第7話 - 午後 帰り道と、買い物での苦悩

 森を出て一休みしてから、元来た道を街へと戻る。既に忘れ物を確認したが特には何もなく、泉へと取りに帰る必要もなし。なお慰める際に握った手は繋ぎっぱなしである。


「楽しそうでしたね?」「控えめに言って最高でした」

「反省してますか?」「反省はしているが、後悔はしない」

 そんな問答をしつつ開き直って受け答えする。例え問題点を指摘できようとも、もう一歩踏み込んだ"追い詰めるような二撃目"というものは案外難しいものだ。なのであえて一歩を譲り、されども二歩目を踏ませないように立ち回れば、大体の問題はのらりくらりと躱すことができる。


「……今朝、"私を置いていかないで"と言ったのに、もう置いて行かれました」

 ……よく覚えてるね。

「いや一応、万が一こけたりしたら助け起こせるように一定の距離を保ってましたぜ?」

「嘘です」

 まぁ完璧に忘れてたしなぁ。

「俺は嘘はつかないよ、"嘘は"」

 事実で騙してこその詐欺師だろう。


 "ん!"と、彼女はこちらへと手を伸ばして、当然と言わんばかりの態度で何かを催促した。右手を乗せてみると"違う!"と言われる。渋々ながら帽子を差し出すと、「汝、"絶対に"私を置いていくことなかれ!」といって頭へ乗せ直された。とても叱られているような気がして落ち着かない。

 所在なさげに帽子の位置を調整していると、俺の鞄から下げられたランプが"かちゃり"と音を鳴らす。



「そういえば、あの"ウィル・オ・ウィスプ"というのは何だったんですかね?」

「それはですね……」

 彼女に聞くところによれば、あれはソラクラゲとも言われ、ゲル状の体にガスを貯蓄することで浮遊する生物らしい。全身が脳の役割をしていて知能が高く、それゆえ何をしてくるか分からないために恐ろしいと。また、あの発光は計算処理の余剰現象で、光っているほどに興奮していて危ない。

 何より恐ろしいのが、無数に煌めく針ほどの細さの触手を使って、死体から"思念"を漁るところにあるとのこと。つまりは欲望を吸い上げ、そして他の生物に与えることができ、そうして一つの欲望に支配された生き物は生存を度外視して欲を発散する。通常であれば恐れを抱いて襲ってこないはずのものが襲ってきたりするので非常に怖いとのことだ。

 ふむ、触手の刺さる位置を研究すれば効率的なブレイン・マシン・インターフェースが作れそうだね。それも洗脳が可能なレベルの。



 一時間を過ぎる辺りで行きと同じ場所での小休止を挟んだ。繋いでいた手にようやっとの風を通す。

 リュックの底に埋もれて取り出せない水筒を前にどうしようか迷っていると、"ハイ"と、アルの水筒が差し出される。"あざっす"と受け取ると、意識して諸事をあまり気にせずに飲む。

 10分ほどの短い休憩の後に出発した。行きよりも時間が掛かってはいるが、ここまで来れば多少の問題があろうとも帰り着けるだろう。




 特に問題はなく街へと着き、門番さんに軽く会釈して斡旋所へ向かう。

 午後三時ごろだろうか、忙しい時間帯を避けて戻れたようで特に待たされることもなくカウンターへ。

「合わせて銀貨20枚と銅貨11枚となります。お支払は小金貨でよろしいでしょうか?」

「いえ、銀貨と銅貨でお願いします」

 二人分の収穫物を出し、アルビレナが応対しているのを隣に立って眺めていた。差し引かれた税は三割、内訳は所得税が20%と住民税が10%。


 金貨1枚は銀貨30枚、銀貨1枚は銅貨30枚で交換される。日本円で言えばおおよそ銅貨1枚が100円相当であり、銀貨1枚は3,000円、金貨1枚は90,000円となる。

 これら三種の通貨は重さ1オズ、グラムで言えば30gで統一されていて、例えば銀貨18枚ならば合計540gとかなりの重さである。

 ゆえに補助通貨として6gサイズとなる「小金貨 (18,000円)、小銀貨 (600円)、小銅貨 (20円)」の三つが置かれ、金貨1枚は小金貨5枚、その小金貨1枚は銀貨6枚と等価だとすることで、銀貨18枚だったものが小金貨3枚 (重さ18g) にまで軽量化されるようになっている。


 そして予想通りと言うべきか、採集には専用の資格が必要であり彼女なしには行えないらしい。

「これでもちゃんとした資格持ちなんですよ」

 "ぶいっ"と、いわゆるVサインをするアルビレナ。私は差し出されたその指をそれぞれ両の手で握り、軽く引っ張り広げた。

 特に痛くはないはずなのに"あぁぁぁぁ"と小さく呻き声を上げる彼女に感謝しつつ、もう少しだけ力を込める。



 ランプなどを置きにアルビレナの家へ帰ると、階段を上がってすぐの橋上リビングで一休みする。

「報酬は山分けにしますよ?」と言って銀貨10枚と銅貨6枚を差し出してくる彼女。"そんなには要らない"と辞退しようとしたが、「でも荷物を何も持っていらっしゃらないようですし、色々とご入り用ですよね?」という反論で撃沈した。せめてもの心づけとして銅貨は断っておく。

「汗だけ流させてくださいね」といって橋の向こう側へと消えた姿を見送ると、手元にある銀貨10枚、日本円にして3万円相当でまず何から買おうかと考え始める。


 旅というものは「最小化された日常生活」とでも呼べるものであり、"持ち運び"という制約の下によって住衣食のすべてが明確化される。そしてその内の衣類でいえば、優先度の高いものが下着や靴下などの「毎日取り換える必要のあるもの」、逆に低いものが雨具や防寒着などの「耐候性に関するもの」となる。もっとも、後者の方が生命の危機には直結するが。

 基本的には一か月を超える旅であっても3~4日分の衣服を洗濯してやりくりできる。服の重さというのは馬鹿にできないので無暗には増やさず、週2回の洗濯で回すとして替え衣服4枚づつを購入することとするか。雨が降ったら諦めて買い足そう。

 昨日の街歩きでアルに教えてもらいつつリサーチした限りでは、「シャツ、肌着、靴下」を4セットで、合わせて銀貨2枚と半分となる。シャツはやや高めの配分だが、ジャケットなしで出歩くためのデザインの分だと考えれば安いものだろう。


 ボトムスは替えが1~2枚、トップスは洗濯中に遠出しなければ替えは無しでも済む。しかし歩きメインで汗をかくことを考えれば、週二の洗濯にも合わせ、ボトムスが2枚は欲しい。大体で銀貨3枚ほどは掛かるね。

 彼女との飲食代を銀貨2枚、教会へ宿泊費として銀貨2枚ほどを残すとすれば、資金に余りは銀貨半分ほどしか無くなる。肝心のバッグパックはまだ彼女に借り続けるしかないか。あと雨で靴が濡れた時用のサンダルか何かも必要だがそれも後回しだね。

 アルビレナへの奢りを後回しにすれば飲食費はどうにか持つが、約束だし初給料だし、義理的に無視する訳にもいかないよなぁ。でも炊き出しに頼るのもなぁと考えつつも、とりあえず衣類の買い出しからすることに決めてぼんやりと彼女を待つ。




 風呂にしてはやや早めに戻ってきた彼女は、髪を解き、グレーのワンピースに黒いキャペリンハットという出で立ちに着替えていた。一見地味なようでいてそこには確りとした明度の対比があり、クールな格好良さと可愛い御淑やかさがうまく同居している。

  "とりあえず衣服を揃えたい"と伝えると、買い物に付き添いたいという彼女を伴って家を出る。


 大通りに出て南へ向かうと、まずは手近にある雑貨屋に入った。

 買った荷物を入れる袋が無ければ、コインを入れるための財布も無い。コインはポケットに突っ込んだが、荷物はどうにもならないので銀貨1/3枚程度で買える何かを探している。

 するとちょうど無地で大きめのトートバッグが銅貨5枚と、スタッフバッグ巾着袋が銅貨1枚で売られていた。500円相当にしてはしっかりとした造りのそれを一つと、荷別け用の袋を三つ、合わせて銅貨8枚分を購入する。


 中心街へ向けて順々に店を巡り、予定通りのものを買い揃えていく。するとふとその中に地図柄のバンダナを見つける。バンダナは帽子替わりになるだけでなく、タオル替わりにしたり、怪我の際の包帯としたりと用途が広い。そしてなにより明るいブラウンのそれは私の好みの柄であったので、予定より安く済んだ分を利用して一枚購入しておく。

 あと毛抜きを見つけられたのが幸いだったね。これがあると髭の処理ができる。



 一通り予定のものはすべて買えた。ゆっくり見て回ったからだろう、時刻は午後5時頃。前回は気づかなかったが中央広場の南方面には、建物群の向こうへかき分けるようにしてそびえ立つ大きな時計塔があり、それは12時間ごとに短針が一周しているらしい。


 広場から東へ進んでみると美味しそうなカフェレストランが目に入る。

「コーヒーが銅貨5枚、食事は小銀貨2枚からで、ビーフシチューやハンバーグがありますね」

 つまり500円と1,200円か。立て看板を読んで貰ったところ、メニューも悪くなさそうだ。昨日今日の食事事情を見るに彼女もそう嫌いな料理ではないだろう。

「んじゃ、昨日のお礼に奢るんでどうですかね?」

 "覚えててくれたんですね"と喜ぶ彼女の言にほんのりと皮肉を感じつつ、承諾されたので席へと着く。


 出された珈琲は濃いめのモカ風味。深めに炒ったことで酸味を抑えて重厚に仕上げたもの。

 その一方で遅れて出てきたハンバーグを食べてみれば、さっぱりと仕上がっていてくどさがなく食べやすい。

「こちらの料理も食べてみませんか?」

 そうやって差し出されたビーフシチューを食べれば、トロトロになるまで煮込まれたそれは口の中で溶けるようにほぐれる。サラサラとしたシチューが絡まりスープを食べているかのような印象を受ける。

「こっちもうまいっすよ、どうぞ」

「……んっ、おいしいですね!」

 セットとなっていたライスはパサパサとしたタイ米で、これも慣れれば癖になる味だった。



 食後、北へ向かって大通りから数本外れた道を歩いていると、銀貨1枚で売られているアクセサリーが目に入る。

 尾の長い鳥であるカササギをモチーフとして、青いサファイアと黄色いトパーズをあしらった、指の爪ほどの大きさの小さなペンダント。頭を左上、尾を右下へ伸ばし、羽を前へ押し出すように広げて羽ばたいている。

 アルのために割り振った予算が銀貨1枚分ほど余ったので丁度いいかなと思い、一つ購入した。


 驚かせようもないので購入してすぐにアルビレナへ渡すが、なぜか驚く彼女。"嫌だったか?"と聞けば、そうではなく"ただ驚いただけ"との答えが返る。そしてこちらが差し出した手ごと柔らかい両手で受け取って、「大切にしますね」といって"えへへ"と笑う彼女を不意に間近に見てしまう。思わず目線を背けた。

「なんでそっぽを向くんですか!」と文句を言う姿を尻目に、ポケットに手を掛けてゆっくりと歩き出す。

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