1-6
それは、帝国の英雄と呼ばれる男の話。帝国内の治安維持において、不本意な活躍をしては、表彰式に呼び出される男性。私と彼は互いにそういった場において壇上から見下ろし見下ろされる関係だった。そんなひとの話。
「目が覚めたか、ルーデル」
その男が瞼を開けると、見知った天井と同僚の顔が視界の中に収まっていた。
ぼく、という一人称を用いる癖を持つその男は軽く硬直した体を伸ばす。じんわりとした気怠さから一時間近くは眠っていたことが分かった。時間軸としては人類統一連合艦隊が帝国特殊艦隊の強襲を受ける少し前のことになる。
ビショップ・フォン・ルーデル。当時はまだ大尉で三十路一歩手前なのを気にしていた。本人は出世に興味を持つタイプではなかったけれど、その軍服には様な勲章が所狭しに並んでいて、一種異様な雰囲気を持つ軍人だった。
それらの勲章は数年前、私が即位した頃から目に見えて増えていった。当時、帝国内ではその階級制度的な色合いが残された社会に反発する過激な思想や勢力が随分と身近に存在していて、彼のような兵士らはそういった中でも特に暴力に陶酔する社会的にも見過ごせない人々との戦いを生業としていた。
何か大きな軍による作戦行動がある度、新しい装飾を与えられてはダース単位のそれを「動きづらく、職務に支障がある」とか理由を付けて彼は定期的に私の元に変換すらしていた。そういうちょっとした問題行動はあれ、軍関係者の中では既に英雄的な実力者と見なされていた。人類統一連合艦隊の強襲を担う人員の一人に彼が選抜されたことは、極めて自然な流れだったし本人も納得していた様子。
そんな彼の相方は肩を竦める素振りをして言った。
「いやはや、よく眠っていたよ、お前さんは。普段は不眠症とか言っていた気がするが、こんな状況下でしか安眠できないとは奇妙な症状だ。帰ったらいい医者を紹介してやる。友人の神経が戦時下のみ図太くなるから、日常生活に支障が出ているようだ、ってな。無論その腕の立つスーパードクターこそ……」
「お前、確か無免許だっただろう、ガーデルマン。ま、それでも戦場では時として頼りにはなるのは不本意にも認めるが」
元衛生兵の過去を持つガーデルマンという相棒の冗談に付き合ってみせる程度には、確かにルーデルはストレスを感じていないらしい。緊張、という概念を生まれてきたときにどこかに忘れてきたよう。
彼らを乗せた強襲隠密艦シャルンホストは現在進行形で戦場に片足突っ込んでいたところだった。そんな危機的状況下で熟睡できる彼はどうかしている。いや、それなら彼の相棒も同類かも。類は友を呼ぶのかしら。
艦内には彼やガーデルマン大尉の仕事仲間は大勢いた。けれど、残念ながら談笑しているのは彼らくらいだった。ある者は挙動不審に歩き回ったり、またある者は座ってはいるもののしきりに貧乏揺すりをしている。遠足に向かう幼児達を乗せたバスの方がもう少し落ち着いているんじゃないだろうか。呆れたようにルーデルは言う。
「皆、騒がしいな、さすがに」
「実戦経験って言っても、今までは哨戒任務やら暴動鎮圧という名目の自由飛行だったからな。自分たちがどう勝つか、が問題であって勝てるかどうか、という次元の戦闘を求められなかったわけだ。俺たちの中に経験豊かな伝説の老兵なんぞ一人も居らんよ」
「ぼくも含めてか」
「そうだ。弱い者虐めで名誉を得られるのは性悪の餓鬼の間だけだ」
そういってガーデルマンはその巨体を勝手に彼の隣に座らせた。ルーデルは一瞬、艦全体が軋むんじゃないかと錯覚したがそんなことはあり得まい。ルーデルは平均以上の高身長だったけれど、その相棒は彼より一回りも大きく見えた。
帝国軍と人類統一連合軍の戦闘が開始して既に十時間が経過してした。眠りにつく前の戦況は、攻める帝国に対し、人類統一連合は交代しつつ被害を最小限に留めていた。所謂、互いに何のうまみもない消耗戦だ。未だその男達に出番はないし、ましてや当面の彼らの宿主である強襲揚陸艦シャルンホストを含める、約六千隻からなる特殊艦隊はこれまで一度も戦闘に参加もしなければ巻き込まれもしなかった。戦場の外周を、それこそ味方からも無視されてゆっくりと、けれど確実に巡航速度で渡っていた。
「ぼくが眠っている間に戦況に少しは変化はあったのか」とルーデルが尋ねると、
「別に、大方予定通りだ。前線の小型艦は大分喰われているが、それでもキルレシオはざっと七対一だ」
「へぇ、善戦どころか押しているな。このままぼくらの出番がなければ万々歳だ」
「向こうに死人がいれば、な。奴さんは、艦を無人にしているからな。こちらも戦い甲斐がない。いや、殺され損だ」
「わかるよ」
口では同意しつつ、理にはかなっているな、とは思うルーデル。彼の相棒のような、純粋な戦士にすれば、生命が賭けられた戦争の痛みを、機械に棚上げするような発想は忌むべきだろうと、その気持ちを理解することは出来る。けれど、兵器は言うまでも無いけれど、兵士も国家からすれば金が掛かる立派な軍事物資。一人あたりに十分な訓練を。死んだ場合は遺族に対する慰謝料を。だから、兎に角彼らは手厚く保護される。血反吐の出るような訓練さえ乗り越えれば、下手な企業に就職するより余程厚遇されると言い切っても過言ではない。
「そういえば」と彼の相棒は何かを思い出したかのように、「人類統一連合さんは確か民主主義国家だったけか。こちらも純粋な専制君主種国家ではないが、歴史上そういう国家は自分の軍の出兵には建前の建設に頭を悩ませるのが筋ってもんだが」
「自分の国の兵士が死ぬのは国民の印象が悪いからな」とルーデルは答え、「でも、それが機械なら心は痛まない。宇宙に進出する前、国家同士の戦争が停滞して、テロリズムが当面の敵だった時期があったらしい。まぁ、帝国もそういう時期が最近まではあったのが今となっては懐かしいが。そこで問題になったのが、まさしくそれだ。同国民の兵士が死ねば、その家族が、友人が悲嘆にくれる。自然、そういう関係者の中には悲しみを怒りに帰る連中ももちろん出てくる。皆、軍事力が必要っていう現実問題を理解しつつも、それでも悲劇的な出来事には心が痛むんだよ。やがて当事者以外の赤の他人や世論も、そういった被害者らの言動に付随するようになる。それを嫌って過去の連中は、民間軍事会社に委託したり無人の兵器を投入したりと色々考えてみたようだな。成功したかどうかまでは知らないが。ぼくが思うに、単純な友好ムードもそうだけど、人々の流血を恐れる集団思考が、一種の良心こそが人類を滅ぼすほどの争いってものの手綱を握っていたのかも知れない。それが今でも続いているのがぼくらの愛する故郷。そういう手綱をもう不要と認識したのが、敵国だよ」
「良心こそが人間を救う鍵ってか。三十路手前の人間の言うことにしてはちっと青臭いな」
相方の発言に自覚でもあるのか、ルーデルは苦笑し、続ける。
「皮肉なことだけど、長所は転じて短所にもなる。相手は人間の数を抑えて機械をそろえた。その分、少数の人間の集団を守るには、弱い人間は、とにかく一カ所に固まりたがる。人類統一連合の軍人を、敵国の住民の感情が揺さぶられる対象を皆殺しにするのは、案外楽って寸法だ」
「発想が物騒だな、お前。エキセントリックな物言いは感心しないぞ」
ガーデルマンは、ネットサーフィン中に偶然ショッキングな画像にぶち当たったかのような顔をしてみせた。ルーデルにはややその反応は心外だったらしい。わざとらしく二度三度咳をして見せて結論を述べる。
「兎も角だ。それだけぼくらの仕事が重要ってことだ」
「まぁ、そうわな。有人艦隊をピンポイントで狙うのは戦場広しといえど、俺たちくらいだろうよ。まったく美味しい役回りだぜ、こいつは」
帝国軍特殊兵器分隊、機械仕掛けの騎士団メヒャーニクリッターオルデン。
彼らの所属をある程度のくくりで表すとこう呼称する。彼らが搭乗する騎士リッターという名を冠する兵器は、帝国が独自に発展させた技術の一つの結晶だった。元々は、人間の身体力を補助するパワードスーツがその原型だったとされているが、その風変わりな人型兵器を今日まで生きながらえさせてきたのは人型故に人間の思考、反射を完全に反映させた敏捷性だった。
この兵器を動かすのに、極論を言えばペダルやレバーはいらない。厳密には補助用にそれらは備え付けられているし、火器のトリガーは暴発を防ぐためにも搭乗者が引かなければならない。けれど、予想外な敵の行動への対応や、複雑な機体平衡の制御は彼らの思考を読み取って、体が動くよりも速く機体が再現してくれる。むしろ、それくらいの強みがなければ、今日まで兵器史にその名を残すことはないだろうと思う。
帝国と人類統一連合の初めての大攻勢。その中で相手の指揮官やコンピューターにとっての一番の番狂わせがリッターを駆る彼らの存在であり、このジョーカーは巧妙に隠されていたのだった。
ルーデルの腕に巻かれた、古典的なクォーツ式時計の短針が十回ほど回転した頃になって、ようやく、いや、いよいよ彼らを乗せた艦体が揺れはじめた。その振動は、その乗組員の大多数にとっては神経を逆立てるような刺激以外の何物でもなかった。
そのときまさに、シャルンホストをはじめとした強襲揚陸艦隊が予想通り敵の袋叩きに遭っていた。一応、船の防御力は帝国内の内紛等を通じて実証済みだけれど、不幸にも装甲の許容量を超える暴力にさらされた艦に抱かれた帝国騎士の多くが散っていた。
その頃彼らは既に仕事道具に身を包んでいた。彼らの肌に密着したスーツと、それを補強するプロテクターの各所に配置されたミクロ単位の電極から搭乗者の生体電気が読み取られる、本来、モニターの一つも無い真っ黒な機内に、機体各所のカメラ類が捕らえた周囲の映像が投影される。リッターが得た情報が搭乗者のニューロンを通じてフィードバックされているのだ。
「いよいよだなぁ、ルーデル」
ルーデルの機体内に耳慣れてしまった、やけに楽しそうな声が響く。まるでアトラクションの発車準備にはしゃぐ子供みたい。彼らの耳小骨は現実には揺れてはいない。けれど、脳にそう聞こえた、電子信号が神経を通じてフィードバックされる。
「ガーデルマン。傍受の恐れがあるから、通信の私用はやめろって、言われなかったか」
「登録していなけりゃ味方にも極秘の通信を、どう相手が傍受するのか俺にはいまいち理解できなくてな」
「……はぁ、全く何の用だよ。ぼくも人並みにはおびえているのだけれど」
「嘘付きは泥棒の始まりっていう躾をされなかったんだな、お前は。もうすぐ射出されるぜ」
「知っている」
「お前の場合、また居眠りでもして聞いてなかったかもしれんだろう。だから親愛なる友人の俺にはそれが怖くて仕様がないんだ」
顔までは投影されていないけれど、コクピットで同僚が意地悪く笑っている様子を想像するのはルーデルにとって容易だったらしい。
シャルンホストが警報とともに変形していく。彼らの、先ほどまでの周囲の風景が、機械的な整備室兼格納庫だった艦内から漆黒の海へと塗り変わる。彼らが一体化したリッターが射出されるのだ。ルーデルは、けれどマイペースを保ったままガーデルマンに冗談交じりに言った。
「幸運を祈っているよ。お前の、な」
「可愛げが無いやつめ」
すぐさま、軽口をたたき合っていた彼らの視線上に射出の是非を問う文章が現れた。
承認。彼らは口で小さく唱え、機械がそれを補正し、宣言した。
彼らの身に、衝撃が来た。各々の望んだタイミングで、騎士達は宙に放り出された。ルーデルはペダルを浅く踏み、機体の各所に搭載されたスラスターに火を入れる。宇宙空間に運動を阻害するような抵抗なんてものは無いから、無音の空間内でリッターは慣性に従って踊り出しそうになる。そんな自機を、ルーデルは小刻みな燃料材の噴射をもってリズムを取るように姿勢を整える。基本的な姿勢制御は、彼らのニューロンを通じて機体が半ば自動的に行ってくれるのだけれど、彼はこうした微調整だけは手動で行わないとどこか安心できないらしい。
コンマ数秒の間に自機を完全に制御下に老いたルーデルは、未知の人型兵器の出現に戸惑ったかのように動きを止めた敵艦の幾つかが砲撃を再開する前に、手近な巡洋艦の船底をくぐってそれらの背後へ移動した。そこには数十万トンもの鉄の塊を前進させるべく働き続ける巨大なバーニアスラスターが絶大な存在感と共に配置されている。燃料をたらふく飲み込んではち切れんばかりに太ってしまったような不格好さ。
ふと彼の脳裏に、幼少期に何かの機会で見学した航空博物館に展示された旧式のロケットエンジンの姿が思い出された。あぁ、そういえばこんな感じだったな、あれも。自分が宇宙空間に憧れたきっかけだったかな、とどこか場違いな甘酸っぱい記憶に、ついルーデルの顔に笑みが漏れた。
彼は自分の指にすかさずトリガーを引かせた。
亜光速で放たれる弾丸が敵艦の動力部をズタズタに引き裂く。人型兵器リッターの主装備は元々軍艦の副砲として試作されたレールガンだった。電磁投射砲を人間の兵士が突撃銃を構える要領でリッターは使用する。暴力的なまでの加速度で射出された専用の弾頭は、対艦戦闘でも当たり所さえ良ければ効力を発揮する。
一秒弱斉射し終えると、焼けた銃身の廃熱も兼ねつつルーデル機はきびすを返して手近な駆逐艦の死角へと移動する。先の巡洋艦が轟沈する様子がリッターを通して、その光景を直視せずとも彼の脳に伝わる。その頃には、二隻目の獲物を半ば解体し終えていた。既に彼らの同僚達も、無数のリッターらも次々と周辺の護衛艦を沈めていた。それでも、彼の手際は群を抜いていた。通常、ダース単位のリッターで当たるはずの敵艦を、一人で翻弄していた。まさか、艦隊決戦がメインのこの時代に軍艦相手に白兵戦をしようなんて、人類統一連合は夢にも思わなかっただろうに。
彼の視界の端で、自分が乗った機体と同じそれが塵になる。運悪く敵艦の射線に入ってしまったのだろう。運が悪いのか、腕が悪いのか。少なくとも顔も知らない友軍機の撃墜に心を痛めることはなかった。その暇すらも惜しい。一時的に機体を手動で操作しつつ、目線と意識を集中させ同所属機との通信を試みる。件の相棒は、今どこにいる?
「――イン!……シュトゥーカアイン。おいルーデル、返答しろ。どうせ現世にしがみ付いてらっしゃるのでしょうが」
「よく分かるな、お前。今まさに手が離せないところだよ」
何とか繋がったガーデルマンの通信に応答しつつ、彼に神風アタックを仕掛けんばかりに突進してきた敵の艦載機の胴体部に蹴りを入れる。後で整備士に怒られるな、マニュアルにない使い方をするなって。そんなことを考えながら、彼は一旦呼吸を整えて聞く。
「うちの部隊は何人やられた。どこかで掠めたか……機体からの情報更新にラグが目立つ」
「断言は出来んが、どうも残っているのは俺ら二人だけのようだ。誰もラブコールに答えてくれん。他の
部隊の指揮下に入るか、それかほかの溢れ者を入れてやってもいいが」
周囲で目まぐるしく光が瞬く。搭乗者の目を害さないように視界を損なわないよう明度は落とされていたが、その努力も追いつかないほどの混戦模様。敵も味方も加速度的に消えていた。
「とりあえずお前とは合流しておきたいな、ガーデルマン。今どこにいる」
「レーダーに識別番号は出ていないのか?」
「生憎と軍艦とのダンスに夢中でね。さすがに貴婦人と踊りながら電子機器を触るようなマナー違反は出来ない」
会話している間も彼は複数の艦の射線を躱し、その腹から産み落とされた艦載機に弾丸をたたき込んでいく。続けて、目の前に現れた重巡洋艦の副砲の一斉射を躱して、手近な駆逐艦を盾にする。一瞬、相手の砲塔が装弾のために沈黙した隙に、今度は巨大なそれの背後へ回る。すると、大物食らいを狙ってやって来た一機の味方が彼の射線を阻んだ。命知らずの騎士は、彼だけでは無かった様子。
「なんだ、こいつ。危ないな」
「おっと、味方の射線にはいちまった」
言葉とは裏腹に反省を見せないガーデルマンが笑う。それとシンクロするようにルーデルの眼前で味方機が重巡洋艦の推進機をジャンクに変えていく。鮮やかな手際。その動きのクセがどうも彼には見慣れているように思えてならない。
「これ、お前だろ」
「どれがだ」
「現在進行形でぼくの射線を遮っているやつだよ」
ルーデルの眼前で、ガーデルマン機が撃ち漏らした残りのスラスターを一頻り破壊して、空になった弾倉を交換する。レールガンの発熱した銃口は、幸い長時間の労働に付いてこられそうだった。ルーデルがそう安心すると同時、相棒のリッパーに自分と同じ所属であることを示すマーカーが付けられた。
「合流できたな。旗艦は見つけられたか?」とルーデルが尋ねると、
「おう、運命的な再会だな。戦艦ラーンスロットだったか?名前だけは立派な旗艦だ。射出されてすぐに視界に映ったもんで、もうマークしている。そちらにも情報が行くはずだ」
「データリンクを確認した。距離は、ざっと二千か。一目散に逃げていくが……」
リッターの機動性を考えれば、数分もかからない距離だった。でも、その間には無数の敵艦や味方機が入り乱れて訳が分からない状態になっていた。乱戦状態の空間に身を躍らせれば、どこから撃たれたものか分かったものではない。ガーデルマンが尋ねてくる。
「どう出る、ルーデル。いっそ、腹を決めて嵐の中へ突っ込んでみるか」
「ぼくは運がいい方じゃないから御免被りたいよ」
「ご謙遜を。運がなければ命が幾つあっても足りん仕事だぜ、こいつは。なら、こそこそ行くかい」
同意を示すように、戦闘用のモードの機体をステルスモードへ移行させるよう機体を管理するAIに口頭で命じる。機体の各所から周囲の風景に同化するように電磁迷彩が広がり、一秒も掛からずに彼らは闇に溶けた。派手に戦っている友軍の中でも何人かが、ある者は戦場から離脱するため、また彼たちみたいな命知らずのギャンブル好きは有人艦への近接戦闘に備えて同様の装置を起動する。
ステルス迷彩は人間が目視で見る分にはその場にモヤが掛かったようで、よほど遠目から見るか、視力が悪い人間以外には無力。けれど、幾万もの距離を隔て、酸素すらない宇宙空間の戦闘において裸眼で彼らを視認する者はそうはいまい。艦の、機械のレンズ越しに見る彼らは、文字通りこの世から消え失せていた。
「出力を最低に設定しろよ、ガーデルマン。姿を隠したところで、熱源を捉えられたらお終いだ」
「分かっている。お前は俺のお袋か?」
「そんな趣味とは無縁だ」
熱源を相手に補足されるのを避けるために、先ほどと打って変わって彼らはアグレッシブな機動を自重した。星々の海を飛ぶというよりはむしろ、深海に挑むダイバーのように泳ぐイメージに近い挙動で、ゆっくりと、しかしそれでも艦船のそれを上回る速度で戦場を移動する。私自身もリッターの名を冠する人型兵器に何度か乗ったことがあるし、彼らの状態を大分鮮明に想像できる。無重力と暗黒に支配された空間を滑るように駆けていくのは、えもいわれぬ恐怖感と心地よさが同居している。ただ、周囲には一見デタラメにも見える敵艦の弾幕や、射出された敵無人航空機が拘束で飛び交っていて、ステルス状態を取った機体でさえ運悪く補足され、流れ弾に巻き込まれて生涯を全うしてしまう者は決して少なくはなかった。
運はあまり、等と口にしていたルーデルら二人は、幸運にも目当ての戦艦の背後へ潜り込むまで結局一度も被弾しなかった。彼らも無闇矢鱈に放たれる弾幕にヒヤリとさせられることは枚挙に暇が無いけれど、少なくとも彼らを狙って殺そうとする弾丸は放たれなかった。また、単純に運が良いというわけでもなく、その場その場で少しでも被弾率の少ない位置に身を滑り込ませるといったリスク管理のおかげなのかも知れない。
彼らがお目当ての目標地点に辿り着くまでに、千機近く居た筈の騎士達の内二割は帰らぬ人となっていた。ステルスモードが常時発動可能な魔法のマントなら良かったのだけれど、いくら搭乗者が推進剤をケチっても、機体各部で稼働し続ける電磁装置らは確実に熱を孕んでいた。結果、彼たちは有人艦隊の懐に入った時点で種明かしをするマジシャンよろしく颯爽と敵の眼前に参上することになった。
だが、どうやら賭けには勝ったらしい。機体が姿を見せると同時に、敵の旗艦の艦橋へ彼とガーデルマン機は銃を突きつけた。
「周囲の人類統一連合所属の艦隊に通達。動くな。貴官らの将校の生殺与奪の権は我に有り」
芝居がかった口調でガーデルマンがオープン回線を用いて降伏勧告をした。ルーデルは柄じゃないらしく頼れる相棒に見せ場を譲ったのだけれど、もう少し気の利いたセリフは思いつかなかったのだろうかと苦笑した。まぁ、ガーデルマン本人が満足そうだし茶々を入れるのも野暮かな。そんな風に考えたらしいルーデルは暫くは相棒に降伏勧告を任せるつもりだったが、
「こちら人類統一連合軍、本作戦の責任者たるゴット・ヘイグ大将だ。貴官の要求は認めよう。すぐにでも無人艦隊の戦闘行動を停止させる。ところでだが、貴公らの上官と直接話がしたい。ちゃんと捕虜の扱いには人道的精神が伴うと見せてくれなければ不安で夜も眠れないからな」
「お、おう。随分素直じゃないか。彼の予定だと無駄な抵抗を華麗に鎮圧するシーンが待っている予定だが……」
「機械仕掛けの騎士団所属、ビショップ・フォン・フォン・ルーデル大尉だ。有人艦隊は我が国へ直接向かって頂く。無論、その前に何人かの兵士を送る。迎えが来るまで貴君らは待機しろ」
レコーダーに間の抜けた同僚の会話が残されるのを嫌ったルーデルは介入した。続けて、自身の手で母艦のシャルンホストに報告をすませることにする。我、敵の指揮官の捕獲に成功せり。それを少しばかりラフに伝えた。どこか出番を食われて不満げにガーデルマンはルーデル機にのみ回線を繋ぎ、
「あっけないもんじゃないか、随分と。もっと、激しい抵抗があって良い物じゃないか」
「相手もこんな僻地で死にたくはないらしいからな」
ガーデルマンの軽口の相手をしつつ、広域レーダーとデータリンクを通じて可能な限り広範囲での戦場の様子を探る。敵方の指揮官の言うとおり次第に敵艦の反撃が沈黙していった。一部、しつこく戦い続ける一団が存在したが、やがて借りてきた猫のように大人しくなった。
それから彼らは自分らの功績の証人達と同乗していた。仕事道具と共に捕虜達を乗せた輸送艦に搭乗することを命じられたのだった。
そんな輸送艦内でこの戦場の英雄と会話をしたのは、彼の為人を理解している数少ない馴染みの顔と、たまに好奇心を隠しきれずに近づく物好き。そして、捕虜の一人だった。
ルーデルは、まるで展示された珍獣見たさに訪れる観客の一人のように度々ある人類統一連合軍の兵士の下へ顔を見せていた。オリヴィエール・フォッシュ。若干二十四で少将の階級を得た敵国の男性。壁越しに彼らは時折交流していたらしい。
「またお前か」
捕虜とは思えないほどふてぶてしく独房内でフォッシュは、ルーデルを視界に捕らえた瞬間にそう吐き捨てた。
独房と言っても、私物がない以外はその男に不自由はなかった。人類統一連合軍の捕虜は千人以上を数えたが、捕虜を得ること前提の作戦だったために部屋は十分に用意され、何より、敵国への人道的なアピールも兼ね、敗者達は案外悪くない生活を送っていた。本来の自室よりこちらの方が待遇が良い、とか言い出す兵士もいたとかいなかったとか。
「政治家面のあんたの上司からいろいろ面白い話が聞けたよ」とルーデルはその独房という名の個室の扉に背を預け、「民主主義国家の軍隊は大変だ。選挙の度に艦隊を動かしてたんじゃあ国家予算も保たないだろう」
「厭味か」
「同情してるよこれでも。今までは比較する対象がなかったものだからな。自分が属している国家が悪くないって思えて、感謝している」
端から見ても芝居がかっていた。捕虜の男は敏感に言葉の端のそういう匂いを嗅ぎ取り、
「お国自慢をしに来たわけでもないだろう。本題は何だ」
「人類統一連合諸国は今回の敗北によって完全に手を引くか。それを、個人的な意見として聞かせろ」
「何故今更そんなことを、しかも俺なんぞに聞くんだ」
「特に意味は無いさ。単なる趣味みたいなものさ。自分がまた戦う機会があるのかをこの目で確かめておきたくてね」
オリヴィエール・フォッシュは解せないながらも、一応の考えがまとまったのか、個人的な意見だが、と前置きをして語る。
「真っ当な政府ならあんたらの国から攻め込まない限りは、多少の条件なら飲むだろう。
ウチの出兵の経緯は提督がしゃべっただろう。元来、今回の馬鹿げた立案書の大本は軍隊の縮小傾向と戦時下の目くらましだよ。だが、肝心の俺たちの今の状況がこれだ。出兵を断行した連中にとっては目も当てられん状況にはなった。連中は悉くが失脚し、それを引き継ぐ奴は国民感情を宥める必要もある。前任者の尻拭いをきっっちりこなしてくれるだろうよ」
「へぇ」と意地悪くルーデルは笑い、「その点、あんたの上官は優秀だな。なんせ負けること前提で自分の保身をとっくに済ませているんだから」
「何の話だ、それ」
フォッシュは困惑を露わにした。食らいついてきた魚を前に、思わず笑い出しそうになるのを耐えて、帝国の騎士は焦らすことに決めた。どうも、この顔見知りとなった捕虜への情報提供とからかいが真の目的らしい。
「どうした、知らないのかい」
「見当もつかん。あの男は敗戦の将だろう。生きて国に帰って何の得がある?バッシングの嵐だよ、どうせ。冷遇されこそすれ、生還を喜ばれる筋合いはないさ。俺もだが」
「ゴット・ヘイグだったか、あの提督。彼は本国の会議では命令を受託しつつも出兵の不要さを各方面に喧伝して回ったって話だ」
「……読めたぞ。負け帰っても対面に傷がつくどころか、先見に優れた悲劇の提督って担がれる、そういうストーリーか。畜生が。道理で降伏に躊躇がないわけだ。被害を最小限にするどころか、事によっては世間の名声を手に入れられるって寸法だな、あの親父!」
本気で悪態を突き出す男を背にその場を後にしようとルーデルは思ったらしい。現場の人間が上の理解不足に苦しめられるという世知辛いあるある話は、万国共通らしいとのこと。ガーデルマンにでも話せば、奴の新たな酒飲み話のレパートリーにはなるんじゃないか。彼はそんなことを思っていたから、敗戦の将が彼の背に投げかけた言葉の不意打ちを食らった。
「あんたら帝国には、すまないことをしたと思っている。本心だ。こんな馬鹿げた政治ショウに付き合わせてしまった」
「そうかい」
ルーデルは振り返らなかったし、これ以降この捕虜に会いに行かなかった。彼は、本当に戦い意外には興味が無かったらしいから。
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