第6話 美しい地球を後世に受け渡す義務
今朝は冷え込んだ。前日の寂しげでシトシトした雨が窪んだ大地に溜まり白くした。そこには初氷が絶好の好機とばかりに力強く踏ん張っていた。畦道や秋野菜の収穫が終わった畑では、霜柱がぐんっと伸びをしていた。山並みは、初雪が綿帽子を被っているみたいにふんわりと積もっていた。辺り一面は薄っすらと白粉を塗った様にお化粧をし、澄み切った空気は凛と張り詰めた様相で、この秋一番の冷え込んだ朝だ。植物たちは一旦、光合成を諦めこれからの冬に備えることにした。父の帰りを今か今かと首を長くして待っている子供みたいに。まだ晩秋にも関わらず、春の訪れを気長に待ち望んでいた。
龍太は、寒さのせいで朝早くに目が覚めてしまった。先週末、分解修理から戻って来たストーブを早速点けた。以前まで自分でオーバーホールしていたが、結局リペアキット(補修部品)をストーブ屋に買いに行く羽目になるのでそれ程、自分でメンテナンスをするメリットを感じない。強いて言えば組み上げ後の試運転が快調なほど心は躍ったが、今年からその道のプロにお願いすることにしている。沈黙のしばらく後、火種が徐々に赤みを増し送風ファンの始動と共に燃焼室で大きく、勢いよく炎が舞い上がった。炎に同じ形はなく、不条理の投影の様に燃え揺らいでいた。暖かい空気が天井まで延び、徐々に室内の理不尽さが暖められた。
龍太は、二度寝から目が覚めた。レム睡眠からの目覚めは、比較的スッキリとした寝起きだったのだが、乾燥し暖まり過ぎた空間に今度は落胆した。設定温度も高かったし、やかんに水を張っていなかったので少々、喉に痛みを感じてしまった。直ぐ様ストーブの運転を停止させ、次回点けるときは、設定温度の確認をしようと思った。遅ればせながら、やかんに水を張ったものをストーブの上に置く。煙草を吸おうと思って取り出したが、喉の痛みを思い出し箱に戻した。いつものコーヒーを淹れ、ブラックで一口飲んだ後、煙草に火を点ける。喉のいがらっぽさが次第に強まり、早々に山積みの灰皿に押し消す。あの日以来、あの感覚を感じることは無かった。
それから数週間が経ち、龍太は午前中の仕事を済ませ、午後から講演会場へ足を運んだ。凍てつく様な冷たい雨が降りしきる中、お気に入りのオートマガジンを持って。会場に着くとホール会場は、すでに開演5分前ともあって後部座席以外は殆ど埋まっている状態だった。5~600人は収容出来るであろう会場は、少しざわつきを見せていた。人気の講演者なのか?クローズアップされる講話に関心があるのか?龍太には検討も付かなかったが、そんな事はおかまい無しの様子だった。辺りを見回すと後方の壁側通路の角に空席を確認し、そこなら雑誌を読んだって、居眠りをしたって他の人に迷惑も掛からないだろうと考え、その席に腰を下ろした。座席は焦げ茶色でモケット生地の柔らかい仕様だった。フィット感もそれ程悪くない。クッションも程良い反発だったので長時間、椅子に座っていても疲れないだろうと期待が持てた。ただ肘掛が有ればもっと心地良く雑誌を読めるのだが、と龍太は思った。すると反対側の通路から男性二人がこちらにやって来て、近くで止まった。見上げると以前、会社に視察に来た環境生活部の連中だった。
「お越し頂いて恐縮です。」と中年男性は、にこやかに言いながら一礼して来た。龍太は、機械的に頭を下げ、お前らが来いと言ったから来ただけだろうと思う。大柄の男は、終始無言を貫いたまま元の席へ戻って行く。
辺りの照明が弱まり、舞台袖から司会者がやって来た。
「定刻となりましたので、只今から講演会を始めさせて頂きます。本日は師走にも入りお忙しい中、講演会にお越し頂き誠にありがとうございます。本日のテーマは生産と消費に関わる環境変化です。題名が消費する本当の意味 ~今使ったその消費、本当に必要でしたか?~と付いています。私も幾つか覚えがあります。冷蔵庫に入っている痛んだ野菜や賞味期限切れの食品、電気の消し忘れ、水道水の流しっぱなし、折角作った料理の食べ残し等、数え切れない程の無駄な消費が身の回りに有るかもしれません。私自身、このテーマには非常に関心を持っております。さて本日は、2部構成になっています。一部は、ある観点からの講演。二部は様々な視点から一部の観点を見た場合、どの様に感じるのか?考えられるのか?また、私たちがどの様にアプローチや行動に移せるのか?をパネリストの方達を迎え、ディスカッションして行きたいと思います。始めに一部でご講演頂く講師の方をご紹介いたします。財団法人環境保全ネットワークスでユニットマネージャーをしています、東 祐希さんです。東さんは環境保全を中心に北海道のみならず、日本中、世界各国で尽力されている方です。それでは早速、東さんにご講演頂きたと思います。ご登壇お願い致します。」と司会者は抑揚の付いたハッキリとした言葉を放った。
女性が壇上の右袖からコツコツと確かな足取りで壇上へ上がり、一礼した。女性の身長は170cm後半だろうか。肩甲骨まで伸びる黒髪は艶やかな質感、綺麗に後ろで束ねられている。シャープな目鼻立ちで、使命感に満ちたその瞳は、求心力を持っているかの様に会場全体が惹きつけられている様だ。スレンダーなボディーラインは、誰しもが振り向かざるを得ない曲線でそのラインを決定づける脚線は、モデリスト達も見上げる程の圧巻ぶりだ。慎ましいライトグレーのスーツを身に纏い潜在能力を抑え込んでいる。実に妖艶な女性が一瞬の静寂を破った。
「只今、ご紹介に預かりました。財団法人環境保全ネットワークスでユニットマネージャーを務めております。東祐希と申します。私は現在、二十八の国と地域で環境保全活動を行っており、行政や大学、研究機関、NGOやNPO、市民団体などの関係機関と連携し現地調査、保全プロセスのデザイン設計、またこの様な講演会やセミナーでお話しさせて頂いております。」と簡単な自己紹介をし、一呼吸置いた。
「先程、司会者の方が仰られた様に今回のテーマは、生産と消費に関わる環境変化です。そして、ある観点とは、環境です。始めに世界環境保全という一つの観点からお話をさせて頂く旨、ご理解下さい。では最初に生産と消費のサイクルの中でどの様に環境が関わって来るのかを、事例を交えお話させて頂きます。一番分かり易いと思いますのが、高度経済成長期の日本です。生産、消費、環境の三つの要素が顕著にそれも早い段階で表れた時代だと認識しています。大量のモノが作られ、それらを大量に消費した結果、大気汚染、水質汚染となって公害病が各地で起き始めます。たった二十年もの間に様々な公害が発生しました。実は幼い頃、私は公害病に掛かりました。今でも体調が悪くなると喘息が出て、私を悩ませています。私に十二才になる愛息子がいますが、その子は重度の喘息に掛かっています。医師によれば、喘息を起こし易いアレルギー体質の遺伝だそうです。大量生産、大量消費で近代社会の恩恵を受けながらも、その反動として今もなお、私たちの様に公害で苦しんでいる方々も沢山いらっしゃいます。
もっと昔の話に古代ローマでも環境汚染ではありませんが、人災として同じような事が起きています。巨大都市を維持するために建材、精錬業、暖房などで大量の木材が必要とされ、郊外の森林破壊が続いた結果、少雨でも河川の氾濫、土砂災害が頻発し農村部の農業や生活に大きな被害が出ていました。また、更に古いマヤ文明でも同じ様な事が起こります。建物やピラミッド建設の為に大量の漆喰が必要とされ、その分の石灰岩と大量の木材を使用した結果、局地的な大干ばつが起こり衰退していったと考えられています。これらは天災ではなく私達、人類が引き起こした紛れもない人災です。人類は、歴史から多くを学び未来へと繋げて行かなければならないと私は切に願っていますが、まだまだ学びきれていない若しくは、欲が勝っているのかもしれません。一方、エジプト文明では、定期的な河川の氾濫が有ったのにも関わらず、約6千年から7千年もの間、文明を発展させて行きました。自然との調和、自然の揺らぎに身を任せた生活環境だったと考えられます。また神への信仰心も強く、繁栄した要因の一つで有ると考えられています。
文明滅亡には様々な要因が折り重なって衰退していきますが、過去から見ても環境破壊が強い影響を与えていることは容易に想像が出来ますし今も尚、地球上で環境破壊が無碍に続いています。先程述べた過去の誤ちを未だかつて、人類は歴史的背景から何も学んでいない事実が浮かび上がって来ます。
さらにそれと同等レベルで危惧すべき課題は、森林破壊行為と比例して二酸化炭素濃度の急激な増加だと私は考えます。植物たちは根や葉脈から水分を吸い上げ、気孔から二酸化炭素を取り込み葉緑体の中で光合成をおこない、養分と酸素を作り出します。このサイクルは、約三十四億年前から行われていたと考えられています。この気の遠くなるような歳月を駆け、今私たちはここで、こうして呼吸が出来ているのです。食物連鎖と言うサイクル、循環をご存じかと思います。植物、草食動物、肉食動物、微生物が絶妙な均衡で保たなければならないモノがすでに傾きを見せています。人類が食物連鎖の頂点だという幻想的な錯覚を今も見続けている現状に危機感を抱いているのは、私だけでしょうか?生物の多様性が昨今叫ばれてきていますが、百年間で約百種類以上もの動物が地球上から絶滅し、日本でも動物が九種類、植物が四十一種類絶滅してしまいました。より強い種が生き残って来ているとも言い換えられますが、疑いの余地なく人類にとっても住みにくい環境になって来ていると言えるでしょう。
先程、申し上げた地球温暖化は単なる気候変動なんかではなく、人類が齎した最大の人災であるように思えてなりません。
京都議定書と言うのをニュースや新聞などで一度は耳にした事が有ると思います。正式名称は、気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書。この条約は、先進国による温室効果ガスの削減目標を決め、それを達成していく世界的な枠組みになります。海洋の平均水温が一度上がるとサンゴ礁の白化が始まると言われていますが白化は、一部で既に始まっています。更に平均気温上昇が進めば、大規模で局地的な干ばつ、洪水が長く続き、北極と南極の氷が解け始めます。するとどういうことが起こるでしょうか?海洋の塩分濃度が変わり始めると海流の動きが変わり、それと同時に地球規模で気候変動が始まります。今始まっている世界的な異常気象は、その余興に過ぎません。気温の上昇と気候変動の変化で国際自然保護連合が2015年に定めたレッドリスト約2500種類が絶滅すると言われています。また、平行して衛生面の悪化、新種による伝染病や熱帯地域に生息する蚊を媒体としてマラリア、デング熱などの感染症が広がり始め広域的なパンデミックになるでしょう。さらには、世界的に食糧難になる事も確実視されています。現在日本の食料自給率は4割程度です。残りの6割は、輸入食品に頼って生活しています。この頃では、干ばつや集中豪雨による洪水、暴風などの異常気象が続き農業を始め、水産業、畜産業の一次産業に甚大なる打撃を受けると同時に輸入食品は完全に途絶えるでしょう。すると必然的に日本の物価が短期間で上がり食糧難民が増える事が予想されます。
今後、百年間の平均気温上昇は、摂氏一度から六度上がる事が確実視されています。北極圏の氷が解けてもそれ程、海面上昇は起きませんが七メートルの上昇。南極では、四十から七十メートルもの上昇が見込まれています。この様な事態になっては、日本列島の平野や各首都圏は海の底に沈む事になるでしょう。
これらの想定は現実的であり、決して虚偽でもなく脅しでもありません。事実として、これから起こりうる真実なのです。
氷河期の到来という一説もありますが、どちらにせよ地球規模の気候変動が起き始めていることは事実であります。仮に氷河期が到来したとしましょう。この場合、誰一人として氷河期を止める事は出来ないでしょう。なぜなら、私たちは自然の摂理の中で生きて行かなければならないからです。甘んじて運命を受け入れるしかありません。しかし、温暖化についてはどうでしょうか?温室効果ガスが大気の温度上昇の一因であることは、既に証拠として解明されています。であるのなら、私達が今置かれている日常生活の中で何らかのカタチで二酸化炭素を減らす努力が必要ではないでしょうか?今あるこの美しい地球を後世に受け渡す義務が先に生まれた者の使命であるべきだと私は考えます。先ほど申し上げましたが、私には十二才になる息子がいて可愛くて仕方ありません。もし、その子に子や孫が出来たら間違いなく溺愛することでしょう。そんな尊い子孫にこの美しい地球を残したい想いで今、この壇上に立っています。」と女性は一呼吸おいた。龍太が持って来た雑誌はまだ開かれていない。観衆は、彼女に吸い寄せられている。龍太もその一人の様である。
「一方、近年成果が出始めたことがあります。それは、オゾンホールの縮小です。最近の研究結果でオゾンホールの縮小が初めて観測されました。1987年、モントリオール議定書によりフロン類の段階的な使用規制、全廃の枠組みになります。皆さんもご存じの通り、オゾン層は太陽光から生命に有害な紫外線をカットしてくれます。もし、オゾン層の破壊が拡大の一途をたどれば、真夏でも肌の露出は出来ない処か動植物の生育に異変が起き始めるでしょう。
ですが、世界的な取り組みによって拡大して来たオゾンホールは、縮小に転じ始めているのです。この事案は、紛れもなく人類が呼び起こし人類の手によって今、塞がりを始めています。
結局、私が何を言いたいかと申し上げますと、オゾン層の破壊も然り、地球温暖化も然り、自ら蒔いた因子は、自らが刈らねばならない、と言うことをみなさんに強く申し上げておきたい。
私なりの消費抑制思考の一例、自動車修理を例に取ってご紹介したいと思います。本日の講演テーマは、生産と消費に関わる環境変化。~今使ったその消費、本当に必要でしたか~という題になっています。仮にAさんが、今乗っている自動車が事故か故障をして修理費用が20万円掛かるので、いっそのこと乗り換えようと新車のエコカーを購入した場合と。Bさんも今乗っている自動車が同じような故障をし、同じく20万円掛かると言われたそうです。ですがBさんは、「そんなに部品代や作業工賃が掛かるのだろうか?」と疑問に思い、まだ走行できる状態だったので、あと2件ほど修理の見積もりを出すことを決めました。するとどうでしょう。24万円と13万円の見積もりが届きました。13万円で長年乗り続けた愛車にまだ乗り続けられるなら費用を掛けてもいいのかな、と思うはずです。でもどうしてこんなにも差が出るのだろうと詳細を聞いた所、消耗部品は社外の新品、それ以外はリユース商品、中古部品などを多用して見積もっているんです。との回答を貰い、納得して13万円の見積もりを頂いた修理工場に出すことが出来ました。と言う例を比較して考えてみましょう。Bさんの例が少し長くなってしまいましたが・・・。ここでは、ポイントが3つ有ります。ポイント一つ目、最初20万円の費用が適正なのだろうか?疑問を持ち、考え直したことだと思います。リシンク、つまり行動を起こす前に再考したことです。ポイント二つ目、Bさんは長年乗り続けた愛車を廃車にはしたくなかったこと、つまりリデュース。知らない間に産業廃棄物になるものを抑制していたことです。ポイント3つ目。費用が安く抑えられた結果、リペア、修理することが出来たことです。俗に言うエコカーに乗り換えることが本当のエコでしょうか?私は違うと思います。確かに排気ガスの排出量だけを取ってみれば断然、最新式の自動車の方が燃費効率は格段に違います。ですが、一方で廃車になった車両からリサイクル、再資源に回らなかった産業廃棄物は沿岸部や山林奥地で埋め立て処理されているのが現状です。ご家庭から出るゴミは各都道府県、市区町村によって異なりますが資源回収、焼却処理、埋め立て処理されているのが現状です。自動車などの産業廃棄物の再資源化率は80%前半と各リサイクル法が施行されてから上昇してきましたが、現在は足踏み状態が続いています。一部では98%、100%近い再資源化率を企業努力の末、達成している会社も中にはありますが、個人側の選別や消費抑制と企業側のリサイクルし易い商品作りや生産体制などの企業努力が必要であると私は考えます。
また、乗り方によってはエコカーで無く、錯覚の幻影に乗ったエゴカーになってしまわない様にドライバーのモラルが必要ではないでしょうか。
最近は、ごく一般的にリサイクルとかリユース商品とかをよく耳にします。他にも先程述べた、リシンク(再考)、リデュース(抑制)、リユース(再利用)、リサイクル(再資源)、リペア(修理)という言葉を使いましたがこれらは、3R、5Rと呼ばれているものです。そこにリフューズ(拒否)を足すと6Rになります。これから特に強く進めて行きたいのが、リシンク(それが本当に必要なのか考え直すこと)、リフューズ(不要なものを断ること)私は殆どコンビニには入りませんが、家でお弁当を召し上がる際は不要な割りばし、スプーンやフォーク、ストロー、書店で掛けてくれるブックカバー、過剰な包装、レジ袋などまだまだ不要なものは有るはずです。最後にリペア(修理しながら使うこと、品物に敬意を払うこと)の3Rです。結果としてリデュース(抑制)が生まれて来る訳です。」と絶え間ない力説がそれから二十分程続き、ようやく一部の講演に惜しみない拍手で幕が降ろされた。
観衆の拍手はしばらく鳴り止まない。それでもまだ止まない。立ちながら拍手する者もいた。その観衆の中に龍太がいた。しばらくすると求心力を失い我に返った観衆は、催眠が切れたように思い思いの方向に掃けて行く。背伸びをする者、用を足しに行く者、端末の電源を入れ何かをチェックする者、解き放たれた観衆はリラックスしたムードに移り変わった。しかし未だに、妖艶者から放たれた言葉の力によってねじ伏せられ、発露なる魂への訴えは龍太の心を掴んで離さない。猛禽類が獲物を鷲掴みするみたいに。公演中に読み終わるはずだった雑誌は、1ページも開かれることなく、冷たい床に張り付いていた。
龍太は思う。なぜこの女性は環境について、こんなにも熱心に語れるのだろうか?何故だろう?環境悪化で誰が困る?そんなこと俺の知ったこっちゃない。木が欲しいなら、好きなだけ切り倒せばいい。電気を使いたければ、好きなだけ使い続ければいい。車が欲しけりゃ、買い替えればいい。本能の思うがまま、身を委ねればそれでいいじゃないか。この地球を後世に受け渡したい家族なんて、俺にはいないのだから。それでいい。と感情的に龍太は思う。しかしながら、どこか気分がスッキリしない。誤嚥を誘発するような蟠(わだかま)りが心に残る。
龍太の心から見る窓辺では、分厚い雲間から一本の槍の様な日の光が一点をそっと暖かく地表を照らす。そこには、いつの間にか新芽が育っている。なんとも弱々しく、華奢な新芽だ。直ぐにでも枯れてしまいそうだ。だがその生命体は、生きよう、生きよう、生きようと必死に力を振り絞っている。本人はその事実を知らないでいる。新しい感性が芽生えていることに自分でも気づいていない。妖艶者から蒔かれた種は、瞬時に龍太の心から発芽し双葉を出したのだ。
龍太は目を閉じる。そして思う。もし仮に、仮にだ。仮に家族が俺に出来たとしよう。俺にそんな感情が沸き起こってくるのだろうか?そんな感情なんて実際に起こってみないと正直分からないだろう。生前、父と母が俺を愛してくれた様に、俺にもそんな感情が心のどこかにしまわれているのだろうか?いや、そんなモノとっくの昔に投げ捨てた。でも、もし、もし少しでも残っているのなら一度だけでいい、そんな気持ちになってみたいものだ。と龍太はよそよそしく呆気に思った。そんな事を想うと自然な程、蟠りが音もなく引き潮のように消えていった。
10分間の休憩中、壇上のセッティングが慌ただしく行われ、ようやく第二部が始まろうとしていた。進行役、パネリストが壇上に上がり出し、先程講演していた女性もその中にいた。進行役が口を開き、淡々とディスカッションが始まったのだが、龍太の頭の中では環境のこと、女性のことで頭がいっぱいだった。
すべての講演が終わり、壇上者が捌け、観客が捌け、龍太だけ残った。環境について、龍太とは正反対の女性。龍太にとって衝撃的な邂逅だった。未だ冷めやらぬ余韻とともに龍太は、環境と女性について考えを巡らせ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます