第6章 御伽噺のようにはなれない

第15話 動き出す死神


 アイリーンは今日、夜の秋にふさわしい深い赤色のドレスに身を包んでいた。

 たっぷりと取った袖口のドレープが華やかで、胸元は大きく開いたデザインだ。

 首飾りには自分の瞳と合わせたアメジストのネックレスを着けている。


 これがアイリーンの定番スタイルと言ってもいい。ドレスの生地や色は違えど、アイリーンは必ず胸元の開いたデザインを選ぶ。

 というのも、平均より大きいアイリーンの胸は、隠すと野暮ったく見られてしまうからだ。


 だから彼女の装いは、ある意味では、今さら珍しいものでもない。

 が、なぜかその今さら、それを咎める者がいた。


「アイリーン、少し開きすぎじゃない? それ」

「え?」


 立食式のパーティー会場は多くの人で溢れかえっている。

 国内の貴族だけでなく、国外の王族や大使までもが、今回のパーティーに参加しているからだろう。

 なにせ今日は、ラドニア王国王太子の生誕パーティーである。まだ主役は登場していないが、皆各々、パーティーが始まるまでの歓談に興じていた。


 アイリーンもそうだ。

 今までは互いに婚約者のいない身であったため、アイリーンは兄王子と共に入場していた。

 けれど今回はエスコートできないと言われたので、先に会場入りしている次第である。

 妹王女も見当たらないから、もしかすると今回は、妹にその役目がいったのかもしれない。


 そうして、賓客と挨拶を交わしていたところ、ひと段落ついたタイミングを狙って声をかけてきたのが、アルバートだった。


「それって、胸元のこと?」

「そうだよ。いつもそんなに開いてたっけ?」

「開いてたわよ。今までと変えてないもの」


 それでもアルバートは納得のいかない顔をする。また「そうだった?」とどこか不機嫌そうに繰り返した。


「もしかして、似合ってない?」


 だとしたら、アイリーンにとってこれほど落ち込むことはない。

 好きな人に面と向かって言われたなら、今すぐ自室に戻ってドレスを脱ぎ捨てたい気分である。


「まさか。似合ってないなんて思ってないよ。ごめん、言い方が悪かったかな。そうじゃなくて、気づいてる? さっきから男の視線が、その、そこに集まってることに」


 少し言いづらそうに話すと、アルバートはアイリーンを隠すように立ち位置を変えた。

 距離が近づいて、彼の影がアイリーンにかかる。触れられてもいないのに、不思議と彼の体温を感じた気がした。

 否応なく鼓動がスピードを上げる。


「今夜は国外からも集まっていて、いつもより人が多いんだ。あまり隙を見せないで」

「そ、そうね。わかったわ」

「何かショールとか、羽織るものはないの?」

「残念ながらこれに合うものがないのよ」

「……今から着替えるとか」

「無理に決まってるじゃない」

「あー、だよね」


 珍しく食い下がるアルバートに、小さく首を捻る。

 言ってはなんだが、本当に今さら、どうしたというのだろう。

 アイリーンにとってアルバートの指摘する視線なんて、正直今に始まったことではない。それはアルバートだって知っているはずだ。

 となるとやはり、彼は遠回しに「似合ってない」と言っているのだろうか。


「ねぇ、アルバート。正直に言ってちょうだい。やっぱり似合ってないのね?」

「違うよっ。本当に違うんだ。ただ……」


 アイリーンが不安そうに訊ねたからだろうか、アルバートは少しだけ焦りを滲ませながら首を振った。

 嘘はついてなさそうだ。

 なら、余計に彼の言動が不思議になってくる。


「ただその、なんというか、面白くないっていうか。君が他の男に襲われたらどうしようって、心配、なのかな?」


 それは、全くもって予想外の言葉だった。

 まるで、アイリーンに邪な視線を向ける男たちに、アルバートが嫉妬しているような。


(違うわ。そんなはずない。期待しちゃ駄目よ。大丈夫、いつものこと、いつものこと……)


 アイリーンは内心で深呼吸した。

 それから、いつもどおりの自分を装って。


「おかしなアルバート。疑問形なのね?」

「いや、心配は心配なんだけどね? それだけじゃないような気がするっていうか。なんだか胸の奥がモヤモヤして、気分が悪いっていうか」


 自分でもわからないんだ、と彼が胸元を掴む。

 わからないからこそ、苛立ちもあると彼は言った。


「…………ほんと、アルバートって……」

「え?」


 どこまで罪作りな男なのだろう。

 いつもそうだ。思わせぶりなことを言って、いつもアイリーンを翻弄する。期待させる。


 でも今夜のは、いつもよりずっと思わせぶりで、アイリーンでなかったら勘違いしてもおかしくないほど、タチが悪かった。


「なんでもないわ。そうね、今夜は無理だけど、次回から気をつけることにするわ」


 タチは悪いけれど、結局アイリーンもまた、アルバートの言うとおりにしてしまう。惚れた弱みというやつだ。


 たとえそれが本当に嫉妬で、その嫉妬が、親友に対するものだとしても。

 恋の泥沼にはまってしまっているアイリーンは、アルバートの嫉妬が嬉しくて泥の中から出る気にもならない。


 この恋に終わりが来ないのは、決してアルバートだけが悪いわけじゃない。自ら沼に浸かりにいく、アイリーン自身も悪いのだろう。


「うん。じゃあそのときは、俺が君にドレスをプレゼントするよ」

「いいの?」

「もちろん。俺が贈りたいと思ったんだから。受け取ってくれる?」

「ええ! ありがとう。ふふ、とっても楽しみだわ」


 もし、この恋に決着をつけるとしたら、きっとそれは、二人以外の誰かによってなのだろう。

 だってどれだけ諦めようと思っても、アルバートとこうして一緒にいると、またすぐに心は彼に傾いてしまう。


 本当に、恋というものはままならない。前世からわかっていたはずなのに。

 早くこの縁を断ち切ってくれる死神を、アイリーンは密かに望んでいる。





 しばらくして、ようやく今夜の主役が登場した。

 高らかに響いた騎士の声。扉が開き、身内の贔屓目なしに美しい王太子が姿を現す。


 ここまではよかった。

 アイリーンも特に何を思うわけでもなく、兄の登場を見守っていた。

 けれど、兄に半歩遅れて入ってきた人物を見て、アイリーンは呼吸を止めた。


「本日は私、ラドニア王国王太子アンセルム・ミラーの誕生パーティーにお集まりいただき、深く感謝申し上げる。皆それぞれ、心ゆくまでパーティーを楽しんでいってほしい。ただその前に、錚々そうそうたる顔ぶれが揃う今宵、皆に紹介したい人がいる」


 聞き慣れた兄の声が、会場中の視線を隣の令嬢へと誘導した。

 それを感じとって、令嬢が優雅なカテーシーを披露する。


 年の頃はアイリーンより下。ミルクティー色のふわふわな髪が印象的だ。

 アイリーンとは真逆の、守ってあげたくなる可愛らしいタイプである。

 事実、彼女は性格も可愛らしい。動物をこよなく愛しており、その小柄な身体を動物まみれにしていたこともある。


 なぜそんなことを知っているかと言えば、アイリーンは彼女を知っているからだ。

 アナベル・スペンサー。

 彼女の兄は、かの有名な、ヴァレンタイン伯爵オーガスト。


 実はアナベルは、王太子の婚約者候補に以前から名を連ねていた。その中でも最も有力と言われており、だからこそ、彼女の兄の愚行に王家も介入したと言っていい。


 でなければ、たとえ貴族たちから苦情が寄せられたとしても、それが色恋沙汰なら王家は基本的に関与しない。馬に蹴られても嫌だし、それほど暇ではないからだ。


 アナベルは、本当にあのオーガストと兄妹なのかと疑いたくなるほど、礼儀正しく貞淑な娘だった。


(そのアナベルが、お兄様の隣にいるということは……)


 つまり、決まったのだろう。

 アナベルが、王太子の正式な婚約者に。

 なるほど、だから今夜は自由にしていいと言われ、妹の姿も見当たらなかったわけだ。

 妹はアナベルの友人である。色々と手伝いのために奔走していたに違いない。


(ということは、つまり)


 嫌な汗が背中を伝う。


「ここにいるヴァレンタイン伯爵令嬢アナベルを、私の正式な婚約者として迎えることとなった。この二つのめでたき日に、乾杯」


 乾杯! 重なる会場中のかけ声が、やけに遠くに感じた。

 アイリーン以外の人たちは、ようやく決まった王太子の婚約者に、安堵と喜びを表している。

 隣にいるアルバートも、それは例外ではない。


「みんな驚いてるね。無理もないか、突然の発表だから。アンセルムも、ある程度彼女と距離を縮めるまではそっとしておいてほしいからって、ずっとお忍びで会ってたし」


 当然と話すアルバートに、アイリーンは驚きを隠せない。


「知ってたの?」

「え? 何が?」

「だから、お兄様とアナベルのこと」

「それはもちろん……ってまさか、アイリーンは知らなかったの?」

「知らないわ。アナベルが婚約者候補だったのは知ってたけど、まさか今日、婚約発表があるなんて……」

「ええ? でもあいつ、アイリーンにも事前に言うって……」

「それ、いつのこと?」

「三週間くらい前のことかな」


 記憶を探る。そういえば、と思い当たる出来事があった。

 話があるとアンセルムに呼ばれたけれど、体調が優れなくて、そのまま流れた話があった。

 アンセルムが忙しすぎて、その後の時間が取れなかったからだ。


「それにしても……今度こそうまくいくといいね」


 アルバートがぽつりとこぼした。

 アンセルムは、一度婚約破棄されている。理由は彼の寡黙すぎるところが怖くて耐えられなかった令嬢が、両親に泣きついたせいだった。

 アルバートはそれを知っているから、今度こそ、と言ったのだろう。アイリーンも大いに同意する。

 でも、アンセルムの婚約は、アイリーンにとってはまた別の意味を運んでくるのだ。


「アイリーン」


 名前を呼ばれて振り返る。

 そこには新しい婚約者を連れた、兄の姿があった。

 アイリーンは内心の動揺を隠すと、完璧なカテーシーで出迎えた。


「このたびはお誕生日おめでとうございます、お兄様。ならびにヴァレンタイン伯爵令嬢とのご婚約の知らせ、心よりお祝い申し上げますわ」

「ありがとう。事前に言えなくて申し訳ない。その、怒ってるか?」


 周りからは恐れられているというのに、弟妹にはめっぽう弱いアンセルムだ。アイリーンの機嫌を窺うような様子に、思わず苦笑してしまった。


「いいえ。喜ばしいことですもの。驚きはしましたけど、怒ってなどおりませんわ。アナベルも、おめでとう」

「ありがとうございます、アイリーン様」

「それにしても、おまえたちは本当に仲が良いな。そろそろ離れてやらないと周りがかわいそうだぞ?」


 そう言われて、アイリーンとアルバートは周囲を見渡す。

 確かに何人かがアイリーンまたはアルバートに話しかけるタイミングを計っているようだった。


「私も無事、婚約者を見つけた。次はアイリーンだな」


 そう、次は、自分の番。


 だからアンセルムと共に入場してきたアナベルを見て、アイリーンは呆然としたのだ。

 その意味するところを、自分に起きる影響を、正しく理解していたから。



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