第124話 死臭の仮面


〈ラデス皇帝視点〉




 ラデス皇帝は困惑していた。



 突然、寝室に侵入してきたこの者は、魔王代理と名乗った。

 もしそれが本当ならば、由々しき事態だ。



 何重にも張り巡らされた城の警備網を、この者はあっさりと抜けてきたことになる。



 無数に配置してある兵士が誰一人として気付いていないことも問題だ。



 それは、この城の防衛力が皆無であると、一瞬にして証明されてしまったようなものだった。



 ――それにしても、この侵入者の風体……妙である。



 鎧は奪ったのだろう。見た目こそ帝国兵士の姿をしているが、外面から異様な雰囲気が漂っている。

 それでいて気配を全く感じず、無機物を前にしているような感覚に陥る。



 力無く垂れた腕と、緩やかに曲がった猫背。

 仮面の下からは、僅かだが獣ような息遣いが聞こえる。



 極めつけは背負われている巨大な麻袋と、両手の平に装着された謎の物体だ。

 長方形の木の板に布を張ったような見た目だが、彼にとっては初めて見るものだった。



 そして、そんな妙な出で立ちでありながらも、腰に差している黒い剣からは、途轍もない威圧感を覚える。



 ――これが……魔王の手の者……なのか?



 奴の正体は明確ではないが、今、自身の命が危険に晒されていることは確かだった。



 剣先を相手に向けたまま観察を続けていると、奴の方から口を開く。



「あれ? まだ理解してない?」



 そんな大人とも子供とも取れない軽い口調で問いかけられた。

 見た目の異様さとは不釣り合いな声質だったが、男であることが分かる。



 奴は尚も続ける。



「エルフの勇者を送ってきたよね?」

「……!」



 皇帝の眉根がピクリと動いた。



 ――リアのことか……! それを知っているということは……やはり、この者は魔王の……。



「それに続けて、一度に七人もの勇者を送ってきたよね?」

「……!」



 皇帝は頬を引き攣らせた。



 ――なぜそれを……? 確かに勇者達を魔王討伐に向かわせたが、経過した日数から考えても、まだ魔王城には到達していないはずだ。ということは……。



「途中で遭遇したのか……?」

「まあね」



 しかし、だからといって、それで何も無いということは無い。



 思わず「それで――」と続けそうになった時、奴はこちらの心の内を悟ったように仮面の下で笑った。



「あの勇者達、全員まとめて葬っておいたよ」

「っ!?」



 皇帝は息を飲んだ。



「嘘じゃないよ? でも跡形も無くなっちゃったから、証拠を出せって言われても困るんだけど。まあ、待っていても帰ってこないと思うから、それが証拠かな?」



 ――馬鹿なっ……。あの戦闘力の低い、勇者リアがやられるのはまだ理解出来る。だが……精鋭揃いのあの七人を……しかも、一纏めにだと……? 信じられん……。



 しかもそれが魔王〝代理〟だという。

 魔王ですらない者に全く歯が立たなかったのだ。



「おやおや? 動揺が顔に出てるよ?」

「く……」



 奴を睨み返す。

 すると、魔王代理は調子付いたように立て続けにしゃべり始めた。



「プレゼントをもらったら、お返しをするよね?」

「……」



「遊びに来てくれたら、今度はこっちが遊びに行く」

「……」



「ただそれだけのことをしたまでだよ」

「……」



 そこで鋼鉄の兜が首を傾げる。



「まさか、自分だけが調子良く攻めちゃってるーなんて思ってないよね?」

「……」



「攻めたら、攻められる覚悟を持って挑んでもらわないと。ね?」

「……」



 皇帝は剣を構えたまま相手を見据える。



 ――奴は七人もの勇者を一人で打ち倒したという。そんな奴を私一人でどうにか出来るものではない。ならば……奴の真意を引き出し、そこから糸口を見つけるか……もしくは……。



 城にいる勇者や兵士を呼ぶ為、大きく声を張り上げようとした時だった。



「おっと、そうはさせないよ」

「……!」



 魔王代理が、両手に持っていた謎の布付き板を皇帝の鼻先で軽く叩いて見せたのだ。



 白い粉が空中に舞い、その一粒を鼻から吸い込んだ途端、それは起きた。



「うっ……何をした!?」



 全身に雷のように痺れが走ったのだ。

 次の瞬間、体から力が抜けて行く。



 ――立っていられない……!? 麻痺毒の類いか……!?



 自分の意志に反して、床に転げてしまう。

 体の自由が利かない。

 が、辛うじて意識は保っている。



 その状態で天井を仰ぎ見ると、彼のことを覗き込んでくる鉄兜があった。



「ちょっと自由を奪っただけさ」

「な……んだと」



 分からない。

 この状況で何故、そのような事をわざわざするのか?



「それだけの力を持っていて……なぜ、殺さない……?」



「なぜって? それが俺にとって効率の良い方法なら、すぐにそうするさ。でも、そうじゃないんでね」

「?」



「やって来る勇者達をいちいち相手にするのが面倒なんだよ。お前を殺して、それで止めばいいが、同じような体制がその場でまた出来上がってしまっては意味が無いからね。そうならない確証が得られるまで生かしているだけさ」



「なっ……」



 皇帝は言葉も出なかった。



「さて、どうしようか?」



 仮面をしていても、その奥にあるニヤつく顔が見えた気がする。



 恐怖すら覚え始めた、そんな時だった。



 窓辺から青白い月光が差し込んでくる。

 月を覆っていた雲が流れて消えたのだ。



 月明かりは室内にある調度品の影を色濃く映し出す。

 それはもちろん、皇帝と魔王代理の影も同様に。



 だが、そこで、

 月光によって照らされた絨毯の上を――、



 二人のものとは違う影が伸び始めた。


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