第193話 白い椅子


〈勇者レオ視点〉




 それは落とし穴だった。



 しかもその落とし穴は、これまでも森や城内で散々見てきたものと全く同じタイプのものだ。



 それ故に、今更そんな罠に自分が嵌まるとは思ってもみなかった。



 そうなってしまった原因は頭上から降ってきた金ダライ。

 それを防御する為に意識が頭上に注がれ、足下が留守になってしまったことにある。



 しかし、それだけなら絶対防御スヴェルを再展開し、落とし穴の底に仕掛けられた罠から身を守るだけだ。然して焦ることもない。



 だから、そのようにした。



 だが、穴底に設置されていた罠は想定外のものだった。



 落とし穴の底に設置する定番の仕掛けといえばトゲ罠が主流。

 しかし、目の前のそこには白い椅子のようなものが設置されていたのだ。



 しかも座面には穴が空いていて、その穴の中に底知れぬ闇が広がっているのが窺えた。



 それだけなら、まだ得体の知れない椅子で終わるだろう。

 問題は、レオの体がその穴の中にじわじわと引き込まれてゆく感覚があることだった。



 落下の際、咄嗟に展開した絶対防御スヴェル

 それにより球体状の不可視防壁を展開したレオは、謎の白い椅子に直接、激突せずに済んでいた。



 だが、穴に接触した面から不可視防壁が吸い取られてゆくのを感じていたのだ。



 ――こいつ……絶対防御スヴェルのスキルごと吸い込むのか!?



 直感で、あの穴に落ちたらヤバいと悟る。

 そして状況はかなり切迫していた。



 脱出の為に絶対防御を解けば真下に口を開けた穴に真っ逆さま。

 だからといって、そのままの状態を維持し続けていても、いずれ防壁ごと穴の中に吸い込まれてしまう。



 まさに八方塞がり。



「くそっ……なんなんだ……これは」



 誰に言う訳でもなく、独り悪態を吐く。

 と、その時だ。



 予期しなかった返答が頭上から投げかけられる。



「それはトイレよ」

「……!?」



 ――ト……トイレだと? こんな形のを見るのは初めてだ……。しかし、何故、落とし穴の底にトイレが……?



 その答えにも衝撃を受けたが、それよりも声の主だ。



 レオは首だけを曲げて頭上に目を向ける。

 すると落とし穴の縁に黒いローブを着た見覚えのある女性が立っていた。



「……ヒルダ!」



 彼女は無表情でレオのことを見下ろしていた。



 ――茶を飲んで、さっきまで苦しんでいたはずだが……。そういえば、今までどこにいた!?



 彼女の行動に引っ掛かりを覚える。

 けれども、その姿を認めたところでレオの中に少しの安堵が生まれた。



 ――ともかく……今はここから脱出することが先決だな。話はそれからだ。



「おい、ここから出るのを手伝ってくれ」



 すぐにヒルダに助けを求める。



 ――だが、どうやって引き上げてもらうか……。



 思考を巡らせようとした時だった。



 ガンッ



 不可視防壁全体に僅かな振動が起こった。

 その振動の発生源を頭上に感じる。



 レオが即座に見上げると、衝撃的な光景が目に入ってきた。



 ヒルダがその足で背後の防壁を蹴りつけていたのだ。



「おいっ! 何してんだ!?」



 すると彼女は、やはり無表情のまま答える。



「何って、あなたトイレに行きたいんでしょ? だから手伝ってあげてるのよ」



 ガンッガンッ



 ヒルダは何度も蹴りつける。

 表情は冷淡だが、声は笑っていた。



「やめろっ! 正気か!?」



 ただの蹴りが絶対防御に利くはずもない。だが、与える振動が穴への吸い込みに僅かながら助力していることは確かだ。



「うふふ……至ってまともよ。あなたを葬り去るつもりでやってるんですもの」

「なっ……」



 レオは絶句した。



 再会した時から様子が違って見えたことには気がついていた。

 だが、それが何なのかはハッキリと見えてはこなかった。



 それがここに来てようやく表に出たのだ。

 しかし、これは裏切りとかそういった類いのものではない……。



「貴様……何者だ?」

「何言ってるの? 私はヒルダよ? 間違い無くヒルダ」



「……」

「でもねえ……あなたの知ってるヒルダではないかもしれないわ。うふふふ……」



 声だけで不気味に笑うと、彼女は着ていたローブの前を開く。



「……?」



 そのローブは彼女の細い体を伝ってストンと落ちた。

 一糸纏わぬ白い肌がレオの目の前に晒される。



「……」



 突然の行為に困惑する間も無く、変化はすぐに訪れた。



 彼女の肌が、肉が、ただれるように溶け出し、見る見る骨になってゆく。



「っ!?」



 先ほどまでヒルダだったものは、一瞬にしてピンク色のスケルトンと化していた。



「どう? 私の体、綺麗でしょ?」



 スケルトンは誘うようなポーズを決めて見せる。

 だが、その声はさっきまでのヒルダの声とは違っていた。



 女性の声ではあるが、声質が違う。



 しかもその声は、スケルトンの胸元に張り付いている目玉のような奇っ怪な魔物から聞こえてきているように思えた。



 その骨を目の前にしたレオは、ヒルダがもうこの世にいないことを悟った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る