第9話 三日目朝 街灯の交換作業と散策
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旅をしていると寝相が良くなる。というのも狭いマットからはみ出すと冷たい地面や硬い岩に触れて貴重な睡眠時間が妨害されるため、自然とそうなっていかざるを得ないからだ。
よって寝起きに何か問題があるならばそれは俺以外の要因によるものであって、それは例えば腕に絡みつくようにして眠っている青頭だったりする。
左腕に僅かに触れる唇は呼気で湿っていて、今も生暖かい風を吹き付け続けている。汗ばんだ腕に空気を通そうと動かせば、弾力はあるが固くはない"ふにんふにん"とした膨らみがつられて動き、そして薄い掛け布団の上に寝る彼女が身じろぎをすれば、あちらこちらへ広がった癖の無く柔らかい髪が、出した腕をさらりとくすぐる。
着替えたのであろう黄色いパジャマは上下にズレて腰骨が露出し、臀部の谷間がわずかに覗いていた。そういえば、今は新品だからいいが、汚れたボトムスで布団に入る訳にもいかないし俺も寝間着を手に入れないとなぁ。
改めて部屋を見回すと、複数ある棚にはおびただしいほどに大量の瓶が並んでいる。このベッドは部屋の角に寄せられているが、その壁との隙間もL字型の棚に囲われていて、当然のようにそこにも色とりどりの瓶が並ぶ。中に植物が入っているものもあれば空のものも無数にある。
入口付近にはクローゼットと低めの引き出し棚、そしてやや小さめの全身姿見。ここだけを見れば女の子の部屋なんだが、他は謎の瓶棚で埋まっているというね。
眠りが浅かったのだろう、やや遅れてだが隣でゆっくりと彼女が起き上がる。
その眠たげな眼がいつにも増して眠そうなアルビレナ。不機嫌そうな顔で目をこすりつつトンビ座りをする彼女に"眠そうだね"と言うと、"誰のせいだと思っているのですか"と文句が飛んだ。
「異性と閨を共にすることに、どれほど緊張したか分かりますか?」
ならばと嗤い、"その覚悟を裏切って悪かったね"と言って彼女の腰に手を回す。びくと反応し"覚悟なんて、その……"と所在なさげにまごつく彼女に「でも、眠いものは眠いんだよ」とだけ言い放って手を離し、ベッドへ倒れこむ。そもそもこの件の原因は俺じゃないしねぇ。
腕を頭の下へ回して二度寝を決め込もうとしたが、執拗に脇腹を突く指に敗けを認め起き上がった。「私は今日はお休みですもん」と述べて不貞腐れたようにコテンと横になる彼女を後目に、ずりずりとベットから降り"今日はどうしようかな"と考える。とりあえず旅に必要な一式と路銀が揃うまでは休めないかな。
家の合鍵を借りて
部屋に入っても気づかないほどに熟睡しているので揺り起こしてパンを渡すと、寝惚けつつお礼を呟く彼女と一緒に食事を取る。
食べ終わると共にアルは即座に布団へ沈む。もしかして夜中ずっと起きていたのだろうか?
無防備なお腹へ布団を掛けてやり、駄賃として軽く頭を撫でさせてもらう。小指の腹から掌の側面を意識して、髪の流れへ添うように頭頂部から後頭部へ柔らかく撫ぜ降ろす。
こういったちょっとした触れ合いでも社交的な安堵というものは得られるもので、世界が異なるという孤立無援なこの旅においては貴重な精神資源のひとつであったりする。
"俺は確かにここにいる"、"僅かでも受け入れてくれた人がいる"。ゆっくりと深呼吸をするように静かな息を落ち着けること幾度か。さて義理も果たしたのでゴミを回収し再度の外出としよう。
ピーク過ぎの斡旋所で「手頃な依頼は何か」と相談する。依頼一覧は張り出されているものの、文字が読めない為にそうせざるを得ない。
勧められた中から青色の依頼である「街灯の燃料交換」というものを選んだ。これは魔法物質である"虚素"の詰まった電池、なお虚素は電子と似たような性質を持つので電池と呼ばれる、を交換するというシンプルな依頼だ。
この電池は30gほどのコイン状に規格化されたものであるが、聞いた話を整理すればその小ささに反して100Wの仕事率を一か月間以上維持できる程度のエネルギーを保持していて、熱量で言えば260
惜しむべきはこれが熱に変換される訳ではないということで、暴発したところで直接的な破壊現象が生じることは稀であるらしい。
受け取ったのは午前で巡る約60ヶ所分、合計1.8kgほどのコインが詰まった小袋、それと地図に一時的な身分証。思ったよりは荷物が多いが、昨日の買い物にも使ったトートバッグで足りそうか。
自室へ戻ると、バッグに回収した古い電池を仕分けるための小袋を詰める。
ふとテーブルへ目線を向ければ、置きっぱなしにしていた帽子を思い出したのでこれも拾う。さて他には大丈夫かな。
椅子に座って地図を眺めれば、交換予定はこの周辺を主としているので最悪は戻ってくればいいね。
貰った地図を頼りにてっててと路地を歩いていく。この土地で手に入れた衣服は、着心地は悪くないものの、ややじっとりとした布の目詰まりを感じる。
石造りの路面に響かせる足音には、"靴の予備も早めに手に入れないとな"という思考が浮かぶ。今のままでは雨に降られたら外出不能で行動不能なので、できれば軽くがさばらない、サンダルのようなものが売っているといいが。
さてさて、今回の依頼にも関わるものである"魔導機械"とも呼ばれるものは内部にメインとなる充電池を持ち、入れたコインからそちらへと虚素を補填することで途切れることなく動作を続けるというものだ。簡単に言えばコイン型電池というバケツで燃料を運んでメインバッテリーという貯水槽へ移し替えてやる、というのがこの仕事の中身。ただしこの規格の電池は100Wまでしか出力できないので、補填されるのは消費を上回る余剰部分となる。
そして先も述べたが虚素は電子に似た性質を持ち、いわゆる"電導性"を持つものである。それゆえに配線などによってその流れを制御することができこれを"魔導技術"と呼ぶ。
さっそく辿り着いた街灯は建物の壁から看板のように吊るされたもので、その真下の小さな扉を貸し出された鍵で開ければ交換用のスロットが見える。古いコインを取って新しいコインを填めれば、補填の証拠として扉内部に置いてある番号の振られた札を一枚取る。
昼間でも薄暗いためかそのランプは常時点灯されていて、暖色の、ほの暗くも明るい光を周囲に放ち続けている。真下から見上げれば六角形に見えるそれは、アンティーク調の派手すぎずされど武骨でない、丁度いい具合のデザインが施されていた。生産力の余裕なのか、それとも職人の誇りだろうか。
この仕事はEランク依頼というものにあたる。
ランクとはAからDの四つが中核を成し、その外側にSとEがあり、全体では
そして仕事を回すための仕組みであるために一定期間仕事をしなければランクは落ちていくものであるが、Sランクとは名誉職のようなものでこの例外となる。なおEランクも例外であり、これ以上に下がることのないこのランクは、特に登録の必要すらもない気楽なものである。
便宜的に分けるならばAとBが上位ランクであり管理職に近いもの、CとDは下位ランクでありその下働き的なものとなる。
ちなみにアルはBランクであり、昨日に同伴した採集依頼はCランクのものらしい。同伴できるのは二つ上のランクまでであるので、Eランクとなる俺にはちょうど上限だったね。
今歩いているのは街の北東、見知った教会の北側となる。大きな森林公園と6階建てを越える高層団地の入り組んだ不思議なエリアであり、開放感があるようでありながら空を覆う建物もあるという、ある意味では都市らしい景観の場所だ。
地図を見て気づいたが教会のすぐ南には小さいながら図書館もあるらしい。今度寄ってみたいが文字の問題をどうしようか。
ぽつんと立った街灯の根本にある小箱を開け、コインを交換する。先のランプとは意匠が異なるが、見渡す限りだとこの区画内ではデザインが統一されているようだ。小道にそってぽつりぽつりと立つそれらは、規格化されたことによる
ビルがひしめくかのようなこの街ではこのような広場が貴重であるのだろう。ぼちぼちと人々が寛いでいて、ところどころあるベンチもさほどお客に困らないようだ。
公園内の一つの広場を交換し終えると、西側の団地へと続く階段を上がり、その途中で一休みする。複雑に入り組んだ白壁の団地と木々の茂り高低差のある地形によって広場を見渡すことはできないが、少し上がった視界から眺める景色はどこか心地よい。街の中に隠れた小さな絶景のひとつだろう。
この階段は幅の広さのわりに人通りが少ないようなので、珈琲でも持ってきて寛ぐのもいいかもしれない。
小休止を挟んで再びお仕事へ。団地の隙間を縫うように歩き回り、生活音の響きを聞きながらひとつひとつ交換していく。
そうして歩いていくと、西側の一角には無数の三角の旗が吊り下がったロープが渡して、お祭りのような雰囲気となっている場所があった。この通りは地階部分が商店街として統一されているようだ。青果店や魚介店、パン屋やら生花やら、雑貨店から喫茶店など、一通り必要なものが並んでいる。
アルの家からも近いため、今後はここへ来てもいいだろう。
公園を横切って教会のさらに東側の高台には大きな病院が広がっている。地図上で確認する限り200m四方を越えるようなそれは、いわゆる東京ドームなどのドーム式グラウンドにも匹敵するほど広い。一日にいったいどれほどの患者が利用しているのだろうか、そしてどれほどの生死があったのだろうかと思わせる。
その病院の東側には住宅街が広がり、これまで交換して歩いた範囲と合わせて街の北東端部を構成している。とはいってもこの街全体の16分の1にも満たない範囲だが。
まぁ真っすぐ突っ切る分には2~3時間で済むだろう都市であるが、それでも詳しく見て回れば一日掛けようが全然足りないね。
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