第12話 - 午後 魔導コインについての考察

 食後、既に午後の分のコイン電池は受け取っているので紅茶とともに地図を眺める。一度部屋に戻り先ほどのトートバッグを持ってきたので、このまま仕事へ出てしまうこともできるね。


 午後の担当は街の北東部分である現在位置からやや南側、細い路地が迷路のように入り組んでいて、更に平坦のように見えて階段も多い区域。太い道路どころか南北へ抜ける道が数本しかなく、東西に関しては真っ直ぐな直線がほぼほぼ見当たらない。

 大きな施設は無くほとんどが住居だが、それゆえにあちらこちらに交換対象の街灯があり、迷路状の路地と合わせてやや面倒くさい担当であるようだ。

 しかしまぁ太い道に囲まれた区域ではあるので最悪は外側まで抜けてしまえば迷子になることもない。


 旅人が地図を読む上で重要なのは、太い街道で区分けすることである。というのも歩きながら一々地図と現在位置を照らし合わせるだなんてできない、特に雨の日には難しいものがある訳で。そんな中でも迷わない様にする為には、自分の居る "グリッド区域" がどこであるかを常に頭に浮かべ、そしてグリッドの境界を不用意に跨がないことこそがその鍵となる。

 またこれは近道を探す場合にも役立ち、ほぼ確実に現在位置をロストすることが想定されるために本来であれば迂回するような迷路じみた地区であっても、「どう迷った所でこの道に突き当たるだろう」と概算できれば案外楽に突っ切ってしまえたりする。特に長期的な旅程を決める際には街を繋ぐような主要道路でその経路を大雑把に計画せざるを得ないので、大幅な遠回りとなっているような部分を短縮できることも多い。


 まぁ少し話は逸れたが、自分は普段から迷わないように鍛錬しているので午後の依頼もどうにかなるだろう。



「んで、そろそろ俺は午後の仕事に行ってきますが、皆さんはどうされますかね?」

 カップに残るものを一気に飲み干し、そう切り出して立ち上がる。椅子を机へ戻すとスピカが答えた。

「私はアルビレナさん達と喋りたいからもう少し残りたいわ。いいかしら?」

「私は用事があるから少し出るよ」

 リーシェが口を挟む。

「ギルドの本籍を移したから、タグを交換してくる。もうそろそろ出来上がってるだろうからね。直ぐ戻ってくるよ」

「じゃあ私たちは待ってましょう!」

 アルがそれに"えぇ"と肯定で答えたことを皮切りにして、リーシェを伴いさっさと出発する。




 効率を考えれば最後に寄ることとなる斡旋所ギルド方面の逆側から周るほうがいいものの、新人リーシェが迷子にならないか心配なので途中まで付いていく。まぁもし彼女が道を間違えたならば「心配通りだった」と安心して何も言わずにそっと離れるつもりだが。


 思いがけず二人の時間ができたので、ここで疑念を一つ口に出してみる。

「そういえばその銃って具体的にはどのような仕様なんですかね? 火薬は煙の出にくいやつとか?」

 ライフリングの有無と装填の駆動方式、そして火薬の種類。これらは年代によって大きく変化していて、言わば科学史をそのまま反映したものであると言ってもいい。なのでこれを聞くだけで技術レベルにおおよその推測がつく訳で。

「これは魔導小銃だから火薬は使わないよ」

 当然ながら魔法でも利用しているならば話は別だ。


 魔銃とも呼ばれるこれは、温度変化と別個に現象が生じることを利用し、気体の膨張そのものを"召喚"して弾丸を発射するらしい。ライフリングは刻まれているが装填は後装式リボルバー、ただし軍用ならば自動装填機構もある。これは規制されているとかではなく薬莢を再利用する都合上で、魔導技術による比較的高価で再利用の効く薬莢をそのまま排出せずに回収する点が整備性と合わせて猟師などに好まれると。

 また虚素は最終的には冷気へ変化するために銃身が過剰な低温となりやすく、低温脆性による破損を避けるために主には銅で出来ているとのこと。握りが木製であるのも低温火傷を防ぐためだろうね。


 虚素は情報に反応して変位、つまり燃焼にあたる現象を起こす。これは虚数i実数-1に変化するようなものであり、如何なる現象を起こしても最終的には冷気-1へと落ち着く。それでは"エネルギーを消すだけで仕事を成さないのではないか?"というとそうではなく、その負熱冷気と同量の仕事熱気を召喚することができる為にエネルギー保存的にはプラマイゼロとなる。しかしそれゆえ厳密には虚数とも少し違う。

 プラスでもマイナスでもないこの虚素とは一体何なのか。これはエネルギー上での対生成を促すことのできるポテンシャルそのものであり、エントロピーという"情報の実体化"であるとしか言いようはないだろう。



 彼女が無事に斡旋所近くまで辿り着いたのを見届けて別れたあと、おもむろに取り出した魔導コインを手の中で弄り回す。

 この一枚には例えばアイオワ級戦艦の主砲砲弾の運動エネルギーを一発分弱相当が込められている訳だが、逆に言えば100Wの電球を一か月の間点灯させる程度のものでしかないとも言える訳でもあって。現代であれば一世帯あたり数百ワット以上の電力を当たり前に利用していることを考えれば、快適な生活というものは莫大なエネルギーの下に成り立っていると再認識させるなぁと思ってみたりする。


 まぁ人間が一か月に摂取する食べ物のエネルギー量もだいたい260MJメガジュール程度なので、人間自体も100W出力で動いていると言える。それを含めれば、例え原始的な生活をしようとも、人間はひと月毎に重量一トンの砲弾一発が数十キロ先へ飛んでいくほどのエネルギーを利用しなければ生きていくことはできないものであるが。

 問題は、その全てを人の手で集めなくてはこの街が成り立たないことだろう。特に食糧の輸送とかどうしてるんだろうね?




 入り組んだ路地をできる限り真っ直ぐ縦糸を通すように巡っていく。分岐のない長い一本道が何カ所かあり、そこへうっかり迷い込んで遠回りしたがそれ以外は順調。であったものの、強い吐き気に見舞われて道端にうずくまる。

 壁に背を当ててヤンキー座りをしていれば次第に波が収まってきた。項垂れていた顔を空を見上げるように上げると、風に冷やされて顔の火照りが自覚できる。これはおそらく熱があるかな。

 幸い仕事はこの道沿いで最後であるものの、ギルド斡旋所に寄って家へ帰るのはわりとしんどい。


 旅の三日目というものは不調に見舞われやすいもので、それはつまりこの二日間の"無理"をしてきた部分が一気に表面化することである。よくあるのは足を痛めたり熱射病にかかることだが、今回は風邪にでもやられたらしい。

 考えればここは異国であるわけで、当然ながらそこにいる雑菌への耐性はあまりない。ましてや世界を跨いだとなれば下手すれば簡単な病気で命が重篤化して命を落としてもおかしくはないだろう。例を挙げればアメリカへ到達したコロンブス達が持ち込んだ感染症は免疫のない先住民たちの多数を土へと還してしまったのだし。

 そして当然ながら俺が運び込むこととなる可能性もあるものの、しかしまぁ特にそういった持病もない俺一人がしかも致命的な病原を持つなんて可能性はそう高くはないと思いたい。



 座り込まぬように休み休み歩いてギルドへと仕事の完了処理を済ませたら、小銀貨7枚ほどを受け取り、一路アルの家へと向かう。今はただただ「帰りたい」という思いが強い。吐き気を促してしまうほどに、どこかへ帰りたいという思いが頭を占めていく。


 見覚えのある橋の下で彼女の家の扉へとたどり着いた。

 斜陽の明かりが煉瓦と木の入り乱れた建物を照らし、さほど明るくない街灯が照らすその幻想的な姿に、改めてここが自分の住む街ではないことを自覚する。

 "居候の病人なんて迷惑だろうな"、そう考えればもはや「自分の居るべき場所」というものがどこにも無くなってしまったかのように思える。でもそんなこと考えてもどうしようもない、本当にどうしようもない訳であるから、努めて明るく歌でも歌うかのように気分を持ち直す。


「ちわー。ただいま帰りました」

 そう声を上げて階段を登るが、返事はない。橋上のリビング部屋を見渡すが誰もいない。寂しさに虚を突かれたまま宛がわれた自室へ戻れば、窓際の足元にはアリシェラの荷物が放置されていた。そういえばガチでここに泊まるつもりなのだろうか?


 自分の荷を下ろして窓を開け放つと、彼女"達"がそこに居た。正確には道の向こう側だがこれは誤差だ。

 風呂の窓はその大部分を見渡せるほどに広く、それゆえに隠す場所はさほどなく。そこに居たのは三人であり、スピカは丸く大きく巨大なものを吊り下げただらしのない体、リーシェは申し訳程度の尖がりが乗っている見事なまでにまっ平らな胸板を晒している。

 やっぱこの風呂の間取りは欠陥であるのではなかろうかね。


 さっさと窓を閉めて、そのまま床へと倒れ込んだ。怠くてしんどい体を木張りの床の冷たさが癒していく。このまま少し寝てしまおうかな。



 誰かに体を揺すられて意識が戻る。「こんなところで寝てたら風邪をひきますよ」という声からしてアルビレナのようだ。

「さーせんが、もうすでに風邪をひいてるみたいなんであまり近づかない方がいいっすよ」

 目も開かないままにそう返せば、冷たい手が額を撫でる。

「……確かに熱がありますね。ベッドまで歩けますか?」

 声を出すのが億劫なのでこくりと頷くと、彼女に手を引かれて立ち上がり部屋へと向かう。しかし向かい合って手を握り合ったまま立ち上がったために、ダンスでもするかのように互いの左手と左手を繋いで同じ方向を向いている妙なポーズだ。


 手持ち無沙汰となったその右手を彼女の腰に回せば一瞬だけこわばりが伝わった。鋭い反応だったので、恐らくだが彼女は身体感覚が繊細で敏感なタイプなのだろう。

 そしてそのまま、ふらつかないように確りと腰の左右に突き出た腸骨稜と呼ばれる部位の辺りを手の平で握りこむと、指先が太ももの横付け根を擦ったようで "ひゃっ" とやや甲の高い声が絞り出された。驚きで口が開いていたせいか今回はスタンダードな悲鳴だったネ。

 思わず "ぶふっ" と笑いを零せば、彼女はその眠たげにも見える眼差しを非難気に向けて頬を膨らませて "もうっ!" と怒る。

「いや、可愛かったっすよ、そりゃもう子猫の鳴き声みたいで。次は"ひゃ"じゃなくて"みゃ"と発音してみましょうか」

「そういう問題じゃないですよ、もう~」

 "つまり猫じゃなくて牛ですかね?" と言ってみれば、口癖を指していることに合点のいったようで無言のままに腕をパシパシと叩かれた。



「大人しく寝ているのですよ? 少し良くなっても遊んではだめですからね?」

 階段を降り、彼女のベッドに横たわると幾つかの小言を貰った。"お水を取ってきます" と言い残して部屋を出ていく甲斐甲斐しきアルビレナを尻目に、俺の意識はゆっくりと落ちていく。

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