第22話 二人の想い
「ごめん、ごめんユーイン。違うってわかってるんだ。わかってるけど、それでも君が――君だけは、お願いだからそれを言わないで……っ」
あまりに切実な懇願に、ユーインは自分の怒りを一瞬にして忘れた。
それどころか、そんなアルバートに誰かの面影が重なった気がして、知らずそちらに意識を集中させている。
見えたのは、目の前の彼とは似ても似つかない、黒髪の少年。
幻かもしれないと、目を擦る。
「君が何も覚えてないのはわかってる。わかってるけど……さっさと忘れないからなんてそんなこと、君の口から聞きたくない……!」
アルバートと、重なって見える少年が、何かを訴えるようにユーインを見つめてくる。
その強い眼差しに、ユーインは既視感を覚えた。
いつかに見た瞳だと思った。
幼い頃、何度も夢に見た、憧れのあの人だ。
強く、優しく、己の信念を曲げない自慢の騎士。自分もあの人のようになりたいと思って、騎士の道を目指した。
その人と似ている。
いや、その人と同じ瞳だと、本能は確信していた。
どうしてかは、よくわからなかったけれど。
「お願いだよ、ユーイン。君だけは、忘れろなんて言わないで……」
切な過ぎるその声に、ユーインは自分でも知らないうちに頷いていた。
頷くつもりなんてなかったのに、取り消そうとも思わなかった。
ただただ、ユーインが頷くのを見て胸を撫で下ろした彼に、ユーインもまたほっとしている。
が、妙な空気になったことに気づき、慌てて口を開いた。
「と、とにかくです。貴殿の寂しがりやかなんだか知りませんが、そのせいで私は護衛から外された。これがどういうことかわかりますか」
「えーと?」
本気でわかってなさそうな顔をするアルバートに、ユーインはイラっとしながら答える。
「つまり、殿下はご自分が嫁がれる時も、私を連れて行ってはくれないということです。わかりますか? この絶望が。生涯ただ一人の主と定めた人に、見捨てられる悲しみが。それも、実力のせいではなく、他人の色恋沙汰のせいで!」
確かにそれは理不尽だと、アルバートでさえ思う。
ユーインが怒るのも納得だ。それだけ彼がアイリーンを好いているというわけなのだが、それはこの際無視しようと決める。
「ていうか、え、君、本当にアイリーンが好きなの?」
思わず訊いてしまったのがいけなかった。
「……黙秘します」
「黙秘!? それってもう答えてるようなものだけど!? 嘘でしょっ? ねぇ嘘だと言ってよエミリー!」
「だから私はユーインだ! そんな名前でもなければ女でもない!」
「ああごめん、つい。ちょっと動揺して……。だって本当のことを言うと、半分は冗談で訊いたんだ。君は生真面目に『主として慕っています』って答えるだろうと思って……」
そうして、恐る恐るユーインを見やれば、彼はほんのりと赤らめた頬を隠すように横を向いた。
これは確定的である。
「そんなっ、浮気者!」
「浮気者!? なんでそんなことを貴殿に言われなければならないんだ!?」
「だってそれはっ……ねぇアイリーン! 君もそうおも――」
つい長年の癖で、アルバートはアイリーンの名前を呼ぶ。呼んで、すぐにここにはいないことを思い出して、ゆるゆると口を閉じていった。
やはり慣れない。彼女がそばにいないことに。
前世なんかは物心がつく前から一緒にいたのだ。親友であり家族のような存在だったから、前世では片時も離れたことなんてなかった。
離れるという発想自体、あの頃の二人にはなかったように思う。
それは、今世で再会してからも同じである。
だからこそ、アルバートはアイリーンの許に通った。今世で王女となったアイリーンは、自由に動けないだろうとわかっていたから。
何よりも、自分が離れていたくなかったのだ。
目を離せばすぐにやんちゃをして、怪我をして、いつも心配ばかりかけさせる彼女。
目を離した隙に、また先に逝ってしまうのではないかと、心底恐ろしくて仕方なかった。
「ねぇ、ユーイン」
「なんでしょう」
「アイリーンはいつ帰ってくるの?」
「予定では二ヶ月の滞在ですので、あとひと月後です」
「あとひと月? そんなに?」
そう言うと、ユーインからぎろりと睨まれた。
言外に自分のほうが不満だと
「えっと、ごめんね。君が一番待ち遠しいよね」
「当然です」
元恋人のこの変化を、悲しめばいいのか、恨めばいいのか。アルバートは自分の口角が引きつったのを感じた。
ただ不思議なことに、アルバートは今、アイリーンに嫉妬してはいなかった。
寂しい気持ちはあれど、妬ましいとか、許せないとか、そんなドロドロとした感情は沸かない。
むしろアイリーンに変な男が近づいたときのほうが、よっぽど苛立ったし許せなかった。
特に、あの女好きのオーガストが彼女に
(ん? ちょっと待って。それってまさか……)
自分の変化にようやく気づき、その行き着く先の感情にも気づきそうになって、アルバートは「いや、まっさかぁ……」とぎこちなく首を横に振った。
「だって、アイリーンだよ? 親友だよ? ないない。むしろ妹みたいなものだし……ねぇ……?」
我知らず声に出してしまったが、アルバートはまだ気づいていない。
「そうだよ、妹を好きになるなんて、ありえないって。ハンナのことだって、そんなふうに見たことは一度も――」
「好き、ですって?」
「――あ」
ここでやっと、アルバートは己の失態に気がついた。
「好き? 貴殿が、殿下を? 今さら?」
「いや、ちが、ちょっと話を聞いてくれるかい、ユーイン」
「今さらどの面さげてそんなことを言っている? それとも冗談ですか? であればなおのことタチが悪い。殿下が帰ってくるまでに始末してしまいましょうか」
「ちょっとちょっとユーインさん!? 話が変な方向に飛んでますけど!?」
「貴殿を殺したほうが、殿下のためになるような気がしてきました」
「ならない、ならない! 絶対ならないから!」
「いえ、貴殿がいなくなれば、殿下も心置きなく嫁ぐことができましょう。そのための外交なのですから」
「……はい?」
なんだか聞き捨てならないことを聞いた気がして、アルバートは眉根を寄せた。
「そのための外交って、どういうこと?」
しかしこれには、ユーインも意外そうな顔をする。
「聞いてないのですか?」
途端、焦りと苛立ちが生じた。
自分はこんなにも短気だっただろうか。失望しながらも、口は勝手に問い詰めていた。
「ユーイン、詳しく話して。全部だよ」
すると、アルバートの様子からなんとなく状況を把握したらしいユーインが、急いで一礼し、そのまま逃げようとする。
「ネイト」
ので、侍従を使って強引に引き止めた。
「申し訳ありませんが、ロックウェル殿、もう少し若様にお付き合いくださいね」
「ユーイン、俺は君にはなるべく手荒な真似をしたくない。だから、わかるよね? 洗いざらい、知っていることを全部話してもらうよ」
「も、黙秘します」
「それはなぜ? 君の最初の様子から、別にアイリーンに口止めされていたわけじゃないんだろう?」
ぶるっ、と。ユーインの背筋が震える。
「ちなみにここでアドバイスを申し上げますと、王女殿下が絡むことで隠し事なんて若様にはしないほうが身のためですよ、ロックウェル殿」
そんな侍従の言葉をユーインが身に染みて理解させられたのは、そのすぐ後のことである。
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