第171話 誘惑の檻


〈勇者ヒルダ視点〉



 獣のように食らいつくトラバサミから、なんとか逃げ延びたヒルダ達だったが……この一件で多くの兵士達を失ってしまっていた。



 ――これ以上、兵力を削がれるわけにはいかないわ……。彼らは私にとっての貴重な盾代わり・・・・なんだから……。



 それにしても、どういうことだろう。



 トラバサミはしばらく逃げ続けると付いてこなくなった。

 活動範囲が限られているのか? または別の目的があってわざと付いてこないのか? それは分からない。



 だがそれはヒルダ達にとっては不幸中の幸いだった。

 あのまま、あの状況が続けば、部隊は全滅していたかもしれない。



 それに運が良いのは、逃げた場所が予てから進むつもりだった方角であったことだ。

 まだ距離は相当あるが、森の木々の合間から見える魔王城のシルエットがだいぶ近くになったように思える。



 同じ場所を目指している限り、レオ達とはそこで合流出来る可能性が高い。



 ――こんな物騒な森はさっさと抜けてしまいましょ。



 ヒルダが足取りを速めようとした時だった。



「勇者殿、前方に何かあります」



 先頭を行く兵が声を上げた。



「何かとは? 状況を正しく伝えなさいよ」

「恐らく……罠かと」



 そこでヒルダは眉間に皺を寄せた。



「またなの? 勘弁してよね……」



 愚痴を漏らしながら先頭まで足を進める。

 すると妙に開けた空間が視界に入ってきた。



 鬱蒼とした森が、そこだけ平原になっていたのだ。

 兵士が弓矢の訓練をするくらいの広さはある。



 そんな場所に罠はあった。



 鉄格子で囲われた直方体の檻が無数に設置されていたのだ。



 この隠す気も無い、あからさまな加減は先程のトラバサミの時と同じ。

 ここにいる誰もが同じ轍は踏むまいと思ったに違いない。



「見た感じ、これも獣用の罠よね……」



 慎重に遠目から窺った限りでは、猪や熊などの獣を餌で誘き寄せ、中に閉じ込めるタイプの箱檻にしか見えない。



 しかし、先程のトラバサミもやはり獣用の罠だと軽んじて酷い目にあった。

 ここは何も触れず、無視して進むのが得策だろう。



「見た目は大したものには見えないけれど、悪い予感しかしないわ。この場所は避けて通りましょ」



 ヒルダがそう兵士達に告げた直後だった。



 一人の兵士が命じた側からそれを無視し、平原の中に足を踏み入れたのだ。



「ちょっと! あんた、何やってるの!」



 ヒルダが大喝すると、その兵士は申し訳なさそうな顔で振り返った。

 行動と表情が合っていない。



「いや、もちろん……勇者様の言う通りだと納得しているのですが……その……体が勝手に動くんです……」

「なんですって……? そんな馬鹿にしたような嘘が通用するとでも思ってるの?」



「馬鹿になど……! 本当です! 勝手というか……あの檻の中にある謎の食べ物からとても良い匂いがして……食べたくて食べたくて仕方が無いんです……」



 涙目で必死に理由を話す兵士。



 ――どういうこと?



 ヒルダは状況を把握しようと遠目で檻の中を凝視した。



 すると、檻の奥の方にパンのようなものがぶら下がっているのが見えた。

 パンには切れ目が入っていて、その中には見るからに食感がカリカリとしてそうな謎の食材が挟んであった。



「確かに……これは美味しそう……」



 食べたことが無いものでも、あれは旨いというのが見た目で分かる。

 思わずゴクリと喉が鳴った。



「っと! いけない、いけない! こんな罠に嵌まってたまるもんですか! またさっきと同じ目に遭うわよ! 惑わされないうちに全員、退避!」



 彼女がそう叫ぶや否や、一斉に兵士達が駆け出した。



 だが、それは――、



 想定していた方向と逆だった。



 あろうことか兵士達は檻に向かって走り出したのだ、



「ちょっと!? 何やってるの! 戻りなさい!!」



 ヒルダが強く言うが、誰もその命令は聞かない。

 それどころか皆、口元から涎を垂らしながら走って行く。



「そんな……」



 躊躇いも無く檻の中に一番手で入った兵士は、真っ先にパンに食らいつく。



「っもぐ……んぐっ……もぐっ……っぷはっ、うめえぇぇぇぇぇっ!!」



 兵士は一口食べただけで目をとろんとさせて酔ったように檻の中で寝そべる。

 まるで誘惑の薬でも盛ってあるかのようだ。



「おっ、俺にもくれえっ!」

「うひょーっ! うめえっ!」

「うまっ!? こんなの食ったことねぇ!」

「俺にもくれよ! 届かねえよ!」



 そんな感じで一つの檻の中に何人もの兵士が詰まってゆく。

 そこら中に置いてある別の檻でも同様に。



 そして檻の中が満杯になった所で事は起こった。



 自動で檻の扉が閉まり、兵士達が中に閉じ込められる。

 そこで彼らは、はたと正気に戻った。



「な……なんだこれ!? で、出られないぞ!」

「くそっ、開かねえ!」



 兵士達は内側から扉を揺すったり、剣で斬り付けたり、魔法を使える者はそれを放ってみたりもしたがビクともしない。



「ゆ……勇者殿! お助けを……!」



 今更、そんな声が聞こえてくる。

 見ればヒルダ以外の全兵士は皆、檻の中に閉じ込められていた。



「まったく……だから言ったでしょう! なんで私があなた達の尻拭いをしなきゃならないのよ」



 文句を言いながらも彼女は矛を構える。



 ――こんな程度の檻、聖具でなら簡単に両断できるわ。



 余裕の態度で檻の扉に矛先を突き立てる。

 すると、



 ガギンッ



「!?」



 激しい金属音がして、矛が弾かれた。

 何度か試すが、全て同じように弾かれる。



 ――なんなの……この檻は……。防御魔法でも付与されてるとでもいうの……? それとも……。



 ただの鉄じゃないことは確かだった。



「無理ね」

「え……」

「聖具で斬れないものは何を以ても斬れないわ。それに私は攻撃系のスキルを持ってないし」

「……」



 ヒルダの言葉で兵士達の顔は途端に絶望の色に変わる。

 それは、この場でこのまま餓死するか、生きたまま森に住む魔物の餌になるかを宣告されたに等しいからだ。



「そ、そこをなんとか! 勇者殿のお力で!」

「ああぁ……俺はこんな所で、こんなつまらない死に方をするのか……」

「い、嫌だーっ! 死にたくないぃ!」



 檻の中の兵士達に動揺が走る。



 ヒルダにとっても彼らをこのままにしておくのは得策ではない。



 ――なんとかして檻をこじ開ける方法を探さないと……。



 扉を開ける為のヒントがないか、檻の周りを入念に観察する。



 しかし、それは鉄格子を貼り合わせただけの酷く単純な作りで、特別目に付くようなものは無かった。



 開閉扉も施錠するような機構すら付いて無く、どうやってロックされているのかすら分からない。



 解決策に苦悩していた時だった。



 ふと、心惹かれるような不思議な感覚に襲われる。

 それは鼻孔をくすぐるもの。



 少し離れた場所にある空っぽの檻から良い匂いが漂ってきたのだ。



「っ……!?」



 ――くっ……まだ、空の檻があったなんて……。



「こ、こんなことで……」



 なんとか堪えようとするが、食欲という根源的な本能が数百倍にも膨れ上がったかのようになり、我慢が利かない。



 足が勝手にそちらの方へ向き、意志とは正反対に体が檻の中へと入って行く。



「だ、だめっ……!」



 もう限界だと悟った瞬間――、



 ガッ



「……!」



 手元につっかえたような感覚が走る。



 その手を見ると、檻の入り口に矛がつっかえていて、なんとか全身を中に入れるまでには至らないでいた。



 しかし、食欲が邪魔して、矛を手放したい気持ちに駆られる。



 ――ダメ! 離しちゃダメ! 絶対にっ!



 歯を食い縛り、矛を持つ腕に力を入れる。

 そのまま体を引き寄せるようにして――、



「っはぁぁっ!」



 息を吐いた瞬間、

 ヒルダの体は檻の外へと投げ出された。


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