第24話 喧嘩


「お、おかしなこと?」

「うん。だって何も問題がないだなんて――問題大ありだけど?」

「えっ」


 あら不思議だわ。とアイリーンは思った。

 またさっきの剣呑な空気に戻っている。


「君の相手がルークだなんて、それこそ反対だよ」

「どうして?」

「どうしても」

「理由を言ってくれなきゃわからないわ」

「それは言わない。ルークの名誉にも関わるから。でも、反対は反対だ」


 もしかして、ルークがよく娼館に通っていたことを言っているのだろうか。

 確かにそれならアルバートが黙秘する理由も、反対する理由もわからないわけではない。

 それでも、別に構わないのだ。

 たとえ今のアズラクがそうだと聞かされても、アイリーンの答えは同じである。


「アルバートには悪いけど、私はもう決めたの。あなたに反対されようが関係ないわ」

「関係ある」

「ない」

「ある」

 ――もうっ。


「ないったらないの! もしかして私が隠してたから、そんな意地悪なことを言うの? だったら謝るわ。ごめんなさい。だからもうそんなこと言わないで」


 そんな、反対するだなんて。

 アイリーンの結婚を、喜べないだなんて。


(お願いだから、そんな決心の鈍るようなことを言わないでっ)


 だって、どうせアルバートのそれは、可愛がっている妹をとられる兄のような心境なのだ。

 実際ハンナの婚約者についても口を挟んでいることを知っているので、アイリーンは過度な期待を持たないようにしていた。

 そうなってくると、せっかく彼を忘れようとしているアイリーンにとって、彼の口出しは余計なお世話以外の何ものでもない。


(私はあなたを諦めるために頑張ってるのよ。いい加減、忘れさせてくれてもいいはずだわ!)


 なぜなら彼が好きなのは、アイリーンじゃない、エミリーだ。

 もう死んでしまった人に、アイリーンはどうやったって勝てない。

 せめてエミリーが女として転生してくれていたら、まだ越えられる可能性はあったかもしれない。

 それとも逆に、もっと早くに諦めがついていたかもしれない。


 でも、彼女は男に生まれ変わった。

 こう言ってはユーインに失礼だが、どうして女に転生してくれなかったのかと思ったのは、何もアルバートだけじゃないのだ。


(あーもうっ。だめだめ! こんなこと思うなんて、ユーインに対して失礼だわ)


 だからこそ、もう決着をつけようと思ったのだ。

 これ以上醜い自分になる前に。

 これ以上アルバートを好きになる前に。

 これ以上、前世に振り回されないために。


「それに、アズラクは受け入れてくれたもの。私は彼と結婚するわ」

「ちょっと待って、アイリーン。アズラクって、もう呼び捨ててるの?」

「だって未来の旦那様なのよ。別に構わないでしょ? だいたい、アルバートは今世のルークに会ってないからそんなことが言えるのよ。前世も素敵だったけど、今世はもっと素敵な男性になってたんだから。私にはもったいないくらいよ」


 そう言うと、目の前のアルバートが、アイリーンでさえ初めて見るほど凪いだ瞳で、じっと見つめてきた。

 不思議とその視線から逃げられない。縫いとめられたように、瞬きすらできなかった。


「それは違うよ、アイリーン」


 彼が、静かに言う。


「違う。逆だ。ルークに君が、もったいない。二人とも大切な友人だけど、それでも俺は、君のほうが素敵だと思ってる」

「〜〜っ」

 ――信じられない!


 そう声を大にして言えたなら、アイリーンはここまで苦しまなかっただろうか。

 彼は本気だ。

 本気でそう思ってくれているのだろう。

 ならどうしてと。そんな思いが胸に広がる。


(どうして、それでも、アルバートの想い人は私じゃないのっ……?)


 絶望とは、今この瞬間のことを言うのだろう。

 彼に素敵だと言ってもらえて、もちろん嬉しい。

 けれど彼が素敵だと思う自分は、それでも彼の一番にはなれない。

 これほどもどかしくて、悲しくて、やるせないことがあるだろうか。


「アルバートは酷いわ。誰にでもそんなことを言うのね。エミリー様じゃない、私にも」

「誤解だ。こんなことアイリーンにしか言ったことない。他の誰にも――」

「聞きたくない! なんでそんなこと言うの? そんな……思わせぶりで、期待させるようなこと! 私はあなたの親友でしょ? 妹でしょ? そんなこと、恋人に言いなさいよ! 好きな人に言いなさいよ! 私はもう傷つきたくないのに……っ。お願いだから、せめて反対はしないでよ……」


 これ以上喜びたくない。期待したくない。

 報われない想いに、縋り続けたくはないのだ。

 だから、今さらそんなこと、言わないでほしかった。


「……わかった。今日はもう、何も言わない。ごめんねアイリーン。君を傷つけたかったわけじゃないんだ」


 わかっている。そんなこと。

 アイリーンが彼に片想いさえしていなければ、彼は何も悪くなかった。彼が謝る必要なんてなかった。

 相手を褒めたのに怒られるなんて、誰も想像しないだろう。


 全部、アイリーンが悪いのだ。

 いつまで経っても彼への想いを捨てられない、アイリーンが。


「……今度の、私の、生誕パーティー」


 ぽつ、ぽつ、と力なく伝える。


「あれに、アズラクも、呼ぶの」

「……そう」

「久々なんだから、きっと、楽しいわ」

「そうだね。君がそれを望むなら、きっと楽しいパーティーになる」

「うん」

「君が、望んでるんだね?」

「……そうよ」

「君は、ルーク――アズラク殿下が好きなんだね?」


 好き? まさか。あなたがそれを訊くのかと、叫びたい衝動に駆られる。


 でも仕方ないこともわかっていた。

 だって臆病な自分は、一度も彼に想いを告げたことがないのだから。

 なのに、そんな自分が、どうして彼を詰れるというのだろう。そんな資格、自分にあるはずもないのに。


「きっと、これから、好きになれるわ」


 アルバートは「わかった」と小さく口にすると、そのままこの部屋を出て行った。

 不思議と涙は出てこない。





 *



 やがて、ファルシュの宮殿に、ラドニア王国から一通の手紙が届いた。

 薔薇の封蝋が目立つそれは、この国の第二王子へと渡っていく。


「――あら? アズラク兄様、どうされたの? なんだか楽しそうね」

「そうか? いや、そうかもな」


 くつろいだ様子で手紙を読んでいたアズラクに、後ろから一人の少女が声をかけた。

 アズラク同様彫りの深い顔立ちをしている。

 クリムゾンの髪が腰で波打ち、滑らかなオリーブ色の肌が扇情的だ。ファルシュ人によく見る特徴だが、その中でも群を抜いて彼女は美しい。

 自分と同じく王家の美貌を受け継いでいる妹に、アズラクは意味深に目を細めた。


「なあ、レイラ」

「なあに?」


 レイラは応えるように、アズラクが座っているソファの背もたれから顔を出す。


「おまえ、国内の男は飽きたと言っていたな?」

「ええ、まあね。だって、良い男はほとんど食べちゃったんだもの」

「じゃあ、他国の男に興味はあるか?」


 兄の言葉に一瞬だけきょとんとして、


「あるわ」


 レイラは瞳を輝かせた。


「あるある、とってもあるわ! なあに、兄様。紹介してくれるの?」

「そうだな。おまえが気に入るかは知らないが」

「私、面食いよ?」

「まあ気に入らなくても問題はない。おまえが近づけば、少しはかき乱せるだろうからな」


 くく、とアズラクが喉を鳴らす。


「あら。また何か企んでらっしゃるのね? 悪い人」

「はっ、今さらだな」


 じゃあ頼んだぞ、とアズラクがソファから立ち上がる。

 その手には、二枚の手紙があった。

 一つはつい先ほど届いた薔薇の封蝋付きの手紙。

 もう一つはこれより前に届いていた、まるで忍ぶように簡素な手紙だ。


 差出人はそれぞれ別で。

 その二つを見比べていたアズラクは、頭の中でこれからの算段を立てていく。


(おまえがその調子なら、俺は遠慮などしないぞ。エリク)


 うっそりと微笑を浮かべる様は、完全に悪役のそれだった。




 波乱の幕が、開ける。





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