第146話 皇国の勇者
〈リゼル王視点〉
謁見の間に緊張感が漂っていた。
リゼル王が腰掛ける玉座。
そこから真っ直ぐの伸びる赤い絨毯。
その長い端部に二人の人物が立っていた。
一人は恰幅の良い巨躯の男。
もう一人はどこか妖艶さの漂う細身の女。
共に勇者の証たる白銀の鎧を身につけていた。
「陛下への拝謁をお許し頂き、有り難く存じます」
男の方がそう口にすると、二人揃って跪いてみせた。
「私は神聖レジニア皇国の勇者、レオ・カイヴァントと申します」
「右に同じく、ヒルダ・ラハティであります」
「うむ……」
リゼル王は彼らを前にして思う。
――平然とした態度でいるが、ただならぬ威圧感……。これは確かに勇者のものだ。アレクと対峙していた時も同じような感覚に陥ったので間違いない。
万が一に備えて充分な数の衛兵を辺りに配置してはいるが……。
「長い道程ご苦労であった……と言いたいところだが、我々はレジニアという国の存在を承知していないのだが?」
すると、レオと名乗った男の口元が弛んだように見えた。
「これは失礼致しました。我が神聖レジニア皇国は北方に連なるモルス山脈の向こう側に存在する国で御座います」
「モルスの向こうだと……?」
宰相のライムント以下、周りの衛兵達も揃ってざわつく。
それもそのはず、この大陸で生きる者は皆、そこが世界の果てだと信じていたからだ。
死神の名を持つモルス山脈は非常に高い標高を持ち、永久凍土で固められた壁のような存在。
頂上付近では毒の細氷が舞い、あらゆるものの生命活動が僅かな時間で停止するという。
そこを越えた者は魔物であろうとも誰一人としていない。
ましてや、山脈の向こう側に国が存在しているなどとは夢にも思わない。
それ故、そこは世界の果てとされてきた。
だが、目の前にいる勇者達はそこからやって来たという。
そんな事を言われれば信じがたいのも当然だった。
――そもそも、あのモルスをどうやって越えて来たというのだ……。戯言にも程がある。
「ほう、人類未踏峰の山を越えてきて尚、余裕の様子。随分逞しいとみえる」
リゼル王は皮肉めいた笑みをみせる。
「登るだけが山ではない、とだけ言っておきましょうか」
レオは似たような笑みで返した。
「ほほう、レジニアの勇者殿は摂理をも覆す力を持っておられるようだ」
「そのようですね」
彼は「フフッ」と小さく笑ってみせた。
――なんとも癖のある男のようだ。
しかし、何か他にあの山を越える方法があるというのか?
いや、ドラゴンの堅牢な鱗ですらあの場所を飛ぶことは出来ないというのに勇者が生身でなど……。
では地下道?
有り得ん。かつて人類はモルスの地下に隧道を掘る計画を何度か立ち上げては断念した経緯がある。現実的ではない。
それ以外にあるとすれば……レジニア皇国という国自体が妄言であるということくらいだ。だが問題は、あの書簡か……。
「まあ、信用頂けないのは無理もありません。それ故にイスラ法王猊下に書状をしたためて頂いたわけですから」
リゼル王の内心を知ってか知らずか、彼は免罪符のようにその話を出してくる。
――彼がその書簡を持っているということは、猊下は皇国の存在を知っていたということになる。
それを分かりながら、なぜ公にしないのか?
レジニア皇国とイスラ法王庁の間に何か特別な繋がりでもあるのだろうか?
「法王猊下の紹介であれば、こちらにそれを拒む理由は無い。だが、そなた達の目的をまだ聞かせてもらっていない。何故、このリゼルに?」
それでレオは口角を引き上げた。
「率直に言えば、我々二人がリゼルの勇者として助力いたしましょう。ということです」
「ほう、それは興味深い話だ」
「聞けばリゼルは唯一の勇者を失ったとか。ならばこの国は勇者を欲しているのでは? ということになりましてね。それで我々が遣わされたというわけです」
「確かに、我が国は勇者を欲している。喉から手が出るほどにな。それにしても、随分と立派な思想を持った奉仕国家があったものだ」
「奉仕国家ですか? そのような奇特な国がこの世にはあるのですね」
「そなた達の国のことを言っておるのだが?」
「ご冗談を」
彼らは互いに視線を合わせ、ほくそ笑む。
「ただこれだけは言えるかもしれません」
「なんだ?」
「レジニアは魔王城下の資源が目的ではないということです」
「ほほう、やはり奇特な国のようだ」
「そうですかね? でもこれはリゼルにとっても悪い話ではないはず」
「ふむ」
――仮にレジニアに何か別の目的があるのだとしても、それでリゼルを頼る理由はなんだろうか?
共闘を考えるならば、他の国も当然選択肢の中にあるはずである。
そこが解せない。
「その話、何故にリゼルへ持ってきた?」
すると、レオの今まで顔面に張り付いていた淡然たる表情が僅かに歪んだ。
「程良い状況にあったのが、この国だったということでしょうか」
――この男、案外ずけずけと物を言う……。
善人を装う必要もないという訳か。
挑発的な態度を取っても結果が変わらない自信があるのか?
ということは、我が国が勇者を欲していなければ、彼らにとっては他国でも良かったということだ。
レジニアの目的が何なのかは分からないが、手駒にされるのは避けたい。
――ならば、手駒の振り……か。
そう思案していると、レオが急に芝居染みた声を上げる。
「この国は素晴らしい。町並みは綺麗に整い、人々に覇気がある」
「何が言いたい?」
「いえ、ただリゼルがラデス帝国のようになって欲しくないと思いましてね」
「それは、どういう意味だ?」
「おや? まだご存知でない。魔王代理と名乗る者によってラデス帝国は滅びたそうですよ」
「なっ……!?」
謁見の間にどよめきが広がった。
「この度の魔王は、手を出すと百倍返しされると専らの噂ですよ。次はリゼルの番ですかね?」
その場の空気が緊迫感に包まれる。
「それは……まことか?」
「ええ、確かな筋からの情報です。なんでも城そのものが消滅してしまったとか。現在はラウラ姫が政を取り仕切り、国の建て直しを行っているようですが」
「……」
――なんということだ。魔王の力はそこまでのものなのか……?
しかも手を下したのは魔王代理という話。配下の魔物でもラデスが滅ぶほどの力とは……。
「失礼致しました。それは余談でしたね。さて陛下、改めて我々をリゼルの勇者として雇って頂くわけには参りませんでしょうか?」
レオはへりくだったように言う。
そこでリゼル王は目を細めた。
「要求は何だ?」
すると彼はニタリと笑んだ。
「王国軍の部隊をお借りしたい」
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