第14話 四日目朝 置いてきぼりの一日

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 朝の早く、まだ空が白み始めた頃に頭痛と吐き気で目が覚めた。じりじりと締め付けるような痛みが意識を犯していく。


 少しでも意識を覚醒させようと周囲を眺めれば、アルビレナが腕の中で寝ていることに気づく。こちらの胸板へ体を委ねるようにして丸まって居る姿は、まるで中型犬が飼い主に寄り添うようなとでも言えようか。うーむ、こうやって物事を考えていること自体が辛くて思考がまとまらない。

 縋るように、心因性の寒気から逃げるように、彼女を抱きしめる。魂の凍えであるそれは物理的な温かさでは癒せないが、まぁ気休めにはなるだろう。

 起きることもできずにそのまま朦朧としていれば、しばらくして気絶するように意識が落ちる。



 そして、腕の中で身じろぐ感触に再度の目覚め。

 天地が入れ替わってぐわんぐわんと目が回る。手探りでその細い腰と背中を引き寄せ、少しでも密着するように抱きしめる。

「あの、もうそろそろ起きたいので離してください」

 腕で突っ張るでもなく、されるがままで困ったように縮こまっている彼女。顔は見ることができず、代わりに頭頂部がそう喋りかけてきた。


「ちょっと人恋しいので嫌っすね」

 と、雑な返事をしてから、"可愛いなぁ"と思いつつ子猫を触る程度の丁重さでその頭部をしばし撫でまわす。

 「愛してますぜ」と冗談めかしてこぼした言葉を、「もぅ」と興味なさげに受け流してモゾモゾと脱出した彼女は、今度は逆に俺の額を撫でてくる。ひんやりしっとりとした肌触りのいい手の平がとても気持ちいい。

「体調はいかがですか?」

 額に手を当てたまま心配そうに聞いてくるアルさんに素直な感想を答える。

「最高に気持ち悪いね。これはもう俺の視界ではなく世界の方が回転を始めたのではないかってくらいに」


 そんなやり取りをしたせいだろう、安静にしていろと命令、というか厳命を下された。

 アルビレナはリーシェと連れ添って納期のある仕事へ行くらしい。念のために予備鍵は置いて行ってくれるが、お昼は作り置きのサンドイッチがクーラーボックスに入っているので外出せずにそれを食べろとのこと。

 あと水は水差しから飲むように言われる。この街の水道の水は清潔ではあるものの飲用水ではないため、お腹を壊したら困ると。


 彼女が朝風呂を浴びてさっさと仕事へ向かってからは、シーンとした空気が部屋を支配する。音のない音がジリジリと頭を焦がすかのように静寂が痛い。比喩ではなく本当に痛い。

 寝ているだけだと頭がおかしくなりそうなので、痛みを運動で紛らわすために外出することにする。後のことは後で考えるべきなのだ。




 さて、手持ちは銀貨3枚と小銀貨4枚、それに銅貨が何枚か。銀貨は3,000円、小銀貨は600円相当なので、換算すれば12,000円に届かない程度といったところだ。とりあえず、ぶらぶらと街の中心方向へ歩き出す。

 思い返してみればこうやって目的もなく一人でこの街を散策するのは初めてだったね。余裕、単なる暇とも言えるが、それがあるだけでこうも世界を全く違う角度から覗き込む感覚があるとは。


 まずは昨日見つけた近場の図書館へ向かう。

 教会を通り過ぎて少し南側のそれは10階建て以上の高さを持つ集合住宅の下層に入った施設となっていて、一目ではそれが図書館だとは気づくことが難しいほど。しかし比較的小さな施設であるが蔵書は確りと揃えてあり、さほど専門的でなければ問題はなさそうだ。

 まぁ文字が読めないために質問カウンターを利用するわけですが。


 魔法から電気を取り出してスマホを充電するために電気技術について質問したところ、まずは魔導回路とやらでよく使われる技術から紹介される。

 "式紙"と呼ばれるそれは簡素なAIを搭載できるマイクロコンピュータであるらしい。AIと呼称したのは非常に限定的ながらも抽象的概念を扱うからであり、例えば炎チップを搭載すれば周囲の炎を認識してプログラム情報の対象に指定でき、さらには様々な設定に基づいて炎自体を発生させることすらできる。これはセンサとアクチュエータを兼ね備えた正真正銘の魔法技術である。

 また、飛んできた炎を制御対象に指定すれば相手の制御を乗っ取って送り返すこともできる、つまりは現実世界でハッキングが動作するらしい。とはいうものの、実際は制御範囲の限界や、初歩的ながらも暗号化技術の存在などからそう簡単にはいかないようだが。さらに言えばGUI画面出力技術がまったく発達しておらず、遠隔映像での操作なども無理のようだ。壁の向こうの探査なんかはもはや感覚任せの職人芸だと。


 『もし人間を認識するチップを入手すれば、対人誘導ペットボトルミサイルでも作れるかな』と悪戯の計画を痛む頭の片隅に入れておいて、肝心である魔法から電気を発生させるための情報を聞く。

 すると聞きなれた「VボルトAアンペアΩオーム」の単語が出てきた。どうやらこの世界での単位系は異界から流れ着いた書物を解析して制定されていて、できる限りの再現が続けられているために単位の読み替えなどはあまり必要ないと。ふむ、そうであるか。


 まとめれば、"式紙"とよばれるマイコンに電気用チップを搭載してやれば、あとはデジタル制御で電気信号を出力することができるらしい。んでそれらの部品はこの街にある"中央西口広場"とやらの先でまとめて購入可能。

 先日アルビレナと訪れた広い広場は中央北口広場であり、周辺には他にも中央広場があって中央西口広場はその一つだ。ちなみにそれらの広場の中央には巨大かつ複合した建物群がある。

 本を探し読み上げてくれた司書さんに例を言い、未知の技術に高鳴る気持ちを抑え、ついでに朝から続く吐き気を抑えて出発する。



 前に来た中央北口広場へ着くとそこから西側へ向かう。頭上の高架路には時折に貨物列車が中心部の建物へ走り込むようで、ちょうどその姿を目にすることができた。

 たしか上位の魔術電池だと90kW程度、これは軽自動車のエンジンと同等の力を持っていて、現代の電車に使われるモーターの1基分にやや満たない程度の出力を持つ。ならば魔法を利用して列車を作るぐらいは訳がないのであろう。機関車ほどではないものの白い煙を噴き出しているので、もしかしたら蒸気タービンを利用して運動エネルギーを取り出しているのかもしれないが。

 んでその高架をくぐって西側へ出てから南下すると景色が開けて、北口よりもさらに大きな広場が横たわっている。広場の中心には大きな穴があり地下へと続いているらしい。

 そしてこの広場のふちを反時計に回れば目的地だ。


 軽く歩いた感覚としては、街の規模の割に人が少ないという印象が強いかな。5~6階建てがあたりまえであり東京のような街並みであるにもかかわらず、混雑というほどの人混みが見らない。

 おそらく、東京では周囲に広がる都市圏のあちこちから人が出てくるのに対して、ここはそのようなメトロポリス的な都市構造を持たないためだろう。栄えた地方都市のようなものだと言ってもいい。



 ビル群の様な建物の間を抜けて目的の店にようやくたどり着く。

 とりあえず探すのはマイコン本体である"式紙"と、DIP基板と呼ばれる、チップを実装しやすい形にまとめた部品。あとそのDIPをマイコンに接着するための銀製の糊だね。位置合わせ用の穴に銀でできた糊を流し込むことで接着ができる。

 DIP基板は必要な部品をすぐに利用できる形に整えてある、つまり細かい計算や設定を既にセットしてあるので、今回は細々とした部品を必要としない。正確に言えばDIPを有効にするためのプルアップ抵抗という部品がすでに含まれたものを購入するので、同種のものを使わない限りはほとんど弄るべき部分はないらしい。



 無数の魔導製品が並ぶフロアを見て回る。とりあえず5Vで出力できればあとはスマホ側の抵抗が電流管理をしてくれるのでいいのだが、問題はマイコンで5V出力を指定するプログラムを書く必要があること、そしてなにより接続ケーブルを持っていないためスマホの端子を覗き込んで接続しなきゃならないことだ。というかプログラムを紙で書くのはいいんだが、当然そのデバッグは紙面上で行われるしデバッガも存在しないため、バグの修正やそもそもバグに気づくことに困難が伴う。

 数式を紙面で扱うから"式紙"、魔法のような名前でいて案外と夢も希望もないのかもしれない。


 マイコンは最も簡素なものでありながら銀貨1枚、その他の品々に小銀貨4枚、合計5,400円相当の出費となった。

 スモーラー・エクストラ・スモールコインという、3Wほどのエネルギーを一か月間使い続けられる規格の魔術電池も購入。そもそもこいつがないとマイコン式神を動作させることができない。

 加えてシール式のビーコンと、それを検出するためのシーカーDIP、指定位置にライトを光らせるDIPも入手した。このシーカーはビーコンからの相対位置をミリメートルより更に小さい数百から数十マイクロメートル単位で指定して情報処理に利用できる。またライトを光らせるDIPは指定した位置が正しいかどうかを確認するために必要となる。



 買い物を終えて観光がてらに周囲をぶらぶらと歩いていれば、小さな画材道具店がビルの角に入っているのを見つけた。スケッチブックとペンを求めて入店してみる。

 自分は絵を描くことが好きなわけじゃない。ただ、空間というものを描き出すことが好きだ。空間とは旅をする際のあらゆる現実が属すものであり、そしてよりよくその空間を認識するための道具がスケッチである。空間への"認識"を明瞭とする小さなスポットライトとでも言おうか。

 まぁ思いつきや計算をメモするノートにもなるし、なんだかんだ旅に必要な道具のひとつだと思うね。


 で、スケッチブックは銅貨数枚と安価であるがペンの方が問題だった。

 この街はプラスチック製品をあまり見かけない代わりに、木製やブラス (真鍮) 製の品がそれを補っている。しかしそれは耐久性の問題や、何より値段の問題を抱えているはずである。現に目前に並ぶ"ボールペン"、この存在は場違いにも思えるが、はどれも銀貨1枚以上の値段がするものとなっている。

 鉛筆のような安価な筆記具も置いてはあるものの、細かい製図などを考えるとインクペンが欲しい。というような理由もあり、小銀貨8枚、4,800円相当の品を購入する。真鍮にブラウン色の樹脂ガラスを組み合わせたこれはよくあるノック式ではなく回転式となっていて、ブラスの重さとクレヨンのような太さが手になじむいいものだ。

 多少高くとも、このペンに一目で惚れこんでしまったのだから仕方がない。



 ドローコードの着いた袋を一枚追加で買って、紙袋に入った買い物の品々を一つにまとめた。手持ちの残金は小銀貨3枚と銅貨が少々、つまり1,000円ちょっと。少し高めのペンを購入したのもあってかなりぎりぎり。

 ここは中央西口広場であり帰るなら北東へ向かうのであるが、まだまだ時間もあるのでさらに西へと向かってみる。


 レンガ造りの摩天楼の間を抜ける並木道を歩いていくと、二つの大きな塔から成るお城があり、その脇を通り抜ければ大きな公園へと行きついた。都市の中心にぽっかりと開く隙間じみたその広場は、忙しない喧噪の流れから、時間の流れから隔絶してしまったかのような不思議な場所だった。

 旅とはこのような、様々な意味での『隙間』と仲良くすること、それを静かに占めることだ。そしてそれゆえに旅人は"どこでもない"という名前の故郷を持つもの。街の隙間、社会の隙間。そういった余白を故郷とする、居場所のなさを肯定的に捉えるものなのだろうさ。

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旅と書物に悪戯を ~Travel with a Mischief~ 旅人303 @viator303

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