第68話 死に損ない
「うぅ……」
アイルの顔が苦痛に歪む。
彼女の首を締め上げるその手の主。
それが穴の底から這い上がってくる。
「くっそ……」
男の声。
体が思うように動かないのか、煩わしそうにしながら穴の縁に手をかけ、地上へと這い出る。
底から現れた男。
それは考えるまでもない。
勇者アレクだ。
こいつ……まだ生きてたのか……。
案外、タフだな。
目の前でフラフラと立ち上がった彼の体は、血に塗れていた。
鎧の覆っていない箇所にトゲ罠が刺さった跡があり、そこかしこから出血しているのが窺える。
まだ這い上がれる力があるということは、運良く急所を外れたか、もしくはあの最中、なんとか避けたか……。
そんな状態でもアイルの動きを封じているのだから、そこは腐っても勇者なのだろう。
彼女の首を掴む彼の手からは、白い陽炎のようなものが立ち上っていて、それがアイルの自由を奪っているようにも見える。
勇者が持つ、魔を封じる力のようなものか?
しかし、今はそんな事を考えている場合じゃない。
さっきまで楽しそうにしていた彼女が、今では力無く項垂れている。
そんな苦悶の表情を見ていると、胸の奥で滾るものを感じた。
「なんだお前は?」
アレクは、目の前に立っている俺の姿を認めると、訝しげに観察してくる。
だが、それはすぐに蔑むような視線に変わった。
今の俺は頭に角こそあれど、見た目は線の細い青年。
魔物とは判断出来ても、魔王だと分かる者など、そうはいないと思う。
だからこそ彼は、俺が雑魚であると認識したのだ。
それにさっきから俺が何もせず、しゃべらないでいるのは、ビビってると思っているっぽい。
見た目で判断……一番やっちゃいけないやつなのにな。
ゴーレムで学習しなかったのか?
それとも彼自身、もう一杯一杯で余裕が無いのか?
アレクは動きを封じているアイルを横目でみながら言う。
「こいつも、お前も、魔王の配下か? なら、魔王の所まで案内してもらおうか」
む……図々しいことを言い出したぞ。
危険な道を避け、一気に魔王の懐へ攻め込もうという考えだ。
それにしても……俺達の命を自分が握っていると勘違いしているようだな。
しかし、こちらが何も行動を起こさないでいると、彼は苛立ちを見せる。
「おい、聞こえてるのか?」
声を荒らげながら片手で聖剣を抜くと、その切っ先をアイルの喉元に突き付ける。
「……」
更にアレクは切っ先をアイルの喉元に食い込ませる。
それで、彼女の白い肌に薄く血が滲んだ。
「俺も気が長い方じゃないんでね。あまり待たせると手元が狂うことがある。そんなことにならない為にも…………うぉがぁぁぁぁっ!?」
アレクは突然、腕を押さえながら地面でのたうち回った。
手首に銃弾のようなものが貫通したのだ。
辺りに鮮血が飛び散る。
その際、アイルは解放され地面にへたり込む。
「けほっ」と咳き込んではいるが、大丈夫そうだ。
「なるほど、今のでこんなもんか」
俺は自分の人差し指を見ながらそう呟いた。
指の先からは僅かな火の粉が飛んでいる。
そいつの正体は
以前、この森の道を作ってしまった原因である特殊スキルだ。
あの時は調節が上手く行かなくて、とんでもないことになっちゃったけど、これくらいだったら丁度良いのか。
出力を極小に絞った今のは、森の木を穴だらけにしながら何度も練習したもの。
俺は改めて人差し指に目を向ける。
この指先からビー玉程度の炎弾を放ち、アレクの手首を狙って撃ったのだ。
「お前……な……何をした!?」
「何って、ちょっとした実験だよ」
「じ……実験だと……?」
立ち上がった彼は、訳が分からないといった様子で苦悶の表情を浮かべている。
「そう、人体に与えるダメージ度合いの実験」
「……」
そこでアレクの顔から血の気が引いたように見えた。
「ふざけた真似を……そんなものでこの俺がはあぁっぁぁぁっ!?」
今度は聖剣を持っていた方の腕を炎弾が貫通する。
しかも貫いた箇所に炎が纏わり付き肉が焦げる臭いがする。
「ぐわぁぁぁぁっっ!!」
アレクは叫びながら堪らず聖剣を手放す。
「ちょっと威力を上げてみたけど、このくらいがベストかな?」
俺がそんなふうに言う中、背中を向けた彼の体が光を帯び始める。
敵わないと悟ったのか、瞬足スキルで逃走しようというのだ。
そんな彼に向かって俺は人差し指を伸ばし、狙いを定める。
バシュッ
「ぎゃっ!?」
炎弾がアレクの太腿を貫き、転倒する。
「危ない危ない。お前の場合、最初に足を潰しておくべきだったね」
「ひ……ひぃっ!」
完全に怖じ気づいたアレクは、地面を這いながらもまだ逃れようとしている。
俺はそんな彼を追うようにゆっくりと歩みを進める。
すると、
「ま……待ってくれ! 俺が悪かった!」
この期に及んで命乞いをしてきた。
両手を挙げ戦意が無いことを示してくる。
「もう、この場所には来ない! だから……」
「ダメだよ」
「え……」
彼は目を丸くする。
「俺には戦う意志の無い者を相手にする趣味は無いけどさ。お前は特別だから」
「とく……べつ?」
「そう、俺の大切なものを傷付けたんだから。ちゃんと、その報いを受けないと」
「ひっ……!」
俺は人差し指を彼の頭に向ける。
と、そこで、追い詰められたことによって、アレクの中に一つの疑問が産まれたようだった。
「お……お前は……一体……」
そんな彼に対し、俺はほくそ笑む。
「俺は魔王」
「……!」
「まあ、そんなこと今更、覚えてもらっても意味は無いけどね。どうせ死ぬんだから」
次の瞬間、
驚愕で体を硬直させる彼の額を――炎弾が貫いた。
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