第251話 勇者の姿
「腑抜けが」
ケビンは唾を吐き捨てた。
自分に負かされたアラ―ビスが泣いて悔しがる姿を、何年も思い描いて楽しみにしていたのである。
なのにこれでは、全くもって『倒しがい』がない。
「いいだろう……ならば好きな女とやらの前で、生きていけぬほどの大恥を晒すがよい」
ケビンが歪んだ笑みを浮かべて、剣を構える。
「今度は俺からいくぜ」
アラービスが低い姿勢で飛んだ。
勇者のスキル【縮地】で一気にケビンの背後をとる。
そのまま剣を上段から全力で振り下ろした。
――キィィン。
だがケビンは平然としたまま向き直ると、振り下ろされた剣を弾いていた。
「ぬん!」
アラービスはそのまま腰を入れた重い一撃を振るうが、またも軽々と弾かれる。
「まだまだぁ!」
教書にある、難度の高い突きから袈裟に斬り上げる斬撃も、ケビンには巧みに凌がれる。
「………」
歴然とした差をありありと見せつけられ、あれほどにアラービスを応援していたリンダ―ホーフ王国の観客席が言葉を失っている。
そう、この戦いが決して花をもたせるような類のものではないことを、観客の皆がすでに理解していた。
「ぬるい」
代わりとばかりに、ケビンは先程と同じ傷口を裂くように、剣を一閃する。
アラービスの胸から、再び血がぶっ、と噴き出す。
ケビンがにやりとする。
手応えはあった。
今のでまたアラービスは子供のように喚くはずだ。
士気も完全に削いだ、はずだった。
「せいぁぁ!」
だがアラービスは動じることなく、剣を振るい続ける。
「なに」
思いもかけぬ鋭い一撃に、ケビンが初めて飛びのく。
そして、退いてしまった自分に、舌打ちした。
「いくぜぇぇ!」
負傷しながらのアラ―ビスの連撃が始まる。
教書にある勇者の三連撃。
それがだめなら、自分なりに変化させた斬撃を混ぜ、ケビンを追い詰めようとする。
しかし十二連撃まで放っても、涼し気な顔ですべて受けられる。
「まだまだぁぁ!」
それでもアラ―ビスの剣は止まらない。
過去のアラ―ビスの剣は、格好良さが全てであった。
情けない姿をわずかでも見せることは、プライドが許さなかったからである。
「はぁ、はぁ……!」
しかし今は、それらをかなぐり捨てていた。
肩で息をし、血と汗と土にまみれながら、不格好な攻撃をひたすら繰り返していた。
今、アラービスの目に宿っているのは、澄み切った純粋さ。
ただただ、一人の女と会話をしたいという想いだった。
「くらえ」
アラービスが意表をついた足払いを放つ。
が、それは先読みされてあっさりと躱され、逆に隙を晒すことになった。
「つまらん」
「ぐはっ」
足払いを仕掛けた姿勢の顔面に膝蹴りを受け、アラ―ビスがたまらず背をついて倒れ込んだ。
「うぐ……はぁ、はぁ……」
アラ―ビスが剣を落とし、鼻を押さえて呻いた。
鼻骨が折れ、両鼻から派手に血が流れ出していた。
「ちきしょう……」
上半身を起こすも、めまいがして立ち上がれない。
「いいざまだなアラ―ビス。予想通り、お前はつまらなかった」
ケビンがアラ―ビスを見下ろしながら、吐き捨てるように言った。
しかしアラ―ビスはそれを聞いても、笑っていた。
「……優勝したつもりでいるようだな」
「なに」
「俺を倒せたとしても、今年のお前は絶対に優勝できんぞ」
アラ―ビスは鼻を押さえたまま、不敵な笑い方をした。
「どういうことだ」
「どうもこうもない。そのままの意味だ」
そこでケビンが、アラ―ビスのいわんとしていることを悟る。
「サクヤか」
「そうだ。俺の後にはあいつがいる」
アラ―ビスはちらりと、その男がいる控えの場所に目を向けた。
その名の男は、鉄格子のようになった控えの個室の中からアラ―ビスを険しい表情で見ていた。
「………」
ふいに、アラ―ビスの胸が熱くなった。
アラ―ビスの視線に、サクヤは目で頷いて応えてみせたのだった。
「忠告はありがたいが、それは余計な心配というものだ。現実にはならない」
アラービスは笑みを繕い、ケビンに向き直る。
「お前の器ではサクヤには勝てんよ……ぐがっ!?」
そこへケビンが球を蹴り上げるような蹴りを放った。
アラ―ビスは顎を蹴られ、仰け反りながら人形のように打ち上げられる。
「ほざかねばよかったものを!」
落下に入ったアラ―ビスの腹部を、ケビンは『
「うぐあぁぁ!?」
アラ―ビスが宙でのたうつ。
その苦悶を見て満足したケビンが剣を抜き去り、返り血を浴びぬように距離を取る。
「……ぬぉ……!」
アラ―ビスは無様に地面に転がり、ぐぶ、と赤い反吐を吐いた。
「………」
観客席はもはや熱狂を忘れ、ボロボロになったアラ―ビスの姿を無言で眺めている。
「アラ―ビス国王陛下、そろそろ手当が必要です。敗北をお認めに」
審判の男が駆け寄ると、アラ―ビスにそう告げた。
なお、この男は枢機卿のひとり、ハンクスである。
「格好悪いだけ……だ……まだ……まだ戦える……!」
貫かれた腹部と両鼻から血を流したまま、アラ―ビスが笑ってみせる。
そのまま四つん這いになって、立ち上がろうとする。
さっきの腹部の一撃は、ギリギリのところで体を捻じり、急所を外したが、左下肢が痺れ上がり、いうことをきかなくなっていた。
左足に行く神経をやられたのだ。
それでも、アラービスは立ち上がろうとする。
もはや勇者でも国王でもない。
ただ泥臭いだけの男がそこにいた。
だが、その鋭い眼光だけは変わらず、少しも損なわれていない。
「アラ―ビス! もうやめて!」
「………」
聞き慣れたその声に、アラ―ビスがわずかに顔を上げる。
「……ミ……エル……」
アラービスの視界に、ミエルが映る。
その可憐な女の顔は、驚きと悲しみに染まっていた。
アラ―ビスは最後の力で立ち上がってみせ、その女の方を向いた。
「なぁミエル……笑って……くれよ……」
アラ―ビスが口から血を流し、頬を痙攣させながらも、笑みを浮かべた。
「俺はな……ただ……お前の……」
お前の口づけが欲しくて……。
最後まで言えぬうちに、アラ―ビスの両目からは涙があふれた。
「とどめだ――」
ケビンが剣を横薙ぎに振るう。
「やめてぇぇぇー!」
ミエルが観客席の前方へと駆けながら、絶叫した。
ケビンがとどめに選んだのは、こめかみを引き裂く一撃。
あまりにしつこいがために、もはや命まで刈り取っても構わぬという殺戮の剣であった。
「むっ」
しかしケビンが気づき、剣に逆向きの力を込める。
剣はこめかみに突き刺さる直前で、止まっていた。
「………」
ちっ、と舌打ちし、ケビンは剣を下ろす。
「最後だけ本物らしいところを見せたな、勇者」
そういってケビンがアラ―ビスの胸を、剣の柄でとん、と押した。
たったそれだけで、アラ―ビスは、どぅ、と後ろ向きに倒れた。
そう、満身創痍だったアラ―ビスは、立ったまま意識を失っていたのである。
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