第8話 - 夜  世界地図と露天風呂

 小路を北上してアルビレナの家へ戻ると、橋上の部屋にて買い物による戦利品を広げる。

 ボトムスはややルーズで歩きやすく、ベルト代わりに紐が通っていて、汚れの目立ちにくいオリーブグリーンのものを2本。ステルスでキャンプするにも、遠目で目立ちにくい色の方が無用な注意を惹かずに済む。

 トップスは白をベースにデザインの入ったシャツを2枚に、ブラックベースの柄が入ったものを2枚。ボトムスをグリーンにしたのでどちらでもそれなりに合わせられるだろう。初期装備である斑グレーのテーラードジャケットも使いまわせる。


 1リットルもないような小さな巾着袋を財布代わりとし、銀貨2枚と小銀貨2枚に銅貨1枚を詰めなおす。

 するとアルがバンダナの地図模様を指して、

「私たちの居るペルガモンの街はこのコーカサス山脈の中腹にあって、時計回りに言うなれば、北方を"氷の海"、東南を"晴れの海"、西方を"雨の海"に囲われた半島の中に位置しているのです。地図の中央からちょっと東で、北緯45度線の少し南ぐらいですね」

 と講釈をする。バンダナに描かれていたのは世界地図らしい。


 "他にどのような街があるのか"と聞いてみる。

「ここから南西、”晴れの海”と"雨の海"の向こう側、アペニン山脈の麓にあるのがアレクサンドリア。南東、晴れの海の向こう側、"危機の海"と"静かの海"の手前にあるのがニネヴェとなります。さらにその危機の海の向こう側、"豊かの海"との隙間にあるのがエスハテのアレクサンドリアです」

「エスハテ?」

「はい。エスハテとは"もっとも遠くにある"という意味で、遠く東方との交易路として栄えている街らしいですよ」

 "シルクロードみたいなものかな"と考えつつも聞き流した。



「しばらくの間、荷物を置かせてほしい」と頼んだところ、「荷物を置くための部屋を整理するので先に風呂へ入ってきてほしい」と言われ、そのまま風呂へと案内される。買ったばかりの衣服から一通りを持って付いていく。


 橋上の部屋の北東にある階段を家の入口と同じく北向きに昇れば、南北3メートルで東西4メートルほどの広さの部屋に出た。この北三階の部屋から見ての橋部の上となる南方面には、足下から天井までの大きな窓が付いている。

 そして部屋の西側には大きな衝立がいくつもあり、入口を濃い緑色の長い暖簾で区切られた小さなスペースとなっている。アルに従ってそれをくぐると、タオルと荷棚の置かれた簡易的な脱衣所であるようだ。


「タオルはここにあるものを自由に使っていいです。ただしこちらの床は水に強くはないので、体洗い用の小さなタオルを持ち込んでそれで簡単に水気を拭ってから、できれば棚からバスタオルを取って風呂場の方で体を拭いてください」


 そして彼女がかんぬきを外して引き戸を開けると、奥行きが4メートルほどの部屋の窓際にセミダブルベッドほどのサイズのお湯で満たされた浴槽があった。湯は常にあふれ出ては、排水溝へと流れていく。そして何より目を惹くのは開けっぱなしにされた大きな窓で、露天風呂と言っていいほどに開放感のあふれる構造をしていた。

 上部に突き出たひさしは多少の風があっても雨を防ぐことができるだろうが、閉じるための窓蓋がどこにも見当たらないそれは、基本的には吹き曝しになってしまっても構わないと考えているようにも見える。風呂場の入口にかんぬきがあったのもその一環だろう。


 東西方向にはそれぞれに目隠し布が垂直に渡してあり、上方にはだだ広い空が見える。この付近はどれも三階建てであり、その景色を遮るものは水平方向以下にしかない。あと柱や梁がやけに太くしっかりとしているのはこの湯舟を支えるためなのだろうか。

 道を挟んで向かいとなる南側の三階部分には閉じられた窓が付いているが、あれは一体だれの家なのだろう。



 脱衣所へ戻って説明を終えたアルと別れると、さっそくながら入浴する。風呂桶を使って浴槽から湯を浴び、備え付けられた石鹸を使って体を洗うと泡を流す。そして湯舟へ浸かると、窓枠へ腕を掛けた。

 眼下には誰もいない路上が見える。見上げた空は青く遠く、積雲が夏空らしさを彩っていた。そして区切られた水平方向の視界は、まるで上下だけが筒抜けになったような不思議な印象を与えるものだ。

 木造りの浴槽はほんのりとした香りからしてひのきだろう。かけ流しなのだろうか流れ続けるその湯口の上には、細長い茎に小さな葉がたくさん並んだ植物が飾ってある。


 寄りかかって鼻歌を歌いながらのんびりと楽しんでいると、おもむろに向かいの窓が開け放たれる。そこに見えたのはアルビレナ女史で、「しまった」というような驚いた顔をしていた。

「あっ、あのっ、湯加減はいかがですか?」

 ”心地よくていいっすね”

 道を挟んで2メートルほどの距離で、不可思議な会話をする。


「実はそのお風呂は温泉なんですよ」

 それに対し"かけ流しなのか?"と疑念を口にしてみたところ、"かけ流しです"とのこと。

「温泉かけ流し。維持費が凄そうだね」

「源泉代は月々銀貨4枚掛かりますし、専用の上下水道を引く必要があるのでそれなりに大変ではあります」

 "石造りじゃなく木造だと掃除がとても大変じゃないか?"と聞いたら、ローズマリーに似た魔法の薬草を劣化防止剤として常に置いているので、その補填だけ忘れなければ石造りのお風呂と同じらしい。なおその薬草にも月額銀貨2枚ほど。


 ちなみにこの風呂は彼女の要望で改装をして設置したと。ここでは土地や建物が街の所有となっていて、ある程度は街が改装を認めている。

 地中や壁越しに探査や改装、修復をする技術があるので上下水道技術も発達した。ただし普通に水が利用できるのは二階までで、三階以上だと工夫が必要とのこと。


「あのっ、ごめんなさいでした」

 そういって、彼女は窓を閉めないままに作業へと戻った。時折窓の前を彼女が通るが、意識してこちらを見ないようにしているようだ。そんなちょっとした誠実さが可愛いと思う。




 言われた通りに体を拭き上下を着替えて風呂から上がると、橋上のリビングで寛ぐ。路地を抜けていく風が窓を吹き抜けて心地よい。

 しばらく待っているとアルビレナが部屋へと来た。

「あっ、あがっていらしたんですね」

 "いい湯でした"と言うと、"こだわった甲斐がありました"との返事が戻る。


 "整理途中ですが"といいつつ引率する彼女にまたもや付いていく。

 橋の向こう側の扉を潜るとキッチンがあり、右手となる西側には扉が一つ。扉を抜けてすぐ左には上階への階段があり、それをアルに従って登っていく。辿り着いた南三階は下のキッチンと同じ広さで、北三階と同様に足下から天井までの大きな窓が付いていた。


 そこから西側の扉を開くと、南北3メートル、東西4メートルほどの部屋へと辿り着く。

「この部屋好きに使ってください。物置代わりにしていたのでまだ物が片付いていませんが」

 "え?、ただの荷置きなんでそこまで広い部屋は必要ないのですがね”。

「え? 今朝、ここに住むとおっしゃってらしたよね?」

 ”え?”と、先とはすこしイントネーションと驚きの変わった言葉が俺の口から洩れた。



 思いもがけない内に宛がわれることとなった部屋の、窓際の椅子に座りテーブルに帽子を置き、両手を窓枠から投げ出しつつ外を眺めて思索をする。衣服に不足はないか、明日はどうしようか、このままで生きていけるのか。考えるべきことが多すぎて結論は出ない。

 襲ってきた眠気に"うつらうつら"としていたところで、ふと”ガラリ”という音がする。目前の露天風呂に、右の前腕で小タオルをお腹の前から下腹部へ垂らし、考え事をしているようなポーっとした目で歩く彼女が見えた。


 分かっていたことだが、アルビレナは小柄で細身のわりに肉厚であるようだ。

 とはいっても、小さい胸部に相対的に大きな乳房が乗っているのではち切れんばかりに見えるが、大きく見えるだけで実際はそこまで大きくはない。そのようなところが少女のようでもあり、ぷっくりと膨らんだ桜色の小さな乳輪も幼さの印象に拍車をかける。

 小ぶりに収まったお尻をみるに、恐らくバランス感覚自体はいいために左右の負荷があまり掛からず、結果として腰の横方向への筋肥大が抑えられているのだろう。しかしやや反り腰気味に突き出された臀部によって、左右への起伏に乏しい代わりに前後への起伏に富み、それを支えるための厚みのある太ももと合わさってスマートさとグラマーさを両立させている。


 絶対的な大きさとしては過剰でないものの体に比べては不釣り合いだと言えるほどに大きいそれが、浮力の代わりを弾力が成して重力に逆らうかのように"ふるん"と揺れると共に、それによる緊張感がここだけ時間の流れが違うかのような場違い感を醸し出している。

 数秒間を見つめあったあと、彼女は瞳孔を見開いて、しかし再度硬直する。状況把握が遅いらしい。その頭上には"………"という真っ白く染まった文字が見える気がした。


 面白いので何も言わずに硬直に付き合ってみたところ、しばらくして耐えきれなくなったかのように空気が弛緩する。

「……にやけてます」

「これはどちらかと言えば数奇な巡りあわせに爆笑しそうな感じですぜ。笑っていい?」

 彼女は"だめです"と言い、やっと左腕で胸を隠す。隠れきれてない体つきが艶めかしく、そしてそれ以上に可愛らしい。


 前例に倣い、"さーせんしたね"といって窓を閉める。

 しかし言っておくべきことを思い出したので、窓を少しだけ開けて「アルさん~!」と呼びかける。「な、何でしょうか?」と声が返ってきたので「ちょっと教会に行ってきますね」と伝えた。



 返答とともに教えてもらった位置を頼りに家の鍵を拾い、玄関を閉めて歩き出す。そして世話になった教会へ寄り宿泊の必要のないことを伝えると、一泊分の謝礼として銀貨2枚を寄付することとした。もっとも、これは食事つきの一泊に対しては安いかもしれないが。

 しかし銀貨1枚で十分だとして半分しか受け取って貰えなかった。手持ちがほぼ無くなってしまうことを考えると、こちらとしても丁度よかったのかもしれないね。


 家へ戻ると、自室へ向かう。窓際の椅子に腰かけると、窓の向こうから水をかき分ける音が聞えてきた。まだ入浴中だったようだ。

 意識を背けるためにも部屋の中へ目を向ければ、この部屋にはベッドがないことに気づく。住衣食の内の住居に含まれるそれは、生活を続ける上で欠かせないものの一つである。


 橋上のリビングに移動してアルビレナ女史を待ち、風呂上りの彼女に尋ねたところ、「忘れていた」という言葉を受け取った。

「アルビレナ女史、君には"計画的な無計画者"の称号を授けよう」

「褒められて……いませんよね?」

「どう考えたら褒められる結果に繋がるのか教えて欲しい。問い詰めてもいい?」

 "嫌です"という言葉。


 まぁ夏だし床で寝ることに支障はない。むしろ好んで板の間に寝転ぶ俺には問題ないとして、布団代わりのタオルケットを借りられないかと問う。すると「私のベッドで寝てください」との言が返ってきた。"一緒に?"と問えば、"一緒に"とこだまが返る。

 運動をした風呂上りで、だいぶ眠気も押しているので「もうそれでいいや」と結論づけた。歯磨き用のトゥースティックを一本もらい、北三階の洗面台で使用する。そして案内された彼女の私室で、彼女が寝支度を整えるよりも先に眠りについた。

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