4-5

ある秘密を隠したラインという園へ、地肌を真空へさらした戦艦が降りていく。


 遙か上方の無数の星々の煌めきを、そのむき出しの装甲が鈍く反射していた。大気というフィルターも持たない惑星上で繰り広げられる戦闘は、目視でも視認できるほど苛烈さを増しているのだった。それらの輝きは決して清らかな光ではない。捕食者と非捕食者が血や臓物をまき散らす死闘がその姿を変えただけに過ぎないのだから。


 千隻規模の敵艦隊を相手に五十にも満たない起爆装置で迎え撃つためには、極限まで無駄をそぎ落とすしかない。あらゆる計器、人間が観測した情報をかき集めて未来を予測する。神でもない存在である私達がそれを可能にするには、途方もない労力とそれを支える集中力が必要とされた。


 この世のどこかにあるであろう真理に近しい数式を生み出しつつ、刻一刻と変化する現実世界の出来事を代入し、その結果に導きされた仮想の未来が現実になると仮定して、あまりにも貧弱な戦力を必要最低限の量としてフォッシュらは配置していった。


 その結果、現在から約三十分後の近い未来、デスパレ・ジルベルスタインが持ち運んだ僅か五百隻規模の有人艦隊が、半数近くを失いつつも何とか現存する形で千隻規模の第三波に何とか勝利を収められるらしいことが予測された。


 こう描写すれと私達は完全の勝利を収めたようだけれど、それは違う。集団から孤立した形でラインの地表へ接近するセミヌードは、彼らとは全く同時刻に孤立無援の戦いを強いられることになったから。


 ラインの高度三十キロメートルに到達し、周囲に破滅的な熱量をまき散らしながら勝敗を左右する矢をつがえたセミヌード。そのあらゆるセンサーやレンズが、不自然な空間上の揺らぎをほんの一瞬捉えた。最初に気付いたオペレーター担当の誰かがそれをフォッシュに報告し、ライン争奪線において投入されたステルス艦の接近を認めた。セミヌードの真正面から約十分後に戦闘距離に入る距離から猛然と突き進んでいるらしい。


 すぐさま、自爆用の無人艦五隻の内の三隻がセミヌードの前方約二千キロメートルの距離に配置された。残りの二隻は、万一その観測が完全な過ちであった場合、あるいはその危険領域を突破し接近してくるであろうリッターらに対処するべく、セミヌード両翼へ、まるで王女を守る騎士のように付き従っていた。


 私が搭乗するリッターが収められた区画の外壁が静かに開いた。空気の振動がなんてないから当然無音だった。私の眼前には無限とも思えるほど殺風景な世界が広がっていた。ラインの地表を照らすのは、幾光年も彼方にあるらしい恒星達と、遙か上方でひとびとの命が失われたことを示す僅かな光のみ。それでも、私にはその表層の砂粒まで観察することが出来た。リッターによる明暗補正だ。


 生命を育んだとされる原始の深海。それはきっとこんな静かな世界だったのかも知れないと私はその光景を目にして思った。そこから生まれただけの生命体が、その生命の泉からは決して見えないような場所に、今、確かに生きている。不思議だ。ひとは、命は、どこまでいけるのだろう。


「システムオールグリーン。ロック解除の権限を貴女に譲渡するわよ、フリーデ」


 似合いもしないセンチメンタリズムな思索にふけっていた私に、メルクーアの声が覚醒を促した。


「了解。装甲のステルス迷彩を起動する」


 口頭の宣言と同時、指先で仮想現実として目の前に浮遊するアイコンに触れる。どちらで認証したのかは判然とはしないけれど、それまで視界の端に移っていた筈のリッターの漆黒の外装が背景と同化した。表面を透過させるかのように、そこへ映るべき風景を再現して視認を不可能にする。あとは、その動力を虐めて不用意な熱を発さなければ敵機からは認識されない筈だ。メルクーアからもステルスモードが確実に作動していると太鼓判を押される。


「そのまま息を潜めていれば誰にも見つからないのだろうけれど、それすら死を長引かせるだけのようなもの、か。分かっているとは思うけれど、ここからは互いに不必要な通信は取れない。自分の位置を相手に教えてしまうことになりかねないから」

「えぇ。話し相手がいないのは寂しいわね」


 私が冗談半分に言うと、彼女はにこりともしてくれなかった。終始真面目な表情だった。


「怖くないの」

「どうかしら。そういう感情が麻痺してしまったようだから、自分でも分からない」


 正直にそう答えると、メルクーアは痛々しい表情になった。けれど、それも一瞬のうちに振り払った。不遜な表情を、わざとらしく作って見せてくれた。


「私は、もう自分が明日には貴女と帝国へ帰る予定でいる。行き先は、やっぱり独房とかかしらねぇ。今まで私が隠していたことを糾弾されるかも知れないから、どうしたものかな。困っちゃうわ」


 言葉通り、彼女は自分達が皆死んだときのことはあえて考慮しないと決めたらしい。私もそれに従うことにした。普段通りの口調を心掛けることにする。


「私から妹に嘆願してあげるから、命だけは助かるわよ。きっと」

「そう、ねぇ。生きてさえいれば、何とかなるか」

「私もそう思う。じゃあ、そろそろお暇する。こういうとき、何て言えばいいのかしら」

「こう言えば良いのよ。また、会おうね、って」

「あぁ、そうか。うん。また、会いしましょう」

「絶対よ」

「しつこいな。分かっているわよ。それに、そう離れたところには行かないのだし」

「それでも、暫くは言葉は交わせない。だから、約束して。死なないって」

「する」

「ちょっと面倒そうな言い方が癪ねぇ。でも、いい。行ってきなさい。それじゃあ、また」

「えぇ、また」


 私はリッターを艦内に固定するロックを解除した。



 セミヌードから切り離される感覚は、浮遊感という形で私に届けられた。へその緒を切り落とされ、この世に産み落とされた赤子のよう。


 大切なひと達を乗せたその船の手法は力強い光を放っていた。ティンダロスの発射まで、約二十分。そのカウントダウンの半分の頃に、敵のリッターを乗せたステルス艦との戦闘に入る予定だ。


 私はセミヌードの右翼側に位置する無人艦の影に潜むことに決めた。脚部が人外めいている機体だから、外部からその挙動は人魚が泳ぐように見えるだろうな。せめて、今の自分に出来ることは索敵くらいかしら、とも思ったけれど、潤沢な電子線装備を詰め込んだ戦艦以上の仕事は出来ないと諦めた。


 予定通りの時刻に遙か前方で光が、ひとつ、ふたつ、みっつ。少しずつ場所と時間を変えて、光る。あまりに想定外の出来事が起これば、セミヌードから緊急の連絡が入ることになっていた。それがないということは、相手は正直に真正面から近づいてきたということになる。


 ステルス艦そのものに無人艦をぶつけることが出来たのなら、その地点でステルス艦は停止し、大破を逃れた幸運なリッターらが射出される筈だった。もしそうことが推移すると、敵リッター機はティンダロスの発射までに到着しようとかなり大きな熱量を発してでもこちらへ向かうことになる。つまり、私のように隠れ潜むことは出来ない。センサーと望遠レンズが移す光景に、集中。――来た。距離は、おおよそ二千キロメートル。リッターの機動性なら数分程度の距離だ。


 セミヌードの副砲による迎撃が始まると同時に、残り二隻となった無人艦が動き始めた。私もリッターの排熱に注意しつつ、隠れ家としている無人艦の移動に着きそう。この二隻を動かすと言うことは、別方向からの余剰戦力はないとセミヌードでは判断されたらしい。戦力が心許ないのはお互い様、ということ。


 敵リッターの数を意識すると、私がカウントするよりも先に敵機数が視界の隅に表示される。十三機。いや、たった今、セミヌードの迎撃によって十二になった。ちょうど一ダース。私のリッターが盾のように扱っている無人艦の速度を観察し、セミヌードの前方約百数十キロメートルの位置で迎撃したいのだと判断できた。セミヌードを護衛するには、この辺が妥当かしら。


 私はそこで無人艦から離れて停止する。私を置き去りにして進んでいく無人艦の後ろ姿を意識から排除し、周囲を見渡す。現在私はティンダロス発射時の安全高度に居り、相手もその周辺高度を維持したまま突っ込んでくる。何が言いたいか、と言えば辺りに遮蔽物が存在しない、ということ。


 ラインにおける最高標高を誇る山間部ですら標高十キロメートルといったスケール。何の障害物もない空間で三次元的な戦闘を私は強いられるわけだ、私は。セミヌードの前方三十五キロメートル地点。戦艦の流れ弾を食らわないように、高度は四十キロメートル強の地点で戦闘に参加することに決めた。そのポジショニングに随分な量の思考を擁したつもりだったけれど、時刻を確認すると数秒にも満たなかった。


 敵リッター機の残りは、一隻目――セミヌードの左舷に控えていた方だ――の爆発で二機を失い十機に。続けて私の約百キロメートル先の最後の自爆攻撃で三機が巻き込まれ、最終的に七機に落ち着いた。セミヌードの副砲が作り上げる弾幕の隙間を掻い潜るようにそれらは最高速度を緩めることなく近づいてくる。もう、私のリッターの射程距離にも、入ろうとする、まさにそんな瞬間だった。


 あの中に、彼も、かつての思い人がいるのかも知れない。私は、必要とあれば彼の乗ったリッターを破壊することが出来るのだろうか。自分にそう疑問を投げかける。


 やるしかないだろう。一切の容赦をかなぐり捨ててそう思った。


 私はステルスモードを解いた。全身のスラスター、特に脚部のブースターを一気に稼働させる。敵機のやや上方から鋭角でひねりこむような機動で、猛禽が如く襲いかかった。


 敵機が私という新たな熱源の出現に反応する。こちらに銃口を向ける、それより前に脚部それぞれに三発ずつ計六発の長距離ミサイルを私は放っていた。私の眼球の動きをリッターが読み取り、敵の六機をロックオンし、追尾する。並行して、両腕と腰部の銃も同時に発射していた。右腕のレールガンは一撃でも捉えれば撃破可能な威力。これを本命として、それ以外の武器は弾幕を張るように、相手の逃げ道を遮ることを意識し、無規則にばらまいていく。


 ミサイルに追われる形になった六機の内、四機にミサイルが着弾して爆ぜた。しかし、二機は手持ちのライフルや電子銃を用い、音速域で自身に肉薄してきたミサイルを見事に迎撃してみせた。けれど、運良く生き延びた彼らの内の片方が、私のレールガンの射線上にコンマ数秒だけ入る。


 それに反応して、私は殆ど思考すら置き去りにして引き金を引く。一秒にも満たない短い射撃を受けたその一機は、四肢をまき散らせて数秒宙を漂った後、思い出したかのように爆発した。


 僅かな時間における一方的な攻防の末、敵は残り二機になっていた。相手の反撃を食らう前に、私はバク転のような機動で敵の射程外に逃れた。頭上にセミヌードを捉え、脚部のブースターにものを言わせて加速させる。脚部が改造されている分、相手のリッターよりこちらが速い。


 最高速度の差は搭乗者の技量が挟み込まれる余地すら許さず、自機と敵機の距離が時に比例して離れていく。セミヌードのいる方向へと後退しながら、私はこちらからじりじりと距離を離される敵の生き残りを落ち着いて観察した。一機は、私の左腕の武装と同じ、短機関銃。セミヌードを沈めるには苦労する筈。こいつの脅威度は低い。そう判断した相手の未来位置を予測してみて、自分の腕でも撃墜できると判断。


 レールガンを脳内でイメージした軌道に沿わせて数秒ほど発砲すると、光り輝く弾丸らは敵機の胸部へと吸い込まれていった。その犠牲者はバランスを崩すやいなや、大量の熱と光を放出したきり見えなくなった。それを私は視界の端に捉えつつ、もう一機の生き残りに既に意識を集中させていた。武装は、何だ。


 反射的に私は錐揉み回転した。自機の姿勢を示す三次元モデルが無茶苦茶な動き方をして、お前は外からこう見えているのだと主張する。それでも私にとっては辛うじて制御できる挙動の範囲内だった。損害は無く、回避は成功した。


 相手が放ったのは、私と同じレールガンだった。おそらく、彼だ。


 セミヌードに通信して危険を伝えるべきか。いや、そんな余裕すら許されなかった。銃口がこちらを向いたのを認めて再び回避を試みる。今度は、機体が僅かに振動し、右肩の外装が焼けていた。致命傷ではないから問題はない。三丁の短機関銃で相手を牽制した。右手の銃を、レールガンを一瞬でも命中させさえすればいいのはこちらも同じだ。敵の未来位置を予測しようとして、出来なかった。


 彼の機体が描くデタラメな機動に舌を巻いた。セミヌードが放つ弾幕の雨すらも意を介さないようにすり抜けてこちらへ接近し続ける。まるで一切の攻撃が彼を避けているように錯覚しそう。こちらの迎撃を回避しながらも敵のレールガンの銃口はこちらへ動く。避け――、いや、狙いは私ではない。なら、セミヌードだ。


「セミヌード、衝撃に備えて!」


私が通信を強く意識して叫ぶと、リッターが繋げてくれた。通信が回復する。

「一体何が起こった――」とフォッシュが応答。


 刹那、セミヌードの正面装甲へルーデル機の射撃が到達した。数秒間の弾着の末、装甲の一部が歪んで小破した。格子の中のフォッシュらも揺れる。幾人かが悲鳴を上げ、身の回りのものに運悪く身体をぶつける者が多発した。やはり、あの武装は危険だ。当たり所が悪ければすぐにでもセミヌードは沈む。


 私はルーデルを殺す覚悟で全武装をもって射撃した。しかし、こちらの攻撃は一切当たらなかった。けれど、彼の攻撃は妨害できたよう。セミヌードへの射撃体勢をルーデル機は止め、回避に専念し始める。本気で妨害すれば、セミヌードだけは何とか守れる。


 腰部の短機関銃も命中させるつもりで放っていく。そうでもしないと牽制の役割すら果たせなかった。そうして射撃の精度を高めつつ、高速で駆ける自機の姿勢も制御する。外部から見れば私の機動も無茶苦茶に見えるかも知れないけれど、自分の肉体以上に思った通りに動かせている。


 全ての武器の残弾数が半分を切った。セミヌードの迎撃に巻き込まれないようにルーデル機の上方一定距離を保ちつつ射撃を継続。これらの複数の動作を行いながら、そこに加える形で口も動かす。セミヌードへの用件を伝えるために。


「援護射撃を中止して。どうせ当たらない。むしろ、私の理想の機動が阻害されて上手く戦えない」


 我ながら無茶な要求をする。それに対して、冷や汗をかきつつも落ち着きを取り戻したフォッシュは、そんな最低限の言葉だけで私の真意を汲み取ってくれた。

「君一人であの化け物を相手にするのか。自殺行為だが、君の腕も悪くない。なら……」


 一瞬の沈黙の後、セミヌードの副砲達が一世に動きを止めた。フォッシュが幾分か早口で私に話しかける。


「先ほど受けた損害を見積もって、確実なチャージにあと五分は掛かる。だから」

「皆まで言わなくても、いい」

「よし。後は頼んだぞ、ジークフリーデ・フォン・フォーアライター!」


 私を邪魔しないためか、彼から通信を切った。もはや言葉はいらない。私が五分を稼ぐ。


 いや、そんな心構えでは駄目だ。相手はあのビショップ・フォン・ルーデル。帝国の英雄とまで呼ばれた騎士。格上の相手。手加減はいらない。殺せ。それ以外に道はないのだと覚悟しろ、私。そうでもしないと、勝てない。敗北して死ぬのは私だけではないのだ。


 だから、迷わず私は前に出た。自分からルーデル機に接近した。もう、ここからは一歩たりとも戦術的に不必要な後退は許されないし許さない。その覚悟と確信とを共に、行く。


 セミヌードのすぐ目先。その空間で二機のリッターが踊る。


 全ての武装を使用。撃つ。連射する。相手が取り得る全てのライン。それら全てを潰すように弾丸を撃ち込んでいく。ルーデル機は回避を継続していた。私が想定しない機動で。もはやそれは理論で導き出される道筋ではない。彼が通る道筋が最適解になるとでも言いたげな、凡人には不可能な領域。私は相手を視界中央に固定しつつ、全体としては円運動をベースに、しかし、僅かに円弧を歪ませるように機体を操る。


 身も捩った。被弾しうる面積を最小限に留めるためだ。何らかの動作を一手でも過てば、全てが破綻する。それが死に際だ。それでも、攻撃は止めない。こちらの回避機動も継続。残り時間なんていらないし、見ている余裕もないな。そう思うと、視界端にあった筈の表示が消えていた。歪な円の半径を、徐々に短くして距離を詰める。被弾確率上昇するが、こちらの命中率も同様。


 なのに、そこまでしても、私の攻撃は当たらなかった。全て避けられていた。


 もっと、もっと、半径を、縮め――。


 そこで違和感を覚えていた。一瞬ルーデルの銃口が輝いたかと思うやいなや、こちらの右脚部の追加ブースターが破損していた。切り離す。


 続いて、無事な左脚部のブースターも捨て去った。残すべきだったか? 否。崩れたバランスは、かえって危険だ。


 私のリッターが本来あるべき素足をさらした。それは、機動力の優位を喪失したことを意味する。でも、関係ない。戦闘は継続させる。そんなダメージを負いながらも私は、半径という彼我距離を今度こそ縮めてみせた。ふと、点と点を結んだように、跳躍するように、目前にルーデル機が迫った。敵機の脚部が飛んで来る。蹴られる。思考と同時に身を捩った。敵機の右脚部、振るわれたその下をくぐり抜けるようにして何とか回避した。敵とすれ違う。相手は背後へ。反転動作を加えて私は反撃しようとした。


 そこで、自分が早まったことに気付く。何故だろう。相手の反転の方が早く終えられていた。敵の銃口が、今、発光する。その直前に、自分から見て右に。一瞬だけスラスターを点火させる。回避と同時に無理な姿勢から反撃。避けられる。これを機に、相手の動きが先ほどの射撃主体のそれから接近戦主体に変化した。こちらに一直線に、来る。私は発砲。だが、掠めるだけだった。再び敵の脚部が迫る。今度は左足だ。それを飛び越えるように回避し――。


 あ、衝撃。


 私が避けた先に、右足が来て、蹴られた。直撃だった。


 相殺しきれない衝撃が私の身体に堪える。意識が、飛ぶ。いや、飛ばない。首筋に痛みが走った。スーツからの薬物投与が私の意識をつなぎ止めたようだった。こちらも蹴り返したが、距離を離され、避けられる。ルーデル機の銃口がこちらを向く。それを苦しい体勢で、自機の爪先で蹴って逸らした。相手の射線は外れてくれて、それどころか、敵の胴は、がら空きだ。今なら。


 敵機から、通信。拒否。不可。格子の中に、ルーデルの顔。私が、好きだった、ひと。


「君だったのかい。訓練だけかと思っていたが、やるじゃないか、フリーデ」


 馬鹿か、私は。遅れて発砲する。けれど、躱される。千載一遇の機会を逃してしまった。敵機は距離を取り、戦闘は振り出しに戻る。円運動をベースに。再び、距離を詰めつつ。


「しかし、功利主義の体現者みたいだった皇女様が、このシステムを否定するとは皮肉だな。少数を犠牲に最大の利益を、というのは君の基本方針だったのにね」


 無視。彼じゃない、と自分に暗示を掛けるように努める。けれど、彼を元に戻せるかも。私みたいに。あぁ、駄目だ。これは、雑念なんだ。ルーデルの攻撃。避けられない、と判断して事前に着弾点である左腕を切り離す。本体から見放されたそれは、レールガンの直撃を受け、散っていった。危機一髪だった。


「君だって、数年前までは同じ様なことをしていたな。帝国の貧民層や、異分子達。それらを表面上は受け入れることで国内は安定した。けれど、どうだい。彼らの生活は確かに福祉だの保障制度だののおかげで幾分かマシにはなっただろうが、それでも一般の生活水準まで引き上げて救ってやったわけじゃあない」


 これ以上の損害は、まずい。虎の子のレールガンは、残弾無し。捨てようか、それとも。


「君は、帝国の大多数のために君は少数派の人間を弾圧した。形だけは彼らを尊重するようだったが、飢えに苦しむ弱い人間を助けてやるとそそのかすことで裏切りを助長させた。その結果生まれるのは内部からの瓦解だ。弱体化した連中の吊し上げは容易という算段だな。そんな策略を思いつき、あまつさえ実行に移した君が、人間の尊厳どうのこうのと口にするのかい。自分が不幸にした人間の存在を棚上げして?」


 図星だった。


 あぁ、やってしまった。私の機動が、致命的なまでに乱れた。銃口がゆっくりと、もったいぶるようにこちらへ向けられるのを見つめた。回避は、駄目だ。無理。間に合わない。


  自分はここで死ぬのだろうな、と納得してしまった。死ぬべきだろう、とも。私は、かつて帝国という国家の最大多数の最大幸福のために何をやって来たのかを、嫌と言うほどに思い出した。生身の誰かをぶったことはない。その生命活動を自らの手で停止させたこともない。けれど、この両手は血に濡れている。そんな人間は、幸福になんてなってはいけない。自分が踏みにじった者達に贖いをしないといけない。そう思った。だとしたら、受け入れるしかないじゃないの。過去の自分が受けるべきだった弾劾を、今の私が払うしかない。


 そんな、灰色の停滞しきった思考は、しかし。


「諦めるな、まだ手はいくらでもある!」


 誰の声だろう。ルーデルじゃない。男のひと。そう、フォッシュだ。


 思い出す。弱気になって、忘れてしまっていたことを。今まさに自分が生きてやろうとしていることだって、私にとっては譲れないほどに、死ねないほどに正しいことであると。いや、正しいとか間違っているとかどうでもいい。これは、意地。このために必死の思いで私は今この場に存在しているんだというエゴだ。だから、嘘でも、支離滅裂でも、客観的でなくても今だけは構わない。自分を、無理矢理にでも奮い立たせなくちゃ。


 確かに、ルーデルの指摘はもっともだった。罰を受けるときもあるだろう。正しい怒りの下、私を捌こうとする人間は居るだろうし、そのときは受け入れるかも知れない。けれど、今は、今だけは、駄目なの。私がここで殺されれば、次は誰が犠牲になるのか。そんなことはさせないし、それだけが許容できない。だから、まだ終わらせない。自分一人の命惜しさのために、戦っているわけではないのだから。


 ふと、右手のデッドウェイトの存在が浮かぶ。すぐ様、私はその、捨てそびれたレールガンを相手に向かって投擲した。余りにも原始的で、攻撃にもならない行動。


 敵が発砲する。僅かに、けれど、確かに私のそんな苦し紛れの行動が相手の攻撃を遅らせた。身を捩りながら機体を舞わせる。私の身体に、機械が制御しきれなかった圧力が容赦なく暴力を振るう。全身の骨格が歪むかと思ったけれど、その寸前に機体を立て直せた。


 まだ戦闘は続いている。まだ、私は生きている。そうやって死に物狂いで僅か数秒先の自分の生存を積み重ねることで、自分達の未来を守ることに繋がっていく。


 そして、何の前触れもなく視界に異変が生じた。ルーデルの機体に重なるように、薄い輪郭の機体が出現した。私は不安に襲われる。何。まさか、私にまた洗脳か、何か。 その疑問を打ち消すように、フォッシュが私を激励するかのように言う。


「奴の機動を、君の端末から得られる情報を下に解析した。もう少しだけで良い。持ちこたえてくれ!」


 そうか。メルクーアが私から拝借していたデバイス。あそこには様な帝国のデータが治められていた。その中に、私はその全てを把握していなかったけれど、彼の戦闘記録も含まれていた筈だ。それならば、あるいは。


 時間にして、わずか二秒先の未来が見えた。十分すぎる。私はそれを信じた。私が守り、私を守るひとびとの力を信頼する。思い込みでも何でも良い。理由さえあれば人間は何だってやってのける。私は一人で戦っているのではない。そんな単純さが、今は有り難い。


 背部。ヴィブロブレードの刀身を起動する。鞘代わりの防護カバーと固定用パーツを引き裂き、残された右手で、抜刀。居合い切りのように、目前に迫る敵機の右足を、予測された残像と共に切断する。


 続けて、左の脚部による蹴りが来る。それも予測済み。刀身をその蹴りに対して垂直に構える。衝撃。私に命中するはずだった部位、それが慣性に従って虚空へと消えていった。相手も言論による中傷は無駄だと悟ったのか、ルーデルの顔が消えた。今は迷わない。きっと、未来の自分が向き合うだろうから。悲しみを消すことは出来ない。けれど、後悔することを、今は先延ばしにする。


 決着のときが来るのを、本能で悟った。


 相手とまったく同時、引き寄せ合うように、接近する。致命的な失敗が予測されている。けれど、どの道私の腕だと下がっては不利になる。前に出て、仕留めると決める。私が操るリッターの、その左肩があった位置へ飛びこもうとする敵機。分かっては、いる。がら空きになった、胸元。そこに、彼がいる。

ごめんなさい、ルーデル。そして、彼と幸せになるはずだったひと。


 愛したひとが存在する場所。そこを一閃した。


 どうだ、間に合ったか。人型兵器に出血はない。ただ、あのひとが居たはずの場所が、高熱の刃によって溶解され、消え失せていた。


 漏れそうになる声と涙を、唇を噛みながら、意識して深い呼吸を繰り返して、耐える。一度でも泣いたら、きっと弱い私は戦えなくなる。だから、悲しみをほんの少し先送りにしようとする身体に、心を無理矢理に合わせる。


 背後で、本当に小規模な爆発が観測された。同時に、この未来予測が覆せなかったのだと、悔しくなる。


 ルーデル機の最期の射撃。その標的は私ではなく、セミヌードだった。

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