2-2
再び目を覚ましたとき、私の身体は、一人の人間に何本ケーブルを刺せるか競っているかのようなあり様だった。人間の体液を再現した液体が充満した医療用ベットに、顔だけ外部へ出す形で私は寝かされていた。
痛みはない。むしろ視覚以外の感覚器からのフィードバックがないものだから、自分が本当に生者であるのかすらも不明確。人も呼ばずにその海水のような液体に浸ったまま、暫く周囲を観察していた。カーテンに囲まれたせいでどれくらい広い部屋なのかも測り兼ねたが病室らしい。クリーム色に近い空間は、けれど、私の精神が歪んでいるせいなのか、逆に緩やかな不快感を蓄積させる。
死に損ねたかな。
真っ先にそう思った。自殺はしたくないくせに、生き続けるのはつらい。そういう女だ、私は。何時だが侍女が言ってくれたように、もう皇女なんて辞めてしまおうか。これだけ怪我をしたことだし、上手く事を運べば、あるいは。
そんなことを考えていると、いくらか理性のほうも目を覚ましたようで、私がこんな状態になる前の出来事が再生される。あぁ、そうだ。あの騒ぎは何だったんだろう。どうなった?一度、そう疑問に思うと、少しはスイッチが入ったのか起き上がろうとする。体の節々が痛いのは外傷の仕業か、それとも血管に得体のしれない液体を注入し続ける針のせいなのか。そこでようやく何らかの機器が私の目覚めを察して継続的な警告音を発した。
どこからかこつこつとした足音が響いた。どことなく、身に覚えのあるリズム。カーテンが開いて、思った通りの人物がいた。私は笑おうとして、口元のマスクのせいで相手には伝わらないと分かって、声を出そうとした。不思議と声帯は無事なようで、綺麗に発音できた。
「よく、眠れた。今、何時」
「……怒る気にもなりませんよ。本当に、呆れて、しまいます」
寝坊助の子供を起こしに来たような呆れ顔を装って、フランチェスカは泣くのを我慢した。私はフランチェスカに謝罪と感謝とを繰り返した。
それから、私が棺桶から解放されるのにさらに一週間くらいが必要だった。しかも、私が目を覚ますまでに二、三週間が過ぎていたらしいから累計一か月近く病人生活を送っていたことになる。
私の身体に起こった変化と言えば、心肺機能を果たす臓器の幾つかが再起不能に陥り、ついでに左腕が肩から綺麗に切断されていたことくらい。全身血まみれだった割には、人間は簡単に死なないものね、という印象を受けたことを記憶している。
私の細胞から移植用の部位を培養はしているらしいけれど、私の身体に治めても問題ない大きさに育つまでもう半年は必要らしい。だから、私は失った心肺機能を再現する人工臓器で。左腕の二の腕から先はシリコン製の見た目だけは完璧な義手で補うことになった。義手は、触覚まではない間に合わせの品らしいけれど、脳の発する電気信号を受け取った左手の五指は自由に動く。不便は無いものだから、最悪このままでも良いのではないかしら、と感じた。
体から針がすべて抜けるや否や私は立ち上がれた。周期的に電気刺激や圧力を加えて身体能力の低下を最小限にとどめていたらしい。私がフランチェスカにここの責任者は、と尋ねるとどこかで見覚えのある少女を病室だった私の仮の部屋に連れてきた。私を初めとした帝国人幾人かを匿っていたのは商売人のメルクーア・レイヤードだった。
「お元気そうで何よりねぇ」と安全地帯の提供者の少女は、昨今では珍しく紙媒体のメディアを片手に挨拶も程々に、「公には、貴方達は死んだことになっている。血痕や欠損した部位。精確な調査が追加で行われれば、貴女達があの場から姿を消したことが明らかになるでしょうけれど、果たしてそれだけ落ち着けるまであとどれくらいの時間が必要やら……」
私が医療施設だと思っていたのは、紹介が所有するらしいある艦の医務室に過ぎなかった。件の棺桶も彼女たちが扱う製品の一つらしい。件の騒動はかなりの範囲で、また偶発的に起こっていたらしい。特定の場所に留まることは、私やそれを匿う商人らもリスクが付きまとう。だから、可能な限り正体不明の敵に捕捉されにくく、かつ見つかったところで即座に自衛及び逃走できる艦に客人を乗せることにしたらしい。
その後、複数の医療機器による精密検査を終え、ある程度回復が認められてケーブル地獄から脱した私は艦内の食堂スペースに腰を下ろした。背後には当然のように侍女が立っていて、あまりおいしいとは言えない病院食もどきに勝手に一品、やたら熱くて美味な紅茶を付け加えてくれた。メルクーアは私と真向いの席に座った。
「病み上がりで悪いけれど……と言っても、緊急事態には貴女を叩き起こせるよう最低限の身体能力は高いコストを費やしたから、身体に問題は無い筈よ。で、早速だけれど、貴女には巷で何が起こっているのか把握してもらいたい。かく言う私も翻弄されてはいる一人、ではあるけれど」
「大体は侍女から聞きましたが」
そう言って私は、検査中にフランチェスカから仕入れた近況を整理も兼ねてメルクーア・レイヤードに話した。
人類統一連合諸国は、かの出来事を原因不明の事故、あるいは犯人不明のテロという発表しているらしい。しかし、その報告はどうもきな臭く、帝国との外交上の問題が深刻化しているようだった。和平を結んでからすぐさまこの不祥事。最悪帝国との全面衝突になるであろうと大々的に報じている媒体すらあった。私が眠っている間、彼女や匿われる形になった帝国人らは、事態の黒幕が明らかになるまでは身を隠して情報収集に明け暮れていたらしい。これらをもう少し小難しくした内容を私は話した。これくらいのことは知っています。だから追加情報をよこせ、という風に。
「無論、それはあくまで世間一般の話、よ」
「つまり、これから話す内容は世間には出回らない類のお話ですか」
「そう」
彼女はうなずくと紙媒体のニュースとその下に隠すように持っていた液晶パネルを机の上に置いた。そこにはある街を上から俯瞰した図といくつかの赤いサークルが配置されている。要するにかの騒動の被害地を纏めたものらしい。私たちがいた公園を中心に幾何学的な模様を描いていて、彼女がそれぞれの円に触ると新しい情報がスライド形式で表示される。被害名簿やら被害額等の数字だった。
「被害者の大半が、帝国の人間。まぁ、さすがにそれだけではないけれど。ついでに汚職やらの噂が立っていた悪者も死んでいる。どの事件も、自立行動が可能な機器が同時に暴走して引き起こされているわねぇ。そして、これらの原因はあくまでどれも機器の故障、誤作動ということに公にはなっている」
「これだけの広範囲で、政治的な重要人物がダース単位で偶然に事故に巻き込まれた。成程、私も運が悪かった一人と」と白々しく言い放つ私にメルクーアは微笑した。
「そんな訳ないわよねぇ。陰謀論とか嫌いではないけれど、偶然にしても天文学的な確率でしょう。少なくとも私には骨まで透けているように見える」
「陰謀の匂いが?」
私より年下の容姿を持つ商人は頷いて、卓上のコーヒーをまずそうにすすった。
「人類統一連合諸国は、あらゆるネットワークとそれに付随する機器らの規格をほぼ完全に統一している。まさしく、例の事件を引き起こした無人機器がまさしくその一例で、街中に普及する大抵の設備は政府、あるいは提携した民間企業が運営している」
「では、あの場で暴走した無人機らを操作し得たのは」
「大元をただせば、人類統一連合政府そのもの、とも言える。あるいは、正体不明のハッカーのような知能犯。ま、高度化しすぎた現代機器を個人が制御するには、余程独学で余りにも多くのことを学ばないといけないから現実的ではない仮説ねぇ。今のところ、私達が自力で調査した限りは、人為的にそういった操作が成された、という証拠は出ていない。事件の結果だけ見れば、どう考えても貴方達帝国と事を構えたいっていう殺意表明が伝わってはくる。ただ、現段階では本件に使用された道具を調べれば調べるほど、人間様の命令も聞かずに便利な機械がとんでもないヘマをしでかしてくれた、ということになる」
「……要点を纏めると、今回の件は人為的に引き起こされた痕跡はないため、機械が人間に反乱でも起こしたもの、と。そういう題材の空想作品は数多いですよね」
半ば皮肉的な物言いになってしまった。そんな報告をして帝国が納得するだろうか、と。彼女も、しないでしょうねぇ、と苦い表情を浮かべた。
「人工知能の自立更新が可能になったらそういう時代が来ると過去の人々は実際には気を揉んだらしいけれど、それはさておき。私達の技術部が行った検証結果では、やはりそういう操作を外から仕込んだ形跡がどう見当たらない。その筋の技術者曰く、正常、らしい」
「なら、製造段階から手品の種が仕込まれていた、とか如何でしょう。そういう題材の作品が何かであったような気がしますが。特定の状況下で特定の機能が発動する、みたいな」
殆どジョークのつもりでそう言った。素人丸出しで思いついたことを脊髄反射で話している状態とも言える。正直機械とか、より正確には人類統一連合諸国のネットワークには少し弱い。未だに自分の携帯端末ですら細々とした部分まで把握している自信がないほどだから尚更。案の定、メルクーアは私の提案に馬鹿な、といった反応をした。馬鹿で悪かったわね、と思った。
「さて、今頭をひねってもどうにもならない話は横に置いておきましょう。黒幕がどんな人物やら組織やら、はたまたサイエンスフィクションのようなものであれ、何とかして帝国へ貴女達を無事に送り届けたい。それは、善意、だけではないというのは、分かって頂けるでしょう?」
「下手に首を突っ込んでいらっしゃる様子ですから、人類統一連合諸国内でもレイヤード商会は既に目をつけられていても不思議ではないでしょうね。私のような人間を救ったとすれば、帝国には恩も売れる。最悪、亡命でもする気ではありませんか?」
目の前の少女も自分と似たような人種。だから、損得で動くのは当然で自然。お前たちを一時的に守ってやるから、後々自分たちを助けて欲しい。子供にもわかる簡単なお話。彼女は私の答えに満足そうに頷き、
「話が早くて助かる。戦争特需で稼ぐ、というのも悪い話ではないけれど、ねぇ。最近、政府の方からお前らもこちらに手を貸せ、というのを建前に貴方達の探りを入れてきている。死体が見つかっていないし、帝国とつながりを持った私たちを睨むのはごもっとも。安心できる方々なら貴女達の保護をお願いするところだけれど」
「問題はそれを知ってどうするか、ですか」
煮え切らない表情で、メルクーア・レイヤードは首肯した。
どこの誰が、何をしたいのか。それが分からないために味方を選ぶことが困難で、私自身も未だ目の前の少女のような外見の人物を完全には信用していなかった。けれど、取り敢えず彼女らは、私のような帝国の生き残りをどのタイミングで、帝国との接触を持って送り届けるかを優先するらしい。下手に人類統一連合諸国に関係する勢力に受け渡すのを避けるわけだ。
物理的な距離を原因として、私達に帝国本国へ通信をするような便利な技術は生憎と存在していない。幾らその通信制度と速度が増したと行っても、遠隔の通信の原理は波であり、それを減衰させずに遠方までに届かせるには中継する施設を幾つか設置しなければならない。無論、接触してさほど年月が過ごしていない人類統一連合諸国と帝国の間にそんなものは存在しない。帝国本国から直接やって来たひとびとにでも接触するほかなく、このような情報の不透明さが、おそらく帝国本国でも混乱を現在引き起こしているであろうことが予測されている。
「それじゃあ、なるべく迅速に事を運ばないと」と彼女は立ち上がって言った。何らかの仕事をする予定があるらしい。「さもないと、この平和だったご時世に似合わない人数の人間が犠牲になっちゃうわねぇ」
言葉遣いの割には、深刻な声音。私も同感だった。
これから再び帝国と人類統一連合諸国は敵対関係に逆戻りする可能性がある。情報がただでさえ届きにくい帝国本国では、人類統一連合諸国で私を初めとした要人達が変死したという事実が、より不可解なものとして映るでしょう。メルクーアが私にしたような説明しか人類統一連合政府が出来なかった場合、どうなるのか。最悪、ラインという資源惑星を巡っただけの戦術的な抗争から全面的な戦争状態に陥りかねなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます