第二部

2-1

 また夢か、とも思ったけれど、どうもそうではないらしい。床が自分と平行に走っていて、あぁ、自分がどうも横向きに倒れているらしい、と気付いた。


 現実世界の住民であると自覚したせいか痛みが全身の感覚に付随した。体のあちらこちらが、具体的にここだ、と指摘するには曖昧な広範囲が、ヒリヒリと熱い。そのくせ、身体の中心からは冷え込むような感覚が広がろうと私の中で蠢いていた。


 鉄がさびたような匂いが鼻について仕方が無かった。けれど、不快なはずのそれが、私には案外悪くないとさえ思えた。いっそ、地面とそのまま同化してこの世から消え去るのも吝かではないとも。


 目の前でいつかの出来事が再現されているようだった。


 記憶上のそれと違うのは、私が傍観者ではなく直接的な被害者であること。そして、お母さんを轢き殺したのはただの重機だったけれど、私を殺そうとしたのは航空機だった、ということ。親子揃って乗り物には禄な思い出がない、と思わず私は内心苦笑した。皇女になって往来堂々と歩く機会は殆ど無いけれど、以後気をつけるべきか。その機会があれば、の話だけれど。


 疲れてきたので瞼を閉じようとする。唐突ではあるけれど、こうして私は血まみれで生死の境をさまよう羽目になったのだった。



 それは、資源惑星を巡った衝突が収束してから半月後の話になる。一応、二つの国は友好国、といえる程度には体裁を整えていた頃の話。人類統一連合諸国の一応の首都、いや、代表国と言うべきか。惑星ベルディンという土地が惨劇の舞台だった。


 機械化が進んだ、あまりにも整備されて非生物的な町の一角。かの戦いによる犠牲者を弔うため。そんな体裁上の意味しか無いにも関わらず、人類統一連合諸国民の血税を注ぎ込んだ平和祈念公園。申し訳程度の植物やモニュメントの配置にすら、人間の匂いが、嫌な記憶を有耶無耶にしようという思惑が染みついているよう。


 既にフォーアライターと人類統一連合諸国は、帝国の国家予算数年分の金や物資を片手に握手を交わして、表面上は最低限の交流相手くらいの関係には改善されていた。帝国に住むひとびとには、特に出兵による被害者遺族の反感は未だくすぶっていたけれど、それ以外の大勢による和平を望む声の雑踏に紛れて彼らの嘆きは覆い隠されがちだった。


 人類統一連合政府の下で行われた先の衝突における哀悼式に、現場主義を可能な限り掲げる私も出席することになった。そして、神罰でも下ったのかしら。そこで引き起こされた惨劇の被害者リストに当然のように私も名を連ねることになった。声なき声を聞こえないフリをしていた私も、神や運命とでもいうべきものの有罪判決が下ったらしい。


 そんな風に、自分が死にかけたことを何故だか当然のこととして私は受け入れていた。全身から血液を流し続けて、自分が身に纏っていた正装が変色していく様子が、視界の端に映っていた。前衛芸術みたいで、我ながら画になっているな、と他人事のように思った。


「聞こえていますか、フリーデ様……?いいから返事をして下さい!」


 ふと、必死さを貼り付けた声が聞こえた。弦を思いっきり弾きすぎたような、耳をつんざくような、それでいて透明な、聞き慣れた声。きっと、彼女だ。フランチェスカがそんな大声を出すなんて、私の知る限り初めてのことだったから、大変な事態なのでしょうね、とぼんやり考えた。


 重い瞼をあげるため少し頑張ってみた。赤く変色して見づらいけれど、彼女の姿が無事に投影された。フランチェスカは、清廉な少女は、怪我一つしていなかった。綺麗だ、とても。彼女は自分のような目に遭わずに済んだようで安心した。


 声量の割には、フランチェスカは今にも泣き出しそうな弱々しい顔をしていた。余りにも健気な姿。居たたまれなくなって、私は声を出して侍女を励ましてあげようと思ったけれど、上手くいかなかった。だから、小さく首を動かして頷くことで妥協した。瞳で訴えることに努力した。聞こえてはいるわ、と意思表示。


 数日前から、平和公園には似つかわしくないほど、脅威からお偉方を守るべく多くの人や車両がその場に集っていた。それこそ、下手な重機が会場となる平和の広場に突撃したとしても、何らかの段階でシャットアウトされるだろうと思われた。だから、空から事故の種が降ってくるのでは仕様がなかった。


 本来は会場の上空に飛行許可なんて出る筈がないし、当日は出ていなかったけれど、恒星の光を反射して煌めく翼を持った無人の航空機は空を自由に飛んで、好きな場所に落下していくことを望んだらしい。非有機物はそんな自由意志を主張し、実行して見せてしまった。


 お飾り程度に設置された防空装置が起動しなかった時点で異変は始まっていたのだろうけれど、生憎、そういう異変を知らせる人員まで機械化されていた。そのために、私を含めた生身の人間達は、原始的に自分達が認識できる音や光が届くまでその予兆を知ることは出来なかったのだった。


 この出来事は未だ収拾されてはいないようだった。人工の地獄が各地で展開されていた。


 ある場所では、文字通り暴走する無人の車が避けようと惑うひとびとを他の車両と共に挟み込むように衝突しては、何事もなかったかのようにまた次の生け贄を探して起動している。軍用の装甲車だけではなく、むしろ一般車の方が多い。特殊な火器など無くても、純粋な質量によって人間という生き物を殺せる。そう無言で主張しているよう。


 それら無機物の不規則な動きは、野生動物の凶暴性とは異なるベクトルの恐怖をひとびとに与えさせる。火器を携帯した人類統一連合諸国軍の兵士らも、素手で轢き殺されるしかない権力者よりはこのときだけは恵まれた立場ではあったけれど、自分に向かってくる一トン以上はあろうかという塊を相手に苦戦していた。それどころか、そういった人間の手に余る脅威に対処するために配備された、装甲車のような大型機械までもが、自分達の手を離れていた。


 自分の目の届く範囲だけでそんな有様で、果たしてこの混沌とした領域がどこまで及ぶものなのか、当事者達には把握することが出来なかった。新鮮で正確な情報が手元にもたらされ続けていることになれきったひとびと。哀れな迷い子の混乱を、不確かな状況自体が煽っていた。私は、そんな地獄の中心にいた。


 周囲を無作為に行き交うひとびとや無機物達波を掻い潜り、何とか私に駆け寄ったフランチェスカは、まず私に止血を施そうとした。彼女は周囲に転がっていた公園を構成する筈だった破片の中から、鋭いものを見つけて拾い上げると、迷うことなく自分の袖口とスカートの一部を切り裂いた。私の胸部を中心として、それらを締め付けるようにして結んでいく。そのとき、初めて私は自分の左側にあるべき腕がないことに気付いた。


 フランチェスカは、「無礼をお許し下さい」と小さく唱えると、子供がぬいぐるみにそうするように、力いっぱい止血部位の圧迫もかねて私を背後から抱きしめた。その体勢で私をホットスポットの中心から何とか運びだそうと決心したらしい。私を背負ったり、あるいはドラマチックな抱き方をするには彼女は小柄だったから、私の足を地面に擦り付けながらも確実に移動できる体勢を優先したようだった。


 そんな少女の献身に身を打たれたのか、帝国の軍服に混じって見慣れないネイビーブルーの護衛兵士までが手を貸そうと幾人か駆け寄ろうとした。けれど、本来であれば侵入者に対して効力を発揮するはずのカメラと機銃を搭載した小型ドローンに補足されて、幾人かが糸が切れた人形のように次々と倒れていった。高速でスズメバチのように飛び回るそれらにライフルで応射しながら、一人の人類統一連合所属の若い兵士がフランチェスカの元まで幸運にも辿り着いて、肩で息をしながら話しかけてきた。


「帝国の皇女殿下ですね。手伝わせて下さい」

「……頼みます」


 一瞬、敵国という間柄でもあったことを示すその軍服にフランチェスカは怯えたようだけれど、その申し出を受け入れることに決めたらしい。少年にも見える瞬間があるほど若く、勇猛果敢なその兵士は一時敵国だった人間の救助に迷いはなかった。男性である彼は自分一人で私を背負おうとしたのだけれど、フランチェスカが皇女の傷口から手を放すまいとしていることに気付いて私の膝に片手を通し、拳銃を即座に発砲できるようにして二人体制で抱き上げる形をとると、


「こちらベーター、現在平和公園中央広場爆心地。要人を救助、誰でもいい。援助を乞う!」


 もはや、情報の漏洩など気にしている場合ではなかったからかしら。インカムを通し、制限なしのオープンチャンネルで仲間に呼びかけた。付近にいたらしい彼の仲間も我もともに行かん、と仕草を見せたが前述したとおり暴走する多種多様な無人機に阻まれて、ある者は障害物から姿をさらすことが出来ず、またある者はその生態活動を停止させてしまった。助けに来た名も知らぬ兵士ですら、フランチェスカの手助けを実行できたのは本当にわずかな時間で、羽音すら立てずに飛び回る機械への対応に追われて私の輸送をフランチェスカ一人に任せるしかなくなった。


「こちらに逃げ込め!」


 私たちにとっては聞きなれたアクセントでそんな声がフランチェスカらに届けられた。私を必死に搬送する彼女たちから約十メートル。暴力の中ではそれでも長いと感じてしまうような微妙な距離に同様に生存者を護衛すべく応戦する帝国軍の兵士らがいた。異国での帝国の要人らの護衛を任されていた者達だと思う。彼らは活動を停止し、横転した装甲車を遮蔽物として一時的とはいえ安全地帯を構築していた。フランチェスカが、自身に付き添ってくれた兵士に振り向こうとした、刹那。


 フランチェスカは私を巻き込んで、若い人類統一連合軍の兵士に押し倒された。彼女は、その兵士の顔を。音もなく弾丸で抉られて半分ほどが失われてしまった頭蓋を見つめて固まってしまう。奇跡的に傷一つなかった彼女に、私以外の血液とぬるぬる光ったものが塗りたくられる。そんな状況に追い詰められて、凍り付かずに動き続けることが出来る人間なんて、そうはいない。彼女もまた正常な感覚の持ち主だった。


  致命的な膠着。しかし、結果論ではあるけれど、若い兵士の遺体と死に瀕した私。二人の身体とともに起き上がれなくなってしまったフランチェスカにとって、その静止した体勢はギリギリの場所で命をつなぎとめることになった。


 逃げ込むはずだった場所から、怒鳴り声と悲鳴が彼女の耳に届けられた。そこで、首だけは金縛りから逃れた彼女が見たものは、新たに外部からボンネットをひしゃげさせた黒塗りの高級車だった。この人工の地獄の一つである広場から離れた位置にあったと思われる無人制御も可能な来賓用の乗り物が、新たなキャストとして舞台上に上っていた。動けなくなった四輪車らによって作られていた安全地帯は、もはや人が存在するにはそのスペースは小さすぎる。


 あまりその無人乗用車を見つめていると、その奥で潰されてしまったひとびとの姿を幻視してしまいそうになって、彼女は視線を必死にそらした。こんな状態になっても、私は息をしていたらしい。それを認めたフランチェスカは勇気を振り絞ってくれた。また謝罪の言葉を唱えつつ身を挺して自身の命を救ってくれた若者を退かした。もし、私にこのとき意識があれば、迷わず自分一人で逃げて、と言う。けれど、物言わぬ私を彼女は話そうとしなかった。


 周囲には、やはり人工の地獄がただただ広がっていた。どんなに人が気高い精神をもって尊い行動をとっても、それを嘲るような暴力の嵐が吹きすさんでいる。何とか立ち上がった彼女が、動きを止めた無人の乗用車と目を合わせた。そのボンネットの部分がひしゃげているにもかかわらず、搭乗者を必要とはしないそれは壊れてはいない。エンジンが掛かる音が美君に発せられた。


 もはやどうすることもフランチェスカにはできなかった。急速な発進をした人間の何倍もの質量をもった塊を、もはや自分の意志で体を動かすことが出来ない足手まといを抱えながら躱すことなどできはしなかった。フランチェスカもまた、自分が実際に見、あるいは幻視したひとびとと同じ結末を覚悟したようだった。


「フリーデ様……」


 何か、私に伝えよう。せめて、この息が止まる前に。けれど、その先を続けることは出来なかった。自分達の生命を保つことに、もはや彼女は諦めてしまったらしい。暴力的な加速度の無機物にひき殺される瞬間を座して待つしかなかった。私の曖昧の記憶の最後。


 そんな時だった、視界の端から乱入した人型兵器が轟音とともになぎ払ったのは。

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