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なかった。ただ幸いにも、互いに国家を総動員してまでの削りあいではなく、互いの国境――何の境目もない宇宙空間に人間が便宜上そうだとみなしているだけかもしれないが――に位置する互いの施設を制圧、あるいはそれが出来なくても嫌がらせの類で済ませていた。


 いざ、本腰を入れて人類統一連合諸国と張り合うとなると、一つの艦の中で一日一日を過ごすわけにもいかくなった。そもそも補給がなければ何時か動力が停止されることになるのだから、やがて私たちは商会のルートを使いつつ、情報収集も兼ねて人類統一連合諸国の大地を転々とするようになった。勿論、身分を偽ることを忘れず。


 その日も、人類統一連合諸国に所属する惑星の一角に私たち、帝国皇女と付き添い役が板に付いてきたフランチェスカ。そして、ルーデルが護衛が張り付いていた。自分がある目的のために足を下ろした惑星の名前は、正直あまり覚えていない。いまだ住民皆がベジタリアンにする決心を固める気がなさそうな、そんな惑星のある一点。その惑星での隠れ家である支店のすぐ隣のカフェにて、絶品らしいコーヒーを舌で転がしながら楽しむルーデルは言う。


「しかし、これでも帝国の辺境と比べれば栄えているのだから、感覚が狂うな」


 彼と同じテーブルに座って紅茶をすする私も首肯して付近をチラリと観察する。


 目の前を無人の乗り物が川のように道路を流れていた。それらすべてが個人所有物とは限らなくて、いくつか誰でも使用可能なタクシーも多く含まれている。いや、むしろ殆どがそういう公共の移動手段で、わざわざ高い維持費を払ってまで一般人は所有しようという感覚は湧かないらしい。これだけでも、未だ自動運転が半分、人の判断が半分という帝国の交通システムと大きく異なっていた。技術レベルの差異というよりは、法律や思想上の差異をこそその様子は反映しているようだった。


 帝国では、オートマチックビークルが起こした問題の刑事、行政、民事上の責任は構造的な欠陥を要因とするケースを除き所有者が負うことになっていた。結果、街を埋め尽くすだけのそれらを導入しようと思えばできるはずなのに、整備する手間やコストを嫌った人々の趣向のおかげで未だに自動式の乗り物は全体の二割にも達していない。帝国人にとっては、便利なのは良いが、自分の責任は自分で取りたいという気持ちの方が強いのだ。


 私の視界の端で、フランチェスカが手慣れた様子で無人レジに端末をかざしていた。所謂電子通貨で、それ自体は別にどうということはない。私が驚いたことは、システムじゃなくて住民たちの、人間の意識についてだった。偽の個人情報が納められた端末を片手にフランチェスカが戻ってくる。侍女服ではなくて、白を基調としたブラウスと青みが買ったスカート。その惑星の温度は、帝国に比べてやや高かったから皆薄着だった。私に至っては皇女時代にははかないようなデニムパンツを好んではいていたと思う。どこか大人びてきた彼女を見ながら、私はどこかくたびれたシャツに身を包んだ護衛役のビショップ・フォン・ルーデルに言う。


「もうこちら側の国々に腰を下ろして大分たつはずなのに、未だに会計一つとっても違和感だらけね」

「皇女ともなると自分で財布なんか持たないだろうからね」

「私だって子供のころは一般的な市民だったし、人並みにはお使いだってこなしてしてきた、と思う。そうじゃなくて」

「分かっている。物質的な貨幣だの紙幣っていう概念すらが、とうの昔に人々から喪失されていることだろう」

「そう」


 同意を示して安い紅茶をすする。フランチェスカのものと比べようもない不味さだけれど、カフェなのだから紅茶に力を入れてないことを非難するのは筋違いか。どちらにしてもコーヒーを泥水と思っている私には本来なら相いれない店だ。


 話を戻して、人類統一連合諸国の土地に腰を据えて一番驚いたのは、そこに住まう人々に貨幣という概念がもはや過去のモノとなっている、ということ。勿論、知識とか歴史的な事実とは知っているんでしょうけど、彼らには生活に身近な実感として伴っていないのだ。例えるなら、生きた魚を知らずに育った子供が魚の絵を描いてみろと言われて、加工済みの魚を描いてしまうような。それくらい貨幣というものが電子上の架空存在となり果てている。ここで生まれ育った子供たちは、透明な瓶が硬貨で埋め尽くされるのを眺めたり、瓶を振ったりすることで数字上だけでなくて物理的にもお金というものと触れ合うことはないのかな、と自分の幼少期を思い出しながら思った。


 この話は利便性の一言で片は付く。複数の諸国が合併していく過程で、一々異なる貨幣を返還するより電子上のままで取引したほうが楽だろうし、それが日常生活にあふれて何世紀もたてばそうなるでしょう。帝国の貨幣には大なり小なり国家意識というものが反映されて未だ細々と生き残っているけれど、こちらではもうそんな思想は存在しないらしい。


 フランチェスカが私の隣の座席に腰を下ろしつつ尋ねてきた。


「何のお話をされていたのですか」

「通貨の話」

「あぁ、電子上の取引の」と答えながら、彼女は私達とは違った視点で受け取ったらしく、「便利ではありますが、不気味でもありますね。特にフリーデ様のようにご身分を隠さなければならない場合余計にそうです。飲み物一つ買うにも、履歴が残されてしまいます。かと言って、整形手術でも受けようものなら、今度は帝国に私達であることを証明しづらくなりますね」


 嘆息気味に彼女は言う。事実、人類統一連合に住まう人間は、そして私たちのようにそこに溶け込もうとする人間は、何をするにしてもその足跡を常に残し続けなければならない。


 メルクアーアから与えられた日常生活の必需品である個人用端末には、架空の人間の人生が刻まれていた。絶対とまでは言えないものの、それには、名前から年齢、生い立ち、その家族構成にまで機械や人間の目を盗むべく綿密に練られていた。先ほどの話に戻すが、と前置きして端末上では私の年の離れた遠い従兄弟という設定の男は語った。


 「どの道、こうして長閑な生活を続けるわけにもいかない。ぼく達の生存を本国へ伝え、過熱する感情を慰めてやらないと、な」


 私たち三人は、何も暇つぶしや休暇のためにこの店に集っていたわけではない。現に、そこに住む人々にとって、夜という時間帯になっていた。先に述べたように、無人の自動車が道を埋め尽くす理由の大部分がそれ。


 この惑星の自転周期は、五十時間くらいというゆっくりしたものだった。午後に入ってからは街を覆う巨大な天蓋が、けれど音を立てることもなくひっそりと展開されて、夜という営みを人間の体内時間の仰せのままに演出していた。商会の統計上、人が出入りしにくい時間帯と店を選んだらしいので、私たち以外に生身の人間がいないのは予想通りだった。店員すらも無人化されているのだから、文字通りこの店店内では人目を憚る必要はない。店内には防犯用のカメラが備え付けてある筈だけれど、この時間帯の映像は商会の手品によって、酔っ払い客が店に誤って侵入した映像に差し替えられている。事実、こういったアルコールの残りがすらない店に、ときたま酔いが回ってしまった者が、本来使用されないような時間帯に入店していることもあるらしい。だから、私たちがこの場にいたことを抜け道はあるかもしれないけれど、ある程度は隠すことはできているのかも知れない。


 私がとうの昔に空になってしまったカップを見つめ、自分の財布から出ないのをいいことにおかわりなんてするのはさすがに我儘かしら。そんな、帝国の上流階級者だったにしてはスケールの小さいことを考えていると、木製風の開き戸の音と来客を知らせるベルが、静かな空間にやけに大きく響いた。予定通りの時刻に、予定通りの入店。その人物が一歩を踏み出す度に品の言い革靴の音が刻まれる。清濁併せ吞むとも言いたげなグレーのスーツ。一目見ただけで分かるブランド品を着こなした初老の男性が、私たちの対面の椅子に座る。その体重に木造の椅子が小さな悲鳴を上げかけた。典型的な肥満型。私はその男に儀礼的な微笑を携えて話しかけた。


「時間通りのご来店ですね、ゴット・ヘイグ外務長官」

「はっはっは。その声音を聞くまで同一人物とは確信が持てなかったが、安心した。素朴な服装も似合うものですな、ジークフリーデ皇女殿下」


 資源惑星ラインを巡った攻防戦。その後の戦時処理として一度は捕虜となったゴット・ヘイグ元大将は、レイヤード商会との初めての会談の後に人類統一連合本国へ帰されていた。本来だったら、敗戦の将とでも罵られるはずの彼は、しかし事前にその出兵への鋭い非難活動を行っていたらしい。優れた見識を持ちながら、無能な政治の犠牲になってしまった悲劇の英雄と言う物語を見事に作り上げ、その権力的地盤をむしろ固めたことになる。政界に進出した彼は、形はどうあれ帝国の気風を肌で感じた者として外交部門にその席を確保したようで、私達との見識があることから極秘裏に商会を通して向こうから接触してきた形になる。


 ルーデルが、護衛はどうした、と無感情に問うた。彼はこの男にあまり良い印象を待たないらしい。対し、ゴット・ヘイグは視線で窓を指した。よく店外の街道に目を凝らすと、複数のラフな格好の酔っ払い達がたむろしている。私には、それらの動きがよく訓練された人間の演技であることが何となく見て取れた。


 協力者として接触してきたその男性は暫く黙っていたが、私が一抹の不安を覚え眉をしかめると、ふと立ち上がった。そして、のっそのっそという効果音が付きそうな歩き方でレジに向かってコーヒーを注ぐと、再び私の対面に座って、一口啜り一言、不味い。


「ふむう。政界の連中同士ならば古風な料亭なりレストランなりで食事をするのだが。そうもいかんね」


 どこまで本気なのか、暢気さを装ったものか私には判別できなかった。そうですね、と私は愛想笑い。けれど、そこに先ほどのような朗らかな感情は付随させない。声も、表情も、皇女として張り付けてきた鉄面皮に変貌している隣に座っていたルーデルが、どことなく私に驚いた表情を一瞬だけ見せた。切り替えが早いなこの女、とでも言いたげ。


「食事を楽しんでいる余裕はありません。手短にお願いしたいのですが、構いませんか」

「あぁ」と抑揚に相手は頷き、「貴女方とこうして落ち合うことになった理由についてまず述べようか。私が君たちの敵か味方か、と言えば味方だ。支援者というスタンスであることを表明しておきたい。よって今回は、君達が行動するに役立つであろう情報を提供しに来た。下手な通信機器で仲介させるとどこで盗み見されるから分かったものじゃないからな」

「へぇ。それで、その情報とは」と先を促す私に、ゴット・ヘイグが本題に入る。

「まず、帝国軍の捕虜から得た帝国本国の状態についてだ。感情論としては皇女を始めとした国家の重鎮が大人数死亡しているものだから、案の定過激な方向へ傾いているとのことだ。だが、行動に移すとなればそういった一時の感情は別問題になる。幾ら貴国も対外国との戦争に幾らかは備えていたとしても、経験という点ではまだ浅いとしか言いようもないし、帝国本国の権力者はその点は十分に認識しているようだ。戦線を拡大させない程度にほどほどに勝ち、ほどほどに負ける。血で血を争うような取っ組み合いはまだ両国共にしたくはない、というのが本音だろう」

「やはり、帝国の対人類統一連合感情は悪化している、か。どうでしょう。今更、私達の生存が明らかになったところで、帝国の態度は軟化するでしょうか。ゴット・ヘイグ外務長官、貴方の抱いた印象をお聞かせ頂けますか」


 私がそう問うと、彼は、


「君達がそう悲観することもあるまい」と楽観的な匂いを声に含ませた。「現在のフォーアライターの玉座に座る者は、何の因果か二代続いての皇女だ。名はフリーデント・フォン・フォーアライター。風の噂で聞いたが、皇女殿下、貴方にとって特に近しい人物ではないかな」


 あぁ、成程。確かに、私が生存は帝国に嫌でも影響を与えるだろうな、と思った。


 フリーデント・フォン・フォーアライター。その音の連なりが示すのは、私の妹の名前。血の繋がりこそが家族の絶対条件と言うのなら、母さんより私に近しい家族だった。

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