第3話 感情を持たない兵士の様に日々繰り返す。

 くわえタバコをいつもの様に地面に投げ捨て、踏み消した。愛車のドアを開け、ドスンという閉まる音の後、車内は一瞬静寂に包まれる。ブレーキペダルとクラッチペダルを踏み込み、イグニッションキーを回す。

鉄クズ同然のエンジンが無理やり、叩き起こされ、不機嫌な重低音と共に黒煙を吐き散らしながら、気怠く鼓動を繰り返す。オーバーホールされたミッションは、無駄のない軽やかなシフトチェンジを繰り返す。感情を持たない兵士の様に繰り返す。メンテナンスの行き届いたS30、Z。いつもの様に貴婦人の目覚めは美しかった。しなやかな加速で立ち上がり、洗練されたボディーラインで空間を痛み無く切り裂いた。S20型エンジンが漸く機嫌を取り戻す。

太陽が目を覚ました頃だろうか。漆黒から赤茶けた眩しい光が、龍太を照らす。日差しを感じながら海岸線沿いにある小さい公園に行き着いた。公園には、小さな滑り台、ブランコ、鉄棒が寂しげにさざ波を眺め続けていた。極限まで熱せられた排気系の遮熱板が外気によって急激に冷やされた結果、収縮する際に鳴るカンカンと言う音を出していた。まるでゴールしたランナーがする息遣いみたいに。

 龍太はいつものベンチに腰掛け、煙草をふかしながら、途中で買った2本の缶コーヒーの蓋を開け、一本を流し込む。また、いつもの様に吸い終えた煙草を踏み消した。龍太にとって、それが休みの朝の決まり事だった。

 潮風に靡く髪は、黒く一本一本が太く男性の割に長く、ごわつく質感。目は大きいと言うより、二重でくっきりしている。閉ざされた瞳は半色の様に酷く濁っている。髭は、伸ばしていると言うより、剃るのが面倒臭く伸びがちで、指先は常にオイルによって黒く汚れていた。

 遠くの水平線を何かに捕らわれているかの様に眺め続け、眩しく温かい光とは正反対に龍太の心は酷く真っ黒に汚れ、冷や水で未だに冷え切っていた。戻る事もないだろう。あの頃の純粋で潔白な心へは、、、。

 もう、何年も経つだろう。龍太にとって忘れ去りたい過去がある。いや、一生忘れてはならないのかも知れない。龍太は、いつもその狭間で揺れている。振子仕掛けの古びた時計の様に龍太の心は揺れ動く。朽ち果てるまで続くだろう。出口の無い、真っ暗闇で彷徨い続く。まるで蟻地獄を這い上がる様に、果てしなく。

龍太は、幼い頃から父親の整備工場を手伝っていた。幼少期であれば、同年代の友と野山を駆けずり回っている年頃だ。だが龍太は、違っていた。遊び回ることより、不動、不良車両を蘇らせる事に喜びを感じていたからだ。また、その作業を父と分かち合う事が何よりも生きる喜びとして感じ切っていた。異質な少年時代を過ごしていると、自然と同質な少年が現れた。学校帰りに父親が営む整備工場へ、いつもの様に寄り道すると同年代よりも年下であろう少年が大人に混じってサスペンションのセッティングについて対等に話し込んでいた。それが、龍太にとって最初の親友と呼べる友だった。

 友の名は、橋爪 翔馬。龍太より三歳年下で背も小柄な少年だ。一見、華奢に見えるが毎日の体幹トレーニングは欠かさない。翔馬は、父の影響も有り、よく近くのサーキット場でドライビングを重ね、ジュニアの小排気量クラスでは何度も表彰台に上がる程の腕前に成長していた。二人は、自然と車の話題で意気投合し、二人の絆が深まるには時間はそう掛からなかったのは言うまでもなかった。

 歳を重ね、公道での運転が出来る年ごろまで二人は意気揚々と実力を付けて行った。メカニックは信頼を、ドライビングは限界までを二人は突き詰めて行った頃だった。

 そんな矢先、翔馬が買ったばかりの新車Z31の改造を龍太に依頼して来たのだ。翔馬の主張は、龍太にとって容易いモノだった。部品を発注し、仕上げるまで数日有れば事足りる作業だった。完成まじかに翔馬が今か、今かと急かしていた。

「その十七のメガネ取ってくれるか?」

油に塗れた手が車の下から「早く」と言わんばかりに出て来た。

「これだね。」とすかさず翔馬が工具箱から手渡した。

「ヨッシ!これで完成だ。」

龍太が寝板に乗って車の下から這い出て来た。

「龍太。早速、こいつで流しに行こうぜ!」と翔馬は目を輝かせながら言った。

「悪い。今は忙しいんだ。夜まで待ってくれないか。」

翔馬は、悲しげな表情を浮かべながらこう言った。

「しょうがない。夜まで待つか、、。」と深いため息をついた。

「フィーリングが大分変るハズだから、始めは様子見だ。」と言いながら、龍太は真剣な眼差しで各部の最終点検をし始めた。

「分かってるって。」とメカニックの忠告を信頼して言った。

翔馬は、逸る気持ちを抑え一時の夜を待つことにしたのだが、

やはりそこは少年のままだった。走らせたい衝動が勝り、龍太への後ろめたい気持ちを残したまま、「夜には戻るよ」と書き綴り、峠へと流しに出て行ったっきり、二度と龍太の前に現れる事はなかった。

 親族からは、「お前が殺したんだ。」と罵声を浴びた。どうしようもない悲しい憤りをぶつける矛先は、龍太しかないのだから。龍太自身もそう思っていた。「すべては俺が悪い」と心の底から翔馬に詫びた。龍太にとって、取り返しのつかない自責の念を背負いながら生きていく術しか見当たらず、指数関数的に念をただ募らせて行く事しか出来なかった。自身への信頼は完膚なきまでに失墜し、自ら己を潰し切ってしまったのだ。まるで虐待を受けた子犬の様に激しく怯え、苦しんだ。

 数日が経ち、日に日に窶れて行くのが分かった龍太の父と祖父は、そんな龍太を不憫に想い何度も慰めた。

「すべてを受け入れるな。お前が悪いのではない。要因は、数え切れない程ある。」と何度も何度も、父はその事を龍太に説き続けた。その数年後、漸く工具を握れる程まで心の傷を治癒させたが、以前の様な自信と生きがいに満ちた龍太ではなかった。瞳の奥は、半色の様に酷く濁っていた。新たなる龍太の誕生だ。感情の持たない兵士の様に只、指示された事を淡々とこなすだけだった。親友と呼べる者は、後にも先にも翔馬しかいなかった。

いつもの様に飲み干した缶コーヒーは公園のベンチに横たわり、一口も飲まれていない缶コーヒーがそびえ立つ。2本目の消したはずの煙草の煙が纏わり付いた。

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