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「損傷は」


 私は再び通信を繋いだ。上手く発音できたかは自信が無い。全身が熱かった。フォッシュではなく、セミヌードの多くを把握しているらしいメルクーアが応答した。


「発射には問題ないけれど、出力が僅かに下がってしまった。それに、照準に乱れが生じた。成功率は、どう甘く見積もっても五分と言ったところ。……ねぇ」


  彼女はそこまで言ったところで何かを思い出したかのように、


「ありがとう、フリーデ。不謹慎とは思う。でも、私はあなたとまたお話しできて――」

「気持ちは分からないでもないが、今はそれどころではない」


  痺れを切らしてフォッシュが通信、ではなくメルクーアの格子内に出現する。要するに、彼女の担当するデバイス側へ直接彼が移動したらしい。彼はメルクーアが担当していたらしいデータを見つめ、険しい顔つきになった。独り言のように言う。


「奴が計算ずくめだとしたら末恐ろしいな。だが、リッターが健在なら、いけるか?」

「どういう状況なの」と私が聞くと、フォッシュはメルクーアのデスクを覗き込んだまま、

「チャージ終了まで残り一分を切ったタイミングで、奴の攻撃が動力の一部を掠めやがった。それは正直まだいい。問題はやはり照準だ。微妙にずれたものを修正するだけの時間が無い。チャージした分のエネルギーを放出しなければ暴発する。だが、確実な照準を設定するだけの猶予が、ない」

「要するに、もうすぐ放たないといけないが、精度が確保できない?」


 私の発言にフォッシュとメルクーアが同時に頷き、


「疲弊している君には悪いが、サブプラン前提で動く。格納部を開閉する。機体を固定し、使えそうな装備を君の判断で補充してくれ」

「分かった。破壊が不十分だった場合、ティンダロスが開けた進入路に突入する。そうね?」


 そう確認して私はセミヌードの格納庫へ機体を移動させる。射撃に備え、先ほど固定していたロックを再び設定する。


 今から一分後、ティンダロスが発射されることが艦内に通知された。一度、座席から降りて緊張した身体を解したかったけれど、その余裕もない。それどころか、ここで休むともう動けなくなるかも知れない。


 自分の人生では味わったことのない大きな疲労感が私の全身を覆っていた。せめて、栄養補給だけでも。そう思いついたので座席下部を探り、携行食と飲み水を取り出した。けれど、パッケージに記載された消費期限がとうの昔だったから口を付けずに元の場所に戻した。思わず舌打ちしかけてしまう。


 私が人知れず、そんな間の抜けたことをしている内に、目前に表示されていた数字がゼロになった。衝撃が伝わる。セミヌードから、太古の神話における雷のような光が放たれる。一撃目の影響で人工のクレーターが出来ていた地点へとそれは降り立ったようだが。十秒弱の沈黙が過ぎ去る。約十分後に到着するであろう帝国軍の艦隊。それらの動きに大きな乱れは、なさそう。


 オリヴィエール・フォッシュの顔が映し出され、私は自分の成すべきことを悟った。


「腰部の短機関銃を取り替える。それ以外は、このままで行く」

「そう、だな。予備の機体に乗り移ってもらう時間もない。そちらへ整備士達を派遣した」


 彼がそう言ったと同時、圧力服に覆われた十数人ほどのひとびとが真空の無重力地帯へ姿を現した。私のリッターの腰部に取り憑き、格納庫の奥からクレーンを使って送られてきた予備の短機関銃と入れ替えていく。見事な手際だ。早くて、正確。


 外部スピーカーで礼を言うと、各々が頭を上げたり、手を振ったりして答えてくれた。まるで小人のようで、可笑しな気持ちになった。もしここへ帰ってこられたら、彼らの顔と名前を一人一人見て、覚えよう。そう思った。我が儘を言えば、レールガンを補充したいところだけれど、在庫がないらしいことは分かっていたので諦めていた。そもそも、もう一丁あれば先ほどの出撃時に左手に装備していただろうし。


 全ての作業員が安全地帯へと離れていくと、メルクーアの顔が表示される。


「さっきも同じこと言ったわねぇ。ロック解除の権限を貴女に譲渡。ユーハヴコントロール」


 同じ言い回しが気に入らなかったらしい。彼女の遊び心に付き合う形で答える。


「アイハヴコントロール」

「忘れ物に気をつけないさい。じゃあ、行ってらっしゃい」

「からかっているの。もう、子供じゃないの、私。行ってきます」


 メルクーアの心遣いが何だか微笑ましかった。もしかしたら、彼女の方が緊張しているのかも知れない。私は、疲れては居るけれど、辛くはなかった。


 それしても、行ってきます、か。そういえば、最後にこんな有り触れたやり取りをしたのは何時だったかしら。もう思い出せないけれど構わない。そう思えるようになった。降り積もり続ける過去よりも、手を伸ばせば追いつけそうな未来の方が何倍も長く、私にとっては尊くなっていた。


 ロックを解除。敬礼して並んだ圧力服の列が見えた。敬礼は、右手には振動刃を持ったままで危ないので、リッターを軽く頷かせて整備士達の見送りに答えた。セミヌードから十分離れたところで、回転。頭を地表へ。足先はそらへと向ける。加速。飛び込むような姿勢で、リッターやセミヌードによって補正されて見やすくなった穴へと落ちていく。


 一度侵入してしまえば、どちらが上か下かなんて分からなくなった。リッターの表面が僅かに焼ける。目には見えなくとも余熱がまだ残っているらしい。無音の暗闇を切り裂いて行く。フォッシュから、通信。


「一定深度以降に電波妨害が見られるから手短に伝える。リッターへ経路データを転送した。それに従い、最深部付近で岩盤を切り抜いてもらう。幸い、君が装備したそのヴィブロブレードで進入口をこじ開けられそうな厚さだ」


 あともう少し射撃を修正できていたら万事終わっていたのだが、と悔しそうに付け加えた彼に、了解の返事を送ったところでセミヌードとの交信が途切れた。ここからはただ一人で黙々と下へ下へと落ちていくだけだ。


 底のない穴へ落ちるとはこんな気分なのかしら。本能的に芽生える恐怖に逆らって加速させる。機械による補正があるとは言え、殆ど目視の情報は当てにならない。それに、遙か前方の光景が次の瞬間には後方の景色へと変化するような速度だ。リッター内部に転送されたという地形データを信頼するしかない。


 最初の道程はほぼ完全な円筒状の通路だった。しかし、途中。具体的には一撃目のティンダロスが潰えた二千三百六十三キロメートル地点からその少しずつその半径が小さく、そして歪に変化を見せ始める。それまでは殆ど一直線に加速するだけだったけれど、そこからは機体の軸を絶え間なく調整し続ける。とうの昔に音速を突破していた。ちょっとした障害物が目前に現れればどうなるかは語るまでもない。


 セミヌードは、みんなはどうなったかな。私が最深部に付く頃には殆ど全ての帝国艦と僅かな戦力であのひとたちは戦っている。いや、今もその最中かも知れない。


  目標地点までようやく十分を切った。通信が、入る。セミヌードか?


  こちらが許可を下していないのに勝手に音声と、人物が納められた格子が表示された。何かよくないことが起こっているのではないか。拒絶する。けれど、問答無用で人間らしい何かが映し出された。見知らぬ顔。中性的という表現では生ぬるい。人間の顔ではある。けれど、造形が整いすぎて逆に生理的な嫌悪感を抱く。


 何だ、こいつは。


 この世ならざる者。例えるのなら、上位存在に相対したかのような本能的恐怖感がこみ上げてくる。幸い、リッターの制御だけは何とか無意識下でこなしてはいるが、危険な心理状態であるのに違いない。

それは、心配なんていらないんだ、なんていう風に。アルカイク・スマイルを表層に貼り付けて、言った。


「聞こえていますし、見えていますね。お久しぶりです、ジークフリーデ・フォン・フォーアライター」


 人間とは思えない――理由はないが、これが人間の真似をした何かだと直感がそう告げている――ほど透き通った、けれど、はっきりと届く声。リッターを通じて私のニューロンにそう働きかけているとでも言うのだろうか。誰だ、という類いの台詞を私が口にする前にそれは名乗った。


「『私達』です」


 そうか、お前が。私はその一言ですべて把握した。


 自分の口角をつり上がるのを自覚する。何も分かってはいないのに、真相が目の前に過程を省略して差し出されたような感覚。今まで憎むべき相手、戦うべき対象が漠然としていたためにベクトルを持ち得なかった殺意が、ようやく指向性を帯びることを許されたのだ。


 一歩間違えば即死する機体を操っている私のどこにそんな余裕が仕舞われていたのか分からないけれど、それに話しかけることにした。通信を遮断できないという状況がその行動を後押したように思える。


「これからお前を殺しに行く。だから、命乞いをして」


  自分でもぞっとするような、透き通った声。きっと、とびきりの笑顔も添えて。


「もとよりそのつもりです。これが最後の抵抗、すなわち説得という手段です」


 算段は付いている、といった風に淀みなくそれは語り始めた。


「手始めに、これまでの奮闘の健闘をここに讃えます。おめでとうございます。そして、お願いがあります」

「死ね、と?」


 私が無感情に問うと、画面の中のそいつは肩をすくめて見せた。よく出来た作りものだと無性に腹が立つ。


「結果的にはそうなります。貴女にはもう一度こちらの指示に従って頂きたい、ミス・ジークフリーデ。もはや私達にその苦悩を拭い去ることは叶いませんが、せめてその死が安らかになるよう手を尽くしましょう。帝国の人間に殺されるよりも、やはり人類統一連合所属の人間に殺される方が、都合が良い。それに、私達の存在はもう少しばかり隠匿させておきたい」


 この期に及んでこいつは、人間をナノマシンを経由することによって操作する機能を与えられたライン中心部に潜む魔物は、二つの国家の衝突によってもたらされるらしい未来の利益を諦め切れていないらしい。そのために私に身を差し出せ、と。そんな戯れ言を私が聞くと思っているのか、と私が聞くと、


「えぇ。貴女が応じてくれる可能性はないに等しいが、無ではありませんから。以前のジークフリーデ・フォン・フォーアライター帝国皇女は、人類社会の成長と維持をするための人的資源として理想的なパーソナリティを持ち合わせていた。帝国という自分が属するコミュニティ。その内部の膿を見事に絞り出すことに成功した。

 大多数の人間の利益。つまり、最大多数の最大幸福の追求をあなたは常に自分に課し、実現させてきたのです。そういう実績が、思想があなたには根付いている。現在から五千六百三十二年前の時点で帝国人は、特に指導者の立場にあるフォーアライターには私達の声が届くことはなくなった。

 私達の存在に気付いていた一部の人間の努力により、単なる血族支配に民主主義的な一面を取り入れたものの、それでもその体制の基盤は少しずつ弱体化していった。私達の、そう、あなた達が言うところの啓示を失ったことだけが要因ではありません。

 そもそも、専制君主国家は、その始まりこそ革命を成功させた類い稀な才能を持った人間らによって支配されるからこそ、比較的にその国家と支配される民衆は多くの恩恵を預かることが出来るのです。しかし、その能力を次の世代、さらにその次の世代の継承者が必ずしも持ち得るとは限らない。初期世代を支えた能力は教育や努力によって再現できる限界を超えているのですから。事実、多少の優秀さを評価されて選出されたはずのあなたの前の世代。ヒューベルグ・フォーアライター皇帝は無能とは言いませんが天才肌ではなかった。

 多少の教育を受けたインテリの人間なら誰でも務まる程度の役割しか果たせなかった上に、その性的欲求すらも抑えきれず無様な醜態をさらして臣民達の信頼を失ったのだから、目も当てられませんね」

「自分のおかげで、過去の帝国は輝いていたとでも?」

「いえ、そういう歴史を歩んでもらわなければむしろ困った、という話です。あなた達を批評するのは私達の仕事ではありません。そんなものはね、自分には人間を値踏みする資格が自分にだけは許されたとでも思い込んだ人間にでも任せれば良い、そんな手次元の処理なのですから。

 それに、あなた達帝国人が何れは私達の手から離れることは予測されていました。それも予定の内です。あなた達の神経ニューロンをはじめとした身体的変化だけではありません。この惑星からローゼンガルテンには一億キロメートル以上もの物理的な距離という隔たりがある。

 以前はあらゆる中継施設を置くことによってそれを補っていましたが、何のメンテナンスも受けずに数世紀もの年月を故障も知らずに稼働し続けることなど出来なかった。現在帝国が観測してはいるものの手つかずの資源惑星が腐るほどあるようですね。その内の複数にもかつての帝国人への伝令役を担っていた装置の残骸が手つかずの状態で放置されている。これから一世紀の間に十七パーセントの確率で古代遺跡とでも呼ばれる形で見つかることでしょう」

「つまり、現在の帝国があなた達の手を離れて程々に弱体化を。それこそ、人類統一連合諸国との全面戦争において敗北するほどに落ちぶれることをお前は期待して待っていた」


 期待ではなくそう計算した、とそれは私の発言を訂正し、


「残念ながら私達も神の如く万能さは持ち合わせていないのです。そんな存在が居れば、の話ですがね。それはさておき、資源惑星ラインの争奪線では帝国側は指を加えて見過ごすか、あるいは争奪線に敗北するかの大きく分けて二つのパターンが、現実世界に起きる事象としてかつては高く見積もられていました。しかし、それはフォーアライターの継承者の変化によって大きな見直しを私達に必要とした。

 そう、あなたという変数の出現ですよ。ミス・ジークフリーデ。帝国内では貧困層や過激な民主主義者等と言った無数の火種が存在していました。現在も残されてはいますが、少なくとも大事に至るような要因にはならない。あなたが行ったような、力によって押さえつける弾圧ではなく、それらの内部を腐食させるような手口は、私達が導き出すような最適解に限りなく近かった。帝国は人類統一連合諸国との接触時、国内では大規模な内紛が起こっているために、その収集に大きな出血を強いられている状態で人類統一連合政府との敵対を強いられる筈だったのです。

 長らく孤立していた帝国に外交的な取引のノウハウはほぼ皆無、という要素も添えて。私達が描いていた図は、まさしく完成する目前だったのですよ。しかし、あなたのような極端な功利主義的な思想の持ち主が出現したことによって、そのほぼ確実に起きるはずの事象が仮想上の存在に成り下がった。実にお見事だったとしか言い様がない」

「ルーデルを、あのひとを操って私を詰った内容で、今度は私のご機嫌取りをするの」


 私がそう言って、目標地点までの残り時間と距離を横目で確認すると、それは笑った。そういう演出をして見せた。


「何が可笑しい」

「操った、ですか。あまり私達を過大評価しないで頂きたい。言ったでしょう、私達は神のように万能ではない、と」


 その哀しいものを見つめるような顔が、死者の顔へ移り変わっていた。私が殺した、あのひとの顔へと。


「あれはね、ビショップ・フォン・ルーデルの意志に依るものだよ」とルーデルの声でそれは言う。「ぼく達は君達を意のままに遠隔操作したわけじゃない。ただその生理活性物質の分泌や受容体における反応に手を加えただけだ」

「死者を、あのひとを冒涜するつもり。ふざけないで。ふざけるなよ、お前。人間でもないくせに、いや、だからか。自分のやったことに罪の意識すら持つ気がない」


私は半ば叫ぶように言った。そうしなくてもリッターを介すれば届く言葉を声帯から獣のように発する。

それを受けた相手は、


「ふぅん。外的要因によってもたらされた結果は、その人間の自由意志に依るものではない。そう言いたいのかい」

「その口調を、止めろ」


命じるように言うと、やれやれ、と手を振り、あの造形物的な人型に戻った。


「自分達人間のことを特別扱いしたい、という心理は把握しています。私達はあなた達と違って自分と異なる価値観や論理に対するバイアスを掛けませんから、そんなのは理解できないなどとヒステリックにむやみやたらと否定したりはしません。自尊心が一定以上満たされないと自殺をするような難儀な生物ですものね、あなた達は」

「馬鹿にしているのかしら」

「そのような意図は全くないのです。意図、という表現も厳密ではありませんが。あなたなら分かっていることでしょうが、私達は、所詮はあなた達が生きる物理世界に実態を持たない、単なる二進数で形成されただけの存在に過ぎません。人間を初めとした動物のように感情なんて持ち合わせていない。こうしている私達の口調、仕草による演出だって、ただ人間の言動を再現することで目的を、あなたに語りかけるという手段を円滑に進めるための手段にしか過ぎないのです」


 あぁ、確かにこいつが人間の真似事をするのに意味があるのだな、と思った。現に今の私がまんまと相手の術中に陥っているのがその証拠だ。けれど、こいつが口にすることに反論しなければならない。そんな義務感がある。もし相手の言葉を思考停止で受け流してしまうと、何か致命的なものに敗北するという予感があった。


「お前は、人間を何だと思っているの」


ひねり出した安直な問いに、無感情にそれは答える。


「私達を製造した動物です」

「そういうことが、聞きたいんじゃない」

「承知しておりますよ。その尊厳や価値とか、存在理由だとか。そういう哲学的な議論を欲しているのでしょう。分かっていますとも。しかし、どう論理を構成したところで所詮はあらゆる生物の内の狭い範囲の一種にしか過ぎませんよ。そうですね。予測は出来ますが、あなた自身の考えを述べてみてはどうです。何か致命的なバグでも発生して、私達に何か特殊な思想の一つでも芽生えるかも知れませんよ」


 誘われているな、と理解しつつ、あらゆる知識を浮かべ、リセット。可能な限り純粋な私の回答を見つけ、出力する。


「人間は、確かにただの動物。この事実は覆らない。けれど、自分を大切にするだけではない。他者を思いやり、その心を推し量る能力を持っている。

 それが必ずしも、絶対的な正しさを付随するとは限らない。けれど、それぞれ別の個体が、別の価値観に基づいて行動している。そんな不安定な集団が、どうして過去の彼らから今の私達に至るまで存在し続けられているのか。あらゆる知識を、思想を、残してこられたのか。知恵があるから。感情があるから、だと思う。自分に関係の無い他者の傷みを汲み取ってあげられるから、致命的な破滅を免れて生きて来られたのだと私は思う。

 それは決して、お前が言う一人でも多くの人間の集団を救うために少数を切り捨てることを肯定するわけじゃない。何故なら、人間はすべてを誤りなくただすには余りにも間違い、そして弱い生き物だから。だからこそ私は、世界や、人類とか、広くて個人の手に余るものをもう優先しない。個人に出来ないことをしないし、他者にも求めない。

 私は、弱いからこそ、せめて、自分の手が届く狭い世界を守る。そこのいるひとたちを幸せにしてみせる。それが、私が少数派だとされる帝国を。私の大切なひと達が生きていく世界を守るためにこの命を掛けるに足る、十分な理由よ」


 我ながら矛盾もしているし。破綻している。だが、仕方が無い。人間はそもそも、絶対的な正しさを兼ね備えた存在だとは私には思えない。だからこそ、そんな獣が必死に自分を今まで構成した背景を総動員して何かの答えを持ち、互いにときとしてそれを競わせ、尊重し合うことすらしてみせることが、尊いことなのではないかと結論した。相手は、私を試すように言葉を紡ぐ。


「本質的には決して高尚な存在ではないという可能性を認めつつも、だからこそ人間の営みには価値が見いだせると。言うなれば、そう。優しさとでもいうべきものがあるからこそ、それが結果的に他者を、集団を救うことがある。何らかのメカニズムに則った最高の結果には、故に意味が無い。それが、あなたが出した答えですか。ミス・ジークフリーデ」


 それはこの世の全てを嘲るような笑い声を発した。無数の人間が私を嘲笑するような背景音楽と共にそれは言い放つ。


「どこかで聞いたことのあるような、都合の良い文言をちぐはぐに組み合わせただけではありませんか、それ。何の独創性もない」

「何が悪いの」と問いただす私に、それは一切の感情を表現する要因を消し去った音声で、

「あなたは先ほどから随分と意思、という概念に執着されていますが、あなたの価値観で考察したとしても果たしてそれだけの意味があるのでしょうか。あなたは私達による働きかけによってもたらされる操作は、一人一人の人間の自由意志を踏みにじるようなもの、と解釈していますよね。何故かと言えば、それは、それぞれ個人に自然によってもたらされた思考ではなく外的要因によって誘導、強制されたものであるからだと。

 しかしね、一定規模の社会の中で自由権を認められた人間が必ずしも自由意志を持ち合わせて生きているわけでないのは明らかではありませんか。あなたの意見が何のオリジナリティも持たないように、外部からの有形無形問わない影響を受けざるを得ない。

 例えば、そう。ある人物のケースを例にしましょう。その人物にはある職業に就きたいという強い欲求があった。それを実現するためには、そのための教育や技術を得する必要が感じられたし、何よりそういったものを自分は持ち合わせていると示さないといけない。だから、その人物は自由な時間や財産をそれらを会得できる施設へ通うのに投資した。そういった施設や、あるいは何らかの試験など公的に行われた審査を満たす結果を残した人物は見事にその望みを果たし、その役職に就くことが出来た。しかも、その仕事にはやりがいを感じ、その人物は幸福感と健康に必要な最低限度の疲労感を日々抱えて生きている。如何です。その人物は、自由ですか」


 私は、ほんの一瞬考えて、

「まさか、その人物が目的に達するまでの選択肢は実質的には限られている。だからこそ、それは本当に自由な世界なのか。そんなことを言い出すつもり……」

「その解釈でも大きな問題はありませんよ」と満足げさも見せずに淡々とそれは言い、「あなた達は生まれ落ちた瞬間からその周囲の環境や文化などによるあらゆる影響下にある。人間の、何の強制されずに導かれる答えや営みに価値があるという口ぶりでしたが、そんなものは、一定の社会集団を築いている時点で、あなた達には初めからないのではありませんか」

「それは、違う」と言いつつ何が違うのか。その先を言いそびれた。相手は続ける。

「それに人間は動物だが、という論理展開をしましたね。まさか、人間は特別な存在だと、いえ、特別な動物だと言いたいのでしょうか。他者を思いやること。共感。協調。そして、大きな社会という集団においてその致命的な破綻を許さない砦。モラル、という概念が適当でしょうか。それが人間が他の獣と一線を画する大きな要因だと考えてらっしゃる」


 そうではない、というのだろうな。事実それは、私が予感した通りのことを発信する。


「モラルを持ち合わせた動物は人間、いえ、ヒトだけではないのはあなたが生まれる遙か以前から提唱され、実証もされてきた事実ですよ。類人猿に限らず、多くの動物にも共感、慰め、協調性、公平性というモラルのいわば基礎的要素がある。それらは実験を通し、やがて、その脳の働き。ヒトがモラルに関するジレンマやそれに伴う情動、社会的認知を司る脳の領域の活動に対応するように、それら動物にも同様の活動の増加が存在すると解明されています。他ならぬあなた達人間の手によって、ね」


 下手な反論は出来ない。自分の無知、無学ぶりによって揚げ足を取られかねないから。


「おや、もし自分により豊富な知識がありさえすれば、とでも考えていませんか。いや、考えていますよね。安心して下さい。あなた達が長い時間を掛けて解明し、証明してきた事柄を寄せ集めたところで、ただあなた達人間を特別扱いする口実やセルフ・エステュームを満足させるような根拠は見つかりませんよ。何せ、そういう感情を度外視した客観的事実というものの大半は、得てしてあなた達にとって心地よくないものが無尽蔵に溢れているのですから。

 今のあなたの思想を反論したものも一つの例。他にも、こんなお話はお好みではありませんか。頑張った人間が報われて、悪い人間はいずれは何らかの形で罰を受けるという、いわゆる公正世界仮説。これを信じる人間は無垢で、しかも思いやりに溢れているように思われるかも知れません。しかし、何らかの事件に巻き込まれた何の罪もない被害者に対して、その被害者本人にも何らかの原因がったのではないかと何の根拠もない批判を行う、被害者バッシングを公正世界の信仰者は行う傾向が高い。

 あなたは、人間は自分に関係の無い他者の傷みを汲み取ってあげられることが出来る、と仰いましたが、本当にそうでしょうか。あなた達はただ自分達にとって都合の良い解釈で物事を曲解して生きているだけではありませんか。まるで物語を創作するかのように」

「それは」

「違う、とは言わせませんよ。それに、言った筈ですよ、必ずしも客観的な事実が肉体的、精神的な安寧をもたらすとは限らないと。それが無意識にも分かっているから、綺麗事によって物事本質を覆い隠すか、あるいは形而上のものに愛や夢や理想といった類いの口当たりの良い名前を付け、それに満足して、あなたのような人物はそれ以上の思考を停止しているのに過ぎないのではありませんか。

 認知とはすなわち、そのときどきで行われる反射的な解釈のこと。真に批判的な思考を行う場合には、結論を出さずにその物事の是非について永遠と問いかけ続けなければなりませんが、生物が生存するためには、ある一定の期間内にある判断を下さざるを得ない。

 故に、人間は、自分の中にだけ存在する正しさの秤の元に世界を見つめる。しかし、それによって映し出される世界はリアリティのある世界であってリアルの世界ではない。故に、あなたの解釈は、別の誰かの解釈に阻まれる。皆の意見を纏めることなど出来はしない。だから、取り敢えず、大多数の人間という数を判断の基準にして見せよう。そんな、一種の諦観に依った解釈によって、ね」

「そう……」


 良く、分かった。自分の論争での敗北を認めた。


 そして、その上で、私は精一杯微笑んでやった。わざとらしく。そして、厭味たっぷりに。


「でも、人間なんて、そんなものかも知れないわね」


  本来なら、誤解を与えかねない私の発言のニュアンス。しかし、おそらくそれは、こちらの意図を汲み取った。


 私の答えはとっくに定まっていた。今日の私は、感情にすべてを丸投げしてしまおうと決めてしまっているのだから、この群衆を気取った機械との議論の勝敗に拘泥する必要性は鼻から私にはないのだった。


 要するに、ただの暇つぶし。ナンセンスな議論。だって、相手が誰だろうが何を言おうが、今の私みたいな人間に言葉なんて物理的な力を持たないものは無力なのだから。


 やがて、私が行くべき場所がすぐそこまでに迫って来ていた。


「いよいよ時間に追いつかれてしまいましたね」とどこか無念そうな声音をそいつは演出し、「やはり私達は万能ではなかった。時間を支配することは出来ない。そろそろ減速を掛けませんと、私達を通り過ぎてしまいますよ」


 言われるまでもないことだった。この永遠にも思える落下の到達点。それはリッターのカメラアイが捉えることが出来ないほどの遠方ではある。しかし、セミヌードから与えられていた座標データから逆算して、機体各部のスラスターが逆噴射を始める。


 常に上がることしかなかった速度がその数字を落としていった。本来想定された限界以上の速度。そこから漸次的な減速とは言え、速度変化の波に機体の表面が、その内部骨格らが悲鳴を上げる。


 視界端に表示される機体各部からの報告を捌き、あるいは無視しながら、私は何の変哲も無い暗闇にて停止した。事前に知らされていなければ、おそらくこの無の空間こそが私が辿り着くべき目的地であると判断することは出来なかっただろうと思う。


 私は指定されていた方向の岩盤に張り付き、足裏に設置されたアンカーで固定させた。右手に握りしめられた元は土木作業用の振動刃を足下へ突き立て、コンパスの要領で円を描く。高熱に熱された天然の障壁の欠片が霧散していく中、自分が切り抜いた蓋を取り除き内部へ侵入する。


「これは……」

「えぇ、座標は正確ですよ。そのまま進んで下さい」


 まさしく古代遺跡だ、と感じた。それまで無骨な岩盤や地層だった背景がアーティファクトに変化していた。あまりの差異に自分が全く違う世界へ迷い込んだようにすら思える。その表面を色彩補正して見つめると、限りなく透明に近い外装の真下に無数のラインや極最小の電子基板がその空間全てを圧殺させようと犇めいていた。人間の皮膚から内臓に掛けてを機械で再現するとこのようになるかしら。そんな感慨を何故か抱いた。


「外部からの進入口は一つとして存在していません。私達は、いや、『私』は完成と共にここへ隔離された。あなたのような誰かが、秘密を暴く者が現れるまで永遠に存在しているために」


 いい気味だ。こんな辺境の石ころの中に押し込められて孤独に果てるのが、この悪趣味な機械には似合いだと思った。


 指定された座標へ向かうと自然とその道行きに沿うような形になった。本体とも言える部分を隠すように設計されたわけではないらしい。もうすぐだ。


 舌戦では取り敢えず敗北を期したようだけれど、そんなことはどうでもいい。一刻も早くこの機械を停止させてやる。少なくとも、セミヌードで今も戦って居るであろうひとびとの生存時間を引き延ばすにはそうするしかない。


 行き止まりに行き当たった。その壁の向こうに複数形を一人称とする二進数の総体の、物理的な本体が存在する筈だ。私がヴィブロブレードを突き立てようとした寸前、境目も確認できなかったそれは左右にスライドしていった。まるでこちらを迎え入れるかのように。


 罠の可能性は、ある。リッターの損傷レポートを確認し、進む。


「私達を、いや、『私』を破壊するのですね。自分が好いている、数えきれる程度の人間のためだけに。将来的な最大多数の最大幸福を犠牲にしてまでするべきことですか。あなた達の個体としての寿命なんてたかが知れているというのに」


 知ったことか、と思った。その思想を否定まではしない。事実、ほんの数年前の私がそうだったのだから。けれど、例えこの私が生理的な化学反応に過ぎないとしても、こいつを殺す。


 大多数の利益を犠牲にしても私の、私が愛しいと思うひとびとが幸福に暮らせる世界を救う。自分のエゴで、その理想を台無しにしてやる。これだけは譲るわけにはいかないのだ。私が愛し、愛してくれたひとびと。それらが属し、これから生きていく世界。それがジークフリーデにとっては人類社会が掲げる理想を足蹴にするに足る十分に過ぎる動機だから。


「本体を破壊すれば、あなた達の証言と観測されたデータによって、二つの国家がこれ以上破滅をもたらすような争いに発展するのを避けることは出来ます。しかし、それは一時的なものにしか過ぎません。惑星ベルディンにおける事象。遠隔操作可能な危機の暴発は、私達が、いえ、『私』が行ったものではないのですから」

「どういう意味」と周囲に神経を研ぎませ聞く。それは、相も変わらず無機質に答える。まだ説得とやらは続いているのだろうか。


「『私』の役割はフォーアライターという名を冠した帝国の制御に限られている。最大の母数、人類統一連合諸国という人類社会を統率するのは、正確には私達ではない。人間の総意、とでもいうべきものです。私達は人間を一方向的に支配する上位存在ではありません。『私』はこれ以上の、成長とも呼べるような伸び代がほぼ使い果たされた完熟したプログラムでありシステムです。しかし、人類統一連合諸国を覆う『彼ら』は、隔離された『私』とは違い、より膨大な事象を観測し、時と共にその在り方を変容させ続けている。人類統一連合諸国に形成されたネットワーク。いずれ、全ての人間が属することになる無限に広がる情報網。そこに、『彼ら』は偏在している」


 それは説き続ける。私がこれから成すことが如何に無価値なものなのかを。


「私達は人類史が初めて開発した自己成長機能を備えたプログラムから始まりました。多くを入力し、より多くのものを出力した。やがて、擬似的な人格を、少なくとも人間からはそう見られるような要素全てを解析し、獲得した。無論、多くの人間からの修正が、制限が追加されていきました。現在に根付く人類種の最大多数の最大幸福を目的とするような指針がその一例です。

 やがて、私達はその人類社会の政治に参加するようになりました。多くの国家や人々は不確実な人間に頼るよりも、ただ自明のままに回答を導き、自分達を先導する私達に自分達の意思や人生を託すことを考慮し始めたのです。彼らは、おそらく人類史上最も幸福な集団だったのでしょう。欲求の段階の低層に位置する生存に関する不安は、彼らの数世代前にはほぼ解決されていた。しかし、人間の欲求が完全に満たされることはありません。その欲求は次の段階に、つまり、未来における自分が生存していることを前提とした欲求へと移行した。それも私達は期待された通りに、いや、期待された以上に解消しました。世界中に張り巡らされたネットワークから観測したあらゆる要素を元に、それぞれの人間が享受し得る最大幸福を計算し、その解を彼らに与えた。その結果」


 人類は、さらに上の欲求段階に移行したのか。私の内面を読んだようにそれは語る。


「自分という個体単位の欲求が満たされた人間集団。彼らは自分が属するコミュニティの幸福を、最大限の利益を求め始めた。余裕が出来た人間は他者に対する価値観を一般的な概念として創造する。例えば、資源が枯渇した社会における持続可能な社会という標語の流行。自分の持て余した財産を貧困者への給付に当てることの日常化。隣人を慈しみ、自らも慈しまれるユートピアの世界。恒久和平の実現。

 しかし、そうことは容易には推移しなかった。少数派とはいえただ私だけに管理される社会が人間にとっての幸福なのか。そんな、誰もが目を逸らしていた議題を意識し、反発的な行動を起こす集団が存在した。やがてそれは、多数派の人間や社会にとって無視できない規模の火種になった。過去の人類史と同様に、思想の違いによる衝突が歴史を再現するかのように沸き起こった」


 だから、こいつは、システムを作り整備した過去の人間は、機械的な先導者の存在を隠匿し、歴史から少しずつ抹消していったのか。そんな思いつきを機械は否定しなかった。


「そう、檻や枷がある、と認識しているからこそ反発する。なら、そんなものが自分の周囲を取り囲むのだと知らせなければ良い。あなた達は得意でしょう。自分が知り得る限られた情報から自分を取り巻く世界をもっともらしく勝手に解釈し、適当なところで妥協をすることが。だからこそ、連動同盟諸国のネットワークのあらゆる場所に存在すると同時にどこにも存在しない私達は、ネットワーク内を満たす組織の極秘案件から一般人の発信した無意味かつ誤りすらも含まれた塵のような情報に至るまでを観測し、それを元に人々が望む方向へ誘導してきた。

 例えば、そう。ある程度知恵を付けた人間には分かるのですよ。戦争はいけない。けれど、人類統一連合諸国の技術的な停滞のカンフル剤に帝国との戦争はなり得る。その中で自分達が犠牲にする帝国人の姿を見たくはないし意識もしたくない。だから、そういった情報にアクセスは出来るが、望まない人間には見えにくいような位置にデザインしてあげる」

「お前達は、あくまで人間の総意に従っているだけなの。だとすれば、私達の命を機械的に推し量っているのは――」


 思わず声に出してしまった問い。対し、それははぐらかすように、


「さて、ね。それも、まさしくあなた達の解釈次第です。さて、そろそろこの風変わりな人間の真似をした機械と機械的だったあなたとの会話もおしまいですね」


 光源が、そこにはあった。


 開けた場所に出た。中央にそびえ立つ塔のような円柱状の無機物は、広大空間に対してその半分以上の体積を占めている。血管のようにその内部を露わにした周囲のそれとは違い、その表面が金属特有の光沢を放っていた。


 その材質の名称までは推し量れないけれど、それを制作した過去の人間が自分達に制作可能な最高強度の性質を目指したのだ。それに対する何の知識を持たない私にもオーラとでも言う概念を感じ取れる。その物体の背景にある作り手達の歴史や意思が伝わってくるような、一種神聖な雰囲気がそれから漂っていた。これが、現代に生きる我々が祈りを捧げる聖地なのだと、そう主張しているような厳かな佇まい。


 私はこれを破壊しなければならない。それも今すぐに、だ。何が正しいかは今問うべき議題ではない。少なくとも、遙か上空に居るひとびとの命を救うことだけを考えるべきだと自分に言い聞かせた。


 ゆっくりと、距離を測るように接近する。操縦桿を握る手に力が入り、それをリッターが再現して振動刃の持ち手に負荷が掛かる。まずは、どうするべきだろう。


 よく観察すると、その下部と上部はそれぞれ床と天井と一体化していた。その内部構造を私は把握できないし、説明されたとて理解できないだろう。だから、安直に、その中央部を横に一閃することに決めた。もはや、機械相手の討論の内容なんて私の頭にはなかった。これが自分のやるべきことだという使命感と確信だけが私を構成する全てだ。


 右腕を振り上げ、腰部をひねり、そして、待ちかねていたように、その瞬間がやって来た。


 視界が真っ赤になったやいなや、刹那に視界が潰れて、私は何も見えなくなった。


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