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仕事を前にすると、やはり公の役割へと心身が切り替わるのを自覚した。
先にも語った覚えがあるけれど、私はその会談でナイーブな問題に関わる気はさらさら無かった。臨時的に外交特使を引き受ける羽目になった男、ホフマン大佐に丸投げする気満々でいた。詰まるところ、下手に会話に参加して拗れさせたくはなかったわけだ。
けれど、そう言ってもいられなくなった。肝心の交渉相手が私に興味を抱いてしまっていたから。交渉の場は惑星コモリオムで最も巨大な商業船団レイヤード。その本社の一角で行われた。そして、室内に主役のはずだったホフマン大佐らを引き連れて着座した私をじろじろ見つめ、
「実物で見ると違うものねぇ。惜しい。もう少し年頃の女性らしく、可愛げがあれば、タイプなのだけれど」
放たれた開口一番が、これ。一応、つぶやくような、下手をすれば口に出したかも怪しいようなボリュームではあるけれど、その口元の動きと形状から妙なことを口走っているな、とは感じ取れた。
その交渉相手は女性、いや、年下の少女と言った方が適当なように思われる容姿をしていた。惑星コモリオムにおける非公式の会談。そこに颯爽と現れたのはその土地で実質の権力を握っていた商人ギルドの組頭。名を、メルクーア・レイヤードという。役職はレイヤード商業船団大番頭兼コモリオム在駐私兵軍団長。
進められた座席に帝国の代表者らとともに腰を下ろしつつ、私は常套句を述べた。
「此度はこうして会談の場をもうけて頂き、感謝の念に堪えません」
「これはどうもご丁寧に」
何がなく装った微笑。私は、外側だけは一丁前に冷静さを保っていたけれど、自分に向けられた相手の独特な雰囲気に脅威を感じた。
少女のような女性の異様さは、むしろその経歴を知っていたからこそ余計に際立った。パイプ役を務めたゴット・ヘイグによる報告が間違っていなければ、年齢は既に八十を超えているらしい。彼女は給紙に紅茶を振る舞わせた。けれど、私は毒物の類いを恐れて、口を付けるのに躊躇ってしまった。そんな私をめざとく観察していたらしいメルクーア・レイヤードは、私の反応に眉をひそめたような風を装った。
「紅茶は、お嫌いかしら?」
「いえ。そんなことはありませんが」
そう答えた手前、飲むべきだろうか、とは思う。いや、密かに携行した試験紙を浸してみる方が安全なのには違いない。文明人としては無礼な振る舞いになるが、さて、どうしたものだろうか。自分の隙をうかがうように、あるいは異国の人間を興味関心から観察しているだけのなのかもしれないけれど、メルクーア・レイヤードに直視されたままの私に、助け船が横から出された。
「レイヤード嬢。早速ではありますが、本題についてお話しさせて頂きけませんか」
会話の主導権を得るべく真っ先に先手を打ったのは、レーベレヒト・ホフマン少将だった。メルクーア・レイヤードの視線が彼に移る。どこか、不満げに見えた。
「あらぁ、ビジネスの前には互いに打ち解けるような作法が、貴国にはなくて?」
「我々と打ち解けたいなら、そんなまどろっこしいことはしなくて結構です。互いが互いの利益になるような関係が築けるか否か。我々は交流などそのいずれかでしょう。違いますか?」
ホフマン少将からさりげなくアイコンタクトが飛んできた。目線で彼はこちらに指示をして、私はそれを瞬時に了承した。メルクーア・レイヤードの言動には、どこか私に焦点を絞ろうという意思が見え隠れしていた。私のような専門外の人間が、交渉における帝国の弱点と睨んだのかも知れない。舐められている、と言っても良い。だから、彼は自分が相手と表立って論を交えるから、私には場の清涼剤としての役割に徹してもらいたい。そんな意図を感じ取って、素直にそれに倣うことにした。
「ホフマン少将。レイヤード様の言にも一理あります。商談前の交流もまた礼儀でしょう。効率的とは言いがたくても、分別わきまえた人間として、好意を受け取っておくべきでしょう」
白々しく自分の二倍は生きている男性を諫めた私に、待っていました、と言わんばかりに商人は目を輝かせた。
「さすがは皇女殿下、話が分かる御方ねぇ。何もそう邪険に扱わないでください、ホフマン少将殿。我々も遠路はるばるのお客様をもてなさなければ外聞に関わりますわ」
与しやすそうな皇女との会話に外野が口を出すな、といった雰囲気をホフマン少将も汲み取ったらしく、やや声のトーンを落として、
「お客様扱いは有り難いですが、我々は貴方方と友好関係を結びに来たわけではなく、取引をしに来たのです。我が国の皇女殿下とお話になるのは、貴国が我々にとって友人たり得ると保証できてからにして頂きたい」
「あらぁ、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないの。どの道、私達以外に大した交渉相手も貴方にはないでしょうに」
メルクーアはこちらの事情などお見通しだ、とどこか高圧的な匂いを孕ませつつそう言った。
惑星コモリオムに設置された政府自体は、私達帝国にとっての交渉相手ではない。元々キャラバンのような商業移民船団の集結地であるこの土地を、取り敢えずの根城にしているメルクーア・レイヤードが統率する商業集団。それが真の交渉相手だ。
彼女らは、現在では連合惑星同盟諸国という一つの国家に所属しているものの、情報提供者のゴット・ヘイグ曰く、目の前の女性が率いるレイヤード商会という組織は、定住するという概念が薄い集団であることに加え、人類統一連合諸国に法律的にも加入させられて、まだ一世紀と立っていない若い集団とのこと。故に、その本国に近すぎず遠すぎない立ち位置であり、打算による性格が強いためにフォーアライターにとって都合がいいという。
そういった自身の有利を意識している相手に対し、ホフマン少将はどこか高圧的に言う。
「確かに、貴方方の存在は我々にとって都合が良い。だが、そちらも身の振り方に注意をした方がいい。こんな上手い話は、何も貴方だけの特権ではないのだから。貴方方のような商業集団にとって、我々は新たな市場となり得る。帝国との商業的な取引を独占出来れば、多くの企業や地域にとって他者を出し抜く良い機会となるでしょう。貴方にとっては、帝国は唯一の存在だが、我々にとって貴方方は、そうではない」
ホフマン大佐のブラフ。けれど、商人の長は文字通り一笑に伏した。
「うふっ、男の吐く嘘は可愛くないわねぇ。人類統一連合軍と帝国に何のパイプがあるの……。ないでしょうねぇ。だから、人類統一連合諸国の軍隊とドンパチする羽目になったんじゃあない。あまりそう怖い顔しないで。打ち切られて困るのは、どっちなの」
「気に入らないのなら、試してみたら如何かな。貴方の予想が正しいかどうか」
「本気で交渉を打ち切る、と。ここで帝国が人類統一連合とのつてを失ったら困るのは目に見えているのに。一度接触してしまった以上、大なり小なり人類統一連合との関係は続いていく。にも関わらず、幸運にももたらされた我々という伝手を自ら断ち切れ筈はないじゃないの」
挑戦的な視線が二人の間で交差する。どちらも一切手を引く気が無かった。そして、両者双方にとって本気で打ち切るわけにはいかなかった。要するに、だ。如何に険悪な雰囲気を演じて見せたところで、どこまで相手に譲歩するか。それが問題なのだ。
帝国としては、戦勝国なのだから可能な限りの利益を得なければ世論が満足しないし、何より自分達の損害を補填できない。だからこそ、今後安心できる仲介役を人類統一連合諸国との間に確立しておきたい。
一方で、彼女らは、別に自分達が被害を受けたという意識は薄く、ぽっと湧いて出たような美味しい話だから逃すわけにはいかない。互いがそのことを十分すぎるほど熟知しているのだ。だから、一見加熱してはいるが、結局のところ境界線上を定めなければならないのは明白だった。
交渉の中心にいる二人がそんな拮抗状態にいるのだから、半ばそこから一歩退いた位置にいる私のような人間が、二人の専門家の会話を取りなさざるを得ない。
私は意を決し、テーブルに置かれていた紅茶に口を付けた。暗殺の危険は無いだろう、と語ったあの小太りの政治家大将の言葉を信じることにした。紅茶を提供した本人以上に、ホフマン少将の表情に緊張が走った。私も正直、命の危険に怯えないでもなかった。けれど、口の中に広がる風味に、少なくとも即効的な劇物の存在は感じられなかった。
内心に渦巻く不安を完全に殺して私は微笑して見せた。そして、わざと場違いな声を出すことにした。緊張した空気を緩和させる精力剤になるために、だ。
「美味しいですね、この紅茶。帝国では味わったことのない品種のようです。ダージリンのファーストフラッシュに近い」
「あら、お目が高いわねぇ」と一瞬、演技を忘れたメルクーア・レイヤードはすぐさま調子を取り繕い、「その点、少将殿なんて手も付けてくれないから嫌になっちゃいますわ。その茶葉はレムリアという三千メートル級の高山帯で作られたもの。この惑星の気候に会わせて地球の原種から大分改良が進んでいるから、貴女が口にしたことがないのも当然です」
フランチェスカの影響を受けた紅茶好きも意外なところで役に立つのだから馬鹿に出来ない。目の前の交渉相手の腹の内に気を払いつつ、けれど必要以上の心理的な障壁を取り払って、私は友好的な会話に誘導することにした。
「レイヤード商会は、嗜好品を中心に取り扱っているのですか?」
「それだけではありませんわねぇ。この惑星コモリオムはその土地の大半は農業プラントとしての性格が強く、居住している人間も少数。鉱物産出量も微量ですから、農業生産物の精算所にする以外使い道がないのです。一応、精密機器を初めとした我々独自の製品や技術もあるにはある。けれど、肝心の材料は他国から輸出して、結果的に加工産業を行うことが多い」
彼女は、わかりやすく要望を述べた。まるで意中の相手にウィンクをして見せるほどにあからさまだなと私には思えた。ホフマン少佐がため息をついた。最初からそれくらい素直な態度なら、自分がいい年こいて喧嘩腰にならなくてすんだものを。内心、今回風当たりが強くなってしまったそのホフマン少将に詫びを入れつつ、彼が演出してくれた私の役回りを果たすことにした。
「私、紅茶が好きでして。侍女に良く作ってもらうのですが、さすがにそんなことに帝国の予算を注ぎ込むわけにもいきません。誰かに安くて品質が高い茶葉を提供して頂ければいいのに、なんていうのは冗談ですがね。嗜好品の類いを始め、我々帝国を新たな市場として開拓出来れば、貴方方は新規の収入源を獲得するに至る。人類統一連合国家という複数国家の中で、優先的に我々とのそういった特権的なお付き合いを提供しましょう、というのはやはり魅力的ではありませんか?」
茶番みたいだ、なんて思いながら続ける。
「ところで、人類統一連合との和平が上手く取りなされれば資源惑星ラインが戻ってくる分、資源に余裕が出ます。ただ、将来的に使うかどうか、という程度の認識にしか過ぎません。今まさに必要な物資ではありませんから。ならいっそ余剰分をどこか、そう。取引先でもあれば買い取って頂けるのでしょうが」
別に何も思いつきを話しているわけではない。事前に交渉に関わる者達の間で、最低限の流れとでもいうべきものを打ち合わせていたから、それをそのまま借り物の言葉のように口にしているだけ。本来であればホフマン少将あたりが口にする内容を、私が会話の流れから話すことになったに過ぎない。それをメルクーア・レイヤードは洞察し得た様子。
「ふふ、手柄を譲ってあげるだなんて。存外ホフマン少将殿も可愛い皇女様にはお優しいのねぇ」
全部お見通し、といった口調だった。商人の善意少々、悪意多めに笑いかけられた当人は表情一つ変えず、問う。
「では、我々帝国は貴方のお気に召しましたか、メルクーア・レイヤード嬢」
少女は微笑んで答える。
「重畳。この商談、呑ませていただきます。これから末永いお付き合いを願いますわ」
メルクーア・レイヤードのその言葉と共に私達の目的は達成された。出来レースの匂いが強い交渉を無事に終え、世紀単位で他国とのつながりを持たなかったフォーアライターという国家は、いよいよ後世の記録にも残るような新たな変化の時を迎えた、ということになる。
それがどういった効力を、出来事という形で振るうのかは、神でもない私たちは知りようがない。
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