の奥さんは軽い調子で話しているが内容は重い事だ。財テク目的だけで登録した人達はレベル上げなんてしていない。探検家と言う名称だけでNPCとレベルは大して変わらない。下手したらNPCより弱い。

 そんな人がこの世界に溢れている。昨日のギルド会議でも話題に上がった投資目的のプレイヤーも案の定巻き込まれている事が確定された。

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