第4話 二日目朝 初仕事への準備

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 人の動き出す音に目が覚める。白む朝空の下に手洗いを済ませると洗濯物の状態を確認した。まぁなんとかなりそうだね。


 如何せん時間の分からないのが不便だなと思いつつ、身支度をしてから首元の開いた斑グレーのジャケットを羽織り、帽子を取って礼拝堂へと出る。すると既にアルビレナ女史はそこに居た。

「時間が分からなかったもので早めに来ました」

 "えへへ‥‥"と照れ笑いをこぼしつつそう言った。

「そうですか。では失礼しますね」

 昨日の焼き直しを兼ねてさっと身を翻すと、焦ったような声で引き留められる。


 冗談冗談と言いつつ振り返えれば分かりやすく顔をしかめて怒っている彼女が見えた。趣味が悪かったかな?

「意地悪です……」と下方を見つめて恨みがましく呟く彼女は、どこか気迫は無いが真剣であり、"般若のよう"というよりは"元気のない花のよう"と形容するのが相応しい。

「ごめんなさい、もうしないので許してください」と謝れば、

「ああいった冗談は嫌です」と、決して目線を合わせようとしないままに答える。


 無理やり目を合わせるように彼女の前に屈みこみ、子供をあやすかのごとくカポリと帽子を被せて、「この帽子に誓ってしないから!」と言い訳をする。

 すると彼女は無言で帽子を取ると、「汝、意地悪することなかれ……」と言って神妙な顔のままに私の頭へ帽子を被せた。その約束は守れそうにないなぁ。



 その後も一向に動こうとしない彼女の手を取り、出かけると一声をかけてから取り繕うように斡旋所へと歩きだす。衣服は黒を基調としたワンピースで、青い髪と合わさったそれは夜明け前の白みつつある夜空のような装いだね。

 "死んだ魚のような目"という言葉があるが、その類義語として"下を向いた花のような目"という語句があってもいいのではないかと隣を盗み見つつ考えていると、不意に言葉が降ってくる。

「……ご迷惑でしたよね。ごめんなさい」

 吐き捨てるように呟くと、握り合った手に力が込められた。おそらく自責へと変わったのであろう怒りが、静かだけれども悲痛な叫びとなる。


 かのアリストテレスは落ち込んだ時には落ち込んだ音楽を聞くことがよいとした。これは"否定を否定"しても仕方がなく、一旦に"否定の肯定"を挟むことが必要であるということだろう。そしてこの場合にもそれは当てはまるように思えた。

「確かに、きちんとした約束もしないままに押し掛けられたのは迷惑でしたね」

 意図的に平淡な口調を心掛け、声を振り絞る。繋いだ手から強張りが伝わってくると、遅れて彼女の足が止まる。"帰ります"などと言い出す前にケリをつけなくてはならない。

 否定が肯定されたことを互いに共有した後に、されど続けざまになるよう言葉を繋ぐ。

「だけれども、それ以上に感謝をしていますよ。

 この街にきて何も分からずに困っていた自分に案内を買って出ていただけたのは貴方だけですし、無一文の私においしい食事も奢っていただきました。わりと命を救ってもらったようなものでして、そりゃあ滅茶苦茶感謝しています」

 そして頭から帽子を手に取って続ける。話の流れを造るにはあつらえ向きだろう。

「それにこんな素敵な帽子も頂きましたから」

 といって彼女に帽子を被せる。


 やはり自分にこういった説得は不向きで不得意である。なので言葉が足りないかなと思いどのような語句を繋ごうかと苦悩していたが。

「汝、私を置いていくことなかれ」

 ふわりと、声色を戻した彼女の口が語句を歌った。

 その際に小さく呟かれた"えいっ"という言葉には恨みが籠っているようにも思えたが、そのちょっとした儀式を経て無事に私の頭上へと帽子が戻ってくる。

「……本当に、ああいった冗談は嫌ですからね?」

 やっと合わせてくれた目元には若干の涙が浮かんでいる。

「心得ました」

 下手なことを言って墓穴を掘る前に締めとなる言葉を返す。そうして仲直り後の微妙な空気を楽しみつつ斡旋所へと辿り着いた。



 斡旋所に到着すると、そこは驚くほどに人で溢れていた。すごいね。

 確か城塞都市というものは人口密度だけなら東京にも迫るものがあるらしい。もっとも市域の広さは桁違いなので総人口では大きな差があるが。

「朝食はまだですよね? 少し混雑が減るまで食事を取って待ちましょう」

 そういって酒場へと手を引かれる。おそらく教会の朝食の時間を把握していたのだろう。空席を見つけその木でできたシンプルな椅子に着くと、「私のおすすめでいいですか?」と聞かれて肯定を返す。

「では注文してきますね」といって離れた彼女を見送る。どうやらカウンターでやり取りする形式らしく、店員となにやら話している。


「隣、よろしいでしょうか?」

 ぼーっと眺めていたところ、背の高めで、好奇心の見えるような真ん丸い目つきをした女性に話しかけられた。小麦の穂先のような一本の三つ編みで金髪を丁重にまとめていて、長めの髪であるわりにお洒落かつ動きやすそうな印象を受ける。

 しかしそれ以上に目を引くのが背負ったマントであり、茶色いそれには何やら幾何学模様がびっしりとデザインされていた。あと余計なことを言えば全体的に肉厚だね。

「ええ、どうぞ」

 空いているのはどこも片側二席程度であり、どう選んでも誰かしらの隣に座ることになる。なので偶然ここを選んだのだろう。

 彼女は手に持ったトレイと共に席に着いた。


「あまり見かけない方ですが、この街には最近来られたのですか?」

 "ええ"と頷きを返すと、続けざまに質問される。

「どちらから来られたのですか?」

 こう何回も聞かれる度に惚けているのも面倒かなと思い、よく通っていた街を元にして同郷を見つけ出せそうな名前をあげる。

軫宿しんじゅくという街ですね。本屋が多いし、歩けば他にも色々とあって中々に面白い街でした」

 "シンジュク"と、彼女は興味深そうに繰り返す。

「私は魔術師のスピカです。南にあるほうのアレクサンドリアから来ました。

 ちなみに先ほど見られていたこのマントは魔術を書き込むキャンバスとして使っているものですね」

 誇るかのように解説してくれたその"魔術"という響きに興味を惹かれる。どういう仕組みなのだろう?

「どうも。自分はカラズです、よろしく」

 何から質問すればいいかすら分からない。典型的な学力不足だなぁ。



 特に当たり障りのない世間話をしているとアルビレナがお盆に二人分の料理と飲み物を乗せて戻ってくる。

「おはようございます。よくお見掛けしますが話すのは初めてですね!」

 スピカ一番槍、その人好きそうな見た目に反さぬ会話力。

「おはようございます、そして初めまして」

 彼女らの自己紹介を尻目にアルの持つ料理を眺める。切り込みを入れたバゲットにハムや野菜を挟んだようなものと、木のカップに入った飲み物。そしてカップにはストローのようなものが刺さっている。

「私が言うのも難ですが、どうぞお座りください」

 そう促されてやっとアルは席に座った。


 "どうぞ"と奨められた料理を口にしてみる。どこで採ったのか新鮮な野菜と、コクの強い肉がマヨネーズに似た軽快なソースの下に調和していて中々においしい。胡麻油がほのかに香り、食欲をそそる。

 問題があるとすればその量であり、大きなバゲットを二つに切ってそのまま使っているようなこの大容量は下手したら食いきれない……。

 半分ほどを腹に収めたあたりで飲み物にも手を出す。彼女たちは相変わらず隣と正面でキャッチボールを楽しんでいる。


 コップに刺さったストローは固焼きのクッキーのようなもので、ざらざらとした口当たり越しに吸い上げる感触は不思議なものだ。

 中に入っていたのはアイスコーヒーのようで、氷は入っていないものの十分に冷えている。何か冷却する手段があるのだろう。酸味の強くコクの薄いさっぱりとしたそれは、バゲットサンドのコクの強い後味を洗い流して爽快感を与えてくれる。


 そうして舌鼓を打っているとおもむろに、「お二人は付き合ってるの?」とスピカの槍が繰り出された。

 聞き流していた私は面白い話題が出たなぁ程度の思いであったが、アルには直撃したようで、"こふっ"と飲んでいた珈琲を駆使して命中音を口にした。

 しかたなく代わりに答える。

「昨日会ったばかりなんでそういう仲ではないっすね」

 "あら、そうなの"、と反応する彼女にアルが補足をする。

「今日はこれから、先輩として採集地の案内をする予定なのです」

 そう言い放って大きくサンドにかぶり付く。詳しくは語る気がないという意思表示だろう。

 ならばと思い、代わりに援護射撃をする。


「実は昨日、彼女に告白して振られました」

 "ごふぅ!"と、大きく噛り付いたことが仇となったらしい命中音を立て、そしてそのままフリーズした。予想外の方向からの射撃だったために防御態勢も取れなかったのだろう。南無。むせた反動で顔の前に垂れ下がった髪がちょっと怖い。

「……というのは冗談ですね」と、確りと言い訳を加えておく。

 再起動したアルは無言で口の中のものを咀嚼する。ハムスターみたいだなと思いつつも、後のことを考えると若干冷や汗が出てくる。

 だが、報復を受けるにしても今ではない。後のことは後で考えよう。



 食べ終わった私たちはスピカと別れると、カウンターへと向かう。

「今日は"深海の森"という場所で幾つかの薬草を取る予定です」

 だいぶ減った列へと並んでいる間に、今日やることの概要を教えてもらう。

 なお、目は合わせてくれない。まただね、早いね。何を言っても裏目に出る気しかしないので静かに黙っておく。


 自分たちの番がくると、昨日の受付さんに呼ばれる。ちょうど私達を受け持つように時間を調整したのかな。

「おはようございます。昨日は問題なくお過ごしになれましたか?」

「教会のほうで面倒を見てもらえましたよ。昨日はありがとうございました」

 "よかった"と受付さんが一言こぼすと、私の代わりにアルさんが会話を始める。

「今日は私が彼を引率して"深海の森"へ行こうと思うのです」

 "はい、少し待っていてください"と述べた受付さんは、カウンターの向こうからパンフレットを取ってアルへと渡す。

「採集対象はこちらとなっております。特に異常は報告されておりません。お二人とも、お気をつけて」

 そういって送り出される。軽く礼を言ってから、次も詰まっているのでさっさと退いた。


「では、必要な道具を取りに私の家へ寄りましょう」

 といってとっとと歩き出す彼女に付いていく。口に出してみた「なーなー、ちょっと怒ってる?」という呼びかけには応答がない。無視するほどに怒ってますね。

 仕方もないので、「さっきはごめん」とだけ謝って後は黙る。

 昨日見送った際に見た扉へと辿り着く。丁度頭上には大きな渡り廊下のようなものがアーチ状に走っていて、もし雨の日であっても濡れることなしに傘を閉じられるだろう。

 扉を開いたのちに優しく差し出された「どうぞ」という言葉にはどこか怖さが潜んでいる気がするがさもありなん、木でできたアンティーク調の扉を彼女に続いてくぐってみた。

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