2-9

 ジークフリーデ・フォン・フォーアライター。既に死んだと報じられていた前皇女の姿が、帝国の各艦のモニターに大々的に映し出されて、一万単位の規模を誇る艦隊が一時的に動揺という波に揉またらしい。それまで整然としていた艦隊の速度や陣形に少しの混乱が観察できた。けれど、その喧噪も一次のものに過ぎなかった。


 結果を述べてしまえばあっさりとしていて、私たちは何の障害もなく、何の苦も無く帝国所属のその艦隊と合流することが出来たのだった。私の通信が届けられた後、帝国から私達の艦へと使節団が送られ、私の指紋等を調査するのに時を要したけれど、その結果が出るやいなや殆ど間を置かずに私達は艦隊の本部へと小型のシャトルで移された。意気揚々と護衛として周囲に展開していたリッターの騎士達の大多数が、仏頂面のまま手近な艦に収容されていく様は、良くも悪くもちょっとした語り草になってしまった。


 旗艦を務める戦艦ティルピッツの艦橋に、私と侍女。そして、取り敢えずの責任者兼代表としてメルクーア・レイヤードは招待された。良く磨かれた艦橋の床、まるで大理石のように光沢を放つ超硬合金は、どこか私を安心させてくれた。そんな私に、艦隊の責任者という若い男性が、清潔感に溢れた表情で話しかけてきた。


「ジークフリーデ皇女殿下、よくぞご無事でした。まさか、このような使い古された台詞を口上に乗せる機会が、私の人生にあるとは思いませんでしたが。本当に人間はこのような場面に出くわすと、存外、有り触れた表現をしてしまうものなのですね」

「貴方も息災そうで何よりです、グレーナー上級大将」


 それはまるである日の会議の一場面の再現のよう。帝国最年少の提督は、平静を保ちつつもその声に隠しきれない弾みを感じさせた。勿論、その後に私は、私の立場は元皇女です、というお決まりの台詞を忘れずに付け加えた。


 艦内には、よく見慣れた黒を基調とする軍服が並んでいた。そんな空間に充満した空気をどこか懐かしいと感じたのは、決して空調機が帝国製だからとか商会のものなんていう無機物的な違いではないと思う。立場を失ったはずの私に気をつけの姿勢を保つ青年に、


「感動の場面なのは重々承知しているのだけれど、帝国に亡命制度はあるのかしら、提督さん」


 どこか幼い印象の声割には色っぽい口調の商人がお構いなしに乱入してきた。メルクーア・レイヤードの無礼な割り込みに、しかし、グレーナー上級大将は、こちらこそ失礼を、と恭しく対応した。メルクーアら商会の人間にとっては、この艦内に同郷の人間など一人もおらず、寧ろ敵対国の構成員の集団。自分達の安全を確保したいと思うのは当然の動きだし、私も三日三晩どころではない借りを返すため、目の前の遊撃艦隊を率いる提督に事の成り行きを伝えた。主に、この女性とその商会にはとても良くしてもらったのです、と多少の脚色を大さじ二杯くらいの分量で塗しながら。


 私の一歩間違えば白々しい熱弁が功を奏したのか、はたまたこの男性が好人物なのか――個人的には後者だと思う――若い提督は脱出に関わった商人らを要人として向かい入れることを快諾した。勿論、彼ら帝国軍にとって、人類統一連合諸国の内部事情をもたらす情報提供者を手中に収められる、という打算があったことは言うまでも無い。グレーナー提督は礼を崩さず、それでいて流暢に語る。


「しかし、自分は思わぬ吉報を運ぶ役割を背負い込むことになりましたね。これより、レイヤード商会の艦を誘引しつつ、本艦隊は予定委通り本国へ帰還します。皇女殿下の身の上について積もる話はありますが、何も急を要することもありますまい。豪華客船、とは言えませんが、我が艦の一室も、安心して御身を休ませることが出来ると保証します」

「お心遣い、痛み入ります、提督」


  私の当たり障りのない台詞にグレーナー提督は敬礼すると、下士官らに命じて私達の部屋の手配をさせた。


 私はわざわざ専用の一室に案内された。戦闘用の艦にしては調度品や寝具の品が良くて、私のためにわざわざ用意されたものらしい。部屋に入れられた後、私は自分には可憐に過ぎる純白のドレスを脱ぎ捨てて、刺繍による最低限の装飾がされたナイトウェアに着替えた。こんな衣服、よく艦内にあったわね、等と思いながら、ベットに敷かれたシーツに早速横たわった。私の意識はすぐに霧散して、すぐさま眠りに落ちた。


 次に目を覚ましたとき、私の視界には馴染みの姿があった。フランチェスカだ。


「おや、目を覚まされましたか」


 彼女の微笑に答え、私は時刻を訪ねた。自分が眠りに落ちた時間帯を確認していなかったけれど、十時間近くは眠っていたらしい。


「こんなに長時間眠ったのは、何時ぶりかしらね」と私が口にすると、

「フリーデ様は短時間の仮眠を繰り返す、という生活様式でしたからね。これを期に、もう少し落ち着いた体内時計を築くのは如何でしょうか」


 フランチェスカは冗談半分にそう言って、室内に誂えられたキッチンスペースを横目で確認した。私はベットから起き上がりながら、彼女のその視線の動きに気付いて、


「食事は、用意できるかしら」

「艦長に尋ねてきます」と白々しく対応する彼女に私は苦笑した。

「貴女にお願いしているの。調理スペースのこと、確認していたじゃない」


 私がからかうようにそう言うと、フランチェスカは素っ気ない風を装って、

「手の込んだものは作れませんが、そこまで仰るなら、こちらも吝かではありません」


 そう返事をして、フランチェスカはキッチンスペースへ足を運んだ。けれど、照れ隠しなのは見え透いていた。材料の類いも用意していたらしい彼女は、下ごしらえから始めた。私は部屋の中央のソファに腰を下ろして、料理をするフランチェスカの姿を観察した。


「あの、フリーデ様」と私の視線に気付いた彼女は、「何をされているのですか?」

「貴女を見ているの。フランチェスカが料理をするところ、見る機会が無かったから」


 フランチェスカが侍女となってから、私の口にするものは殆ど彼女に手によるものだった。けれど、調理室に立ち入らせてもらえなかったから、彼女の調理中の姿を見たことはなかった。


「毎日のように貴女と過ごしてきたのに、私はフランチェスカのことを意外に知らないのね。こうしていて、余計にそう思う」


 私の言葉に、フランチェスカは一瞬手を止めたけれど、すぐに調理を再開した。何かに怯えたように私には見えた。でも、彼女が不快に思うようなら尋ねるのは止そう、とその不審については目を瞑ることにした。


 料理は、ほんの短い間に出来上がってしまった。幼い頃に私も母さんの調理を手伝ったことはあったけれど、彼女の腕と比べるのは失礼なほどの手際の良さだった。テーブルに置かれたパンと野菜スープを味わってから、普段通りに紅茶を注ぐフランチェスカに私は聞いた。


「貴女は、これからどうするの」

「どう、とは?帝国に帰還した後の身の振り方についてですか」

「えぇ。私は、以前に貴女が言った通り正式に皇女を辞任しようかと思う。既に新たな皇女が席に着いている以上、不要かも知れないけれど、ね」


 フランチェスカは私の前にカップを置き、その上にソーサーを蓋代わりに被せた。隣に砂時計を添えてから彼女は、どこかはっきりとした口調で言った。


「以前に言った通りです。貴女が皇女を辞任しようが、あるいは何らかの心変わりをして皇女を続けたとしても、私は貴女にお仕えする所存です。無論、貴女が私の存在が不快だとお考えなら、話は別です」

「貴女が不快なんて、あり得ない話ね」と私はフランチェスカが僅かに表情を曇らせた言葉を否定し、「私は貴女に世話になって来た。でも、私はそんな貴女の好意に報いてあげられるようことが出来ない。それどころか、私と共に居ることは貴女にとって、必ずしも……」

「幸福ですよ」とフランチェスカは私の言葉を遮って断言した。

「私は、幸福です。自分の意思で貴女にお仕えしています。それは、伊達や酔狂、とフリーデ様はお考えですか?」

「そう思ってくれることは、嬉しい。でも、解せないというのが本音。私のような人間に、貴女がそこまでする理由があるのかしら」


 私がそう口にすると、フランチェスカは哀しげな表情になった。何か言いたそうな彼女を、私は自分の対面に座らせることにした。私は彼女の瞳を真向かい方見つめて言う。


「何時の日か貴女も聞いた通り、私は褒められた人間じゃない。周りからどう見ているのかは知らないけれど、もし貴女も私にそういう幻想を抱いているのなら、これを機会に手を切るべきだと思う。貴女にも、貴女の将来があるでしょう」

「それが、私のためになる。そうフリーデ様はお考えですか」


 その言葉に頷くと、

「時間ですね」とフランチェルカはソーサーをカップの下に敷き直し、「お召し上がり下さい」

「……有り難く頂くけれど、私は大事な話をしているのだけれど?」


 口調に棘を含ませながらも、私は紅茶を口にした。しかしさすがに、格好が付かない、と思い直してカップを受け皿に戻して彼女を見つめる。けれど、彼女はこの話はもう終わっているのだ、という様子だった。フランチェスカは言う。


「私は、確かにフリーデ様のすべてを理解できている、と自惚れることは出来ません。しかし、私は他者の意見や評価によって貴女のことを推し量っているつもりはない。そう断言することは出来ます。それに、私の将来がある、と仰りましたが、ならば余計に貴女に雇って頂かなければ困ります。私のような、取り柄のない人間が職を失ったら、再び安定した収入を得ることがどんなに困難でしょうか」

「私が働き口の一つや二つ、紹介すればいい話よ。それくらいのことなら出来ると思う」


 我ながら生真面目に返答すると彼女は言った。


「どうして、フリーデ様は私を遠ざけようとするのですか」


 そう問われ、私は黙ってしまった。何故かと言えば、フランチェスカが苦々しい笑みに寂しげな感情を読み取ってしまったから。彼女は、私から離れることを、どこか本当に恐れているようだった。彼女には、損得を度外して私に付き従う理由や背景があるらしいことは私も分かっている。けれど、それを聞き出すべきなのだろうか。私は迷った末、決めた。


「分かった。貴女が私のことを好いてくれていて、それで満足しているのよね。なら、私に出来る限り責任を取って、貴女を雇い続ける。一度一緒に居ると決めたら、私は独占欲が強い方だから、貴女を勝手に手放したりなんてしないだろうけれど、それで、いいのよね?」


 これが、最終確認。もう取り消しは出来ないわよ。そんな問いかけに、フランチェスカはどこか嬉しげに頷いた。けれど、私は続ける。


「なら、一つだけ教えて欲しい。どうして、貴女は私をそんなに好いてくれているの」


 そう問うと、フランチェスカは固まった。私は、何も言わず、彼女が自発的に話し出すのを待つことにした。冷める前に、彼女の入れてくれた紅茶を飲んでおきたかったので、口を付けた。美味しい。下手に機械が作る料理より、彼女が用意してくれるものは、どんなものだって価値があるように思える。でも、だからこそ、そんな彼女の時間を、私が束縛して良いのだろうか、と常々考えていた。彼女の持つ理由を明らかにしないと、多分私は永遠にフランチェスカに後ろめたさを覚え続けるような気がして。


 静寂の後、彼女は口を開いた。


「フリーデ様は、ご自分のことを価値のない人間だと、お考えですか」


  私は頷き、先を促す。フランチェスカは、泣き出す一歩手前の子供のような表情で言う。


「けれど、私にとってはそうではないのです。貴女は、自分が他者の犠牲の上に立っていることを後ろめたく、自分の汚点だと考えてらっしゃいますね。それが、一つの事実であることは認めます。でも、例えそれが、異なる私怨に依るものだとしても、打算的な目的によって行われたものでも、救われた人間が確かにいるのです。私も、その一人です」


 そこまで言い切ったところで、彼女はついに泣き出してしまった。私が立ち上がって彼女に掛け寄ると、顔を覆って俯いてしまった。

「そんなに、言いたくないことがあるの、ね。ごめんなさい。私、貴女を気遣うことすらできないから……」

「違います」と彼女は喘ぐように、「違うの、です。私自身の問題なのです」


 尋常ではない彼女の様子に、自分が踏み込んではいけないらしい領域を踏み荒らしたようだと後悔した。私は彼女の隣に席を下ろして宥めようとした。手を伸ばしかけて、一瞬の躊躇の後、彼女の肩を抱き、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。


「分かったから、泣かないで。もう、聞かない。貴女が居てくれるなら、私も嬉しい。お言葉に甘えて、貴女には私の側に居てもらうから」

「ごめんなさい、フリーデ様。でも、私のことを知ったら、きっと貴女は、私のことを嫌いになってしまいます」


 私は困惑した。けれど、その震える身体に身を寄せた。

「隠してくれても、良いわ。貴女が辛くなるような何かがあるなら、無理に明かさなくても良いの」


 フランチェスカの秘密は、分からない。でも、この子にもひとに打ち明けられない何かがあるのだと知った。なら、それでいいだろう、と思った。それ以上は、どうだっていいだろう、と。私は彼女のことを好いていて、彼女も私という存在を必要としている。それだけが今は重要なのだと。何時の日か、その秘密が明らかになろうとなるまいと構わない。だから、自分のことを求めてくれるひとと一緒に居よう。


 ただ、それだけのことだと胸に決めた。例えそれが、真実なんて何の価値も無いものを歪めたとて、それで細やかな幸福を綺麗に修飾できるのなら安いものだもの。

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