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 資源惑星ラインに人類統一連合軍が駐留して丁度一週間後。大量の紙束を抱え、フォッシュは戦艦ラーンスロットの一室に幽閉されていたらしい。そこへ、ろくにノックもせず執務室へ見知った顔が入ってきた。サインを待つ報告書に忙殺されていた彼は、しかしある予感を感じずにはいられなかったらしい。顔をしかめた。


「入りましたよ」

「入れ、と言ってから入れ」


 まったく悪びれもせず、士官学校時代からフォッシュを知るフレンチ・アップルガース准将が気楽に凶報を知らせた。


「フォッシュ中将殿、帝国艦隊がこちらへ近づいているそうです」

「少将だ。まだ昇進など予定にない。距離は」

「十光秒を現在着るか否かの瀬戸際ですね。あまり気持ちの良い数字ではありませんが、詳細を知りたいですか?」

「当たり前だ」

 そう返答されたフレンチ・アップルガースは虚空を指先でなぞる。フォッシュからはその空間に何も存在してはいないように見えたが、

「仮想デバイスか」

「えぇ。例え数グラムでもデバイスを持ち歩くのは手間ですし、何より自分の性格上どこかに置き忘れそうなんでね。先輩もどうです。注射さえ我慢できれば子供でも使えるようになる。まぁ、検査やら維持やらに金は掛かりますが」

「注射は嫌いだ、というのは冗談だが、体内に異物を入れるというのがどうも受け付けん。時代遅れだとは自覚はしているが」


 彼らが話している技術は人類統一連合諸国で普及し始めていたナノテクノロジーに関するものだったらしい。血液を通して無数の電子素子を体内に循環させることで自分の身体を擬似的なコンピューターとして扱う技術。ナノマシンが放出するタンパク質やイオンによって受容器が反応し、使用者に仮想の映像や音声を届ける。


 そういった原理を、論文やそこに添付された実験結果らを何度見返しても結局、フォッシュという人物は生理的な恐怖を乗り越えることは出来なかったらしい。後輩に張り合うように、彼は机の上に置きっぱなしにしていた端末をこれ見よがしに手にし、そこへ送信するように指示した。


「コントに興じている間にも十光秒を切りましたね。もう目と鼻の先だ。帝国も大義名分がある以上、反撃してくるとは思っていましたが、存外早かったですね。ウチの上層部ならあともう一、二週間は建設的な会話を楽しんでいたでしょうに」

「こればかりは専政君主国家と民主主義国家の構造上の差だな。議題に上がってから実行までがスムーズだ。あの可愛らしい皇女様がお飾りでなかったのか、その周囲が優秀なのか」

「どちらにしろ、お偉方に報告せねばなりませんね。きっと連中は腰を抜かして、下手すりゃオムツを変えねばならないかも知れませんな」


 実際のその立場にある彼は政治家タイプの上官をどう宥めるのかを脳内でシミュレートし、胃袋が拒絶反応をするのを感じた。そんな先輩の気分転換も兼ねてか、フレンチ・アップルガースは建設的な仕事の話に転じた。つまり、戦の話。


「土台どうです。帝国とまともにやって勝てますか」

「無理だろう」と即答し、「今回みたいな無謀は恐喝が効く相手にやるべきだ。有人艦とは言え、軍縮傾向にあるこちらに対して、向こう側の戦力は多いと俺は見積もっている」

「とすると、やはり分が悪いわけで」

「当たり前だろ。体だけデカくて中身が伴わない風船だぞ、こっちは。一方で向こうは十分以上に国力を備えていた。こんな大勢力が俺達の生活圏外に存在していたなんてな……」

「とても人間が住むような条件を満たすような不動産が見つからないような宙域でしたからね。帝国の惑星は、確か半ば人工的なものらしいですよ」

「ローゼンガルテン、だったな。どこか国の記録によれば、どいつも移住可能な条件を満たさなかったから素通りするか、そもそも地理的に活用する気すら起きなかった土地らしい。それ以降は、周辺に居住する文明も無いものだから、今に至るまで碌な記録が見つからなかったよ」

「はぁ。煌びやかな帝国の歴史は、果たして泥臭いものなのですなぁ。ウチらみたく当初の精神や理想なんかが、老年劣化していればいいんですがね」


 そんな会話をしている内に、フォッシュとその部下は提督の部屋の前まで来てしまった。ここからは自分の管轄外なんで、と無関係を決め込んだ後輩を背後に、オリヴィエール・フォッシュは室内へ入り込む。無論、ノックは忘れない。


 室内ではどっしりとデスクに腰を構えた彼の上司、ゴット・ヘイグ提督が彼を迎え入れた。軍人、というより肥満型の体型は政治家といった方が信じられたかも。後に直に顔を合わせたときに私も似たような印象の人物。


「フォッシュ参謀。嫌な噂が艦内に溢れているようだが」

「多少の差異こそあれ事実です。おそらく数時間後には接敵することでしょう」

「ふむ、勝てるかな」


 鋭い切り返しに彼は一瞬回答に詰まる。相手が勝手知るフレンチならば勝てないと堂々と発言できるが、本音と建て前を使い分ける必要性がこの場では感じられた。出来うる限り表現をオブラートに、詰まるところ彼は回りくどく語ることにした。


「敵艦の数を見なければなんとも。しかし、相手はこちらを上回る数をそろえるでしょう。それが軍事行動の基本ですから。そうなれば」

「不利か。貴官や戦術コンピューターの戦術予測を持ってしても」

フォッシュは重々しく首肯した。それを受け取った提督は、何の驚きもないような声で、

「だろうな」

「は?」


 思わず声を漏らした若い参謀に、政治家のような提督は目を細めた。いざ相対してみると、幼心に聞かされる物語の妖怪かのような雰囲気をもつ男。ゴット提督は部下を見つめ、重厚で年季が入ったような弦楽器のような低い声を出す。


「そう畏まる必要はない。まさか、私までも目先の利益に目を奪われ、大局を見失うような愚者だと君は考えていたのかね」

「……申し訳ありません」

「ふふふ、誠実さはこういう世界では身を滅ぼす糧となるぞ」


 内心を目の前の男に見透かされているらしいと感じ取ったフォッシュは、ならばいっそと開き直ることにした。彼は、一兵卒までが抱いていた疑問をぶつける。


「提督、お尋ねしたいことがあります。此度の出兵の意図はどこにあるのですか。そもそも、帝国と我が方の戦力比から言っても強硬策に出るのは得策ではありません」

「同意見だな。まず、教科書的に答えるならば政治のためだ。軍関係者やそのパイプを持つ人間は特にな。ここらで一度大きな戦いをこなし、世間にアピールする必要があるのだ」

「自身の存在意義を、ですか」

「あぁ、今までは相手が弱すぎた。世論はもはやこの平和が永遠に続くと思って軍縮に向かっているし、事実私が株を持つ軍需工場も景気が良くない」

「しかし、亀の歩行速度でも進み続ける限り今回のような未知の国家との遭遇があり得る」

 フォッシュの言葉に大柄な男はゆっくりと頷く。

「そうだ。人類が地球とか言う辺境惑星を捨ててもう幾年月。起源惑星から分裂した個々の集団のすべてを、我々はもはや把握できない。無知なだけで、我々や帝国の規模を弱小と一笑に付す巨大勢力がどこかの宙域に存在する可能性は捨てきれんのだ。故に、軍事力はもはやいずれ来るかもしれないリスクへの必要経費として投資し続けねばならない。その第一コンタクトが対話であれ、力によるものであれ、だ。……と、ここまでが、まぁ、一般論だ」

「どういうことです」

「それだけではない、ということだよ」


 どこか回りくどい言い回しという不穏な刺激に、フォッシュは目が覚めるような錯覚に襲われたらしい。これまでの会話は、政治的かつ合理的な展開であった。その理由の俗さ加減といったら無いが、同時に納得できる話だった。だが、ここからは何かが、それこそ上位的存在が介在する場。そんな気配がある。


「はじめに言っておくが情報ソースには期待せんことだ。あくまでこちらの業界に漂う噂や都市伝説のカテゴリと思ってくれ」

「構いません」

 即答するフォッシュを、その下手に猫を被らない態度に気をよくしたゴット・ヘイグは微笑し、

「まず、昨今公の議会において人工知能、コンピューターの意見が時折組み取られているのは知っているな」

「えぇ、疑似人格を備えたアンドロイド……いや、あれは何故か女性型だからガイノイド、と呼称するのが正確でしたか。そういう人工知能を備えたモノが、民法のマスメディアなんかでも、政治家らに混じって討論の真似事に興じているようで。まさか、この出兵がそういった人工知能によって指示された提案だと?」

「いや、そういったものはむしろ反対意見を表明してな。中々どうして下手な人間よりは優秀そうだが、議会に時たま顔を出すようなあれらは児戯の一種だ。単純な損得と言った打算。そして、国民を初めとした生身の人間がどのような感情による反応を見せるか。専門家に尋ねてみても、世論全てを推し量れるほどのスペックは存在しないそうだ」

「なら、なぜこの文脈でそんな話題が出るのですか」

 関係の無い話をわざわざするとは思えない。そんな疑問に対し、ゴット・ヘイグは言う。

「有力者の一部が、自分の濁った眼より機械の頭脳を信じている、という噂がある」

「そんな馬鹿な。現代において、技術的に可能なのでしょうか。人間社会の動向を完全に解析することは。例えば、投資家が独自のプログラムを構築して、自身の得られた情報を元に上下するチャートの未来を予測する、なんて芸当は有り触れてはいます。しかし、政治、ともなれば、それを予測するために必要とされるデータはあまりにも多い。全てを観測し、計算式に組み込むようなことが出来るとは思えません。今回のようなイレギュラーの事態では、尚更」

「明確な答えを下すことは私には出来んよ。ただ、それは我々に大昔から星の数ほどの話題の種を提供してきたテーマだな。完全に未来を、人間社会というカオスをコンピューターによって解析し、予測する。理論的には可能だろうが現実世界にはその土台となる代数が多すぎる。それに、極秘裏なものこそ現代ではアナログな手段を使って少数の人間同士においてのみ極秘裏に処理する。計算に必要なデータは何で、どれほど必要なのかなんていう単純な問いの答えが出せていないし、出せたところでそれを集めきることも出来ない。それらが可能ならば、今頃我々は自分の将来に何の不安もなく日々を穏やかな異聞で過ごせるだろうな」


 フォッシュはそこで一定の勝利を収めた初戦を思い出し、苦笑を堪えた。現代戦において人類統一連合軍の参謀は人間の意見に加え、人工知能の編み出す作戦提案も参考にする。現在に至るまでの、あらゆる国家における艦隊運用を備えたそれは、少なくともこれまで彼らに軍事行動においては高い予測的中率を備えていたし、彼も参考程度には使用していた。だから、フォッシュは、えぇ、と返事はしたけれど、どこか逆説的な雰囲気が彼の言葉には滲んでいた。ゴット・ヘイグの嗅覚はそれを正確に感じとった。


「これからはそうはならない、と言いたげだね」

「無論です。我が方に帝国と戦った情報の蓄積はない。つまり、想定外の出来事が起こった場合、我々自身の脳を頼らなければなりません」

「そうか。結局、人間は自分の血と汗とで築き上げたロープに背を任せるしかないわけか。せめて相手方の軍事力が話にならないほど幼稚であることを祈るばかりだ」

重低音を響かせて政治家向きの男は笑う。

「未だ不便な機械だが、多少手の掛かる道具でなくては愛着も湧くまい。さて、若者との議論も嫌いではないものの時間も有限だ。戦闘に関してはそちらへ任せる。要請をしてくれ、私はそれに首を縦に振る仕事くらいしかないのでな」


 その道具とやらが機械のことか、はたまた自分のことを指しているのか、フォッシュは恐らく後者だと解釈した。お言葉に甘えて彼は大体の構想を惜しげも無く説明することにした。もはや、敵がどう出てくるかは神のみぞ、正確には私たち帝国側のみが知る。けれど、十中八九今回は撤退戦になるであろう。彼は既にそう心構えをしていた。

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