43話裏 扇奈/例えば…… 下/傍目には艶やかに

 例えば。

 あたしがもっと強ければ。


 拾えたモノがたくさんあったはずだ。

 妹も。弟も。他の誰かも、どんな時も、あたしが強くて、あたしが万能で、全能で、いつも誰かに背中を見せ続けるくらいに、いつも正面切ってどんな苦難も打ち砕けてたら。


 ぶれず折れず、ずっとカッコ良いままでいられたら。

 与太話には、違いないけど。

 そう、なれたら良いと、心の奥底で思っちまう。そうなれていたら良かったと。


 だから、あたしは、あたしを嗤う―――。



 *



 資料室……竜の死骸が4つ転がり、生きている黒い竜が2匹。

 そんなトカゲの単眼に、一人の鬼が映っていた――。


 左足に、体重を全て乗せている。

 右足は、地面についてはいるが、そこに荷重は殆ど掛かっていない――傷を庇っているのだ。

 扇奈の右足から、とくとくと、血が流れ落ち続けている――。


 けれど、扇奈は涼しげな顔で、嗤ったままに、その太刀を対面の二匹――黒い竜に向けていた。


 自分の状況は自分が一番良くわかっている。何度かなら、無理をして、いつものように派手に駆け回る事もできるだろう。だが、それをやった後に、扇奈自身は碌に動けなくなる。


 だから、扇奈が考える事は、いつ、その無理をするか。

 ………少なくとも、今は、無理をしなくてもどうとでもなるタイミング。


 黒い竜2匹。それを前にしながら、虚勢なのか余裕なのか………扇奈は、ゆっくりと、すり足で歩き出す。

 杭が放たれる―――手前の一匹は再構築リロード中。今撃ったのは奥の一匹。

 その、迫る杭を、扇奈は上半身の動きだけで軽く切って捨てた。


 簡単にやっているが、明らかに神業だ。尋常ではない反応速度と、迫る死を冷静に見据える狂気じみた胆力があってこその芸当。


 油断のない派手な背中は、神業を涼しげに、ただ、すり足で、足に負担をかけないゆっくりとした動きで、黒い竜へと歩み寄っていく。


 例えば、ここが地上だったなら。どうにでも距離を取れる場所だったなら、こうやってゆっくり進んでいても延々黒い竜に離され続け、足に傷を負った扇奈は、無理をする必要が出てくるだろう。あるいは、状況の打開に、別の誰かの助けを借りる必要が出てくる。


 だが、ここは地下。四方が壁にふさがれた、閉鎖空間。竜から手狭な、資料室。

 ゆっくりでも良い。近付いていけば、やがて敵は逃げ場を失い、扇奈の間合いで足を止める羽目になる。


 杭――今度は、手前にいる奴。それもまた、易々と切って捨て、扇奈は嗤う。


「……お勉強しなよ、トカゲ。効かないよ?」


 果たして、黒い竜がその言葉を理解しているのか。

 おそらく、扇奈を封殺する戦術――ただ単に距離を取り続けるというそれをやろうとしたのだろう。手前の一匹がどこか気圧された様に後ろに下がり、その背後にいたもう一匹に軽くぶつかる。


 その様を、涼しげな表情で、どこか小馬鹿に眺めながら―――扇奈は、ただ、ゆっくりと歩み寄っていく。


 とくとくと流れ落ちる血が、扇奈の後ろに赤い線を残している――だが、扇奈がそれを振り返る気配も無い。


 ……鬼が、近付いてくる。

 傷を負いながら、それを気にしたそぶりもなく。

 攻撃を受けながら、それを意に介すそぶりもなく。

 抜き身の、血染めの太刀を手に。

 ………嗤いながら。


 果たしてそれは、黒い竜の感情なのか。

 それとも、その裏側にいる知性体の感情なのか。


「コワイ!」


 どう見ても嗤っているような貌で、手前にいた黒い竜が叫び、弾かれた様に、扇奈へと正面から駆け寄って行った。


 生身からすれば、竜は人間より一回りは大きい。そんな、黒いケモノが、退化した翼、四肢を踏みしめ、その背にある長大な刃――鎌の刃のようなそれを振り回す。


 ―――だが、それは明確な悪手だ。

 迫る杭を、銃弾とまるで変わらない速度で飛来するそれを、涼しげな顔で切って捨てる鬼に、わざわざ自分から近付くなんて―――。


 ―――それは、悪あがきにすらなりはしない。

 黒い竜は、鎌を振りぬいた。これで、扇奈は両断される、はずだと言うのに、……目の前の鬼は足を止めない。


 黒い竜の視界が、突然、傾く―――傾いた単眼に、向こう側に跳ね飛んでいく、黒い竜の背にあったはずの刃が見える。


 果たして、黒い竜に知性があるのか。あったとしても、何をされたか理解する間もなかっただろう。

 ただ、目の前で、綺麗な女が嗤っていた――理解するのはそれだけだ。


 黒い竜の首が、落ちる。跳ね飛んだ鎌のような刃が、向こうの壁に突き刺さる。

 崩れて倒れた黒い竜の躯……そこから流れ出る血に、自らの足からとくとくと流れる血を混ぜ込みながら。

 扇奈は、ゆっくりと、歩き続ける。

 その場に残ったもう一匹を、嗤いながら。


「……どうした?言わないのかい?怖いってさ、」


 血は、流れ落ち続ける。倒れた躯から……。

 扇奈の、傷から……。



 *



 例えば。

 あたしがもっと優しかったら。もう、ちょっとでも器が広ければ。

 こうまでぐちぐち悩む事はなかっただろう。


 鋼也をここに連れてきちまう事もなかった。

 すぐに伝えてやりゃ良かったんだ。桜が生きてるって。

 それを伝えたら、あの馬鹿は怪我で寝込んだりせず、すぐに泣いて帰っただろうし。すぐ帰ってりゃここに巻き込んじまう事もなかった。今、火急に危機に瀕してるのは、オニの基地。オニの問題だ。


 それを後ろ暗くなく見送るんだったら、あたしはもうちょっと……まだ、胸張ってられただろう。


 あたしは鋼也の事がかなり好きだ。それはもう、しょうがない。あいつ情けないからな。なんだかんだ、世話焼きたいんだろう、あたしは。


 だが、鋼也と桜も好きだ。それももう、しょうがない。なんだか二人とも、年の割りに苦労してそうだしね。まあ、弟と妹に被せてるのはそうだろうけど、別にそれだけってわけでも無い。


 情が移って、ほだされて。乱れて、絡んで、絡まって。


 ……あたしがもっと優しかったら。


 あの、なんかほっとけない二人は、今この瞬間にはもう、顔を見合わせて笑ってたのかもしれない。



 *



「……痛、」


 4匹のただのザコ。2匹の、黒いザコ

 そんなが散らばった部屋の中、扇奈はその片隅に蹲り、自身の足に包帯を巻きつける。

 痛みに、呻きながら。


 どう尋ねたとしても、扇奈は掠り傷、以外には答えないだろう。

 だが、傍から見れば、その傷はかなりの深手だ。ぱっくりと大きく、それこそ包帯ではなく縫合でなければ碌に治療にならないくらいに、その傷は深い。動脈も切れているだろう。


 その上、その状態のまま、暫く戦闘をした。血を流したままに。

 派手な動きはしなかったとはいえ、それは殆ど気休めのようなものだ。

 出血は多い。右足は痺れ続けている。本来なら退く選択肢を持つべき状況だ。

 閉所で寡兵を相手にするならまだしも、この怪我で大立ち回りは自殺行為。


 けれど、扇奈は、包帯を巻いただけの応急処置を終えてすぐ、立ち上がった。


 廊下から反響して、爆音やら銃声やらが扇奈の耳に届いてきている。

 あっちはあっちでらしい。そして、その音が聞こえている限り、あの馬鹿は無事だ。

 そこに行って、助けてやらなきゃならない。

 扇奈はその為にやってきたのだ。断じて、邪魔をするためでも、足手まといになるためでもない。


 義務感。罪悪感。贖罪。恋慕。親愛。

 ………どれをとっても繋がる先は一つ。


 扇奈は、音の方へと歩き出した。

 壁に手を付いて、傷ついた足を庇いながら。



 *



 例えば、この世界に戦争なんてなければ。


 あたしはちゃんと笑ってたのか?

 弟も、妹も、いなくなる事のない世界で。そこじゃあたしは、ただの飲んだくれになってるような気もするが。それはそれで、幸せなのかもしれない。


 けど、代わりに、鋼也にも桜にも会わなかった。爺……は割りとどうでも良いな。気の利いた部下共に姐さん姐さん慕われることもなかった。そいつは寂しい。イワンにしろアイリスにしろ、飲み仲間は減ってたしな。



 まあ、なんだ?

 ……結局、与太話だよ。

 敵は、居る。ここは敵の本拠地って奴だ。竜の巣だからな。そこで、片足逝っちまってるってのがあたしのどうしようもない現実。


 まったく。面倒見る気で来て、面倒見られそうな状況になってるんじゃ、笑えやしないよ。

 鋼也の足引っ張るのはいやだしね。あいつは、もう、楽になって良い。無駄なもん背負う必要はない。


 どうにかして、鋼也の事、騙しとこうか。あたしは無事だって。あっちもあっちでお祭り騒ぎみたいだし、最初に無理しときゃ騙せるだろ。


 あたしの心配をしたせいで、鋼也が死にました、とか、<ゲート>を壊せませんでした、とか……そう言うのは本当に嫌なんだよ。耐えられない。桜も鋼也も、可哀想だろ?あんまりだ。

 とか、そう言うこと考えてみるのも、ただの強がり以外のなんでもないのかもしれないけどねぇ。

 自分の心配より、他人の心配してた方が楽なのさ。それがどんなで問題であっても、あたしはずっとそうだ。


 ……今更、わかった気がするよ。あたしは、同情する方にわざと傾いて逃げたんだ。

 桜が死んだって知って、それに耐えられそうになかったから、あたしは自分が泣いたのを、鋼也に同情した事にしたんだ。せっせと他人の世話焼いてりゃ、自分の事は無視できる。哀しいのはもう、十分だしね。


 まあ、その内に本気になってた辺り、笑えない話だけどね。いや、嗤える話?


 ……とにかく、あの馬鹿を心配するのは良いけど、あの馬鹿に心配されるのはちょっと癪だ。


 まあ、諸々醜態さらしたが、せめて、お姉ちゃんではいたいもんさ。


 そんな事を考えて、あたしはまた、あたしを嗤って………。




 気色悪い模様のある壁に手を付きながら、あたしは銃声のする方向――鋼也のいる方向へと歩いた。


 この足で、できる無理には制限がある。その無理をいつするか。

 ………出会いがしらだろう。余計な気苦労を鋼也に掛ける気にはならない。まあ、それで騙せるかどうかはまた別の話だけど。


 ……意外とわかんねえんだよな、あいつ。抜けてるのか目敏いのか。


 まあ、抜けてて、騙し通せたらそれで良い。

 もし、ばれたら?……察しろクソガキって話。


 あたしは一応顔立ててやってるしさ。あんたもそうしなよって、それだけ。

 見栄張ってなんぼだろ?


「結局、格好つけてたいだけか………」


 そんな風に、あたしはあたしを嗤って。


 銃声の聞こえるその場所。近付いたそこへと、


 足手まといになる気はない。世話しに来たんだ、最後までそうするさ。


 最初にいなくなるのはあたしだ。ああ、それが良い。

 そうとしか、………あたしには思えない。

 多分、これは、性分だよ。あたしはそう、生まれついたんだ。


 だから、何処までも、いつまでも、そのままに………。



 →44話 死に、別れて

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054892404096

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