第25話 相反する想い


 アイリーンと仲違いのようなものをしてから、アルバートはまだ一度も彼女に会っていない。

 これは別に避けているわけでも、避けられているわけでもない。

 特にアイリーンは、自分の生誕パーティーに向けての準備が忙しいらしく、それはアルバートも知っていた。


 彼女は今年で十八になる。


 このラドニア王国で十八と言えば、とても大切な節目であり、ようは結婚できる年齢だ。

 だからこそ、生誕パーティーもかなり盛大なものとなる。

 今、城の者はほとんどがその準備に追われているところだろう。


(これから好きになれる、ね)


 最後に会ったときの彼女の言葉を思い出し、アルバートは我知らず羽ペンで机を叩いた。


 カッ、カッ、カッ。

 リズミカルに叩かれるそれが、彼の執務室に響いている。

 アルバートの機嫌は、もちろん最悪だった。


(これから……そう、これからなんだ。だから今は、アイリーンは別にルークのことなんて好きじゃない。わかってる。わかってるのに……)


 カッ、カッ、カッ。

 なぜだろう。腹の奥がムカムカして仕方ない。

 たとえ未来の話でも、アイリーンから好きな男について訊いたのが初めてだからだろうか。

 リジーのときだって、彼女は自分の恋愛について話したことはない。


(話したことがなかっただけで、本当は好きな男がいた? それはルークじゃない? 誰だ。誰が彼女の心を)

 ――奪ったのか。


「……っ」


 ズキリと胸が痛む。

 彼女の心が誰かに奪われていたと思うだけで、胸を掻きむしりたくなるほどイライラした。


 なんて身勝手だと、アルバート自身思う。

 リジーはエリクとエミリーを祝福してくれたのに、アルバートはアイリーンを祝福できないなんて、あまりにも勝手過ぎる。


 でも、隣にいるのが、当然だと思っていたから。


(俺も祝福しないと。アイリーンにあんな顔をさせたいわけじゃないんだから)


 カッ、カッ、カッ。

 せめて反対はしないでほしいと言った、彼女の泣きそうな顔を思い出す。


 本当は無理だと思った。

 心のままに動いて良かったのなら、反対しないなんて無理だ、そう言って彼女を抱きしめたかった。腕の中に閉じ込めたかった。


 けれど、彼女のその表情を見て、アルバートはなんとか思いとどまったのだ。

 あのとき触れていたら、きっと、彼女は本当に泣いていただろうから。


(この感情はなんだ。どうしてこんなにもコントロールが効かない? エミリー様のときだって、こんなことはなかったのに)


 カッカッカッ。

 机を叩く音が、だんだんと速くなっていく。


(わからない。エミリー様を想うときは、もっと穏やかで、心優しくいられた。それが恋じゃないのか? 好きって、そういうものじゃないのか?)


 でもそうなると、この胸の内に渦巻く感情を、アルバートはどう表現すればいいのかわからなくなる。


 心穏やかではいられない。

 アイリーンが自分から離れようとしている現状に、心優しくなんていられない。


 必死に手を伸ばして、離れるなと捕まえて、二度とどこにも行けないよう閉じ込めてしまいたくなる。

 それは、狂気の沙汰とも言えるだろう。

 こんなに醜くドロドロとした感情が、恋であっていいはずがない。

 恋は綺麗で、キラキラしていて、エミリーを想うときのように、尊いものであるはずなのだから。


 でも、今アルバートの中に蠢いている想いは、アルバートの知る恋より苛烈で、みっともなくて、胸を焼け焦がそうとしてくる。


(だから、そう、これは恋じゃない)


 だったら何なのかと、見えてしまいそうになる答えを、あえて無視した。

 だってそうでないと――


(恋じゃ、ないんだ……!)


 そうでないと、記憶の中で微笑むエミリーに、もう、アルバートは顔向けできない気がするから。





 ***




 あれからひと月半が経ち、すっかり外は灰景色だ。あんなに彩り豊かだった木々も、今やもの寂しい枯れ枝姿となっている。

 風は冷たさを孕み、夏とは真逆の理由で肌を刺す。


 アイリーンは空を見上げた。

 景色と同じ灰色の雲が、まんべんなく広がっている。雨、いや、この寒さなら雪でも降るかもしれない。


「風邪を引いてないといいけれど」


 誰が、とはもちろん口にしない。

 しないけれど、無意識に誰のことを考えてしまったのか認識し、慌てて首を振った。


「殿下。このままでは殿下のほうが風邪を引いてしまいます。戻りましょう」


 庭園の奥にある、人気ひとけのないガゼボ。アイリーンはそこにいた。

 そこのベンチに座って、もうかれこれ三十分以上はぼんやりと空を眺めていた。

 見かねたユーインが声をかけてくれたのだ。


「……そうね。このままじゃ、あなたたちにも悪いものね」

「我々のことなどお気になさらず。殿下がいたいだけいていいのです。ですが、殿下に風邪を引かせるわけにはまいりませんので」

「ありがとう、心配してくれて。じゃあ戻りましょうか」


 アイリーンが歩き出したのに合わせて、ユーインを含めた護衛騎士も動き出す。

 ぼーっと空を眺めていたのは、明日、いよいよアズラクがこの国に来るからだ。


(あの日から、アルバートとは一度も話してないわね)


 色々と準備に忙しかったアイリーンは、アルバートはおろか、誰とも会う暇がなかった。

 彼には何度か手紙を書こうかとも思ったが、結局手は動かず、送れずじまいである。


(でも、この気まずいまま別れるのは、さすがに嫌だわ)


 だってアイリーンは、アルバートを嫌いになったわけじゃない。諦めなきゃと追い詰められるほど、今でもまだ好きなのだ。

 このまま喧嘩別れなど、悲しすぎる。


 しかしそういうときに限って、二人の時間がなかなか合わない。

 今はアイリーンの唯一空いた休憩時間だが、逆にアルバートが仕事中だった。

 自分のわがままで彼の仕事の邪魔をするわけにもいかないだろう。


(はぁ、憂鬱だわ。きっと明日は嫌でも顔を合わせるだろうけど、何を話せばいいのか……)


 せっかく久しぶりに彼と会えるのに。

 でも、まだそう考える自分が嫌で。

 アイリーンはもう何度目かわからない自己嫌悪に陥った。

 考えるなと思えば思うほど、心は反対に素直になる。

 もう、自分では制御できない。

 いつからこんなふうになってしまったのかなんて、アイリーン自身覚えていない。


(自分で言うのもなんだけど、重症だわ……)


 忘れたい。諦めたい。この想いを失くしたい。

 そう考えれば考えるほど、ドツボにはまっているような気がする。


 他の女性を想う彼に傷ついて、もうこんな恋は嫌だと思っているはずなのに。

 親友としてしか見てもらえないことに、悲しみ疲れているはずなのに。


 忘れられない。諦められない。いつまでたっても失くせない。


 疲れた。この葛藤が。

 疲れて、疲れて、本当に疲れて。

 だから、彼から離れれば、全てがうまくいくと思ったのに。


 しかし結果はどうだ。

 数ヶ月離れていた間、いつも考えていたのはアルバートのことだった。

 これではこの先の人生をずっと彼と離れて過ごすなんて、自分にはできないのではと思わされる。


(自分で思うよりも、もうとっくに依存していたのね)


 麻薬だ。アルバートが時折見せる嫉妬心が、甘い毒となって心身ともに侵されてしまったのだろう。

 それがたとえ、親友に対するものだとしても。

 離れられないのは彼じゃない。アイリーンだ。


(じゃあ、どうすればいいっていうの)


 このままアルバートのそばで、苦しみながら生きていくのか。

 それとも当初の予定どおり、自分の心を無視してアルバートのそばから逃げるのか。


 悩みながら歩いていると、前方から人が近づいてきた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る