第2話 - 午後 ひとまずの宿の確保と出会い
扉の外にて待っていると、暫しの後に扉が開き人々が出ていく。
その列が途切れだしたあたりで歩を進めようとしたが、ちょうど中から出てきた人物に話しかけられた。
「こんにちは。先ほどは当教会に何か御用がおありでしたか?」
「こんにちは、実は旅の途中で路銀が尽きてしまいまして。途方に暮れていたところ、斡旋所の方にこちらを奨められて参りました。
もしよろしければ一晩、屋根の片隅を貸していただけないでしょうか?」
「あらあら、ではこちらへどうぞ」
そういって先導するように歩き出す。
礼拝堂へと入ってすぐに見えるのは無数の長椅子とまばらな人々。先の行事も完全に終わったようで各々が好き好きに帰り支度をしている。
それらを脇目に椅子の手前を曲がると教会と隣接した建物への回廊へ出る。
階段を上がり、連れてこられた部屋へ入ると、そこには幾つかの二段ベッドが並んでいた。
「あなたはこちらのベッドを使ってくださいね」
そういって片隅にあるベッドの二段目を手で示される。
「野宿には慣れているので屋根と場所だけ貸していただければ十分なのですが」
「この部屋に泊まっているのは皆、似たような境遇の方々ですよ。だから遠慮する必要はありません」
そのように言われても判断に窮するものであって、僅かながら無言で佇む。
「遠慮は要りません。どうぞ中へ」
促され、流される。
「お昼はお食べになりましたか?」
「いえ、まだです」
「では下へどうぞ。質素なものですが量は十分にあります」
流されるままに食卓へ付くと、周囲を見回すだけの余裕が戻る。外装と同じく白を基調とした風景には、所々に緑色の植物や茶色の木目が彩られている。赤い花や黄色い小物も派手にならぬ程度に飾られていて、案外とお洒落にも思えた。
その見慣れない景色に"これまで"のことと"これから"のことを思い重ねていると、スープとパンが運ばれてくる。
「少し冷めてしまっていますがご辛抱ください」
「いえ、頂けるだけでも十分ありがたいですよ。
ところで、食事の前のお祈りはどうしたらいいのでしょう? 正式な作法を知らないもので」
「食物への祈りを捧げて頂ければ作法などあってないようなものですよ。ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます」
"いただきます"と唱えて手を合わせる。
スプーンは木製で、器も木製。そういえばこういう食器が欲しかったなぁと思い出しつつもパンをスープに浸す。確かそのカテラリは木の繊維と樹脂でできたもので、金属製品ばかりを利用していた自分にとっては憧れのものだった。
口に含むと野菜のうまみが広がる。一見、塩で具材を煮込んだだけのようにみえるが、出汁のでる程度に加えられた肉と味を壊さぬが確かな塩加減が食を促す。その土地の豊かさを思わせるような甘みとコクのある野菜が質の良さを主張していて、まるで確りとしたレストランの前菜であるかのようであった。
"ごちそうさまでした"。おかわりを断って静かに食べ終えた。
時折、同じように食事を取る人々がこの食堂へと入ってきては会釈をして席についているが、手を合わせて何やら呟く以外は誰の会話もない。しかし微かな環境音のみの流れる落ち着いた食事というものも案外心地のいいものらしい。
さて、窓から外を見れば日もやや傾きだした午後三時ほど。席を立ち、どうしようかなにをしようかと礼拝堂へと戻る。
するとそこへ声が掛けられた。
「こんにちは。どちらからいらっしゃったのですか?」
みれば薄いながらも青い髪色が目に入る。その私よりも年下だろう女性は、長く線の細い髪を夏空のような青色に染めていた。
「北の方からですね。ええ、多分。故郷から逃げてきたのでこれ以上は聞かないでください」
とっさにそのような言葉がでるが、その間もチラチラとその色へと目を向ける。常識的にはあり得ない色をした彼女の外見は、ここが異界であるというよりも、むしろ空色をした鳥がそれそのままに人間となったかのような不思議な印象を俺に与えた。
「あらっ、ごめんなさい! 失礼な質問でしたね」
そう言っては分かりやすく狼狽え、頭を下げる彼女。私はサラリと垂れ下がる髪をまじまじと眺める。
「実は私の父の髪の色も黒だったもので同郷の方かなと……、その、ごめんなさい……」
もう一度謝ると、目前に垂れ下がる好奇物は頭を上げた。その頭の色は地毛かどうか聞いていいものだろうか? 彼女の着た雲のように白いワンピースがふわりと揺れる。
些かに疑念を抱いていたところ、手掛かりとなるような台詞が舞い込んでくる。
「私自身は母方の青毛を受け継いだのですが、あの、滅多にいらっしゃらないから懐かしくて……」
"青毛"という言葉が聞こえた。赤毛の対義語に相当するだろうそれを素直に紐解くならば、あの青髪は地毛だということになる。驚くべきPicaPicaブルー。
「自分からすると青い髪の方のほうが珍しいんですけどね。空みたいな綺麗な色でいいっすね」
「ありがとうございます。でもそれを言ったら黒もお空様のお色ですよ」
くすくすと笑いながら答える彼女。"お空様"という言い方に文化の違いを感じるが、その文化を成すものが昼の青色と夜の黒色なのだろうか? あとは夕方の赤色とかもかな。
「何か特別な色でしたっけ? 自分はあまりそういう系統の話には触れてこなかったものでよく分からないのですが……」
「あっ、ごめんなさい。どこから説明すればいいでしょうか。この教会でもそうなのですが、"青と黒"、そして”赤と白”は神聖な色としてされていまして。その中でも青と黒はあらゆる価値を分けた始まりの色として重要視されているのです。あの祭壇でも青い杭が祀られているのですが、見えるでしょうか?」
目を向ければ確かに青い色をした大きな棒が真ん中に突き立っている。その上には羽飾りの付いた黒い帽子が被せられていて、あれも何かしらの意味があるのだろう。
「おぉ、見つけました。黒い帽子も祀られているものの一つですかね?」
「はいそうです。少し大げさに聞こえてしまうかもしれませんが、この世の全てのものは"昼の青と夜の黒"から生まれたものであると教えられています。あれらはその象徴となっているのです」
白は"曇り空"の白かな? 「あの帽子はペタソス、羽飾りはパナッシュと呼びます」と解説を続ける彼女にへぇーと感嘆を漏らしつつ、浮かんだ幾つかの疑問を口に出そうとしたところでふと我に返る。宿はどうにかなったし食事もいただいた。水とシャツで体を拭いて乾かせば短期間なら風呂と洗濯も何とかなる。つまり今日に関して言えば最低限の衣食住を確保できている。
しかしこのようにゆっくり消費しているような余裕などあるのだろうか? 考えるほどに気落ちする。うぇーい。
「興味深い話をありがとうございました」
切りもいいので軽く会釈して話を打ち切る。とりあえずは街を歩いて情報収集かな。されど去ろうとしたところで呼び止められる。
「えっと! あなたは今日初めてこの街へ来られた方……、で合ってますよね?」
「ええ、そうですね」
「なら街案内が必要ではないでしょうか? 僭越ながら私がご案内しますよ?」
ふむ、確かにそうかもしれない。普段から地図なしで旅をしたりもしているのであまり迷うことは無いだろうが、看板も読めないためにガイドさんが居れば助かる。
「いいえ、大丈夫っすよ。ありがとうございました」
しかし私は人見知りであり、そして人見知りにとってガイド付きというのは苦痛でしかないだろう。美術館と同じで一人で廻りたいのだ。手を挙げて礼をし、歩き出す。
「え? ごめんなさい、ちょっとまってぇ!」
何故か追いすがる彼女。ならば逃げるのみ。逃げるのだ。スタスタと早歩きで礼拝堂を出て、それから即座に走り出す。
「まって! まって! まっ…」
"どべしゃ"という、まず腹を打ちつぎに顔を打ったかのような音が背後から聞こえた。振り返れば両手を伸ばし、芸術点が入るレベルの美しさで倒れている姿が見える。
恐らくお堂入口の段差に気づかなかったのだろう。急に両足が止まると惰性で両手が前方に出て、結果としてあのような姿になる。自分自身もやったことがあるので分かる。
彼女がこけたのが俺を追っかけたせいであるのは明白なので、若干の罪悪感を感じつつ、助け起こそうと近づく。
「ダイジョブっすか……?」
すぐには返事がない。転ぶさまを目撃した人々の遠巻きに心配する目が痛い。
「だ、だいじょうぶです」
彼女は私の伸ばした手を取ると、小さく"捕まえた……"と呟いた。はい、捕まりました。逃げていいですか?
怪我の具合を観察したが、ロングスカートだったために膝は擦りむいておらず、両手を伸ばしたために腕も無事。打ったであろう顔も若干鼻頭が赤くなっている程度で被害軽微。腹もさほど強くは打っていないらしい。
「よかった……。では、お気をつけて!」
怪我も軽症だったので即座に反転。あでぃおーす!
「ま、まつ!」
安堵して脱力したように見せてから一気に逃げ出そうとしたにも関わらず、上着の裾を掴まれる。こやつ学んでおる!
しかもその言葉はもはや命令形ですらない。終止する結果が約束されているとでも言わんばかりだ。
観念したかのように見せて彼女が立ち上がるのを待ったところ、裾を放すどころかもう片方の手でも裾を握ってきた。手を放した一瞬を狙うという考えが読まれている。もう少し常識にそって考えて貰えないだろうか。
少し走っただけで"はぁはぁ"と上げている息は手さえ放して貰えれば容易に振り切れるだろうことを教えてくれているが、逆に言えば彼女もそれが分かっているのだろう。あっ、今さらに強く握りこんだ。
「いえ……、少しお話したいなって」
この文化圏での"お話"とはどのような隠語であるのだろう? あれ、俺死んだ?
「分かりました、逃げないので怒らないでください」
両手を広げて観念したことをアピールする。ここで逃げたら本気で怒られるかな? ちょっと好奇心。
「怒ってはいないですよ、びっくりしただけで!」
と言って顔を見上げてくる。青色の髪に映える黄金の瞳は、どうやら言葉通り驚いただけらしいと表情と共に語っている。
"そりゃよかった!"と、誤魔化すように笑いかけたところ一瞬真顔になった。地味に根には持ってますよね?
路地裏を二人で歩いている。床は石畳。両壁は高いために若干薄暗いものとなっている。"こつこつこつ"と靴が立てる音を楽しんでみるが、隣を歩く彼女との沈黙が痛い。どうやらペラペラとしゃべり続けるタイプでもないらしい。
道なりに幾度かの角を曲がると大通りへと抜ける。夕方になるにつれて人が増えているのだろうか? 人混みが目に付く。
「あちらにある大きな建物は斡旋所と呼ばれるものですね!」
やけに自信ありげに既に知っているものを説明してくれるが、とりあえず黙っておこうかな。ちょっとかわいいし。
「あれが噴水というもので、水が噴き出て綺麗なんですよ」
そのような解説を聞き流しつつ街を眺めて歩き回る。どうやら噴水はまだ街の北部にあったようで、まずは大通りを南に向かって探索していく。
時折通る馬車などを避けていると、ふと身動きが取れないほどの人混みに流される。そして気づけば隣には誰もいなくなっていた。はぐれてこちらを探し続けているならば無視するのも悪いかなと思い、手ごろな壁へ背を預けて路上を眺める。
道行く人を観察していると、時折動物の耳を生やしたものや耳が尖がったもの、はたまたひげ面をした小さな子供などが通り過ぎていく。エルフやドワーフというやつだろうか?
そうして時間を過ごしていくと、背にした壁の角から彼女が現れた。
「あー! 見つけた!」
眠たげだが切れ長で明瞭な黄色い瞳と、頭ひとつ分の低い背丈。ズンズン、というには威勢のない声色も相まって迫力がないものの、詰め寄った彼女はこちらの手を握る。
「逃げようとしてましたよね?」
「いや、逃げてないからはぐれた現場にいる訳で」
「いいえ、犯人は現場に戻るともいいます!」
俺なら戻らないなぁ。
どうやらもう手を放すつもりはないらしく、左手を引かれるがままに歩く。デートみたいだなぁと惚けたことを思えば、案外気分は悪くはない。……出来の悪い子供を叱るかのような扱いはともかくとして。
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