第8話 彼の悩み


 彼女に近しい者たちは、その普段とのギャップがたまらないと言う。


(でもそんな顔、見慣れてるはずなんだけどな)


 アルバートは、自分が他の誰よりもアイリーンに近しい自信がある。

 なにせ前世では親友で、今は同じ記憶を持つ仲間だ。お互いがお互いのことを誰よりも理解してやれる。

 それもあって、アイリーンの笑顔なんて、アルバートにとっては日常の一部のはずだった。

 それでもあのとき、心がいつもと違う反応をしたのは――。


「……ネイトはさ」

「はい?」


 黙り込んでいたアルバートが突然口を開いたため、ネイトの反応が若干遅れる。


「たとえば、見慣れた友人の笑顔を見て、違和感を覚えたことってある?」

「質問の意味がわかりませんね。違和感とは、たとえばどんな?」

「そうだなぁ。なんか照れるっていうか、心がくすぐったくなるっていうか?」

「……念のため聞きますけど、その友人、男ですか?」

「たとえばの話だよ?」

「たとえばでも何でもいいです。男か女か、ほら、答えてください」


 向かい側からずいっと顔を近づけられて、気圧されるように答えた。


「お、女の子だけど」

「そうですか。ならいいです」


 ほっとするネイトに、何がいいのかと、アルバートは怪訝そうにした。


「そうですね、その質問に答えるなら『あり得ると思います』ですかね」

「あり得る?」

「ええ。私は常日頃からこう思っていますからね。〝男女間の友情は存在しない〟」

「え……」


 きっぱりとした口調だった。それも、今までの自分とリジーの関係を根底から覆すような言葉だ。

 しかし言った本人は、何食わぬ顔で机の上にある書類を整頓し始めた。


「ちょっとネイト、君、今結構凄いこと言ったね? 衝撃的すぎて一度じゃ飲み込めなかった。もう一回言ってくれる?」


 呆然と口にすれば、ネイトは心底不思議そうな顔をしながらも、言われたとおりにしてくれた。


「私は男女間の友情など、存在しないと思っています」

「それは、なぜ?」

「男と女が揃えば、嫌でも恋愛沙汰に発展するからです。それが片想いでも、両想いでも、近ければ近いほど発展しやすくなるでしょう。本気になるか遊びになるかは、その二人の関係性によるでしょうけどね」


 不意打ちをくらった気分だった。なぜなら、アルバートにはなかった考え方だったからだ。

 エリクのときにも、一欠片だって思わなかった考え方。

 だってそうでなければ、エリクはリジーを、アルバートはアイリーンを、なんて呼べばいいのかわからなくなる。


「もしかして、若様が悩んでいることはそれですか? やはりあなたはまだまだ坊ちゃんですね」


 ムッとした。もう二十二歳だというのに、子供扱いは心外だ。

 けれど自分よりも年上の侍従は、その考えを改める気はないようである。面白そうに口角を上げた。


「はて、どこのご令嬢ですかね? 坊ちゃんは立場上交友関係が広いですから、絞り込むのは大変そうです」

「だから、たとえばの話だよ。からかわないでくれる?」

「ああ、そうです。でもその中で、やはり一番仲が良ろしいのは王女殿下でしょうか」


 どきり。恨めしいくらい、心臓が反応してしまった。

 常なら笑顔という仮面で感情を隠すアルバートも、自室にまでそれを持ち込んではいない。


「へぇ?」

「ネイト、出て行け」

「照れ隠しですか?」


 どうやら本格的に主をいじるつもりらしい。ニヤついた笑みが癇に障る。


「いいから、この書類を父上に届けてこい!」

「仕方ありませんね。では、これをどうぞ」

「?」


 アルバートに渡された書類を受け取ると、ネイトは物々交換のように一通の手紙を差し出した。

 薔薇の封蝋が視界に映る。アルバートは奪うようにそれを受け取った。アイリーンが使う封蝋だと知っていたからだ。


「旦那様のおつかい途中で託されたんです。実は、あなたが寝ていないということも、王女殿下に言われて気づきましてね。紳士としてあまり女性に心配をかけるものではありませんよ、坊ちゃん?」


 それだけ言い残して、ネイトは部屋を出て行った。

 あの口ぶりからすると、アイリーンに直接手紙を頼まれたのだろう。侯爵家の使用人に頼んだほうが、飛脚よりも早く、確実にアルバートの手元に届くから。


 ペーパーナイフで開封して、中から一枚の紙を取り出した。

 さっと目を通す。余白が多い。簡潔な文を書くアイリーンらしい手紙だ。

 その筆跡は凛とした美しさを持つ彼女にふさわしい、流麗なものである。


「……はは、さすがアイリーン。なんでバレたかなぁ」


 きっと今の自分は、情けない顔をしているのだろう。眉尻を下げて、込み上げる熱いものを誤魔化すように笑う。


 手紙には、一週間以内に自分に会いに来るよう書かれていた。

 他人が読めば、なんてわがままな王女だと思うかもしれない。

 でも実際は違う。

 彼女がアルバートを呼ぶのは、アルバートの疲労が溜まりに溜まった時だけだ。呼び出して、彼女は寝なさいと言う。反論など許さぬように。

 そうやって無理やりにでも休ませなければ、アルバートが自発的に休まないと知っているからだ。


「そっか、俺、アイリーンに呼び出されるほど疲れてるんだなぁ」


 人としてどうかとは思うが、アルバートは疲労や痛みに鈍いところがある。最初にアイリーンに呼び出されたときは、本当に限界だったらしく、アイリーンの目の前で倒れてしまったくらいだ。


 今だってアルバートの感覚では疲れている実感はない。

 それよりも、最近できた悩みのことで頭はいっぱいだった。


(明日、会いに行こうかな)


 手紙を渡した翌日だから、アイリーンも驚くだろう。

 きっと驚いて、でもすぐに仕方ないわねと、優しく微笑む彼女の姿が目に浮かぶ。


 そんなアルバートの表情も、まるで愛しいものを眺めるように緩んでいたけれど、残念ながら本人は気づいていないのだった。



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