3-13

まるで、初めてあるべきネットワークに接続したときと同じような震えが、来た。


 自分の身体が溶解されるような気分。意識を保てるか否か。その瀬戸際に立たされている私に、どこか寂しげな声が聞こえる。


「これを届けるために、わざわざここまで来たのに。ほんの少しが。いや、致命的なまでに、間に合わなかった、私」


 倒れ込んでいた私の視線は、自分の足なんて動かないのに移動し始めた。運ばれているのか、引きずられているのか。兎に角、私の意思とは関係なしに部屋から運び出されようとしているらしい。その人物は、私を半ば担ぐようにして外の通路へと歩み出ようとしていた。そんな中、部屋の中央の、あの子の姿が目に入った。私が決して手放したくなくなかった少女が、そこに横たわっていた。


 自分の中で失われていた何かが、蘇った。


 フランチェスカ。 必死にその名前を言おうとするのに、口の筋肉が麻痺しているようだった。自分の声は、意味のある音の連なりにならなくて、目元が異常なまでに熱くなった。それでも、口を動かす。それくらししかできなくて。


「……あんえうあ。ふ、あん」

「あぁ……」と、私の背後から、メルクーア・レイヤードらしい声が漏れ、「ごめんなさい、フリーデ。私一人じゃあ、貴女一人を担ぎ出すのが、精々。だから――」

「てけ。あおおお、た、す、ええ!」


 どこに、そんな力が残されていたのだろう。私はメルクーア・レイヤードの拘束を振りほどいた。そのまま彼女に駆け寄ろうとして、二足では自分の身体を支えきれず、受け身も取らないままに倒れ込んでしまった。けれど、獣のように這いつくばってでも、彼女の、フランチェスカの元へ、行く。相も変わらず、途切れ途切れに、曖昧な発音でも、何度でもその名を呼んだ。けれど、フランチェスカは返事をしない。だって、私が、この手で。


 彼女の骸に懺悔するように額を押しつけて、獣のように曇った泣き声を上げた。そんな私を、背後からメルクーアが強引に引き戻し、叫ぶように言った。


「聞きなさい!死体同然の人間を連れてこの場から逃げ出すなんて、そんな余裕無いの。だから、行く。貴女だけでも連れ帰る。そうでなければ、救いようがなさ過ぎる」


 それでも、壊れた蓄音機さながら、私はフランチェスカの亡骸に無駄だと分かりつつも呼びかけるのを止められなかった。先ほどまで別人のように私の心を覆い被さっていた何かは、忽然と消えていた。その代わりに全身が凍り付きそうなほどの喪失感と、フランチェスカを置き去りにすることへの圧倒的な拒絶感とが今の私を動かしていた。叱りつけるような口調のメルクーアと、ふと目が合った。


 メルクーア、という人物が一瞬泣いて見えたのは私の目の錯覚なのかも知れない。その表情が驚いた表情に急に変わった。誰かが私の背後を通って、私の眼前、私がこの手で殺めてしまったあの子に前に跪くと、丁寧に抱き上げた。その背中は群青色の制服で覆われていた。その姿は見覚えがある筈だけれど、名前を思い出せるほどの余裕は私にはなかった。メルクーアが忌々しげに、言う。


「貴方、先に行っていろと言ったのに、何のつもり。まさか、死んだその子も連れて行く、なんて言わないわよねぇ。第一、貴方はその子のこと顔も名前も知らないでしょう」

「確かに、俺はこの子がどういう立場の人間かすら知らない」と男の声は静かに答え、「だが、彼女にとって、ジークフリーデ皇女にとっては余程大切な存在だったんだろう。ここに置き去りにしても、彼女が拒んで離脱に手間取るとも考えられる。だから、俺が運ぶ。これでも軍人として、あんたよりは身体は丈夫だ。人一人や二人、運んで走るくらいなら、造作はない」


 そう言ってその男、オリヴィエール・フォッシュはフランチェスカを肩で担ぐようにすると、さらにもう一方の肩に私をメルクーアからひったくるようにして担いだ。船内に発生している重力に従って頭を垂れるフランチェスカに手を伸ばす。ひどく冷たくて、何の反応もなかった。私達二人を軽々と、というにはバランスを崩しかけながらも持ち上げて見せたフォッシュは、メルクーアに言う。


「行くぞ。単純な力仕事なら男の俺の方に分がある。文句は、ないな」

「……いいでしょう。この輸送艦に、私の艦をこれから一時的に隣接させる。下手に感づかれれば妨害されるだろうから、そう長くは時間を掛けられない。先導するから、付いてきなさい。もし私一人の足に付いてこられないようなら……」


  相手の返事も待たずに駆けだしたメルクーアに、フォッシュは負けじと食らいついてみせた。揺れる視界の中、涙や鼻水で駆ける青年の肩から背中かけて汚しながら、私はずっとフランチェスカの姿を目に焼き付けていた。それ以外のもなんて、目にも入らなかった。


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