第170話 トラバサミ
〈勇者ヒルダ視点〉
「まったく、鬱陶しいわね」
ヒルダはうざったそうにしながら、襲いかかってくるゾンビの一群を自らの矛で薙ぎ払っていた。
狙撃を避けるように森の中へと逃げ込んだ彼女。
それで一息吐けると思っていたのだが、いざ足を踏み入れてみれば無数のゾンビが徘徊する墓場のような場所だった。
ザシュッ
ヒルダが矛を突き刺すと、ゾンビが数体まとめて串刺しになる。
そのまま地面に叩き付けると、腕や頭やらがもげて辺りに転がる。
だが、ゾンビはその程度では活動を止めない。
腕が無くなろうが、頭が無くなろうが、何度でも起き上がり襲いかかってくる。
力自体はさして強くは無いが、一々相手をするのが面倒臭い。
それに森の中は鼻を突くような濃い瘴気が漂っていて、それが煩わしさに拍車をかける。
これを一人で相手するとなると骨が折れる。
が、しかし、幸いにもリゼルの兵士達の約半数が自分の後に付いてきていたので、敵の数に対抗することが出来ていた。
一兵士であっても、彼らは王都直属の竜騎兵。
ゾンビくらいの相手は出来る。
けれども、回復スキルの出番が無いという訳ではない。
ヒルダが回復役に徹することが出来るように、兵士達は彼女の周囲を取り囲みながら進むのだが、彼らはかなりの頻度で倒れるので、その度に復帰させなければならない。
しかも打ち漏らした敵は自らが相手をしなくてはならず、かなり忙しなく動く羽目になっていた。
――このまま魔王城まで突き進むのはちょっと厳しいわね。早いとこ、レオ達の部隊と合流しないと……。
そんなことを考えながら合流地点を模索していると、次第に襲ってくるゾンビの数が減ってくる。
そうこうしているうちに全く遭遇しなくなった。
「急にどうしたっていうのかしら?」
不審に思っていると、急に隊列の歩みが止まった。
次いで先頭を行く兵士が声を上げる。
「勇者殿!」
呼ばれた彼女は兵士を掻き分け、隊列の前へと出る。
「どうしたの?」
「罠です」
兵士は言いながら前方の地面を指し示した。
見ればそこには獣を捕獲するのに使うトラバサミが仕掛けられているのが確認出来た。
「随分と単純な罠ね」
辺りを見渡すと同じ罠が無数に仕掛けられているのが見て取れた。
「ゾンビ達が襲ってこないのは、この罠が仕掛けられている地帯に入った為……?もしそうなら、かなり舐められてるわね。こんな罠に私達を嵌めようとしているのだから」
これに兵士達は同調した態度を見せた。
「いかにも。このような罠、きょうびの猪でも掛かりませんよ」
「はっはっはっ、違いない」
兵士達の間で笑いが漏れる。
と、そこで、前列にいた数人が罠を見ながら会話を交わす。
「しかし、結構な数だ。ここは迂回するしかないか」
「何を言う、この程度の罠は掛かってしまえば罠ではなくなる」
「というと?」
すると、その会話を聞いていた別の兵士が何かを思い付たようだった。
「なるほど、そういうことか」
彼は足下にあった小石を拾うと、それをトラバサミの真上に落ちるように投げてみせた。
途端、バチンッと金属が弾け合う音がして、牙のような鋏が閉じるのを見た。
「おお、お主、頭が良いな」
「なあに、この程度の事、誰でも思い付くことさ」
「じゃあ、この要領で他の罠も発動させてしまおう。そうすれば迂回せずとも済みそうだ」
兵士達は皆、それに賛同し、それぞれに小石を手にする。
そんな時だ。
なんとなく先程の閉じたトラバサミを見つめていたヒルダは、何か嫌な予感がした。
動くはずのないトラバサミの刃が歯軋りのようにキリキリと音を立てたような気がしたのだ。
「……待って!」
すぐさま制止の声を上げる――が、遅かった。
兵士の手から飛んだ小石が放物線を描いてトラバサミに当たる。
途端、
ジャキンッ
「っ!?」
トラバサミがまるで生き物のように鋏の開閉を繰り返し始めたのだ。
金属の擦れ合う音がそこかしこでし始める。
「なっ、なんだ!?」
兵士が動揺の声を上げた瞬間、無数のトラバサミが獣のように襲いかかってくる。
それはまさに鋼鉄の牙を持った狼のようだった。
「うっ……うぎゃぁぁぁぁっ!」
最初に噛み付かれた兵士は瞬く間に肉の一部を食い千切られた。
トラバサミは次々に兵士に飛びつくと、旨い餌に有り付けたかのように貪り始める。
そして――あっと言う間に、骸骨だけに成り果てていた。
そんな光景を見せられた兵士達が平然としていられるはずもなかった。
「うわぁぁぁぁっ!? や、やめろっ!」
「こっちくんな! ひぃぃっ!?」
皆、慌てふためきながら逃げ惑う。
骨になってしまっては、さすがにヒルダのスキルでも蘇生させることは出来ない。
彼女は叫んだ。
「下がれ! 下がるのよ!」
彼女が指示を出すと、兵は一斉に退避を開始する。
しかし、鋼鉄の牙の飢えは尋常ではなかった。
退散する兵士達にしつこく食らいつく。
彼らは次から次へと餌食になり、多くの骸が森の中に転がり始める。
ヒルダは後に驚愕する。
この時、気付けば連れていた兵の三分の一を失っていた。
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