第2話 先生の会社は潰れてしまうので、、

 芳醇と静寂に満ち溢れる大気と清らかで濃密な原水を作り出している雄大な大地、北海道。膨よかな森林が恵の根源であり、数億年もの歳月を掛け、周りに回った食物連鎖。今日という日を祝うみたいに動植物たちが色彩豊かな花鳥風月を奏でていた。花々が咲き誇り、小鳥たちが囀り、蝶たちが舞い、草木が生い茂り、魚たちが勇敢に遡上を試みる。絶妙なバランスサイクルで命が受け継がれる。生命の母である海水が廻り、導かれる様に大気もまた巡る。

そんな中、生命の父とも言える陽光が教室を照らし「そっと」優しく温め出した。

開口一番、女性が言った。「今日の6時限目は、特別授業です。今まで社会科で勉強して来た自動車についてお話を頂きます。特に今回は、自動車の最後について詳しく説明して頂きます。それでは、本日の特別講師の先生です。」と歯切れ良いテンポで言葉を並べ、隣にいた男を紹介した。

 男は、小ざっぱりとしたスーツを身に纏い、清潔感たっぷりの笑顔が印象的だったが指先だけは油で黒く汚れていた。そして、使命に澄んだ瞳の男はこう言った。

 「皆さん初めまして。株式会社 車体リサイクルの代表をしています、光野龍太と申します。今日は、限られた時間ですが、乗り捨てられた自動車が一体どのような最後なのか?をしっかり勉強して行きたいと思います。」と男は言った。教室は静まり返り、子供たちの視線が男一人に絞られた。

「今まで勉強して来た事を復習すると、様々な部品が組み付けられた自動車は、維持していく為にメンテナンスや修理を行い、乗られ使われて来ました。そして、その次が自動車にとっての最後になります。錆てボロボロになった古い車、修理も出来ない程壊れてしまった車、引っ越すので乗らなくなった車、運転する人が高齢で手放す車等など自動車にとって最後を迎える理由は様々です。それではみなさんに早速、質問です。今言った自動車たちは一体どのようになってしまうでしょうか?予習してきた人はいませんか?」教室内は依然として静まり返ったままだった。龍太は、教卓に置いてある席順表を覗き込み、真ん中の座席に座っている女の子と目が合った。「では、山村さん、いきなり当てて申し訳ないけど、わかるかな?」女の子は、緊張した面持ちで答えた。「自動車を分解して分別すると思います」龍太は間髪入れず答えた。「すばらしい!山村さん。模範解答をありがとう!みなさん、山村さんに拍手を送りましょう。」龍太は力いっぱい手を叩き一気に教室は響めいて、緊張の糸が綻んだ。女の子は、頬をほんのりと赤く染め微かに笑窪を見せ、はにかんだ。「今日は自動車の分解、分別について詳しく説明していきます。」と龍太は序盤を締めくくった。龍太にとって初めてとなる特別授業。出だしは好調のようだ。龍太の使命に駆られたその瞳は、眩い程輝きに満ちていた。子供達も吸い寄せられるように曇りなき眼(まなこ)で颯爽と授業を楽しんでいた。

 授業も終盤に差し掛かり、子供達との対話も佳境に入った。龍太は、一人ひとりの瞳に訴えかける様に語り始め、ゆっくりと教室を歩き始めた。「つまり、一番のエコは、最新式の自動車に乗り換える事ではなく、今ある自動車を大事に乗り続ける事だと私は思っています。それは、車に限った事ではありません。例えば、皆さんが使っている鉛筆を最後の最後まで使い切るとか、お家の家具を何代にも渡って使うと言う事です。今使っている物に『敬意を払う』ことだと私は信じています。現代日本の昨今において、周りにモノが溢れかえり、直ぐに新しいモノが簡単に手に入ってしまう時代です。ですので物に対して『ありがたみ』感謝の気持ちが気薄になり、物を大事にしない文化が広がって来ている様に思います。でも昔の日本人は違っていました。物に敬意を払い、修理しながら使い続けていた時代がこの日本にも有ったのです。」龍太はちょうど教室を一周し、また教卓の前にたどり着いた。「この何不自由ない豊かな生活を追い求めた結果、代償として変わり果てたモノは何であるか?を日本人、いや、人類はその事実をより深く考え、知る必要があるのではないでしょうか?」と男は締めくくり、質問を受け始めた。

 活発で元気の良い男の子が真っ先に手を挙げた「じゃあ、もしみんな自動車を大事に乗る様になったら、光野先生の会社に自動車が来なくなると思いますが、どうやって仕事を続けて行くんですか?」と純粋な面持ちで少年は言った。

 「そうだね。そうなったら、先生の会社は潰れてしまうので、違うお仕事をしているかも知れません。そう成れる様に先生もがんばりますので、」と言い教卓にある座席表を覗き込み、「木村くんも物を大事に使ってあげて下さい。」

 少年は、言葉の意味を良く理解した上で、「はい」と誓いながら力強く頷いた。

 龍太は特別授業を終え会社に戻る途中、大好きなコーヒーショップが道路沿いに有ったので立ち寄った。学校に行く前は、緊張のあまり昼食が喉を通らなかったせいで安堵と共に空腹が訪れた。龍太は、モカのホットと一緒にアボガドとエビの入ったサンドイッチを注文してしまった。食べ物と飲み物の組み合わせは笑える程不一致だったが、得てして龍太は気にも留めなかった。なぜなら、龍太の心は既に満たされていたからだ。龍太には確信があった。三十数名の子供たちの瞳には輝き放った明るい未来が映し出されていることに。そんな授業の余韻に、にやけ浸りながら達成感と幸福な面持ちで残りのサンドイッチをほお張り、会社への帰路に就いた。山肌には未だのっぺりとした雪が残り、寒波で悴む三月の出来事だったが、子供たちの眩い明眸な瞳に龍太の心は温められた。

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