第8話 覚悟はすでに出来ている、、、。

 遠い日、暖かい潮風に揺れながら少女はそこに立っていた。島々からなる列島は囲みこむ様に温暖な恵みを営んでいる。スカイブルーの真っ青な大空に一本の飛行機雲が描かれている。真っ直ぐ伸びる細い線は伸び切り、張り詰めた緊張が弾ける様に跡形もなくスカイブルーの空へと飲まれて行く。ぎらつく太陽は、地表におりなすすべての生命に分け隔たり無く、発見的探索を分け与えている。そんなこともお構いなしに海面でかもめがたゆたっていた。

 少女は、乾いた咳を二度切り、岬の先端で澄み渡る太陽を感じていた。天気の良い日は、いつも決まって学校帰りにこの場所へ寄っていた。遠くの塀の中では、いつも煙が立ち込めていた。彼女はいつも、「一体何をいつも燃やしているんじゃろか?塀が無ければもっと景色も最高なのに。」といつも思っていた。


 雨上がりの午後、湿った潮風と暗澹たる寂寥感を練り込んだ雲が上空を覆っていた。昼過ぎに漁港に一隻のフェリー船が入港して来る。

そのフェリー船はまるで擬態した昆虫の様にゆっくりと港に着岸し、強かでレコード盤へ針をそっと降ろすみたいに舷梯が降ろされ、二台のダンプカーが煙を撒くように息を潜めたまま消えた。

漁港で見張っていた島民が言った。

「やっぱり、変わっちょるで!あのダンプ。また、養殖場の方向に走って行きよーたで。これ見てみー。昨日、落として行きようたんじゃ。」と言って男性は、握っていた拳を表に返し開いた。そこには、被覆の付いた銅線とプラスチック製の破片、それにガラス片があった。

「ダンプの中身は汚泥なんかでねー。車のガラクタじゃ。この軽トラを本島の修理工場まで持って行きようた時、こげん部品を見よったんじゃ。こりぇー、ドアミラーの鏡と中の電気を通す線じゃなかろうか?」

 もう一人の島民が言った。

「じゃ、じゃ。じゃけー、どこから来よーるんかなー。おめー、前からほざいとったなー。」

「きっと、車のガラクタを塀の中でぼっけー穴掘って、埋めとるんじゃ。んで、余ったもんは、野焼きしよっとるんじゃ。朝から晩まで一日中、黒い煙が立ち込もうとるしのー。この小っさいわしらの島で。もう、7年か8年になるで。わしゃーもー耐え切れんで!」と声を荒げた。

「そのせいじゃなかろうか?咳き込む子供ら、年寄り増えて来たんじゃなかろうか?それに西海岸じゃー最近魚も獲れんくなって来たんじゃ。異臭もするし、漂流ゴミも溜まっているしのー。養殖場のせいで掃除する事も出来んのじゃ。」

「おら、自治会長へ相談に行って来るで。」

「行って、どないするんじゃ?」

「行政許可を取り消して貰うんじゃ。早う、この島から出て行って貰うんじゃ。」

「自治会長さんにそげん権限が有るんかいの?」

「その辺、わしもようわからんが話して掛け合ってみるんじゃ。」

「ほんなら、わしもついてったるでの。」

島民の若者、三郎太は迷うことなく軽トラックを走らせていた。

島の変わり果てる姿に悔しくて、悔しくて。ただ一途に想いを募らせ、一粒の悲しい想いが流星のように流れた。島への想いを巡らせる。この島は、わしらの島じゃ。わしが守って行くんじゃ。おじいとおばあ達が残してくれたこの島を。この先も、ずっとじゃ。なぜ奴らは汚しよる?この島を。なぜなんじゃ。もう、あの場所で虫が鳴かん。鳥も鳴かん。遡上する魚もおらんし、蛇も蛙もおらんくなってしもーた。あの丘は、単なる緑が茂る場所になってしもーた。井戸水も飲めんくなってしもーた。昔の姿に戻るんじゃろーか?もう一度、あの頃の様に野山を駆けっこした頃のように。いや、戻すんじゃ。必ず元に戻すんじゃ。おじいが言っておった。『願いは叶う』と、、、、。

二人は無言のまま、軽トラックを走らせ自治会長の自宅へ向かった。三郎太は、息つく間もなく扉を開け、頭だけ玄関にひねり込んだ。

「すまんけど、会長はおるけーのー?」と大きく叫んだ。

すると奥の方から年配の女性が腰を曲げてやって来た。

「なんだ三郎太か。どないしたん?血相かいて。」

「今、会長はおるけー?」と寂しげに言った。

「はー?何言ってるか分らんわ。最近、めっきり耳が遠くなってしまったんよ。」

「だから、、、。会長はおるんかー!」と耳元で叫んだ。

「そげん、大けー声出さんでも聞こえるわ!」と渋い顔をして年配の女性が言う。三郎太は、聞こえん言うからじゃ。と心で思った。

「今、会長は幸子さんとゆっちゃんと本島さ行ってショッピングしてるんじゃ。」と今度はにこやかに言った。

「ショッピング?」と聞きなれない言葉を復唱した。

「そうじゃ。今年、ゆっちゃんが中学校に上がるけーその準備にえらいかわいい洋服なんかを買うて来るんよ。」と嬉しそうに言った。

「そろそろ帰ってくる頃じゃ。上がって待っておれ。あれ?後ろにツネもおったんけー。」

「お邪魔しますー」と言って三郎太と恒彦は居間に通された。

しばらくすると男性が一人帰って来た。

「あら、サブローとツネじゃが。どないしたんじゃ?玄関先の軽トラはサブローのか?」と帰って来た男性は言った。

「おう、そうじゃ。邪魔してるでのー。会長の帰りを待っとるんじゃ。」と三郎太は言葉を返した。

「おやじに?なにようじゃ?」と再び男性が尋ねた。

「わしも色々、悩み事もあるけー、会長に相談しに来たんじゃ。悪いか?」と三郎太が少し寂しげに言った。すると奥の台所から腰の曲がった女性がお茶を持って来た。

「あら、宗次郎。帰っておったんか。おかえりー。」と言いながら老婆は、お茶を二人に配った。

宗次郎が言った。「さっき、乗客船が着岸しとったから幸子と祐希とおやじもそろそろ帰ってくるでの。おっかー、腹空かして来よるから夕飯の支度をしとってくれ。少し早いんじゃが。今日は、ぎょーさん魚も獲れたしのー。腹が減りようたわい。」

「そうじゃのー。飯だけは先に炊いとったんよ。後は、みそ汁作って魚焼いて、刺し身切って、、、。沢庵切って、、そんなもんでええじゃろか?」と老婆が言った。

「十分じゃ」と宗次郎が頷くように言った。

再び老婆が言う。「お前らも食ってくかー?」

「わしらは、会長と話したら直ぐに帰るけー、心配せんでええ。」と言って夕方の入り込む西日を二人はゴクリと飲み込んだ。

 ほどなくすると扉が勢いよく開く音がした。

「ただいまー。」と威勢のいい言葉でさっきまでの沈黙が嘘のように掻き消された。元気を持て余している様な一声だった。

「おかえりー。」と父が言う。

続けて老婆が言った。「おかえりー、楽しんで来よーたか?おじーにぎょーさん買うて貰ったか?ん?」

「うん。おじーの財布の中がすっからかんになりよったんよ。」と元気な女の子がにやけながら笑った。

「そうか、そうか。そりゃーえらい良かったのー。今、お客さんが来とるでの、おばあの部屋で話の続きを聞かせて貰えんじゃろか?」

「うん、ええよ。」と言って女の子は乾いた咳を切った。

「風邪でも引いたんか?早う、ご飯食って風邪薬飲もーなー。」と言って二人で奥の部屋へ移って行った。

少し遅れて二人が帰って来る。

「ただいまー。」と二人がハミングする。

「あら、サブちゃんと恒ちゃん。遊びに来とったんかい?いらっしゃい。」と廊下で立ちながら幸子が言う。二人は、目線を逸らし会釈した。少し顔を赤く染めていたのは、やさしい夕日のイタズラだった。

「親父に話があるんじゃて。」と宗次郎が言った。

「お父さん、お客さんじゃ。」

「三郎太じゃろ?ケイトラで分かるわ。」と会長が玄関で腰を下ろしながら言った。

「西海岸のミミズ養殖場の事で話に来たんじゃ。」と三郎太が言った途端、和らいでいた空気が一瞬で張り詰めた。

会長が重たい腰を上げ「和室に来い。あーそれと幸子さん。わりーがわしにも熱いお茶を一杯入れてくれんかのー。」と強張った表情で会長が言った。幸子は、「はい」とだけ言って台所で湯を沸かし始めた。

三人は、畳の敷いた和室に腰を下ろし、三郎太が重たい空気を押しのけて言った。

「ミミズ養殖場の行政許可を取り消して貰えんかのー。」

「許可の取り消しは、わしには出来ん。何度も村長らと県庁を訪れたが門前払いじゃ。」

「なぜ、そんなに弱気なんじゃ?なぜじゃ?」と三郎太が言う。

「わしらだって悔しいんじゃ。悔しくてたまらんのじゃ!」と声を荒げ、会長はテーブルを叩いた。

しばらくすると重たい空気が舞い戻って来た。幸子は無言のままお茶を一つテーブルに置き、音もなく和室を後にした。ただ、湯気だけが嘲け笑う様に立ち上っていた。

視線が畳に落ち切った頃、襖が再び動き出し宗次郎が入って来た。

「わしも今、考えとったんじゃが署名運動を起こすって言うのはどうじゃろ?行政が動かんなら、民衆に動いて貰うんじゃ。行政許可を取り消さざるを得ない状況をみんなで造るんじゃ。島民の人なら快く署名して貰えるじゃろ。どうじゃろ?のー?あとは、弁護士さんに相談してみよーたらえーじゃろ、のー。」

「そうじゃのー。名案じゃ!」と恒彦が手を打って弾いた。

「しかし、、、。」と少し弾んだ会話を会長が遮った。

「署名について以前、わしも思い付いたんじゃが地道で長げー道のりになりよるが、お前らにその勇気と覚悟は有るんか?」

「当り前じゃ!この島を再び豊かな島に戻せるなら、身を投げ打つ覚悟はすでに出来ているんじゃ。」と三郎太が力強い言葉で頷いた。

「それに養殖場で燃やしておる野焼きも止めなきゃならん。最近、妙な噂が立っちょるんじゃ。養殖場に近い地域、特に今沖地区の島民が半年ほど前から咳き込む様になったんじゃ。最近じゃーこの今川地区でも咳き込む子供らや年寄りが増えてきているんじゃ。原因が野焼きなら今すぐにでも止めなあかんのじゃ。」と恒彦が言う。

「そうじゃのー。ゆっちゃんもショッピングしている時、咳はしておらんかったが帰って来ると咳が出始めたしのー。煙から出る有毒物質が原因かもしれないのー。」と思い出した様に会長が言った。

 4人は、それぞれ署名活動の準備に入った。弁護士の先生に相談しに行く者、署名書や横断幕を作る者、各地区会へ説明しに行く者。銘銘に迷いはない。曇りなき一点。豊かな島を取り戻す為、島民総出で結いをなす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る