2-5

 それは、妹の話。そして、私が内心恐怖する少女があっさりと、私の日常をフラットなまでに脱色する最後の一押しをしたという、そういう話。


 私は十七になったばかりのころ、フランチェスカに打ち明けたように、私は興醒めな幕切れにひどい脱力感にさいなまれていた。けれど、人生の目的を果たしたからと言って、その事後処理を放っておくことを私の性格や立場は許さなかった。有り体に言うと、仕事という忙しさに忙殺されていたのだった。


 個人的な復讐劇は半ば頓挫したとは言え、過去とは比べようもないほど国内情勢や人々の感情は変化し、それらを安定させるべく力を尽くす必要があった。実際にそういった実務の大部分に当たるのは、私より優秀な帝国政府の人々なのだけれど、それでも私の採決を待つ企画書やら報告書の山を、本当に一枚一枚地道に読んでサインしなければならなかった。厄介なことに、本当に重要な採決というのは時代に逆行するかのように、紙というアナログ媒体に判やら自筆のサインという恐ろしく手間が掛かることをする儀式を必要するのだ。筆跡がまさしくフォーアライターの意向であること示す証拠というわけだけれど、内心、コンピューター上で一気に纏めてチェックとか出来ないのかしら、と不平不満を抱かないでもなかった。



 そういう生活の中で、いや、正確には私が正式な皇女となる以前から、私の内面に隙さえあれば触れようと積極的に接してくる人物が例外的に一人存在した。それこそが、フリーデント・フォン・フォーアライター。私と確かに血の繋がった妹。


 自分より二歳下のその女の子は、私にとって腹違いの関係にあたるらしい、と聞かされていた。母さんを失ってから、フォーアライターとして正式に国家の中心に位置する宮殿に保護された私は、そこで初めて自分がどういう人間なのかを知らされた。何でも、母さんは私の父親に当たる男の愛人で、本妻は別にいた、ということ。そして、その本妻の娘が、フリーデント、という少女ということ。


 片や、愛人の娘として一般人を装った歪な家庭の生まれ。片や、没落しかけていたとはいえ、母とともに由緒ある世界を過ごしてきた少女。歪な姉妹。私のような人間を純粋な家族として接してくるフリーデントという少女に、私は密かに怯えさせられていた。


 私より、輝かしい純粋な金糸を束ねたような長毛。私より、まるで曇ることをしらない美術品のような碧い瞳。腹違いの筈なのに、寸分違わぬような顔立ちで、目が眩むような、笑顔。言うなれば私の上位存在と言うか、反転的な存在。本当に私たちの母親は別人なのか。そう思わせるほどに私たちの背格好は鏡合わせのようでさえあった。自分を二歳若返らせて、そして、胸中に渦巻くまっとうな人間にとっての不純物を取り除いた存在。それが、フォーアライターに身を投じてから視界に何度何度も入ってきた。


 妹は母親と暮らすという経験が殆ど無かったらしく、親子という関係への執着は私とは反対に希薄だった。彼女の母親は物心つく頃には亡くなって、それを看取ったことを朧気ながら覚えている。そう本人から聞いた覚えがある。その代わり、彼女は私を唯一の家族と慕った。お姉ちゃん、お姉さん、姉様、と互いの距離を測りつつ、最終的にはお姉様、と一歩引いた位置から接するという形に落ち着いた。けれど、彼女のその真っ直ぐな好意が、どこか後ろめたい私を不安な気持ちにさせた。


 その日は、激務を意識的に行い続けた私の毎日の例外だった。朝から晩まで一日中、まるで、計ったように何の予定もなかった。件の妹が、あれこれ頭を悩ませてなんとかそうなるように仕向けらしいことは、後になって分かったこと。


 昼食時に、妹が宮殿内で私が借用していた館に訪ねてきた。自然、来客用の部屋で私と妹は食事をとることになった。妹は私の隣の席に迷わず座った。


 食事をしながら他愛もない会話をしたと思う。そんな中で、私は遠回しに彼女の訪問理由を尋ねた。


「お忙しいのは分かってはいます。けれど、どうしても二人でお話ししたいことがあって。だから、我儘を。至らぬ私の浅慮を許してください、お姉様」


 ぺこり、と口調の割には年齢相応の礼をする妹を私は観察した、何かを言いあぐねているらしい少女の意図を私は汲み取った。


「貴女が何の話をしたいのか、当ててあげましょうか」

「え……?」と分かりやすい反応に、私は多分当たっているだろうな、と確信した。

「私の母さんのこと、でしょう?」

 私の洞察は確かに回答に届いていた。妹は一瞬息をのんで、敵わないなぁ、と自嘲気味に呟いた。

「何で、姉様は私の考えていることが分かるのでしょうか。私には、難しい」

 ふと、何気なく漏らす驚嘆と尊敬が滲んだ声。そんな褒められた人間じゃない。私はその一言を飲み込んで、目の前の妹の、相手が望む役割である姉を演じ続ける。

「何故分かるのか、というのは簡単よ。貴方は何時も私が幼い頃、どのような生活をしていたか、ということを避けてはいたけれど知りたがっていたじゃない。それを、今日みたいに時間があるときに尋ねないほうが不自然」


 私の意図的な微笑は、上手くいったのか、つられた様に妹も口元を綻ばせた。


「そう。うん。やっぱり、私はどうも、そういう駆け引きとか出来ないみたい」


 そう言って彼女は眦を決した。どこまでも分かりやすい少女。それが私にとっては、不安の予兆に感じられた。これから、良くないことが起こる。そんな、何の根拠もない不吉な予感が生じた。果たして、それは的中する。彼女は劇薬を投入した。私の根幹を揺るがす事実という劇薬を。


「姉様の、いえ、私達の母様のことで話があります」


 それが私に毒でしかないことを知らないかのように、彼女はその日私にあっさりと告げた。私と、私が母さんと呼んでいた女性には、血のつながりはないことを。


 そんな今では公的にも私的にも重要な事実を、けれど、私はこの日が来るまで本当に知らなかった。私と妹の容姿がほとんど一致していることに何ら不自然はなかった。だって、腹違いどころか父親も母親も一緒なのだから。妹は言いにくそうに、けれどはっきりと言葉を紡いでいく。誤解がないように。そして必要以上に私を刺激しないために。


「姉様がフォーアライターの血族と認定された際の書類と、そのサンプル。その、隠していて申し訳なかったのですが、いくら父親が同じと言え、こんなにも私たちの容姿が似ているものかとかねてから疑問だったのです。私は姉様と自分がどれくらい近しい存在なのか。それをはっきりさせたい。そんな勝手な好奇心をどうしても抑えきれなかったのです。結果はっきりしたのが、私たちが正真正銘の姉妹であること。つまり、姉様の母親と私の母様の遺伝子が一致したのです」


 そんなの嘘よね、なんてやせ我慢すら、言えなかった。口は動かない。全身の細胞が凍結されたように止まっていた。それが彼女には私が取り乱してはいないように、落ち着いてようにすら見えたらしい。彼女は話を続けていた。けれど、実際は、違う。母さんと血が繋がっていない、なんて。なら、私と母さんの十年間は一体何なのか。自分を支えていた足場が途端に取り払われたようだった。


 フリーデ。私の可愛い娘。けれど、私は貴女の本当のお母さんじゃないのよ。何時の日か、もしも、あのひとが生き続けていたら、私にそう語る日が来たのだろうか。


 妹の報告は終わらなかった。そして、彼女の声が怒りの色を帯び始めていたのに、私は中々気づかなかった。強い自己否定の感情が渦巻く当時の私にそんな余裕はなかったから。


 妹は、なぜ私が何の遺伝上関係を持たない女性の家に出されたのかを教えてくれた。言葉をかなり選んで必死に説明する様はピントの合わないような光景として私の頭に記憶されてはいる。


  曰く、私の母さんこと、他人の娘を育てていた女性は、子供を授かることが出来ないひとだったらしい。詳しくは妹も知らかったけれど、その事実が父親とその愛人である女性にとっては重要だったよう。

私と妹を産んだ実の母親は、生まれてくる第一子が、極端な低出征体重児であることが母体内で形成される時点で分かっていたらしい。そして、早産のリスクが高いということもその赤子こと私が生れ落ちる前には明らかだった、とのこと。未だに、すべての赤子が無事に産声を上げることが出来る確率が十割に到達していないとは言え、ひとが出産時に命を失う、というのは現代には珍しいケースだった。


 そんな中、私の父にあたる男は、何の式に則ったかは知らないし知りたくもないけれど、早産によって誕生する平均にはるかに劣る体重の娘が生存する確率は、十分にあるとみなしたらしい。だから、博打を打った。一度は死に瀕した赤子の死を悼みつつ、その実、赤子の母親にも知らせずに一か八かの蘇生を秘密裏に行ったらしい。


 私が会うことが叶わなかった実の母親は、第一子を死産したことを悔いて決して少なくない心的外傷を受けたらしい。妹、フリーデントに文字通り必死の愛情を注いで、死んだことになっているジークフリーデという最初の子供に対して、やり場のない痛みを抱いたまま亡くなったという。平均年齢の半分にも達することもなく、だ。


 そういった理由をどこまで知っていたのか、母さんは私を懇切丁寧に育てた。決して広くはないけれど、貧しくもない家。そんな歪なゆりかごの中で、私が自分の子供としてのロールに徹する様を、あのひとはどういう気持ちで見つめて一日一日を過ごしていたのだろう。もはや、私には想像するしかないし、客観的な推理のための記録はない。もしかしたら、意図的にそういうものを残さなかったのかも。この時代に逆行するかのように、あのひとは、自分のデジタルデータをこの世に残すことを嫌っていた。


  私は、自分の生い立ちにおける秘密を抜け殻になって聞いていた。何も思わなかった。思えなかった。脱皮されて、用済みとなって捨てられるだけの抜け殻のように。結局、私がどれくらい固まっていたのかはわからない。一瞬だったかもしれないし、一時間くらいかもしれない。刹那とも永遠とも取れるような人間特有の時間間隔の虜となっていた。そんな停止した時間の後、私はやっと、一言をひねり出した。


「そう」


 ただ、その一言だけだった。それが、投げやりなのか。やせ我慢なのか。受容なのか。諦観なのか。達観なのか。覚悟なのか。辛苦なのか。苦悶なのか。私にもその感情がどういうものか分からないのだから、妹にも分かるはずはない。


 幼少期の頃の歪な生活は、それでも幸福だと思っていた。……本当に?いや、思い込んでいただけなのかも知れない。そう自分に言い聞かせて、ありもしない思い出を歪めて飾り立てていただけなのか。

妹は私の部屋に一晩泊ることになった。彼女は、私を一人にしておくには危うい、と感じ取ったらしく、それはおそらくは正しかった。


 私は、泣きはしなかった。だからといって、普段のように表面を取り繕う余裕もなかった。真の意味での無表情だったと思う。空虚を纏っていた。何の感情も湧かなかった。時間が、ただ私を置き去りにして進み続けていた。やがて、いつの間にか私の部屋のカーテンが閉められ、照明は明度を落とされていた。何でそんな流れになったかは覚えていないけれど、妹は私にお願いした。


「今日だけでいいです。お姉様と、貴女と一緒に寝て、いいですか」


 私は、うなずいたらしい。少なくとも、目立った否定はしなかったと思う。実際にその夜、私は初めて誰かと同じ寝具に収まったのだから。母さんと呼んだ女性は、物心つく頃には、寝床を共にしてくれなかった。だから、誰かと一緒に寝るなんて行為は、フィクションだと思っていた。


 妹は妹なりに消耗していたから、どこか思い切った提案をしたのかもしれないし、あるいは、私が妙なことをしないように見張りたかったのかも知れない。どの道、当時の私は一杯一杯だったせいか、彼女のことまで気にする余裕はなかった。


 たった一夜のベット、天蓋付ではないけれど少女二人が寝ても十分に余裕あるシーツの中での、あの感覚を今でもやけに頭の中で再生できる。寧ろ、時間を経れば経る程、より鮮明に。生暖かく、リアルに思い起こされるような気さえある。自分を背中から抱き寄せて、私の、白みがかった金髪の波に顔をじっとうずめる少女の気配が。


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