2-8
一万もの遊撃艦隊が、結局何の波乱の展開を許さずに勝利の凱旋へと踵を返す様は、なんとなく鼻白まないわけでもなかった。防衛側がほとんど勝利を収めることに執着をしていなかったことは事前に明らかではあったけれど、もう少し努力のひとかけらくらい見せても良いように思う。少なくとも、人類統一連合諸国の外縁部における幾つかの国と、そこに住まう人々は暫く食うに困るのだから。しかし、実際に私達とて顔も知らない多数の人々のために憤ったり、哀れんだりする余分な時間も無い。
戦場となる宙域。無論、宇宙空間に明快な境界線が走っているわけでもないのだけれど、帝国艦の最大射程距離に十倍はする外周部から私たちは突入した。誤ってこちらへ電磁加速を受けた矢が飛来する前に、私という客寄せ兼人質の存在を示す通信を届けなければいけない。
セミヌード内の各地が慌ただしかった。先に述べたように私とメルクーアの意見交換会が外に漏れることがない一方で、外部の音声はこちらへ一方的に躍り込んでいる。それらすべてを、私一人の人間の聴覚器官はさばききれないけれど、私を正面に捉えた動画とそれに付随する音声を発信するための最終準備。そして、万一、何れの勢力にせよ交戦状態に入った際に、矢面に立つ護衛用の戦力の展開が同時並行で行われていた。
「どうせ、襲われたら逃げ出すしかないのだから、第一波だけを堪えられるような陣形を選んでコードを入力なさい。あと、射出時に艦載機用のカタパルトは使っちゃ駄目だから。一応、リッターの規格に合わせてはいるけれど、装置の信頼性に欠ける。緊急的に展開する必要は無いから隔壁だけ開いて、あとは搭乗者のマニュアル操作で外に出てもらって。ちょっと、通信の中継機の展開が遅れているわよ。どうせ無人艦から射出するのだから、搭載艦の加速度を利用して慣性に従って放てば、カタログスペック以上の速度を確保出来る筈だから。少なくとも帝国艦の最後尾だけにでも傍受してもらわないと……」
私より幼い容姿の女性は艦橋から、無数の寄せ集めの艦の運動に至るまで、集団の大部分を一人で処理していた。無人化とは人間の人数がその領域で減少するのと同時に、それを扱う人間にそれらを効率的に少人数で運用する能力を欲するわけだ。メルクーアや、その指示を受ける船員は、帝国なら複数人で当たるであろう容量の情報を各々の力量と経験でねじ伏せていく。
皆が動き回る中、私は自分の座席に座って頭から爪先までを正装という形で飾り付けられて、必要以上その場から動くな、と指示されていた。メルクーアが仕立てたピュアホワイトのドレスは、彼女の趣味かは知らないけれど、私の人生の中で間違いなくトップクラスに華美な衣装だった。さらに、私の座席の周囲だけ、見栄えを重視してか艦の外部に広がる風景を投影させられていた。あたかも、私が宇宙服もなしに艦外に放り出されたようにすら錯覚してしまいそう。まるで、私が美術展の一角に置かれた人形になったようで、時々こちらを見て何やら会話を交わすひとびとを目にする度に、ひどい羞恥心に苛まれた。
私を見つめるカメラ愛の背後に、事前に練られた原稿のデジタルデータが浮かび上がっていた。帝国艦隊に呼びかけをするのは私自身なのだ。自分の心音と呼吸を意識する。大丈夫だな、と思った。一切乱れがないし、暗記した口上が記憶から漂白される危険性は少ない。そもそも、カンニング用の原稿が投影さえされているのだから、言葉を紡ぐことに失敗することはなさそう。衣装には慣れないけれど、大勢を相手に話すことは別になんともないことだから、自分の中に緊張しているような感覚は見つからなかった。
私が公の顔、ジークフリーデ・フォン・フォーアライターとしての体勢を構築していると、私の左側のモニターに見知った顔が表示された。どうも、メルクーアが同郷の人間だからと、大勝負の前に顔を見合わせれば少しは互いの緊張がほぐれるだろう、と気遣ったらしい。見知った顔、ビショップ・フォン・ルーデル少佐は、顔こそ職業軍人特有の律義さと忠誠心を装っているけれど、声のトーンは不気味なぐらいに平常のそれと同様だった。
「護衛部隊の出撃準備が整いました、皇女殿下」
「元とか前という形容が抜けていますよ、ルーデル少佐」
思わず私は口元をほころばせ、すかさず彼はそちらの表情の方が良い、と笑った。
「君が正式に辞任するまでは、ここまで付き添ってきたもの好きにとって、君はお城に住まわれるお姫様だ。騎士リッターなんてむずかゆい称号だとは思っていたけれど、寝物語に出てくるヒーローの真似事ができる日が来るとは。全く、人生って予測も制御も出来ないものだ。男として、年甲斐もなく胸が躍るシチュエーションだ」
皇女を守る騎士達。確かに彼の言う通り、私達の関係は現代における構図というより、幼児用の絵本じみていて面白い。どこまで本気なのか、彼は肩をすくめて言う。
「それにしても、分かってはいるが、仮に帝国に帰っても君が皇女の席に座っていないというのは、困るな」
「何故かしら。寧ろ、私より今玉座に座っている妹は優秀かもしれないし、貴方達もきっと少なくはない褒章をあたえられるのに。良いことだらけではない?」
私の半分本気の言葉に、彼は苦笑した。
「いや、それが個人的に大いに具合が悪いんだよ。ぼくの階級は今でさえ少佐だからな。非常時だったからいざ知らず、これ以上昇進したら前線に出られなくなる恐れがある」
私は遂に笑い出してしまった。あぁ、この男性と話すのは、心得お許している侍女との会話とは違った魅力があるなぁ、なんて思いながら、
「そう、ね。もし貴方の軍服に勲章が増えすぎたって返還に来ても、帝国はもう受け付けてくれないかも知れない」
「全くだよ。妹なんだろう、次期皇女殿下は。君のほうから言い含めておいてくれ」
「前向きに検討しては、見るけれど」
そこまで言いかけて、止めた。私は彼の顔をまっすぐ見つめると、ルーデルは少し身構えた。
「私が以前に言ったこと、覚えているかしら」
私がふとそう口にすると、ルーデルは首を傾げた。何のことだい、と言うけれど、おそらく彼も聡明に過ぎるから私が言いたいことに気付いているんじゃないかな。
「もし、貴方達騎士がそう願うのなら、私を見捨てても構いませんよ。そういう、話」
「あぁ。とっくに忘れていたよ」
すんなりとはぐらかされたものだから、私は半ば強引に伝えることにした。自分の思い、あるいは良心の呵責を。
「私にこうして命を懸けてくれた人達には、不幸になってほしくはない。だから……」
「相も変わらず君は優しすぎるな」と彼はため息交じりに、「来るところまで来てしまったんだ、とっくに。いっそ開き直って我が儘を押し通してくれ。皆がそれを望んでいるし、万事上手くいく。ぼくみたいな人間が、その無理を引き受けるからな」
暖かい声を掛けられて、私は恥ずかしくなった。冗談にしては質が悪いし、それに私は書き連ねてきたように褒められた人間じゃないのだから。けれど、ルーデルは私の言葉をさえぎって尚続けた。
「いい機会だから言っておこう。実は、君に気を掛けるような理由がぼくにはあってね。あれだ、個人的な理由というやつだ」
さらりと重要な情報がもたらされた。何故、懇意に私のような女に気遣っていたのか。それをこのひとは恐ろしいほど普段通りに語った。
「ぼくには、古くから婚約者がいる」
あまりに予想外の一言に思考がショートした。そして、再起動。
「……はい?いや、確か何かの書類に書いてあったかしら。それで、それが一体」
急激な話題の変化に振り落とされそうになった。記憶を探ると、彼の表彰式の前なんかに、独身ではあるが、正式な婚約関係を……といった表記を何らかの媒体で見ていたような気になった。半ば混乱しつつ、私は尋ねる。
「えぇと、その人が私に似ていたから気に掛けてくれた、とか。そういう、話かしら」
「いや……」と彼はどう言葉にするか多少苦労し、「背格好や内面もだいぶ違う。ただ、同年齢ってことが気になった。そう思う」
私と同い年、か。そこまで考えて私はふと思う。彼と私が初めて知り合ったのは、皇女になりたてのころだからそのとき私は十六になったばかりだった。それ以前にその婚約者と出会っていたとすれば。そう頭の中で推測していると彼は、
「その娘とは、彼女が八歳のころに婚約したのだが」
「……人のプライベートに口を出したくはないですけれど、犯罪は、その」
私がそう言って、通信を切ろうかと手を伸ばすのを彼は制し、
「待て、最後まで聞いてくれ。所謂御家柄の問題だ。ぼくの家系はそこそこ名がある家だったのでね。政略結婚とでも言うような古めかしい儀式が生き残っていた、という話だ」
彼は語る。彼の家系は、故郷では少しは有名な軍人一家だったと。彼は幼いころから定められたレールを走っていて、自分を取り巻く有形無形の誘導の存在や、それに逆らいきれない自分が気にくわなくて仕様がなかった、と。
「本来は士官学校にでも行って、艦隊の指揮官にでもなるのが、親族の構想図だったろうな。それに従うには生意気なぼくは、けれどそこから大木はずれる勇気もなかったガキは、とても出世とは無縁そうなリッターの操縦士になる道を選んだ」
逆算すれば、彼の世代が十代のころ。つまり、現在から二十年ほど前のことだと思う。彼の言うとおり、リッターという兵器は軍という組織における花形ではなかった。資源惑星ラインにおける活躍なんて異例中の異例。彼らの本来の役割と言えば、限られた空間での戦闘或いは作業。もっと言えば、帝国内に散在する反抗的な勢力の施設を制圧するような、どこか陰湿的なものが主だった。
私が弾圧したような、特権階級らに反発せざるを得なかった弱い立場の人間に焦点が当てられたのは、彼からすればごく最近のことらしい。それこそ、フォーアライターという大勢力同士の争いならいざ知らず、敵と言うには小規模で、けれど、各地に散在する相手をする際に、ある程度小回りが利いて、そして建物といった障害物が存在していても人間や銃器程度なら一方的に制圧できる武器が、帝国には慢性的に必要だった。それが、リッターという兵器の存在意義だった。間違っても、大規模な戦争行為における中心ではない。
「自分が逃げるように入り込んだ世界が、存外自分の肌に合っていたこと。そして、期待していなかったような、活躍の機会に恵まれたこと。どれも、一個人に予測出来たことじゃなかった」
彼は自分の輝かしい軍人としての足跡を、どこか苦々しくそう纏めた。現在こそ彼は、それこそリッターに乗るために軍人をやっているなんて言う支離滅裂な言い分をするくらいだけれど、はじめからその才能を活かした役割を自分に課していたわけではないらしい。望んでもいない栄達。それは、まるで。
「私達は、似ているのね」
「そうだな」
その短いやり取りで、十分に思えた。しかし、ふと私の中に疑問が湧いた。
「でも、あなたの話を聞いた限りだと、家の方針に逆らった、ということよね。その、婚約が解消されたはしなかったのかしら?」
私がそう言うと、彼は後頭部を掻いた。ちょっと具合が悪い話なのですが、といった具合に。
「なりかけたんだけれど、二つばかり予定外のことがあって。まず、一つ目の原因は彼女が、まだ幼いその婚約者が何を血迷ったかぼくみたいな男を本気で好いてくれて、意固地なまでにそれをいまだに貫き通していること。そして二つ目が、今こうしてちょっとした英雄扱いになってしまった、ということだ」
「あぁ、完全に納得した。確かに、そのお嬢さんも、そして家柄を重んじるような人達も、あなたのような名実ともに備えてしまった殿方を逃がしはしない、と」
「それが、ぼくにとっては今の、いや、これからの頭痛の種だな」
どこか投げやりに彼は言った。でも、彼はリッターから引き離されることに危惧を覚えつつも、それでも自分を取り巻くその人間関係を、本人でも気づいていないのかもしれないけれど、前向きに捉えられているようになっているらしい。だから、その顔も知らない彼のフィアンセを思い描いて、私は言ってやることにした。
「なら、私の護衛の任を果たして、必ずともに帝国に帰っていただかないと、ね。あなたを想うその女の子に、あなたは無事に会いに行かなくちゃいけない」
「それは、命令ですか、皇女殿下」
彼にしては、どこか間の抜けた返答だった。私は微笑んで、
「えぇ。逆らったら、反逆罪でも適用して、極刑」
「それは、困ったな。では、皇女殿下の直言、見事果たして御覧に入れるさ」
私は頷き、今度こそ通信を遮断した。健やかな、そして穏やかな気持ちになった。まったく、話せば話すほど不可思議な男のひとだ。彼との会話は、私にとって好ましいものなのだな、と自覚した。しかし、彼も私に似て中々洞察力にあふれていたけれど、そのレーダーは一部の方向に傾いた尖った感覚器官なのかしら、とも思った。少しくらい気を利かしてくれても、罰は当たらないのではないかしら。そんなことをつい思ってしまう。
案外、初恋というのはどこか苦々しいものなのね。そう感じた。
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