1-1

 真っ暗だ。目が潰れたのだろうか。

 それは、それはまずい、今後ゲームが出来なくなってしまう、いや、そんな問題じゃないか、そもそも瓦礫の下敷きになって体が動かない。

 し、死ぬ? 俺は、死ぬ?

 それは……、…………それは嫌だ。

 そもそも、何だってこんな事に、地震か? どうして俺の所なんだよ!?

 途方もなく重く鈍い激突音。ビリビリ伝わる震動。

 お、おい、何の音だよこれは! 地震とかじゃなくて、他の何か、墜落とか激突とかか?

 ここに居たら、俺も潰される!?

 く、くそ、死んでたまるか!

 俺は、のし掛かるアパートの残骸を力任せに持ち上げる。胸部に激痛と痺れ。

 ――第三肋骨と第九肋骨の骨折。

 何か、不吉な言葉が脳裏を掠めたが、それ所じゃ無い。

 やけくそな怒号と共に、俺は何十キロあるかも知れない瓦礫を押し退けた。

 ああ、夜に備えて灯り始めていた街の光が、この奈落に射し込んで来た。目は潰れていなかったようだ。

 歪んだ鉄骨が牢屋のように立ち塞がるが、俺はこれを腕づくで曲げた。……針金みたいに、くにゃっと変形した。この物件、強度的に大丈夫なのか?

 死物狂いで瓦礫から這い出すと、俺はすぐさま辺りを見回す。

 …………うちのアパートを含め、町病院とコンビニ、それと民家が二軒ばかり倒壊していた。

 だが、さっき惣菜を買ったスーパーは全くの無傷。

 地震にしては、被害にばらつきが無いか?

 いやしかし、スーパーから、客だの従業員だの、老若男女何人もが逃げ出して来ていた。

 そして。

 不意に、後方から陰が射した。

 俺はそちらを向いた。

 俺は始め、不自然な所に建物が現れたのだと思った。

 だが違う。そいつは、その見上げる巨物は頭を持ち、両腕を持ち、胴体を持ち、脚を持っていた。

 その有り余る全身は、さらに、圧倒的質量の鉄に覆われていた。

 そう。丁度、中世の甲冑のように。

 もっと正確に言うなら、この、表面に無数の溝線が走ったフォルム……十六世紀に作られた"マクシミリアン式"の板金鎧だ。

 さっき俺がゲームで挑もうとしていた、騎士の亡霊を彷彿とさせる。

 その手には、錆びてボロボロに刃こぼれした西洋剣が。

 何だこれは、あのゲームの1/1フィギュアでも作られたのか? にしてはあまり似てないぞ。あのゲームだと、プレイヤーの装備にも、敵の装備にも、この形式の鎧は存在しないはずだ。

 いや……フィギュアではない! こいつは、動いている!

 そこの電柱と比べても遜色の無い巨大剣を大きく頭上に掲げると、おいやめろ、人が逃げ惑うスーパーの駐車場へ唐竹割りに降り下ろした!

 鈍い激突音。足下から腹を苛むような震動。さっきからの音は、こいつの仕業か!

 アスファルトにぶちこまれた刃を引き抜くと、奴はハンマー投げよろしく、自分の身体ごと剣を旋回。何人か、剣と土煙の中に巻き込まれて潰されたのが見えた。

 見てる場合じゃない、逃げ、逃げなければ!

 だが。

「ぁ……」

 フルフェイスの兜に覆われたそいつの目を、こちらから見る事は出来ない。

 なのに確信があった。

 今、奴と俺の目が合った!

「ぁあアアぁあァ嗚呼ァ!?」

 俺の喉から、人間とは思えないほどの叫喚が吹き出していた。

 巨大甲冑騎士は、間違いなく俺を目指して歩き出した。

 な、な、な、何でだよ!? あいつのガタイを考えれば、俺なんて蟻んこ同然だろうに。

 何故俺に構う!? 

 だが、奴が俺を目の敵にしているのは、今や明らかだ。

 畜生! ここまでか!

 もう腹を決めるしかないのか。

 

 ――さっき手に入れた、この"魔法"の力を使って。

 

「神経伝達物質・制御」

 俺は、俺なりに考えた呪文を唱えた。

 すると、淡い燐光が俺自身を満たした。魔法による事象変化が引き起こした、副次的な発光現象だろう。

 俺は、魔法の力で、自分の脳を操作した。

 人間の情動全てを司るのは、所詮は脳だ。これをうまく操作出来たなら、どんな恐怖も克服可能であろう。

 恐慌や錯乱など、目の前の事柄に向き合うにあたって邪魔な感情には、これで蓋が出来た。

 俺は、魔法の力に目覚めた。

 恐らく、さっきアパートの崩落に巻き込まれて潰された辺りでだ。

 何故だか分からないが、その事実が直接脳に書き込まれた感覚がある。天啓とは、こう言うものなのだろうか。

「第三肋骨、第九肋骨、修復」

 これで骨折も完治。余剰分の治癒エネルギーで、細かい切り傷や裂傷、服のほつれすらも完全に塞がった。

 さて……怖いと言えば滅茶苦茶怖いが、そろそろあの脅威に真っ向から立ち向かわねばならない。

 でないと、殺されるのは俺だからだ。

 奴は……野太い剣を野球のバッターみたいに構えた。

 そして、あの巨大な質量にそぐわない瞬発力で、俺の方に跳んで来た!

「あぁアァああアァッ!」

 先程切り離した俺の恐怖心が、俺の喉を大いに震わせる。

 電柱ほども長大な剣が、愚直なまでに俺の頭上から襲い来る。俺はこれを、ほとんど転げるような勢いで回避。さっきまで俺の立っていた位置が砕けて、クレーターになった。

 這う這うの体で走り、住んでいたアパートの向かい、奴にぶち壊された民家へと転がり込む。ここは、遠野さん家だ。

 正確には、遠野さん家の車庫と納屋を兼ねた、小さな建物に。

 この地域は、年に一度、獅子舞の祭りがある。俺も近所付き合いとして、内心嫌々ながらも参加していた。

 それで。遠野さんの家は、祭り当日までの稽古場として敷地を提供していた。

 その関係で獅子の頭や踊り子の持つ剣などの小道具類を、この車庫に格納する作業を手伝った事もあるのだが……その時、ふと目にして、何となく覚えてた物がこれだ!

 俗に言う、バールのような物。

 それは宝刀のように、今もそこに掛けられていた。今の俺には武器が必要だ。遠野さんには悪いが、今まで祭りに参加した報酬として貸してもらう。

 バールをひったくるように取った。直後、巨大剣が大気を攪拌しながら振り上げられる音。

 ゴミクズのように転がり出ると、寸分遅れて、遠野さんの納屋兼車庫が圧壊四散した。

 体勢を立て直して、俺はバールを正眼に構える。そして、あのバカでかい甲冑野郎を見上げた。

 圧倒的質量の板金鎧を前に、こんなバールなど爪楊枝ほどにも頼りなく思えた。

 だが、体感的にわかる。俺の手を通して、バールには魔法的なエネルギーが流れ込んでいる。あらゆる摂理を捻じ曲げる、万能のエネルギーが。

 恒久的で常駐的な自己強化魔法によって、俺の筋力は何倍にも増大している。そして、その衝撃をモロに受けるであろうバールも強化されているから、ちょっとやそっとの打撃では変形すらしないだろう。

 後は、あの甲冑野郎の中身がどういう体質をしているか次第、と言った所だ。

 俺達人間――生物と同じく、真っ当な循環で成り立つ存在であるなら……頭部や心臓など、主要臓器が壊されれば死ぬような存在であってくれれば、どうにかなる、か?

 とにかく、考える時間ももう無い。

 ああいうフルアーマーな奴には、鈍器による殴打が有効。その不文律を信じて、やるしかない!

 のだが。

「ひ……!」

 上擦った、あまりにもか細い声が、俺の耳を触った。

 直ちに目線を走らせると……。

 ……居た、ドラム缶のようにずんぐりと肥満化した若い女が、すぐそこでへたり込んでいた。

「くそっ、マジかよ!」

 俺の悪態を知ってか知らずか、甲冑野郎のフルフェイスメットもまた、そのメタボ女に目線を向けたようだ。

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