第一章
一話
あなたはなぜエルト・キラ・グラウスと戦うの──
山を下った所に村がある。決して大きいとは言えないが、ここに住む者たちはみんな優しい人ばかりで、赤ん坊からお年寄りまで皆んなが仲良く暮らしていた。なので目立った争いはあまりない。
その一角に
「やだ!俺も連れてってくれよ!」
朝から大きな声で叫んだのは紛れもなく敦だった。目の前にいる父ちゃんは腕を組んだまま、何も動じない顔で座り込んでいる。エコーがかかったように声は壁に反響し、そこそこ広い部屋に響き渡った。
「駄目だ駄目だ、お前に漁はまだ早い。」
負けじと父ちゃんも反抗する。年の差と言うやつか、やはり俺より声の圧が大きい。やっぱり違うな、と少し睨みながら思った。
父ちゃんは司令塔のような人で人々からの信頼が大きい。この村の長の次かその次くらいに偉い人だ。
そんな父ちゃんは天候の良い日に仲間を集めて、魚や海藻を獲るために漁に出る。ここは海に近いため毎日のようにして漁に出るのだ。もちろん子供は漁に行ってはいけない。
敦は頬を風船のようにぷぅと膨らますと子供ではないような鋭い目つきで、
「あいつがいるからだろ?」
と問いかけた。
一瞬空気がピリッと凍りついた。外はあんなに太陽に照らされていて暑いのに、ここだけ違う世界にいるような感覚に襲われる。
「敦、お前…知ってるのか?」
と父ちゃんはおもむろに聞いてきた。いつもより声がいっそう低いことに気がつく。冷静を装う父ちゃんから鼓動や血圧が上がるのが簡易に想像できた。
そんな父ちゃんを横目に俺は答えた。
「海の怪物、エルト・キラ・グラウスでしょ。」
数分の間沈黙が降り注いだ後、父ちゃんは大きなため息をついた。
「お前はまた…村の者が話しているところを盗み聞きしたな?」
「っ…」
図星で何も言い返せない俺に、父ちゃんは頭を大きな手でガシガシとかくと「やっぱりな」と少し怒った表情で言った。
「あいつに関わってはいけないと言っただろ。どれだけの人が犠牲になったと思う?俺だって無敵じゃない。もし、お前に何かあったとしても守ってあげられないんだぞ!」
「でも、このまま何もせずに見てるなんてこと出来ないよ!漁獲量が少なくなってるのもあいつのせいだろ?」
「お前はまだ子供だ!」
「子供でも出来ることはある!」
頭に血が上ってくるのがわかった。体中が炎の中にでも居るように熱を帯びていく。
父ちゃんには力では勝てない。言い争うことしか出来ない自分に何となく腹が立つ。自分はこんなにも無力なのかと…
「いい加減にしなさいな」
奥の部屋で料理をしていた母ちゃんが来て、困った顔で二人に言った。
「あなた、少し言い過ぎではありませんか。敦の言い分もちゃんと聞いてあげてくだい」
「母ちゃん…」
俺は母ちゃんの方に顔を向ける。
「敦もです。大切な人がいなくなった時の悲しみを理解しないで言うことではありませんよ」
「…」
確かにそうだ。けど、やっぱりこのままでいてはいけない。もうひとりの自分が駄目だと言ってる。何か言わなくちゃ。何か…。
さっきまで熱かった体が徐々に冷めていく。何も感じない。怖い……そう思った時だった。
「敦」
一瞬何が起こったのか分からなかったがある温もりを感じ取り、母ちゃんに抱きしめられていることに気づく。氷が溶けて水になるように、何かが溶けたのか目からはたくさんの涙が溢れてきた。
「私達は敦のことを心配してるのよ。出なきゃ父さんだってあんなに怒ったりしないわ。」
「で、でも…」
「あなたはもっと強くなる。今は駄目でも必ず皆を助けてくれると信じているわ。死んでいった仲間たちもそう思ってるはずよ」
「そうなのかな…」
「えぇ。父さんだって昔はああだったんだから」
クスクスっと笑って母ちゃんが続ける。「おっ、おい…」という父ちゃんの声は聞こえないふりをしたようだ。
「ちょうど敦くらいの歳だったかしら。父さんたらいきなり「俺がエルト・キラ・グラウスを倒す!」なんて言い張ってね。少し騒動になったのよ。」
「昔の話だ」
父ちゃんはそう言うと少し顔を赤らめてそっぽを向いた。騒動までいったとは想像もつかない。
「みんな考えてることは同じなのよ。敦だけが突っ走っても何も変わらない。協力するからこそ出来ることだってあるんだから。」
頭を優しく撫でられて、さっきまで止まらなかった涙もおさまっていった。
俺は涙をゴシゴシと拭くと
「わかった。俺強くなるよ。父ちゃんより強くなる!」
と言い張った。何かが吹っ切れたような気がする。
「えぇ。父さんに負けちゃ駄目よ。」
「うん!」
大きく頷くと母ちゃんは優しく微笑んだ。
「さて、ご飯の支度をしなくちゃ」と母ちゃんが言った時だった。
玄関の方からコンコンとノックする音と誰かの声がした。
「誰かいますか?今日はたくさん山菜が採れたので
「そういえば、隣の奥さんが今年はたくさん採れますよって言っていたわね」
すると勢いよく敦が立ち上がった。
「
そう言って敦は玄関の方へ駆けて行った。
残された二人は小さな足音が聞こえなくなってから話し合う。
「すまん。つい怒鳴ってしまった。」
「いいえ。私もあの子のような時はありましたから。」
「やっぱり覚悟を決めなくちゃいけないな。」
「そう、ですね…」
部屋の中はしんと静まり返る。
外では虫の声が忙しなく鳴き続けていた。
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