第21話 不本意な留守番


「へ?」

「ですから、別に嫌いではありません。ただ気に食わないだけで」

「うん?」


 つまり、それが嫌いということではないのだろうか。アルバートの頭上に疑問符が浮かぶ。


「私は、器用な人間ではありませんので、嫌いな人間ならば会話もしません」

「あ、ああ……。そういえばそうだったね」


 思い当たる節があって、アルバートは曖昧に相槌を打った。

 特にその中でも、彼の元上司にあたるモーガン・クロフトに対しては、口を利かないどころか近寄りさえしないことを知っている。


「ただ、貴殿を気に食わないと思うのは、私の身勝手な感情ゆえにです。貴殿のせいではありません」

「そ、そうなの?」

「はい」


 じゃあその身勝手な理由とは何だろう。

 嫌われていないとわかってほっとしたけれど、また別の気になる問題が発生してしまった。


「それと、私が貴殿の見舞いに来たのは、王女殿下からの言伝もあったからです」


 だから勘違いするなと言いたげな彼だが、それよりもアルバートは「王女殿下」という言葉に反応した。


「アイリーンが? 君に言伝を? どんな?」

「『アルバートの様子に注意していてほしい』と」

「俺の?」

「誰かが気づいてあげないと、倒れてしまうだろうからと」

「!」


 まさしくアイリーンの心配どおり倒れてしまったアルバートは、一瞬虚をつかれたのち、


「そう、そっか。アイリーンが」


 ふにゃり、と。そんな擬音が聞こえてきそうなほど、だらしなく頬を緩ませた。

 それに怒りを表したのは、ユーインだ。


「私は、貴殿のそこが気に食わないのです」

「えっ」


 指摘されて、慌てて顔を引き締める。


「貴殿には忘れられない女性がいるのでしょう? どうやら私に似ているようですが。そういう存在がいながら、必要以上に殿下のそばにいようとする。それが殿下の良縁を遠ざけていると、なぜわからないのです?」

「えーと」


 アルバートは考える。忘れられない女性がいるのは間違っていない。それが前世の君なんだけど、とは口が裂けても言えない。

 けれど、アイリーンの良縁を遠ざけている? 自分が? 

 身に覚えがなかった。


「俺、そんなことしてるの?」

「自覚なしですか」


 途端鋭くなったアイスブルーに、アルバートは背筋を伸ばした。


「殿下はお優しいので口にしませんが、貴殿と殿下の仲の良さは、貴族の誰もが知るところです。そんな相手のいるところに誰が婚姻を申し込むとでも? 現に口さがない連中は、それについてあることないこと、面白おかしく噂しておりますよ」

「なんだって? それ、本当かい?」


 さすがのアルバートも、それには黙っていられなかった。

 大切な親友を悪く言われるのは我慢ならない。


「それ、どこの誰?」

「ご安心を。聞いたそのときに、すでに私が懲らしめておきましたので」


 よくやった、と思いながらアルバートは何度も頷いた。


「なに満足そうな顔をしているのですか。原因は貴殿だと申し上げているのですが」

「あ、そうだった」

「とにかく、こういうことはやめていただきたい。殿下が気にかけなくとも、体調管理くらいご自分でなさってください。王太子殿下が婚約者を決めた今、次は王女殿下の番なのです。あの方の幸せを邪魔しないでいただきたい」


 張り詰めた空気が流れる。

 もしかすると、ユーインが見舞いに来てくれたのは、これを直接忠告するためだったのかもしれない。


「……君は」


 だとしたら。


「君は、本当にアイリーンが好きなんだね」

「はっ!?」


 いきなり何を言い出すのかと、ここで初めてユーインが声を荒げた。

 その姿をなんとはなしに眺めながら、アルバートは続ける。


「尊敬してるんでしょ? アイリーンのこと」

「そ、それはもちろんです。敬愛する主ですから」


 ユーインは気づいているのだろうか。

 そう言った彼の顔が、夕日よりも真っ赤に染まっていることに。

 そして、それを見たアルバートの表情から、感情が抜け落ちたことに。


 今までのアルバートなら、間違いなく「エミリー!? それって浮気!?」と問い詰めていただろう場面だ。

 そうでなくとも、少なからずショックを受けていた場面だろう。

 それが、今はただただ、ユーインを静かに見つめている。感情を灯さない瞳で。


「ユーイン・ロックウェル」


 自分でも意外なほど、低い声が出た。

 警戒したようにユーインが身構える。


「何でしょうか」

「王女殿下の友人として、君に問おう。君は、アイリーンが好きなのかい? 一人の女性として」

「……!」

「君のその尊敬は、単に主に向けられたもの? それとも、女性としてのアイリーンに向けられたもの?」

「それを……それを訊いて、貴殿に何か得でも?」

「ないよ。ないけれど、俺は知っておかなければならない。アイリーンにいい加減な男は近づけたくないからね」


 そう。ずっとそうやって、それこそ前世の頃からアルバートは彼女を守ってきた。

 リジーも、アイリーンも、エリクにとって、アルバートにとって、とてもとても大切な人だから。

 そばにいるのが当たり前で、むしろいないほうがあり得ないほど、もう一人の自分と言っても過言ではないくらい、ずっと一緒にいた彼女。

 彼女を自分から奪うなら、それがたとえユーインエミリーだろうと、アルバートは許せなかった。


 ずっと、ずっとそばにいたのだ。

 それこそ前世では、生まれたときから死ぬときまで。

 血は繋がっていなくても、そこら辺の兄妹より深い絆で繋がっていた自負もある。


 だからこそ、前世で彼女が先に死んだとき、半身をもぎ取られたような痛みと苦しみに襲われたのだ。

 もう二度と、あんな思いはしたくない。

 ――そのとき。


「貴殿は、身勝手だ」


 ユーインが、喉を絞るように叫んだ。


「貴殿は身勝手だ! ならば、なぜ! なぜ王女殿下の御心を、少しは理解しようとしないのです!?」

「アイリーンの……?」

「いい加減な男を近づけたくない? それで私を警戒する? だったら! だったらなぜ、貴殿があの方を守って差し上げない!?」

「え、あの、ちょっと待って? いきなりどうしたのエミリー?」

「私はユーインだ!」

「そうでした!」


 ごめんつい癖でっ、といつのまにか纏う雰囲気がいつものアルバートに戻っていたが、ユーインは気づかず続けた。


「いい加減な男を近づけたくないと言うのなら、貴殿が一番に殿下から離れるべきです。他の女を想う男が、殿下の異性関係に口を出さないでいただきたい!」

「いや、それとこれとは別だろう? 俺は友人としてアイリーンの心配を……」

「それが必要ないと言っている!」

「だからなんで!」

「貴殿がそうやって殿下を気にかけるたび、あの方が悲しい顔をしていることに本気で気づいてないのか!?」

「……え?」

「殿下は貴殿に心配されることなど望んでいない。私はずっとあの方のおそばにいた。あの方だけを見てきた。だからわかる。殿下は、貴殿に心配されたいなんて少しも思っていない!」


 ユーインの勢いに圧倒されて、もしくは告げられた内容に圧倒されて、アルバートは身体を硬直させた。


 何がなんだかわからなかった。

 いや、わかりたくないと、脳が拒絶しているのかもしれない。

 あんなに一緒だった彼女が。リジーが。アイリーンが。

 自分の心配など、必要としていない現実を。


 ユーインが嘘などつくはずもない。そんなことは前世からよく知っている。

 そのせいで、青天の霹靂とも言える現実を、否応無しに理解させられる。

 それが、こんなにもショックであることに、アルバートは今初めて気づかされた。

 痛いくらいの沈黙を破るように、ユーインがぽつりとこぼす。


「今回の外交だが、本当は、私も随行する予定だった」


 急に話が変わったことに、しかしアルバートは突っ込まない。

 そんな気力もなかった。


「殿下のおそばを離れるなどあり得ない。そう伝えて、同行させてほしいと願い出た。けどあの方は……殿下は、なんて仰ったと思う?」


 アルバートは答えられなかった。

 やはり先の衝撃が強く、まだ心に余裕がない。


「殿下はこう仰った。『あなたは残っていて。残って、アルバートの様子を見ていてほしいの。だってこれは、あなたがやらなきゃ意味がないから』」

「!」

「『それにね、ああ見えて、アルバートは人一倍の寂しがりやだから。やっぱりあなたを連れていくわけにはいかないのよ』殿下は、そう仰ったんだ。殿下は、知っておられる! 貴殿の想い人が私に似ていることを! だからっ、私は連れて行ってもらえなかった……!」


 悲痛なその声に、アルバートの心も痛んだ。

 そんな声、前世でも聞いたことがなかったから。


「貴殿が、さっさと昔の女を忘れないから、だから殿下は――っ」

「ユーイン!」


 びくり。ユーインの肩が揺れたのがわかった。

 でも、アルバートだって抑えられなかった。


 それは、それだけは、彼の口から聞きたくなかったから。



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