第252話 裏切り者アビス



「負けてしまいましたけど、わたくし、先程の戦いでアラ―ビス様を随分と見直しましたわ」


「カルディエもですか」


 フィネスが驚いたように、カルディエを見た。


「……はい。少なくとも、今までの発言を取り消したいくらいに」


 カルディエが振り返り、苦笑いのような笑みを浮かべる。


「ええ……そうですね。私もそう思っていました」


 二人が頷き合った。


 アラ―ビスとセントイーリカ市国の枢機卿の男の戦いが始まった時、二人は信じて疑わなかった。

 追い込まれる前にアラ―ビスが途中で逃げ出すだろうと。


 その後、戦いは予想通り、アラ―ビスの劣勢となる。


 当たり前と言ってよかった。


 枢機卿は毎年この大会で優勝している強者である。

 対してアラ―ビスはほとんど全てを嘘で塗り固めなければならなかった男であったからである。


 しかし今日のアラ―ビスは違った。


 逃げなかったのだ。


 幾度も倒されて土まみれになり、鼻から血を流しながらも、立ち上がり続けた。

 無様な姿を晒すことを厭わず、最後の最後まで戦い続けた。


 今までのアラービスを知っている二人にすれば到底信じられなかったが、見ているうちに、否応なしにフィネスの胸は熱くなった。


 そして気づいた時には、アラービスの勝利を心底願っている自分が居たのである。


 敗者となり、倒れたその場で治癒を受け始めた時には、観客席全体から惜しみない拍手が送られ、二人もたくさんの拍手を送っていた。


「きっとミエル様も同じように感じられたのですわね」


「ええ。そう思います」


 観客席に居たミエルが闘技場内に飛び降り、アラ―ビスに駆け寄って泣き叫んだ姿が、フィネスたちの目に焼き付いている。


「あ、フィネス様。そろそろでしょうか」


 カルディエが腰を浮かし、闘技場中央の闘技スペースに目を凝らす。


 先程からフィネスたちは決勝の開始を今か今かと待っていた。

 小休止というので、せいぜい30分くらいかと思っていたが、そうやって待ち続けて一時間以上が過ぎていた。


「やはり、開始のようですわ」


「はい」


 拡声水晶を手にした、でっぷりとした体型の神官がそこに現れていた。

 もう見慣れた、この大会で随所にアナウンスを入れている司会進行の男である。


 さらに開会式の時のように、楽器を持った白タキシードの男たちがぞろぞろと遅れて入場してきている。


「静粛に!」


 その司会の男が、拡声した野太い声を響かせる。

 静かになるのを十二分に待つと、司会はゆっくりとした口調で話し始めた。


「皆は知っているであろうか。いや、この世界の民なら知らぬはずがなかろう!」


 拡声された声は闘技場の隅々まで届いている。


「そう、今年は『シグムントとヴィーナスの栄光の日』からちょうど100年である!」


 わぁー、という歓声と、拍手が巻き起こった。

 セントイーリカ市国の観客席は、それだけで立ち上がっている者もいた。


「……なぜ今ここでその話を?」


「わかりませんわ」


 フィネスとカルディエは怪訝そうな顔を向き合わせる。


「光の勇者と光の聖女が初めて同居した、ラーズに愛されし、第十二代勇者パーティ。歴代最高であったはずのこのパーティ! そこには【偽勇者】も配置され、魔王戦の勝利は確固としたものであろうと噂されていた」


「………」


 観客席は、さっきまでと打って変わり、静まり返っている。


 自分の声が観衆を十分に惹きつけていることを確認し、「だがしかし」と司会の男は続ける。


「歪は思わぬところに起きた。どれほど神が強い光で彼らを照らそうとも、どこかに影が生じてしまうように!」


 それが合図であったかのように、白タキシードの男たちが悲しみを誘うかのような、暗い曲調の音楽を演奏し始めた。


「………」


 観客たちは無言のまま、それに聴き入っている。

 司会の男は思い描いていた通りの観客席の反応に満足げに頷くと、さらに続けた。


「さあここにおられる方々ならば、どんな歪であったか、知っているであろう!」


 司会の男は、観客席に問いかけ、わざと勿体つける。


「そうだ。あろうことか【偽勇者】が裏切ったのだ。聖女に恋をして!」


 観客席がざわめく。


「あの不届きな【偽勇者】は、勇者を愛していた聖女に関係を迫り、叶わぬと知るや魔王に味方したのだ!」


 司会の男の言葉に同調するように、随所から怒りの声が上がり始めた。


「……わけがわかりません」


「本当にですわね。なぜ今、ここでこんな話を……?」


 フィネスとカルディエは眉をひそめていた。


 二人とも、この【偽勇者】の話は当然知っている。

 どこの国でもタブーとされている内容であり、規制を布いたのは、他ならぬ光の神の神殿のはずである。


 でありながら、なにゆえこのセントイーリカ市国が堂々とそれを語るのか。


「あっ」


 とそこで、カルディエが闘技場の端を指さす。


「フィネス様、あれを!」


「えっ」


 フィネスが指をさされた方を見る。


「………!」


 そう、ちょうどその時、闘技場の端から一人の男が姿を現していた。


「サクヤ様!」


 歓喜したフィネスは、立ち上がると最前列に設置された手すりに駆け寄り、上半身を乗せるようにして前のめりになる。


 サクヤ様ぁぁぁ、と叫ぼうと息を吸い込んだ、その時。


「さぁ皆よ、見るがよい! 我らは証拠を掴んでいる」


 司会の男が闘技スペースに現れた男を手で差し示した。


「――その不届きな男の末裔こそ、あの男である!」


 闘技場が、ざわりとした。

 そのまま、ざわめきはどんどん大きくなっていく。


「……えっ……?」


 フィネスは頭が真っ白になっていた。

 やがて、ラモを目にした観客が、予想していた反応を見せ始める。


 そう、ラモに卑劣な言葉を浴びせ、ブーイングを始めたのだ。


「………」


 現れて早々に批判に晒されても、ラモは目を細めるだけであった。


 拡声された声は、闘技スペースに出てくる前から全て耳に届いており、ラモは話の筋書きが読めていたのである。


「ひどい! 他国の代表になんてことを言うのですか!」


 フィネスは信じられない思いだった。

 手元の手すりを痛いほどに握りしめる。


「そういう意図でしたのね……」


 カルディエが険しい表情になって、フィネスの隣にやってくると、興奮しているフィネスの背を撫でた。


 セントイーリカ市国の者たちは、あろうことか決勝を『シグムントとヴィーナスの栄光の日』になぞらえ、この場を盛り上げようとしているのである。


 来賓たる友国の代表を悪になぞらえて罵るなど、言語道断の行為である。


 しかし、フィネスたちの意に反して、闘技場は別な意味で想像を絶した盛り上がりを見せ始めていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「世界を売った愚か者の子孫め!」


「失せろ、この恥知らずがぁぁ!」


 闘技場全体が、罵声で溢れかえっていた。


 それをヘルデンは、怒り心頭といった表情で眺めている。


「……ふざけた真似を……客たちも少し考えれば嘘だとわかりそうなものを」


 100年前に魔王討伐に参加し、今話題に登っている【偽勇者】アビス。

 彼のその後は知られていない。


 行方はおろか、魔王討伐後の生死すら不明とされていることは周知の事実。

 何代も経た末裔を同定することなど、セントイーリカ市国であろうとできるはずがない。


「構わぬ。やり過ごせ、ヘルデン」


 フローレンスはほっそりとした腕を組みながら、じっとそれに耐えていた。

 そう。罵声は闘技場の中心に立つラモだけでなく、代表として立てたこのレイシーヴァ王国にも向けられていたのである。


「あの豚男め、こうなることをわかっていて……」


 しかしヘルデンの口からは、辛辣な言葉が止まらない。


「ヘルデン、表に出すでない」


 フローレンスは付き添っている侍女サリアに命じて、ヘルデンを座らせようとする。


 が、ヘルデンは応じない。


「私に姫ほどの器はございませぬ」


「ヘルデン。わらわたちは併合されぬのだぞ。この後も貧国なれど、自分たちの足で立たねばならぬ」


 フローレンスは静かだが、有無を言わさぬ口調で言った。


「ここは一方的にやられておけ。いずれ虚実は明らかになる。他国はセントイーリカ市国の下劣な行動を知り、じっと耐えた我が国の友となってくれよう」


「………」


「聞こえぬか、ヘルデン」


「……はっ」


 ヘルデンが渋々と言った様子で、その場に畏まった。


「まあ正直に言えば、そなたが怒ってくれるからわらわが冷静で居られるということもある。ことあるごとに、そなたを配下に得て良かったと思う瞬間でもあるぞ」


 フローレンスが笑みを浮かべてそう告げると、ヘルデンは畏まったまま、小さく咳払いをした。




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