第7章 拗れた縁はかくも愚かと
第17話 断ち切る者
「……アルバート、今日は何かしら?」
アイリーンから冷めた声が出る。
声だけでなく、ため息まで出てしまった。
あのパーティーの夜以降、どうしてか、アルバートが毎日登城するようになったのだ。
いや、もともと彼は王宮の文官として働いている。登城すること自体は問題ではない。
問題なのは、仕事の休憩時間、もしくは仕事終わりに、必ずアイリーンを訪ねてくることだった。
「あー、えっと。き、今日はあれかな。外が寒いから、もう少し
外は冬に向けて、すでに木々が衣を替えている。緑から赤、黄色、
確かに、あながち嘘でもない。
外はもう肌寒い。
けれど。
「それ、昨日も一昨日も言ってなかった?」
「昨日も一昨日も寒かったからね」
「昨日に比べれば、今日はまだ暖かいわよ?」
「そうかな。俺には同じくらい寒く感じるよ」
「……」
「……」
じと、とアルバートを睨む。彼はそっと視線を外した。
アイリーンは息を吐くと、もう一度訊ねた。
「アルバート、本当にどうしたの? 何かあったんじゃないの? だからこうして毎日会いに来るのよね?」
正直、彼の訪問はアイリーンにとってはたまったものじゃない。せっかく彼と離れる準備をしているのに。
今は婚約に向けて、アルバートとは徐々に距離を置いていくつもりだった。
が、恋する乙女心とは実に複雑で。
毎日アルバートに会えることを、喜んでいる自分もいる。
恋とはなんて厄介で、面倒な感情なのだろう。
「その、これは勘なんだけど。何かがあったというよりは、これから何かがあるような気がして。予感、みたいなものかな……?」
「予感? どんな?」
「……アイリーンが、いなくなるような」
ドキッ。心臓が揺れる。
まさか、計画を見抜かれてしまったのか。
気づかれないよう唾を呑み込み、ゆっくりと口を開いた。
「そんな、それじゃあまるで、私が死ぬみたいだわ」
冗談めかして言ってみたら。
「駄目だ!!」
突然、アルバートが鋭い怒声で空気を裂いた。
そこにふざけた感じはなく、真剣な眼差しが突き刺さる。
「駄目だ。死ぬなんて許さない。そんなこと、冗談でも聞きたくない。前世でだって君は先に逝った。俺を置いて! なのに、また俺を置いて逝くつもりなのっ?」
胸に巣食う痛みを、吐き出すような声だった。
――トラウマを突いてしまった。
そう思った。
前世を覚えている彼にとって、〝死〟とは未知のものではない。
しかも、よりによってアイリーンが――リジーが彼の傷を抉ってしまった。
前世、彼の目の前で殺された、リジーが。
「違うわ。ごめんなさいアルバート。今のは私が悪かったわ。冗談でも言うことじゃなかったわね。大丈夫よ、今は戦争なんて起きる気配もないし、私は死なないから」
「当たり前だ。あんな思いはもう二度とごめんだ。今度こそ、君は俺が守る。大切な人はみんな、俺が。そう決めてる」
「……ええ、ありがとう」
そこで「命に代えても」と言わないところがアルバートらしい。
誰よりも優しくて、強くて、笑うと太陽みたいに温かい彼が。
そして本当は、誰よりも孤独を嫌う彼が。
彼がいつも人に明るく振る舞うのは、孤独を寄せ付けないためだ。アイリーンはそれを知っている。
だからいつも一緒にいた。
彼が孤独を感じないように。
いや、もしかするとアイリーン自身も、彼と一緒にいることで孤独感を癒していたのかもしれない。
でももう、その拗れた関係も、終わりにしなければいけないのだ。
「とにかく、そんな心配は無用ってことよ。毎日来なくても大丈夫だから」
たとえアイリーンが他国に嫁いだとしても、この孤独を嫌う青年から、アイリーンは大切な人を奪うつもりはなかった。
アイリーン自身はそばにいられないが、彼の一番大切なユーインを残していくつもりだからだ。
だから、小さな嘘をついた。
(これは、話を早急に進めなくてはね)
でないと、勘のいいアルバートのことだ。すぐにバレてしまうだろう。
「そうだね……俺も、毎日来るのはおかしいって、自分でもわかってるんだ。わかってるんだけど……」
不安で、と苦笑する彼に、アイリーンの心がぎゅっと締めつけられる。
しかし、ここで彼に絆されていては、今までの繰り返しだ。
これまで幾度となく彼の寂しそうな表情に負けてきたが、今回こそはそのループから脱しなくてはならないのだ。
負けるな、と自分に言い聞かせる。
「それよりもあなた、また寝てないでしょ?」
話題を変えるように言う。
ただこれは、単なるその場の嘘でもなかった。
ここ最近、毎日アイリーンを訪ねてくるアルバートだが、来るたびに顔の色が白くなっていることには気づいていた。
なのに周りはおろか、本人さえもそれに気づく気配がなくて、アイリーンはどうしたものかと悩んでいたのだ。
「ほら、毛布を持ってくるから、いつものように少し仮眠したほうがいいわ。どうしてそれで仕事ができるのか不思議なくらいよ」
「え〜、そんなに?」
酷いなぁと言いながらも、アルバートは嬉しそうに口元を緩めている。
いつのまにか彼専用になってしまった毛布を手渡しながら、アイリーンは訝しげに首を傾げた。
「なに? その笑み。なんだか気持ち悪いわ」
「えっ。それは普通に酷い」
今度はショックを受けたような真顔になる。
「だってアルバートがあまりにも締まりのない顔をするから」
「そんな顔してた?」
「してたわ。何か嬉しいことでも思い出してたの?」
「いや、思い出してたんじゃなくて……まあ、うん、秘密かな」
彼が静かにまぶたを伏せる。
きっとエミリーとの思い出でも脳裏に浮かべていたのだろう。これは、予想に近い確信だ。
こんな小さなことにも反応する自分の心が、アイリーンはいい加減嫌になってきた。
「はいはい。秘密なら無理には訊かないけれど、今はもう寝て。何も考えちゃ駄目よ。考えると眠れなくなるんだから」
「それは残念。せっかくアイリーンの
なんだか嫌な予感がして、恐る恐る訊いてみる。
「……ちなみに、たとえば?」
「鳥の足を掴めば空を飛べると信じて崖を飛び降りようとしたり、私は魚になるとか言い出して突然海に潜り込んで溺れかけたり。ああそういえば、妖精に会いたいからって、森の中で遭難しかけたこともあったっけ」
「それは全部リジーのときでしょ!」
過去の失態を持ち出されて、思わず叫んでいた。
アルバートが屈託なく笑う。
「そう、懐かしいね。リジーはお転婆で、放っておくと何をするかわからなかったから、絶対目を離しちゃいけないと思ってたんだ」
「そこまでじゃなかったわよ。私だって、エリクを一人にしたら孤独死するんじゃないかって、目が離せなかったわ」
「えー、俺もそこまでじゃなかったと思うけど」
「ルークも同じこと言ってたから、間違いないわよ」
ルークもかい? と少しだけ裏返った声は、意外そうだった。
ルークは、エミリーの屋敷で一緒に騎士として働いていた、同僚兼友人だ。
アルバートとは対照的に寡黙な彼だが、存外彼と共にいるのは苦痛じゃなかった。口数は少なくとも、冷たい人ではなかったからだろう。
「ルークもそういうこと言うんだなぁ」
「エミリー様を前にしたエリクは、見ていて面白いとも言ってたわね」
「……それ、どういう意味だろうね? 絶対褒めてないよね?」
「哀れんでたわね」
「哀れみ!? あいつ、そんな目で俺のこと見てたの?」
「私もよ」
「リジーも!?」
そう。そういうふうに、見せていた。
ルークにさえ、リジーは自分の思いを隠していた。
「ああ駄目ね。このままだと昔話に花が咲いちゃうわ。今はそれよりも、寝てもらわないと」
すっかり楽しくて目的を忘れるところだった。
アイリーンから受け取った毛布を肩までかぶると、アルバートはソファで横になる。
王女の私室でこんなこと、アルバート以外の人間なら許されないことだろう。
いや、本当はアルバートでも許されないことである。
だから、部屋の中には一人の侍女しかいない。
アイリーンよりも六歳上のアデルは、二人のヘンテコな関係を知っている。
アイリーンが前世を思い出したとき、混乱する彼女を落ち着かせてくれたのがアデルだったからだ。
アデルは突拍子のないことを話すアイリーンを気味悪がることもなく、また否定することもなく、ただ黙々と受け入れてくれた。
王女に対してさえニコリともしない侍女だが、そんなことは気にならない。
馬鹿にされなかったことが、どれほどアイリーンの救いとなったか。
だから、アルバートと会うときは、必ず彼女が二人の名誉を守ってくれていた。
アイリーンは一人がけのソファに腰掛けると、分厚い本をそっと開く。
穏やかな時間だ。
好きな時間だった。
でもきっと、これがもう最後になるだろうけれど。
その、二週間後。
アイリーンが遠国にいる婚約者候補に向けて書いた手紙に、返事が来た。
「アデル」
「はい、姫様」
「すぐにお父様に使いを送ってちょうだい。行くわよ、ファルシュ王国に!」
ソファから立ち上がる。
扉続きになっている寝室に向かうと、さっそくアイリーンは着替えを始めた。
テーブルに残された手紙には、ただ、ひと言だけ。
〝あなたの訪問を、心よりお待ち申し上げる。
ファルシュ王国第二王子
アズラク・ドラグニア〟
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