第13話 - 夜  アルビレナとの夜

 居場所がない、それどころか「自分がどこにも居ない」。世界からつま弾きにされたような異物感に目が覚めた。まるで水中にでもいるかのように呼吸が上手くできない、心臓を掴まれたかのような激しい焦燥感が襲ってくる。

 ホームシックとは案外馬鹿にできないもので、初めて一人旅をした際にもこのような激しい感覚に見舞われたことがある。その時は旅を打ち切って、寝床予定だった場所から移動してその日中に帰宅したものだが、今回はそんなことは様々な意味で"不可能"だ。



 目を開けて辺りを見渡せば既に夜であるようで、開けられた窓から街灯の間接光が薄っすら部屋を照らしている。隣にはアルビレナが横向きに寝ていて、振り返ればその端正な顔が至近に見えたものだから少し胆を冷やした。

 "びくり"と腕を動かしたところ彼女の指先が乗っていたようで、サラリとしたくすぐったい感触が肌を撫でて落ちていく。その刺激で彼女も目が覚めたようだ。

「すいません、起こしちゃいましたかね」

 手を突いて体を立てた彼女にそう声を掛けた。やや俯いて眼を擦る顔には髪が垂れて表情を隠す。


 何も返事を返さぬ彼女に焦燥感が募る。"やはり病人なんて迷惑だったかな"、"治ったら出ていけ、とでも言われるのだろうか"と、悪い考えがよぎっては渦巻いてゆく。

「お体は大丈夫ですか?」

 不意にそのような声が聞こえて、彼女の眠たげな目が真っ直ぐとこちらを射抜く。

「……うっす。とりあえずは元気になりましたよ」

 空元気の主張に対し「本当ですか?」と、彼女の手が俺の頬へ伸びてきた。問い詰められるように近距離で見つめ合うのが辛くてやや目線を下げれば、彼女のふるりとした唇が目に入り、少し勇気を出せばキスが出来てしまうほどのこの距離感に改めて心臓が奪われぶるりと震え。


 "熱は下がってるみたいですね"と、些細な苦しみには気づかれぬままにお墨付きを貰えたようで解放される。

「お夕飯は食べられますか?」

「まずは風呂に入りたいっすね。というか汗かいた服ですいません」

 "ダメですよ。ふらついていられましたし危険です"と答える彼女に、"でも汗を流さないと寝られない"と抗議をすれば、"でも……"と押しの弱さをみせたのでどうしても入りたいと懇願する。すると彼女は次のように提案した。

「では一緒に入りましょうか」

 斜め45度上空へと打ち上げられた文脈に悪戯心が湧いてくる。恐らく真剣に悩んでいると思い、『汗をかいたままなんて気にしなくていい』という意図で冗談を言ったのだろう。ならばその機会を悪用……、十全に活かしてこそが、旅という醍醐味であるネ。




 提案を飲んだことに瞳孔を小さくして静かに驚きを見せた彼女は、ごにょごにょと声に届かぬ音を奏でてから了承した。そして着替えを持って二階から三階の風呂場へ向かった訳であるが。

「先に入っていていいですかね?」

 「それはダメです」と、地味に融通の利かない答えが即座に返る。狭い脱衣所での着替え、つまりすぐ後ろで彼女が着替えているというのは流石に不思議な感覚であって結構に落ち着かない。そりゃ落ち着かない。


 背を向けたまま服を脱ぎ、一応礼儀かなと腰に小さくタオルを巻く。

 その状態でぼーっと待っていると、しばらくして「準備できました。いいですよ」と声が掛かったので振り返らずにそのまま風呂場の扉をくぐった。

 風呂椅子は一つしかないため、それを使うわけにもいかないかと考え片膝を付くようにして体を洗う。ここでようやく彼女の姿を見る決心が付いたわけだが、体全体に巻ける大きさのタオルなどそうそうに無い訳で。


 巻かずに前面に垂らしたタオル地には突き出た胸の形がはっきりと浮き出ていて、更には布が揺れるに従って腰の左右がちらりちらりと姿を覗かせる。そもそも彼女は大きめの胸が左右へ張り出している為に上半身も完璧に隠せていない。

 なぜか突っ立ったままフリーズしている彼女に"どうぞ"と椅子を進めると、促されるままに座った。座ったが、やはり微動だにもしない彼女に「お背中を流しましょうかね?」と冗談を述べると「お、……お願いします」とガチガチに緊張した様子で答える。

 肩ごと前に抱え込むようにぎゅっとタオルを抱きしめる彼女。肩と背が丸まり、椅子に座ったその分厚く丸いお尻が突き出される。昨夜の同じベッドで寝た時に彼女の吐いた言葉からしても覚悟はしているということなのだろう。ただ、このようなシチュエーションなど想定はしていなかっただろうが。



 今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑え、無心で、というよりは面白いものを前にしたような気持ちで背中を洗う。

 指が肌をなぞるくすぐったさに体が前へと前傾して逃げていく。仕方もなく彼女のお腹の上部、胸の下へと手を添えて逃げられなくすれば、無防備な背中が目前に晒された。擦り上げるように背中から首筋へ向けて責めると「はっ、はっ」と彼女特有の過呼吸気味な息遣いが次第に強く響き、同時に"びくりびくり"と肩が逃げる。

 手を押しのけて前へと前傾していく上半身に追従できず、上腹部へ当てた手をへその下の辺りへと退かせて優しく圧迫すれば"びくん"と大きく体が跳ね、観念でもしたがごとく俺の胸板へ背を預けるようにして凭れもたれ掛かってきた。これではもはや背中へ触れることが難しいため、湧き上がる悪戯心に従って、脇腹と胸部の境をなぞるようにゾワリとした反応を探しては削り出していく。

 一定のリズムで責め続け、刺激に慣れた、相手が刺激を覚えた辺りで一旦止める。陳腐化とでも言えるこれは自他の"動作"というものを意識化させる手段としては便利である。


 さて、"快楽"とは何だろうか。私はそれを『身体接触への記憶』であると考える。

 これは身体性への記憶であって、つまりは"心地よさを与える"とは『記憶へ触れること』として概念化できるのではないだろうかと。言い換えれば快楽はあくまでも肌感覚への認識であり、その体感覚を侵していく、認識記憶を書き換えていくことが愛すことじゃね。

 であれば重要なのは、いきなり揉むのではなく圧迫から始めることだ。熱を伝えてそれがよく馴染む、『記憶された』ことを確認してからそこへ積み上げるように、相手の体へ溶け込んでいく感覚を追いかけていくこと。

 また圧迫という点では、"抑え込む"ことは戯れの基点として便利であり、『逃げられない』という心理的負荷が刺激へと意識を誘導するのも利点ではないかな。



 どうでもいいようなことを考えつつ体をまさぐっていると、『もう限界』とでも言うかのように彼女が振り向いた。

 その顔を見ればそれは絵の具で化粧でもしたかの如く全体が見事な真っ赤に紅潮していて、それはもう空色の髪と桜色の肌の色彩対比が晴れ渡った日の風景画のようとでも形容できる美しさだ。寝ぼけたような眼はとろけ、困ったように口を結ぶ。ところで、限界が本当に限界だと分かるのは、それを壊してみた時ではないだろうかネ。

 と思い至った辺りで、小さく声が響く。

「……ダメですよ。これ以上はベッドの上で」


 そして振り向いたはいいもののずっと下方を彷徨っていた彼女の視線が、今度はしっかりとこちらを見据えて射抜くかのような強い意志をみせる。

「私でいいの?」

 問いを発しては、金色の瞳が真っ直ぐと俺の瞳を覗き込む。孤立無援な中での唯一の繋がりである彼女を、取られる前に確保したいのかもしれない。そう、目の奥に映るだろう自分の目を見て俺は思った。

「ちゃんと言葉にしてください」

 彼女は互いの間にある関係を言語化したがるタイプらしい。俺とは真逆だね。正確に言えば殊更に言葉にするのが苦手というだけであるが。だって肝心な場面で上手く発声ができないし。

 長く語ったところで噛むだけなので「俺はいいよ」と短く答える。これは暗に『そちらこそ言葉にしていないじゃないか』という抗議でもあったりするが。つか関係を確認するなら必ずしも言葉は必要ないとも思う。なので、拒否する選択肢が貴方にはありますよ、とでも伝えるようにやや大げさかつゆっくりと身を乗り出して唇へと近づく。


 『相手の意思を確認する』というものは相手への配慮である以上に、相手に『自分の意思で選んだ』という意識を持たせるテクニックである訳で。甘いムードに酔うよりも、真摯さと気軽さの間に"問い"を明示して交渉余地を保つことの方が重要だろう。比喩的に言い換えるなら、流れという線に乗るのではなく、流れという面を保つことだ。


 緊張感から現実逃避するがごとく考え事をしている間に、拒絶への静かな恐怖をはらんだその距離は零となった。唇に伝わる暖かさが、未だ現実感を得られていない頭にぼんやりとした像を結ぶ。

 悪戯するように、そして現実を確かめるように、軽くついばむようなキスを何度か繰り返す。ふるふるとしたその柔い肉を口先で咥え、形を歪めては放して"刻み込む"。


 彼女の目が細くもこちらをじっと見つめていることに気づき、それに焦って愛を言葉にでもしてみようとしたが、いざ口にしようとしたら急に恥ずかしくなったのでそそくさと湯舟へ向かう。掛け湯をし、浸かって待つ。『その目は何を思っているのか』ぐらいは聞けばよかったかなぁ。



 寄りかかった背中越しに水音を聞いているとその内にそれが途絶え、タオルを大切そうに抱えた彼女の足が湯を捉えた。おもむろに"おいでおいで"と手招きすると、それに乗った彼女が腕の中へと納まり、後ろから抱きしめるようにして共にお湯に浸かる。なんとなく顔を合わせ辛いのはあちらも同じなのだろうか。


 確かに高まる鼓動の音を掻き消すように、そして自分の実在、例えこの世界に独りぼっちであっても『俺はここに居る』ということを彼女を通して確かめるように、少し強めに抱き締める。お湯を味わうふりをして大きく息を吐き、心を落ち着かせる。

 そこに「大丈夫ですよ」と声が掛かった。

「さきほどは震えていらっしゃいましたから、もしかしたら心細いのかなと思いまして」

 バレてたかぁという。身体反応は勝手に出るものであり、不甲斐ないが仕方もない。でもまぁこれは『風邪で心細い』という意味だろうから少しずれてもいるかな。


 "スピカたちはどうしたのか"

 "リーシェは今日はスピカの家でお泊り。その前には寝袋などの必要品を購入する予定"

 そんな会話を、途切れ途切れのゆっくりとしたペースで交わす。抱きしめた腕から伝わる暖かさはお湯のものでも、彼女の体温のものでもなく、この街で得た心の接触によるものなのかもしれない。まぁ理性的に言えば単なる気のせいだがネ。




 湯上りを経て、寝巻が必要だなと考えつつ全身の衣服を着替える。今日の脱いだボトムスを朝から履けば、今履いたものを明日の寝巻代わりにはできるからとりあえずは切迫していない。

 着替えが終わり脱衣所を出たことに気づいたようで、次は彼女が風呂から上がってくる。あちらが着替え終わるまでに歯を磨いてしまおう。


 磨き終わってからは先にアルビレナの部屋へ向かってから待つことにした。しかし彼女のベッドに横たわると強烈な眠気が襲ってくる。これはアルを待つことは難しいかもしれないね……。

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