最終部
4-1
ずっと、冷たい扉の隣にもたれ掛かるようにして座っていた。
その艦、セミヌードという通称で呼ばれた付け焼き刃の戦艦の内装は商会のヒリュウと酷似していた。だから、私がかつて全身から体液という体液を垂れ流しにしてそこへ運び込まれたとき。私が意識を失っていたあのとき、フランチェスカもこんな気分だったのかも知れない。目覚めた私は、そんな彼女の気持ちを考えることすらなかったかも。涙はもはや枯れたように出ない。けれど、フランチェスカを思い出させる数え切れない触媒がただ淡々と私に後悔を投げかけているようだった。
「終わった。近くには居るんじゃないかと思っていたけれど、気配も感じなかった」
音も立てずに手術室として扱われていたその部屋からメルクーアが現れた。声を掛けられなかったら全く気付かなかったと思う。防弾の可塑性ドレスではなく、衛生加工のされた薄緑の服装に着替えていた彼女に私は問う。
「あの子は、どうなったの」
「意識は戻っていない。まだ脳のモジュールを解析し終えていないから、何とも。ただ、少なくとも身体機能は回復した。医者でもないから殆ど機械任せで私は何もしていないも同然だけれど、損傷した心臓を中心に、取り敢えず医療タンクに繋げて補っているところ。心臓が停止されてからかなりきわどい時間だったけれど、持ち直しただけ不幸中の幸い、っていうのは慰めにもならない、か」
メルクーアは彼女の身体が死に絶えなかった一因を補足した。メルクーアが言うには、フランチェスカは、皇帝や皇女の身辺に付きまとうひとには有事の際にその臓器が主に移植出来る用に様な条件や施術がされていたらしい。その心肺機能が停止した際、その臓器だけでも保持するために人体の重要部各地に極低温度の生理食塩水を治めたカプセルとそれを送り出すピストンとが配置されていた。心拍の停止を境にそれが全身に行き渡りそのひとを仮死状態にする。皇帝や皇女の周辺で行動することが多い侍女の生命活動が停止することは、その主も同じような場面に巻き込まれたケースが想定される。
だから、本人の生命を保つことは困難でも、せめてその移植用の臓器の機能を保つことで彼女らが従う主を救うことを意図した、そういう悪趣味な仕掛けだった。それが、この場合はフランチェスカを生かすための機械に繋ぐための時間稼ぎを果たしたことになる。
「フランチェスカも連れてきてくれてありがとう」とどこか空虚な私は言った。
「私にはその言葉を受け取る資格はない。……どうしたの。あの子に、フランチェスカに会いに行かないの」
「フランチェスカを殺そうとしたのは、私よ。顔向けなんてする権利があるの?」
「それは、違う。貴女が自責の念に駆られることなんてないの」メルクーアは私の前に膝をつき、私の肩に触れ、「貴女の意思で殺したわけじゃない。貴女はそんなことを望んでいないし、望む筈がない」
「意思、ね。何かに拐かされていたから罪はない?本当にそうなのかしら。あのとき、確かに私が判断して、私が撃った。その記憶が、感覚があるの。薬物に犯された殺人犯には罪がない、ということには少なくとも帝国の法ではならない。私も、そうじゃない」
自虐的に言った。すると、乾いた音がして、私の視線からメルクーアの顔から逸れた。叩かれたんだ、多分。右の頬が思い出したかのように遅れて熱くなった。
メルクーアは私に平手打ちしたことを謝らず、続けて胸元を掴むと強引に私を立たせた。そのまま引きずるようにしてその部屋へ。フランチェスカの元へ引きずってでも連れて行こうとする。嫌だ、とそれを拒もうとすると全く同じ方向からまた叩かれた。私の髪の毛をメルクーアの手は鷲づかみにして、小さな悲鳴を上げる私を棺桶のような白い浴槽に包まれたフランチェスカの元へと誘った。
白い棺の上部の一部にメルクーアが触れると、その部分を中心に表面が半透明になったかのようにその内部が露わになる。
フランチェスカは、一糸まとわぬ姿でその体液を再現した液体の中に浮かぶように眠っていた。その胸元に、きめ細やかな美しい肌には似合わない、無骨な機械が設置されて。メルクーアは私がそこから視線を逸らすことを許さないと言わんばかりに私の顔を固定していたけれど、それを直視した私は逸らす気になんてならなかった。私の罪が結実したものがそこにあるようなものだから、それを受け止めることが自分の義務だと痛切に感じようになっていった。
「どうして、彼女がこんな目に遭ったのか。何故、貴女達は集団ヒステリーめいた何かに狂わされたのか」
「それを知る権利と義務が、私には、ある?」
私の返事にメルクーアはうなずき、手を離した。
解放された私はその容器越しにフランチェスカの頬に、そっと触れる。その肌の熱を感じることは、出来ない。
もう二度と、彼女と言葉を交わすことは出来ないのかも知れない。もう、決して――。
知らずの内に、血が滲むほどに拳を握りしめていた。鉄の味が口内に滲むほど唇を噛んでいた。そして、強く瞼を閉じていた。彼女の痛ましい姿を見ないためではない。彼女を思い出させる全ての記憶を呼び起こすため。
「メルクーア。何が、どこまで分かっているの」目を開き、眠り姫を見つめたまま、私ははっきりと言った。「全部、教えて」
「分かった。艦橋に来なさい。何が起こったのか、我々は何をするべきか。そこで話す」
私は顔を上げ、メルクーアに次いでその部屋から退こうとし、もう一度フランチェスカの元へ戻る。私達が一度離れたためか、フランチェスカを覆い尽くすように健康的な白が彼女の顔へ殺到するように色づき始めていた。その顔が覆い尽くされる寸前、その開かれることのない唇。そこに、そっと口づけした。
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