第5章 騎士は懐かしい夢を見る

第13話 王女との出会い


 ユーイン・ロックウェルという男は、貧乏男爵家の次男として生まれた。

 上から順に兄、自分、妹、妹、弟の五人きょうだいのため、ただでさえ貧しい男爵家はさらに困窮していた。


 そこでユーインは、迷うことなく騎士を目指すことにしたのだ。騎士なら命をかける分給金もいいし、昔から身体を動かすことには自信があった。


 何よりも、ユーインは幼い頃からなぜか騎士という職業に憧れを抱いていた。

 どんな仕事か詳しく知らないくせに、ただ漠然と彼らを尊敬し、彼らは強くて優しい人たちだと思っていた。


 しかし、実際に騎士となり、その期待は呆気なくも裏切られる。


「聞けません」


 二度目の異動先でのことだった。

 最初に配属された街で、それなりに功績を認められたユーインは、王城の騎士として働くことを許された。


 そこで目にしたのは、とある一人の騎士が、執拗な嫌がらせを受けている現状だった。

 彼は平民出身の騎士で、能力は優秀の部類に入る。平民出身で優秀ともなると、出る杭は打たれるように、貴族出身の騎士たちからはあまり良い顔をされない。

 実力主義だけではない組織だからだ。


 それでもその騎士は、のらりくらりと今までを過ごしてきたらしい。目立たず、謙虚に、己の影を極限にまで薄くして。


 ただ、上司が変わり、その状況が一変した。

 新しい上司は口うるさい姑のように、平民出身の騎士を嫌悪した。隅にあるうっすい埃さえも見逃さない徹底さで、どれだけ影の薄い者でも目をつけた。


 だから、件の平民騎士が標的となるのに、そう時間はかからなかったらしい。

 特に優秀だった彼は、他よりもいっそう酷い仕打ちを受けてきたとか。

 そうして、かろうじて貴族であるユーインは、配属されてすぐ、その上司からこう教えられた。


『雑用は全てハロルドの担当だ。手は出すなよ。なに、奴は雑用が好きなようだから、気にすることはない』


 下卑た笑みだった。

 他にも、通常なら二人一組で行う巡回も一人でさせていたり、訓練の情報を伝えなかったり、また訓練中は意図的に彼だけを除け者にしたり。

 配属されて間もないユーインでさえ、これは異常だと理解した。


 ――やめさせよう。


 そう思っていた矢先のことだ。こんな命令をされたのは。


「今日の標的はハロルドだ。全員全力で打ち込め!」


 訓練中でのことだった。皆、訓練用の木刀を握っており、従来どおりなら敵に見立てた太い木に向かって打ちつける。

 その的の役目を、ハロルド――生身の人間にやらせようと言うのだ。しかも、なんの防具も与えずに。


「聞けません」


 真っ先にユーインが言った。


「その命令は聞けません。どうしてもと仰るなら、的が彼である合理的な理由をご説明願いたい」

「理由? そうだな、人間のほうが実戦らしくていいだろう?」

「ではその場合、ハロルドは抵抗しても良いということですね? でなければ、隊長の仰る実戦にはならないかと存じます」


 周りがしんと静まり返る。

 視界の隅で仲間が「余計なことを言うな」と必死に目で訴えてくるのが映った。

 隊長の目がだんだんと据わっていく。


「ロックウェル、俺に逆らうのか?」

「納得のいかない命令を聞くほど、私は人形ではありませんので」

「なんだと?」


 ぴりっ。空気が震える。

 二人の間に火花が散る。


 火の粉を被りたくない他の騎士は、二人からそっと距離をとっている。

 ハロルドだけが、ユーインを気にかけておろおろとしていた。


「あなたがやっていることは悪質な虐めです。上司が部下にやることじゃない」

「ほう……一丁前に正義のヒーロー気取りか? 残念だ。おまえは貴族だし、使えるし、いい奴が入ったと思ったんだが。いいだろう。偽善者の末路を俺が直々に教えてやろう」


 それからというもの、今度はユーインが嫌がらせの対象になった。

 最初はユーインだけが標的だったものの、ハロルドはユーインを見捨てなかった。

 結局、二人仲良く隊長から爪弾きにされたのだ。


 その日も、訓練という名の集団虐めが行われていた。二対多数での模擬戦である。


「いいぞ! 敵は凶悪犯だ。もっと強く当たりに行け!」


 ユーインとハロルドを囲んで、仲間であるはずの騎士たちが敵意を向けてくる。

 隊長のように愉悦の笑みを浮かべる者もいれば、自分まで標的になりたくないと怯えた様子の者もいる。


(これが、国の誇る騎士だと?)


 信じられなかった。こんな醜悪な人間が、誇り高い国の騎士であるなんて。

 彼らは強く、優しく、誇り高い存在のはずだ。少なくとも自分は、そういう騎士を


 薄靄うすもやのかかった夢の中、その騎士はいつだって弱き者をたすけ、信念のある強い眼差しをしていた。

 あれこそが騎士だ。こいつらは違う。こんな低俗な奴らとを、一緒になどしたくない!



「――あら、ここは騎士たちの訓練場かしら? アデル」



 そのとき、場違いなほど高く澄んだ声が、横からすっと響いてきた。

 決して大きくはない。けれど、無視できない引力をもって、その声は全員を振り向かせた。


 訓練場に沿う回廊に、一人の少女と一人の女性がいる。

 声をかけたのは少女だ。

 この国では十六歳で大人の仲間入りをするが、まだそれにも満たない、あどけない娘。


 けれど、纏う空気は気品に溢れ、彼女がただの少女ではないことを教えてくれる。

 女性は彼女に従うように、一歩下がった位置にいた。

 第三者の登場に誰もが動きを止める。


「はい、王女殿下の仰るとおり、ここは近衛騎士たちの訓練場です」

「そう。城を守るために頑張ってくれているのね。ここも見学していこうかしら」

「王女殿下の御心のままに」


 聞こえた敬称に、何人かが密かに息を呑む。王女殿下……?


「じゃあ決まりね。ここの責任者は?」

「は、わたくしめでございます」


 少女の正体を最初から知っていたのだろう。特に慌てることなく、彼女の問いに隊長が応える。

 さっきまでユーインとハロルドを虐めていた人間とは思えないほど、彼は貴族らしい――騎士としての敬礼ではない――優雅な礼をしてみせた。


「あなたは?」

「近衛騎士団第三部隊隊長モーガン・クロフトと申します」

「ああ、ブレデル子爵ね。あなたのお兄様――ベリサリオ伯爵にはお世話になっているわ。あなたも、よく働いてくれているそうね」

「もったいないお言葉です」


 丁寧に頭を下げる。

 その際、ユーインは見てしまった。モーガンがユーインをちらりと見て、口の端で笑ったところを。優越感に満ちた笑みだった。

 ぎゅ、と強く唇を噛む。


「ところでクロフト卿。私は今、社会勉強として城で働く者たちを見学して回っているのだけど、ここも見学していいかしら?」

「それはもちろんです。しかし王女殿下の興味を引くようなものは、何もないかと存じますが」

「大丈夫よ。勉強に興味の有無は関係ないわ。さ、それじゃあ続きをどうぞ。確かそこの二人の騎士に、他の騎士たち全員で立ち向かっていたわね。実戦を想定した訓練をしていたのでしょう?」


 王女の視線がするりと移る。ユーインと、ハロルドに。

 その瞬間、ユーインの背筋に緊張が走る。

 交わった視線が、あまりに強くて。

 少女と侮れないほど、その紫の瞳には高潔な光が宿っていた。


(知っている……)


 あの瞳を、自分は知っている――ような気がした。

〝あの人〟と同じように優しくて、強くて、とても温かい人だった。

 いつも見守るような眼差しでこちらを見ていて、それがくすぐったかったような覚えがある。

 でもそれは、いつ、どこでだったろうか。


(わからない。誰かに、似ているような気はするのに)


 思い出せない。


「――ということだから、興味があるなら、私にあなた方の実力を見せてちょうだい」


 記憶を探っていたら、いつのまにか話が進んでいた。かろうじて聞き取れた最後の言葉に、ユーインは我知らず眉根を寄せる。


「実力を? ハロルド、どういうことだ?」

「ちょ、聞いてなかったの? 今王女様、すごいこと言ったのに」


 どうやらハロルドの言うとおりらしい。他の騎士たちにも動揺が走っている。

 ユーインはもう一度視線だけで「どういうことだ?」と訊ねた。


「だから、この模擬戦で王女様の目に留まった騎士を、自分付きにするって!」


 目を瞠った。

 普通、王族付きの護衛騎士は、国王が選ぶものである。それも、城にいる全近衛騎士たちの中からだ。

 こんな、一つの部隊から選ぶようなことは、前例にもないだろう。


 意外だった。

 あの聡明な瞳を持つ王女が、そんな無茶振りをするなんて。

 思わず振り返る。目が合った。王女は一心にユーインを見つめていた。

 目は口ほどに物を言うとはよく聞くけれど、今の王女の目はまさにそれだ。

「絶対に勝ちなさい」そう言われている気がした。



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